2020年07月12日

磁石

   必需品SANY7237.JPG
 方位磁石、軍隊では必需品の装備品、明治に入り新政府は富国強兵を旗印に、軍隊の強化を図り、外国に対抗した。
 明治初期には外国からの侵略に備え、特に軍隊の強化が課題とされ、早急に増強する必要に責ばまれていた時期だ。
 この頃北方ではロシア軍の南下が激しくなり、北海道が侵略の危機にあったと言う、新政府は北海道の軍備増強を図ったいた。
 当時は開国依頼諸外国が東南アジアを植民地にしようと画策していた時期、特にフランスとロシアは日本を標的としていた様で、この時期は日本にとっては重要な時期でも、イギリスは中国を標的としてとらえ、数々の戦略をたてて侵略しようと画策、後のアヘン戦争へと突き進むことになる。

 そんな時期、日本は富国強兵を推し進め、SANY7244.JPG軍事力強化を最優先に突き進む事に、この時代多くのものが発明され世に送られて行く。
 この磁石もその一つと言われ、特に軍隊向きに製造されたもの、外側を木製でコンパクトに造られ、コスト的にも安価なもの、そのがこの磁石。
 木枠の中に仕組まれたもので、手軽に持ち運びが出来、使い易さも考えられたもの、蓋の裏には全国各地の標準時が刻まれている事、誰でも簡単に見る事が出来るように工夫されている点、磁石が方角を指すが、東西南北が同時に分かるようにも造られている。
 折り畳み式の日時計は簡単な仕組みで的確に組み立てられ、その上使い方まで書かれている事も使うものの身になった造られている。
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2020年07月11日

しっぱい

   緑のカーテン
 毎年行っている日除けDSCN2321.JPG緑のカーテン、プランターに日差しを遮る植物を植え、夏の暑さを和らげてきた緑のカーテン、これに勝るものはないと思う。
 その対策とした色々なものを試してきたが、やっぱり自然のものに限ることが分かり、それ以来緑のカーテンを作り出してきた。
 もちろん此処に辿り着くまでには失敗の繰り返しをして、やっとたどり着いたとも言えるが、色々試したことは確かである。
 最初は葦簀を取り付けたが、これが厄介で高さがあるために風に弱くて、風対策に神経をとがらせ、その為に取り付けたものを外し、また取り付けるという作業の連続であった。
 風もさることながら雨もまた障害の一つ、今の中国製の葦簀は非常に耐久性がなく、結んだ縄が切れてしまいバラバラになってしまう。
 夏の4か月を持たない弱さ、以前は麻縄で繋がれていたものが、ナイロン製になり耐久性がなく、見事に切れてしまうのである。
DSCN2320.JPG

 そんな事であれこれ試した結果、緑のカーテンに辿り着きそれ以来植え続けてきたが、これもまた手間のかかることに、植物がゆえ水を切らかすことはできず、水やりも日課である。
 しかしこの緑のカーテン、植える時期を間違えると秋まで持たなく、10月前に枯れてしまい、失敗してしまう事になリ、今迄にも失敗がある。
 そんな失敗が今年も起きそうな気配、今は元気に上に伸びているが、一番下のあたりが葉っぱが無くなりつつある事に気が付き心配。
 何時もなら青々と茂っているはずの葉っぱ、向こうが透けて見える位に葉っぱが少なく、これでは10月まで葉っぱが茂っていなてようだ。
 植える時期を少し間違えたよう、今からこんな状態ではとても10月まで持たなく、下の方は枯れてしまいそうなけはい、心配でたまらない。
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郭公

      鳩か郭公か
 根強い人気の鳩時計、日本でお馴染みの鳩時計DSCN0189.JPG、時刻が来ると鳩が扉をあけて時間を告げる時計、通称はと時計と呼ばれるもの、この時計の人気は昔から衰えないが木の持つ温かみが人気の秘密かもしれない、それよりも鳩が時刻を告げる動きのあるカラクリ、複雑な仕組みではないが可愛らしく、尚且つ面白みのある動きであると思う。
 扉を開けて鳩が出てくる仕掛けは、他の時計にはないものだから、面白みがあり人気がある時計、しかし外国では鳩時計とは言わないようで、郭公時計と呼ばれているものだ、日本に入ってきて鳩時計となったようだが、その経緯については不明、何で郭公から鳩になったのか知りたいが、明確な答えは今のところ何もない。
 一説には郭公は閑古鳥とも呼ばれ、日本では縁起が悪い響き、それで鳩にかえたとも言われているがあくまでも推測。

