2020年07月06日

自分の記事

   今見れば
 自分の書いた文章を見る事は冷や汗もの、特に過去SANY5954.JPGの記事は当時の実力がもろに出ている為、恥ずかしい気持ちになるものだ。
 文章とは恐ろしいもので、間違って書いた記事は取り返しが利かないから、それを読むのもためらいがあり、後悔する事になる。
 記事は一旦出してしまえばもう取り返すことは出来ず、それが誤りの文章だと尚更の事、見るたびに後悔しかないもの。
 何であの時良く校正しなかったのかと思うが、当時は勿論必死で校正を行っていたがそれでも間違いが多くあり、今に至っている。
 だからこそ恥ずかしく、当時の自分の力量が透けて見え、我ながら残念な思いになるもの、ある人に言わせればそれで良いのだと言う。
 何度となく失敗をしなければ気付く事もなく、恥をかかないと良い文章は書けないとまでいう、確かに恥はかいた方が上達はする。

 然し決定的な間違いは許されないもので、今この点を質問されると嫌な気分になるが、それが現実で変えれない事なのだ。
 文章は非常なもので、間違って掲載してしまえは取り返しが利かず、非難だけ浴びる事になっても甘んじて受けるしか方法はない。
 文章とは一字一句間違えただけでも意味が違う事に、自分の意図と反した意味にもなるので、慎重に表現しなくてはならないが、しかし気を付けていても、そこが素人の書く文章はゆとりが無いので深く追求できず、浅い表現となってしまい、失敗の原因ともなる。
 今でも書き上げたものを何度も読み返してから校正に入るが、それでも間違いがあるので、何時になったら真面に書けるのか自問自答する始末。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話