2020年06月24日

木曽の架け橋

   木曽路の旅
 中仙道は江戸五街道の一つ、江戸から京DSCN2305.JPG都まで続く街道であるが、山道が多く続く街道であるが何故かしら姫街道と呼ばれている。
 東海道を避けてこの中仙道を旅したお姫様は多くいたと言われ、それが姫街道と呼ばれる所以でもあるらしい。
 然し山道が多く、ましてや難所と呼ばれる危険な場所も多くて、実際は非常に辛い街道であったよう、姫様達もさぞや苦労し多であろう。
 姫街道は表の東海道を避けなけれならない姫様達、時の江戸幕府は大名の妻子を江戸に人質として住まわせていたから、彼女たちの見張りは厳しく、特に江戸を出る時は厳しく見張ったと言われ、東海道には厳しい箱根の関所や新居の関所があり、出女を厳しく取り締まったから、必然的に中山道に道を取らざろう得なかったようだ。

姫様と言えば幕末の頃、皇女和宮はこの中仙道を通って江戸まで旅をしているが、その行列は語り草となって今に残っている。SANY0579.JPG
 皇女和宮の行列は朝から晩まで行列は続き、宿場は一日中行列が絶えることはなかったと言われ、その行列の長さと豪華さは歴史に残ると言われている。
 また松尾芭蕉は中山道を旅して幾つもの俳句を残しているが、この木曽の架け橋にも対岸に碑が立っており、一句詠ったもの。

 かけはしや いのちにからむ つたかずら

日本三大架け橋を詠った大きな碑がその名残を伝えている。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記