 鳩の方が日本中何処にもいるから親しみやSANY1635.JPGすく、郭公は山間に行かねば会うことはなく、そのような環境が郭公から鳩になっていったのか、いずれにしてもハッキリしない。
 写真の郭公は、ドイツで製造された郭公時計、黒の森と呼ばれるシュバルツバルト、スイスとフランスの国境近くの森林、160キロにわたる森が続く地帯。
 この地方で製造されたのが郭公時計、森林国ならではのデザイン、時計上部にはリアルに郭公がデザインされ、全体に木の葉が彫刻された馴染み深いスタイル。
 このスタイルの時計を郭公時計と呼ぶ、如何にも森林を思わせるデザイン、ドイツのものは郭公もよりリアルにその姿を彫りだしている。
 日本の鳩時計の木彫りとは彫の深さが全く違い、立体的な彫り方をしているが、日本の鳩は平面的な彫り方で、リアルさに欠けたデザインが多い。
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2020年07月10日

とっくり

   持ち帰り用SANY2720.JPG
 徳利とは酒を入れる器の事を指す、日本酒を入れる器の事であるが大小に分かれており、その使い方は違いが、小さな徳利はされを入れて燗を付けるために使用されるものを指す、大きなものは通い徳利と言い、今朝を小分けにして持ち帰るために使用する器の事を指す。
 器の大きさによって使い道が分かれるもので、同じ徳利でも使い方が違うと言う事だが、呼び方は同じ徳利である。
 普通の小さな徳利は実用的に酒を入れて飲むためのもので、同じ呼び方でも通い徳利とは使い方が違うもの。
 通称大きな徳利を通い徳利、又は貧乏徳利とも呼ばれているもの、酒屋にこの徳利を持って行き必要な分だけ酒を入れて、家に持ち帰るために使う器。

 今回の徳利は貧乏徳利と言われているもSANY2723.JPGの、大きさも各種あるが大体は一升とか二升とかが多く存在しているものだと言う、大きなものは一斗徳利と言われるものもあり、酒を入れる器として同じ徳利と称するらしく、やはり大小がある。
 普通の通い徳利は酒屋の印が付いているもの、自分の屋号を入れて使うものだと言い、それを貸しているとの事だが、定かでない。
 大抵の通い徳利は丸酒の印が付いているもの、あの信楽の狸が持っている徳利を指す、あれが酒徳利の定番のものだ。
 写真の貧乏徳利は三河屋の印が入ったもの、この徳利も典型的な酒徳利、如何にも酒屋と言う感じの三河屋さんのものだ、庭に置くとオブジェとして利用があり、何となく懐かしい雰囲気が出るから不思議、利用価値は高いと思う。
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2020年07月09日

音が命

    他より少し違う
 私もコーヒが好きで1日に5、6杯は飲まないと何だか落着かないが、飲まなSANY2938.JPGければ飲まないで過ごせると思っていても、やっぱり飲まずには居られない。
 コヒーの好きな人も多いと思うから、此の気持ち分かってもらえるであろか、一時期はコヒーの飲みすぎは、体に良くないといわれた時期もあったが、何時の間にか消えてしまったようだ。
 最近はポルフェノールがコヒーに良く含まれているから、今度は体に良いと以前とは全く逆な事が言われ、ドチラが正しいのか判断に迷ってしまう。
 そんな論議はどうでも良いが、コヒーはゆったりとした気持ちで飲みたいもので、1番良いのはアンティークな雰囲気の喫茶店が良く、そこで美味しいコヒーを飲むのがベストである。
 前にも話したが愛知県春日井市のJR春日井駅の前にある「喫茶ひまわり」、ここはわたしが30数年通っている店、玄関を入ると正面上部に巨大なスピーカーが目に入ってくる。
 此処のマスター拘りのオオディオ、1.2メートル四方のデッカイスピーカー、普段は小さな音でBGMを流しているので、常連客でも此のスピーカーから流れてくるとは思っていない。SANY2943.JPG

 有線放送であるとしか思わず、駅前であり「おば様から若者」まで店に入ってくるが、「10人中、1人り」がきずく位に、このオ−ディオを知ず、しかしマニアにとっては高嶺の花である代物だと言う。
 アメリカ製「JBL」のスピーカー、このメーカーのものはドライバーがかるく高効率であり、ホーンドライバーの初動特性と音場表現能力が優れているとのことで、プロのスタジオや映画館で使用されている物らしい。
 客が居ない時、マスターに頼べば快く大音響でジャズを演奏してくれ、マスター自慢のスピーカから心地良い音が流れ、流石JBLのスピーカー窓枠を響かせて聞こえてくる、そんな状況の中コヒーを飲むのが至福の時、他の店では絶対に味わえない音楽と雰囲気を満喫できるが、余りの音の大きさであり常時聞くことは出来ないのが残念である。
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2020年07月08日

金庫時計

   シンプル
 金庫時計は珍品時計の部類に属し、中々手に入らなSANY2255.JPGい時計の一つ、意外にも機械構造はあまり難しくないものが付いている。
 金庫時計には色々なものが存在しているが手に入る機会も少なく、手に入れたいと思う人は大けれど、手にする人は少ないと思う。
 この時計は普通の機械を少しだけ変えて販売されているが、ちんぴんの部類なので手に入らないものが存在している。
 ただ金庫時計は大きなものは存在しなくていたって小さなものが多く現存して、愛好家からは数奇なものとして人気を得ている。
 日常生活で蓄えられる金額をコツコツとして集めるものが金庫時計、小さなものでは金庫部分は極めて小さな部分が付いているだけ。

 時計全体もそんなに大きくないので、SANY2252.JPGそれに比較して金庫のスペースは小さく、とても金庫とは言える代物ではない。
 言い換えれば小さな貯金箱と言えると思うが、貯蓄推奨を薦めた当時の政府、それに乗らされた時計メーカー、両者が造り上げた政策目的の時計である。
 そんなに数がある訳でもないのに、貯蓄を推奨した時の政府が現実を把握していたのかと疑問に思える時計だ。
 本当に国民に貯蓄を薦めたいのなら、もっと大きくて、頑丈な金庫を持つ時計を造らせ、政策を推し進めるべきであった。
 今だから言える言葉で、当時はそんな事を口にしたら非国民と罵られてしまいそう、形だけの金庫時計だと思う。


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2020年07月07日

七夕

   天の川は見えないDSCN2134.JPG
 今年はコロナと梅雨の大雨での七夕、全く見えないと思うが5節句の一つ7月7日は七夕、江戸時代に定められた5節句、その内7月7日を七夕と言う。
 古くは中国よりの渡来行事、奈良時代には既に宮中に伝わっていたとされ、この日祭壇を飾り穀物や海のものを添えなて儀式を行ったらしい。
 中国の棚織の行事が日本に伝わったと言われ、機織りの糸五色を吊るしたり、吹き流しを吊るしている、もともと中国では五行説からこの事が来ており、青、赤、黄、白、黒の五色からなるもの、それが糸の色である。
 江戸時代に入り一般庶民の間でも七夕を行う風習がはじまったとされ、笹竹に五色の短冊を吊るしたと言われている。
 勿論五色とは青、赤、黄、白、黒の五色であったが、次第にいろいろな色に変化して行った様で、元の色が薄れてしまった。
 笹竹に吊るすのも、笹竹は神聖なものとして災いを水に流すと言われており、それに願い事を書いて吊るした、寺子屋などで習い事をしていた者たちは、短冊に願い事を書いて笹竹に吊るしたもの、短冊だけではない。
 五色の糸を象徴した吹き流しを吊るし、巾着や神衣、網、くず入れなどを吊るすのが正式な飾り方と言う、もともと素朴な飾りものであったが時代と共に本来の姿から変化し、吹き流しに梵天が付くようになる。

