2020年08月25日

オキュバイドジャパン

   戦後の歴史
SANY2480.JPG
 太平洋戦争が終結、日本は新たな第一歩を踏み出すことになったが、その歴史は大変興味のある事、何も無い時からの出発だ アメリカ軍の大空襲で日本各地は多大なる被害を受け、大都市は焼け野原となってしまい、特に軍需工場は悲惨な憂き目にあった。
 物作りの機械その物が焼けてしまい、復興は厳しい試練に立たされていた時、町工場から海外に向けて商品が輸出された。
 その中には玩具時計も含まれており、外貨獲得に一役買ったもの、簡単な機械が入ったいわば玩具、そんな時計がアメリカで大人気となる。
 鳩時計や動物の形をした時計は引っ張りだこの状況、小さな町工場ではフル回転で製造に励んでいた時代、大量に生産は出来ず少量の生産であった。
 そんな玩具時計はアメリカでは戦後の産業が目まぐるしい発展をとげ、豊かな生活の中、玩具時計が持て囃されていた。

 特にメイドインジャパンの時計が人気、安くて丈夫、そして何よりはSANY2494.JPG精密に出来ているとの評判、ドイツ物の時計と肩を並べていた。
 対戦国のドイツの時計よりは、占領国の日本の時計の方が人気であり、安価な事も手伝って、ドイツの時計よりも多く売れたようだ。
 ドイツ物の郭公時計と日本ものの玩具時計、激しい競争の中、郭公時計より可愛らしい日本の玩具時計にアメリカ人は魅かれて行ったようだ。
 特に目玉が動く物に興味が湧き、郭公時計より人気であったよう、梟時計、こけし時計、犬の形をした時計、やっぱり目の動きが決め手となった。
 この時代、手塚時計、ミケン機器などの玩具時計製造所は多くの目の動く時計を製造、家内工業的な設備でありながら、数多くの時計を製造し、 この時代の時計にはオキュバイド(占領下)との印をつけなければ輸出の許可が下りなかったため、オキュバイド、ジャパンと記入されて輸出された。


posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計裏話
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/112516464
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック