2020年10月28日

日本の時計産業

   大都市集中
SANY6671.JPG
 明治期の時計産業、海外から齎された西洋時計、日本に流入してから急速に国産化が始まるが、その発祥地は大都市の集中している。
 西洋時計製造は近代化を推し進める新政府の政策でもあったが、江戸より続けられた来和時計師らの転職派も多く、彼らが先陣を切ったとも言える。
 新政府により改暦が行われ、旧来の和時計はその使命を終え、新たに西洋時計がその後釜に、必然的に彼らの職もなくなってしまった。
 そんな状態の中から西洋時計製造に転向する者が続出、次から次へと西洋時計製造に着手、その波紋はやはり東京から広がる事になる。
 逸早く西洋時計製造に着手したのは東京、勿論和時計師の流を組むものも多く存在したが、それ以外の者も参入したのだ、全国的に見れば和時計師は各地に存在したが、その存在した地域から西洋時計に参画したわけではなく、一部の地域に限られていた。

 SANY0205.JPG江戸時代には各藩のお抱え時計師として存在していた者達、彼らが全部西洋時計に参画はしてい無いが、即原因は何処にあるのか。
 近代化の代名詞西洋時計、和時計とは違い大量生産の時計であること、徒弟制度のような仕組みの中から生まれる和時計、受注製造の和時計は1個単位の製造、それに対して西洋時計は不特定多数の消費し向けの時計、ここにその原因がある。
 個人での時計製造ではなく、機械による時計製造であることが、和時計製造とは全く違うものであり、彼らが直ぐに西洋時計に転向する事は難しかったようだ。
 つまり資本力が必要であり、お抱え時計師だった人物が、個人で西洋時計を製造するには困難であったと思われ、事実参画は難しかった。
 又地方で西洋時計を製造するには、消費地との距離があり、地方ではコスト的にも、消費的にも適しておらず、大都市周辺の地域で時計産業が発達した理由でもあるが、そこには資金的に時計産業は出費が多く、工場を建てなければならないのと、工作機械が必要である事、手工芸程度の和時計製造との差があり過ぎること。
 写真は上が精工舎の時計製造工場、下は名古屋の林時計の製造工場、2つとも明治の建物を描かれたもの、その古い物をコピーしたもので当時の姿が偲ばれる。















posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計裏話
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