 くず入れも次第になくなり、変わったものが付くようDSCN2136.JPGになったのも、本来の意味が薄れて行った証、現代の様な七夕飾りは五色の短冊の色は無く、多種多様な色使いで派手に装飾しているものが多い。
 七夕の基本は忘れ去られて、豪華に見せようとする飾りとなってしまったのも時代の流か、それとも観光目的の七夕なのか。
 日本各地でこの時期七夕が開催されているが、今年はコロナで開催が中止の所が多いと聞く、元の五色を守っている所は無いに等しく、キッチリと七夕を伝えて欲しいものだ。
 観光目的で人を集める為に、豪華な飾りを造り、派手な演出をしたりしているが、七夕の基本は伝えて貰いたいものだ。
 やっぱり素朴な七夕飾りが良いと思うし、子供たちが小さな願い事をしたものが、吊るされている笹竹が良い、そんな七夕も家庭で行っているところは少ない様で、幼稚園とか施設で粉われている程度と言う。
 もっとも笹竹を手に入れるのも今では難しく、都会であれば尚更の事、現代は住みにくくなってしまったものだ、そして、この時期の天の川は見る事が出来ない時期、梅雨の真っただ中、旧暦が基本であった昔の事、現代では天の川も見る事が出来ない。

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2020年07月06日

自分の記事

   今見れば
 自分の書いた文章を見る事は冷や汗もの、特に過去SANY5954.JPGの記事は当時の実力がもろに出ている為、恥ずかしい気持ちになるものだ。
 文章とは恐ろしいもので、間違って書いた記事は取り返しが利かないから、それを読むのもためらいがあり、後悔する事になる。
 記事は一旦出してしまえばもう取り返すことは出来ず、それが誤りの文章だと尚更の事、見るたびに後悔しかないもの。
 何であの時良く校正しなかったのかと思うが、当時は勿論必死で校正を行っていたがそれでも間違いが多くあり、今に至っている。
 だからこそ恥ずかしく、当時の自分の力量が透けて見え、我ながら残念な思いになるもの、ある人に言わせればそれで良いのだと言う。
 何度となく失敗をしなければ気付く事もなく、恥をかかないと良い文章は書けないとまでいう、確かに恥はかいた方が上達はする。

 然し決定的な間違いは許されないもので、今この点を質問されると嫌な気分になるが、それが現実で変えれない事なのだ。
 文章は非常なもので、間違って掲載してしまえは取り返しが利かず、非難だけ浴びる事になっても甘んじて受けるしか方法はない。
 文章とは一字一句間違えただけでも意味が違う事に、自分の意図と反した意味にもなるので、慎重に表現しなくてはならないが、しかし気を付けていても、そこが素人の書く文章はゆとりが無いので深く追求できず、浅い表現となってしまい、失敗の原因ともなる。
 今でも書き上げたものを何度も読み返してから校正に入るが、それでも間違いがあるので、何時になったら真面に書けるのか自問自答する始末。
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2020年07月05日

あとむ風

   鉄腕アトム
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 誰でも知っている鉄腕アトム、ロボットでありながら自分の感情を持つアトム、手塚治原作の漫画の主人公。
 少しアトムの生い立ちを話しておくと、アトムは身長135センチ、体重30キロ、エネルギーは原子力と10万馬力、そしてマッハ5で空を飛ぶ。
 これがアトムの姿、兎に角小さくて小2の男の子位、それでもって10万馬力力持ち、その他にも数々の装備があり、スパーロボットである。
 このロボットを主人公にした漫画が連載され、人気を博する事になり、その後テレビ漫画に、一躍子供たちのヒーローとなる。
 ちょうど私の小学生の頃、1952年に雑誌少年に連載され、爆発的な人気となり雑誌は飛ぶように売れた。
 今でも思い出すが鉄人28号と共にロボット漫画を二分した漫画、どちらも子供た達にもてもて囃されるようになった。

 この鉄腕アトム、テレビ番組で上映されるとテレビSANY0439.JPGの前には子供たちが群がり、画面にくぎ付け状態になった。
 そのアトム、玩具に登場するや否や引っ張りだこ、我も我もとアトム人形を買い求め、飛ぶように売れたと言う。
 鉄腕アトムは現在でもすごい人気、今でも子供たちに支持されているよう、それに大人たちもアトムのロボット、つまりブリキの玩具を取り合いしているようで、ネットに出れば高値で取引され、子供でなく大人が取り合いする状況だと言う事だ。
 しかしアトムの類似品も多く製造され、今では考えられない位におおぴらに行われていたよう、写真のアトム似ているようで全くの違いがあるが、堂々と市販されている。
 今だったら大変な事になるのだが昔は大らかな時代であったようだ、それにしてもこれらのアトム全く似ていない。
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2020年07月04日

キャラクター

   おどろき
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 ミッキーとベティーさん共に戦前につくられたキャラクター、ミッキーは1928年(昭和3)に、ベティーさんは1930年(昭和5年)につくられたもの。
 ミッキーとベティーは全く違ったキャラクターとして作られたもので、片方はネズミ、片方は人間と発想が違うもの。
 同時代につくられてものであるが、全く違ってアニメでそのファン層も違いを見せている。
 子供に愛されたミッキーとおとなに愛されたベティー、勿論最初からその設定だつくられたものだが、動物と人間を対比して語るのもどうかと思うが、当時の世相が反映されているものとしては同じだと思える。
 面白い事に戦前でありながら作られてからすぐに日本に上陸している事、戦争前の時期にアメリカ物が日本で流行ったことも興味があるところだが、当然の事直ぐに禁止となった事は言うまでもない。
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 2つの時計、ミッキーとベティー、両方とも珍品であることに違いはないが、ベティーさんの方は彩色されており、価値的には落ちるものだが、ミッキーはオリジナルである。
 しかしこのミッキーマウス、見慣れているものとはかけ離れてもので、これがミッキーかと思える代物、だからこそ貴重と言えるものなのか。
 全体に調べても手が加わってはいなくて、オリジナルの状態だから、最初からこの顔をしていると思われるが、どう見てもミッキーマウスとは思えない。両方とも同時期に製造されたものと思われ、輸出されたものだと思う。
 それにしてもミッキーの顔、もっとよく本物に近づける努力をして欲しかったが、逆な意味でこの時計は珍品と言えよう。

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2020年07月03日

これ何だ

   蠟 管
 先日の日曜日久米邸で蠟管の質問があり詳しく話したがSANY4708.JPG、蓄音機とはエジソンが発明、人間の声を再現するために造られた機械を言う、声の再生機と呼ばれたものだと、英語でボイスレコーダーと呼ばれたもの、これの逸話があのビクター犬、無くなったご主人の声が聞こえるレコーダーの前で首をかしげている犬。
 元は声再生機であったが、音楽を再生して聞く事になり、それが蓄音機になったと言われているもの、最初のレコーダーは勿論人の声だけ、機械から人の声がする画期的な発明、勿論エジソンが最初だと思っている人、しかしエジソンが最初ではないが、特許を取得したのがエジソンの方が早かったから。
 正確に発明した順番ではエジソンは2番目で発明者ではないが、そこはエジソン抜け目がなかったと言えよう、先に特許を取得してしまったのだが後にこの事で裁判となるが、特許を先に取る当たりセコイと言われても仕方がない、そんな蓄音機、実は当初円盤式ではなかったのだ。

 レコードと言えば円盤と思っている人、初期のSANY4740.JPGレコードは筒状のもので円盤ではなく、蠟ででき耐久性もあまりないもの、蠟管と言われるものが最初のレコード、レコードとは言わずボイスレコーダーと言う、この蠟管字の如く柔らかい蠟で出来ているのだ、字が表す如く蠟だから録音はし易いが、耐久性はなく直ぐに摩耗してしまい、聴けなくなるのも蠟管の弱点、エジソンは蠟管のレコードを採用していたが、ライバルは耐久性のない蠟管を諦め、円盤式のレコードを制作、エジソンに対抗したのだ。
 その後エジソンは蠟管に固守したが、相手はディスク版に変更、流行を造り大量生産も出来、先を越される事になり、事業は時代遅れとなるが、写真の蠟管、すでに摩耗しておりあと数回でダメになってしまう事に、つまり聞けなくなってしまい、レコードの役目を果たさなくなる。

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2020年07月02日

芝生の手入れ

    さぼった報い
 SANY7094.JPG我が家の小さな庭の芝生、それでも毎年手入れはしていたが、無理して腰を痛めてからは手入れをしないままである。
 一年位はどおって事ないと思っていたが、現実はそんなに甘くは無かったもので、雑草がびっしりと生えてきた。
 毎年のことだが芝生と雑草はつきもの、何処から飛んでくるものなのか、知らないうちに辺りかまわず生えてくる。
 それが芝生であると言われており、セッセと雑草取りをしないと、綺麗な芝生にならないとも言われているが、まさにその通りである。
 少し手を抜くと、その代償が回ってくるもので、去年は適当にあしらっていたお陰で、今年は無残な結果になってしまた。
 近頃では雑草の方が我が物顔で元気に育っているので、去年の春と思うと全くの別物になっており、一年でこんなになるものなのかと驚く。
 小さな雑草から大きなものまで色々な種類のものが生えており、少し手抜きをするとこんな事になるものかと感心するやら。

