形式は別にして
古時計の形はそれぞれに違い、時代の変化で様々なものが、何時の時代も流行と言うものが存在している。
それは時計製造各社がそれぞれの方針で時計を製造、市場に提供して成果を上げて行く、それも時代の流れ。
現代の古時計愛好家からすると、魅力的なものに見えるかも知れないが、その当時の人達は真剣に立ち向かった。
シンプルな八角や達磨の形、それとは違った形に憧れる人の為に変わった時計を製造、それも時代だと思う。
この時代の時計には日本独自の飾りや彫り物が施されているもの、西洋には無い物が造られるようになる。
勿論モデルは存在しているが、そこは日本の職人、古来から異国の物を日本独特のものに変化させ、新たな物を造り出す。
何時の時代も職人は時代の変化に対応し、そこから新しいものを生み出す力を持っている事だ、それも古来から。
ここに上げられた装飾は西洋時計にあるものと良く似ているが、職人は全く同じ物を造る事はせず、やはり独自に造り出した。
彫り物にしても、古来より受け継がれた図柄をもとに、西洋と日本の融合を図った末のもの、そこには明治の香りも残っている。
日本人の憧れ、舶来信仰を少し離れて、和洋折衷とも言うべき物を造り出す、それが職人魂とも言えよう。
正倉院の宝物に見る、日本の職人の技量、渡来の物を消化し、日本の風土に合うものを考え出す能力。
昔から受け継がれて来た日本人の魂とも言うべきか、日本の自然と共存して来た人膣の魂、それが表に出ているのか。
奈良時代から延々と受け継がれて来た日本人の美意識、模造から新たなものを生み出す力、それ師それを高めて行く技術。
それらが明治の職人に受け継がれた末の古時計に生かされている事は、間違いのない事実でもあり、今にそれが残っている。
単なる模造で無い事の証として、西洋とは一線をかしくた物に、それぞれの飾りが物語っていると言えよう。