2015年11月14日

和時計の鐘

    一番平たいもの


 
SANY0734[1].JPG
 和時計の鐘、日本に伝来した西洋時計、1500年台に渡来したと言われ、おそらく宣教師が持ち込んだものと言われる。
 あの織田信長も宣教師から献上され、珍しがったと言われるが、その時計は現存していないのだが、一番古いとされているのが徳川家康に献上された時計。
 スペイン製の時計だ、和時計を製造した元祖と言われる津田助左衛門、彼が一番初めに製造したと言われる時計も現存していない。
 残念な事だが1500年代の和時計は現存せず、1600年に入ってからの時計が現存しており、それが一番古いとされている。

 和時計は西洋時計をモデルとして製造され、その後日本の時間に合う時計に改造され、和時計となる。
SANY0745[1].JPG
 この和時計、時を告げる鐘も日本様に造られ、西洋の鐘と少し違うものになり、日本独自の鐘が誕生する。

 初期物はお寺の鐘と同じように、その姿が深くて細長い鐘、そんな時を告げる和時計の鐘、次第に形が変化して行く。

 はじめは深鈴と呼ばれる様にお寺の鐘と同じ様、しかし時代が下がるにつれて、段々と浅くなるのだ。

 何時頃に製造された物なのかと、時代測定にも鐘が参考となるようで、鐘が深ければ古くて、浅ければ新しいと言う。

 一般的な判断であるが、時には新しいものでも深鈴が付いているものもあるが、それは例外として全般的に比較できるもの。SANY0751[1].JPG

 写真の鐘、和時計も終焉を迎える江戸末期の鐘、浅くて平たい形の鐘であり、最終型の鐘である。

 右の鐘と比べれば一目瞭然、非常に平たい事が分かると思う、姿も下の部分が垂直になっており、上の部分も平たくなっている。
 鐘の厚みも薄くて、槌が当たる部分が少し厚くはなっているが、古い物と比べれば無いに等しいものだ。

 この様に和時計の鐘は時代の変化に対応したかのように、浅くなって行く事が目にもハッキリと分かるものだ。
SANY0759[1].JPG
 この形の鐘は鋳物とろくろで引かれたものと二つがあり、裏に砂目が残っているものは鋳物である。
 幕末の鐘は現在造られた旋盤によるものと非常に良く似ている。
 それだけ幕末にはろくろの技術が向上した事が伺える。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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