 感心していては解決にならないので、雑草を取りSANY7091.JPG除くことに、一つ、一つ、雑草を取りだしたが驚くほど多くて。
 取っても、取っても追いつかないあり様、こんな事をしていてもらちが明かないと、芝生を取り変えることにし、いちいち雑草を取り除いていても、一向に進まないもので芝生をはぎ取り、新しい芝生と植え替えを決め、早速作業に入る。
 芝生をはぎ取り直ぐに植え替えが完了すると思っていたが、それが甘かったもので、雑草の生えた芝生をはぎ取ろうとしても、中々はぎ取る事が出来ないのだ。
 はぎ取ろうとした芝生は以外にも根が強く張り、簡単にはぎ取れない状態、この雑草の生えた芝生の取り除きに苦労する事に、以前にも雑草が生えすぎて、芝生をはぎ取り植え替えをした事があったが、今回みたいに中々取れないと言う事はなかった。
 今の芝生は、その時よりもより強く根を張ったと言う事、元気な芝生であると言う事、もう少し手入れをしていれば、はぎ取らずに済んだのだろう、これだけ根を強く張っていれば、今まで手入れさえしてやれば今年も良い芝生になったはずであると、改めて後悔する。


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2020年07月01日

素朴が良い

      秋田の名工
SANY1012.JPG 日本全国に「こけし」は多く存在し、今尚根強い人気を保っているが、その多くは東北中心のようであり、過去色々な名工と言われる人たちを多く排出したのも又東北である。
 一時期の熱狂的なこけしブームは去り、今は静かなブームと言えるのではないか、このこけしの登場はそんなに古く無く、幕末頃に東北の木地師によって作られたといわれ、そもそも、この「こけし」は子供の「遊び道具」として、木地師が自分の子供や孫に造ってやったのが始まりとされ、当時は彩色もなしの生地そのままの物、人をかたどった玩具であったようだ。
 勿論この時はこけしとして売りに出すものではなく、あくまでも遊びの道具としてつくられたもの、子供のために簡単な玩具とて造りあげ、それで遊ばせていたとも言われている。
 そのうち、生地に彩色を施して温泉地で土産として少しづつ売り出し、やがてそれが評判となり、木地師の現金収入となったため大々的に製造するようになる。
 冬には雪で閉じ込められる生活であった人々、生活の糧は出稼ぎなどして生計を立てていたとも言われ、それがこけしで現金収入となることに、当時現金収入の少なかった木地師達は互いに競い合い、次第に各地独特のこけしが登場する事になり、それを目あての観光客は自分の好きなこけしを求めだすことになる。

 明治から大正時代に現在のこけしが確立、東北地方各自の型が出来上がり、温泉場のみやげ物の横綱と言われるまでに成長、そしてその中から名人と言われる人物が登場、SANY3974.JPGその一人が「小椋久四郎」であり、現在彼は伝説的なこけし職人と呼ばれ、こけし界のスーパースターで、彼のこけしを捜し求める蒐集家は数多く、憧れの存在でもある。
 その息子「小椋久太郎」も父久四郎に手ほどきを受け、見る見る上達して父親と肩を並べる位に成長、此の2人のこけしの特徴は何と言っても、こけしの胴にに描かれる梅の絵、久四郎の梅は跳ねている様に描かれ、久太郎は整然と描いているとも言われる。
 この木地山こけし素朴さが一般大衆に受け、他とは少し違った図柄、おぼこと呼ばれるスタイル、特に前垂れと呼ばれる図柄が特徴で、2人に共通するのは派手ではなく素朴なこけしを製造している事、秋田の木地師の誇りを奥に秘め、素晴らしい作品であると同時に、蒐集家の憧れ的存在である。
 写真は「小椋久太郎」の「こけし」、如何にも素朴な雰囲気を持ったこけしであり、蒐集家の好むこけしの代表と言って良いもの。
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