2020年11月03日

組み立て会社

    素性が分からず
 SANY5703.JPG明治期、日本各地で数多くの西洋時計が製造されたが、その殆どが分かっていない物ばかり、今回の時計もその1つ。
 明治期の時計製造会社、当時の勧業年報に出てくる会社は実態が多少でも分かるが、それに現れてこない会社も多い。
 当時も税金の関係上、納税義務があるから記録としてあるはず、しかし実態は殆どと言って良いほど分からないもの、地元名古屋の時計製造会社も同じ、特に組み立て会社の時計となると、尚更実態がつかめず、是を解明しようと四苦八苦する始末、あちらこちらの資料を探すも、実態はつかめないのだ。
 名古屋地域の時計組み立て会社は、数が非常に多くて、その数は全国一の数、そんな状況下では資料も乏しい中、ヤッパリ四苦八苦で調査も進まない、果たして時計の組み立て会社は、明治期に日本でどのくらい存在したのか、その殆どが家内工業的なものと思われ、其の為記録として残っていないようだ。

 勧業年報や当時の産業記録を見ても、その存在が確認できず、時計組み立て会社はどのような形で存在したのか不明、SANY5714.JPG今回の時計もその1つ、東京府下の地で製造されたもの、その時計の振り子室のラベルには、東京浅草の文字が確認できる。
 このラベルから、時計組み立て会社である事は間違いないが、良く見ると名古屋の部品が使われている事が分かる。
 渦巻き鈴には名古屋の文字が、外して後から付けられた物なのか、外して跡を見たが、最初からつけられて物と判明、あちらこちらの部品をあわせて、この時計が造られたことを物語るものだ。
 この様な時計が存在した事は事実、つまり組み立て会社を研究するのは、いかに難しい事か実感する時計でもあるのだ。
 明治26年に伊藤新之助がパテントを取得した金箔押の技術、其れが銘記されているが伊藤新之助が時計は製造していない事は判明している。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記