2015年12月10日

蕎麦切りとは

    蕎麦の変化


SANY0600.JPG

 日本人は昔からそばを食べていた、しかし現代人が食している蕎麦は少し違ったもの、蕎麦を湯でとき、練り状にしたものを食していた。

 蕎麦実を臼で挽き粉にして、それを団子状にしたものを食べていたのだが、その時代は長いこと続く事になる。

 蕎麦の食べ方はこのスタイルが当時は普通、今で言う蕎麦がきの様なものにして一般の人は食べていたのだ。

 一般庶民の食べ方はこのようなものにして食べていが、それが現在の様な形になるのは時代が下がってからの事。
 SANY0586.JPGもちろんこの時代の食べ物は、上流階級の食べ物ではなく、庶民が食べていたにすぎず、飢饉用のものであったとも言われている。

 古くは奈良時代以前に日本に伝わったと言われているが、古墳からもそばの実が出土していることから、もっと古いのではと言われる。

 そんな蕎麦、何時頃から現在のようなものになったのかと言うと、1500年代と言われ、記録として残っているものは1574年のものが一番古い。
 長野県木曽の定勝寺の改築工事でふるまわれたとの記述が一番古いもの、つまりそばの元祖はやはり信州の寺であったようだ。

 当時の蕎麦を再現してみると、蕎麦の粉を平たくして、包丁で切り、細長いひも状のものにし、それをせいろで蒸すのだ。おきな.jpg
 当時の蕎麦のスタイルは蒸し蕎麦、其れを蒸篭で蒸して食べていたので、蒸篭蒸しとも呼ばれていたらしいのだ。

 その食べ物の名前が蕎麦切りと記述されており、長い間蕎麦切りと呼ばれていたようで、それが全国に広まっていったようだ。

 かし、依然として蕎麦は庶民の食べ物であり、上流階級の食するところではなく、あくまでも下品な食べ物であった。
 農民や労働者の食べ物で、下品な食べ物と言われていたが、寺方から蕎麦の実の一番良いところだけを使い白い蕎麦、つまり更科蕎麦の出現であり、その後更科蕎麦は上流階級の食べ物となる。

 江戸時代に入り、とくに江戸では手っ取り早く食べられるものとして、蕎麦切りは大流行することになる。
 高級な寺方蕎麦と庶民の食べる田舎蕎麦とに分かれて行き、更科と田舎蕎麦と呼ばれるようになったと言われている。
 この時代になると蒸した蕎麦ではなく、茹でた現在の蕎麦の作り方と同じようになり、明治に入りより現代的になったものだ。








posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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