2016年02月12日

ラベルは語る

    振り子室の謎


 

SANY0392.JPG 明治期日本で西洋時計が多く製造され、国内の市場に送られて行ったが、その中でも中々お目にかからない時計も多いのだ。
 製造数はソコソコあったと思われるが、現存している時計が少なく、見た事のない時計も多くあり、そこがまた古時計の良さでもある。

 簡単に手に入る時計ばかりでは蒐集するのも面白くなく、中々手に入らないから探そうと思い、それでも見つけられない。

 見つけられ無いから益々意欲が湧いて来るもの、だからこそ面白い主で人間はそれに挑戦したくなるのだと思うが。
 何時でも手に入れられるものは蒐集していても意欲が湧いてこないが、探せど探せど手に入らない追っかけるもので、心理とは不思議なものだ。
SANY0451.JPG 私も長い間追いかけている古時計は数多く、未だにお目にかからない時計もまた多く、現在でも探し続けているのだ。
 人は良く、「何でそんな時計を追いかけているのか」と聞くが、簡単に手に入らないから追いかけると、「それが価値があるのか」とも又云う。
 確かに価値があるのかと言われれば、いささか疑問でもあるが、そこは考え方の相違、「少ない時計だから探してやろう」と思う。

 現に40数年追いかけているが未だに見つからない時計も、不思議なもので相性とかあるのかと思う時も、何故ならば他の人は手に入れているのに、私には入らないのだ。
 持っている人に言わせれば、それが珍しいと思わないと、だが偶然に見つけただけの事、そんなに珍しいのかと、不思議がられる事もある。
SANY0668.JPG
 特に名古屋の時計は数が多くて、当初は簡単に手に入ると思っていたのだが、あけだけの数を製造したのだから手に入れて当たり前。
 ところが手に入れられないもので、相性が悪い時計も存在すると思う、現に相性の良い時計は存在し、あの「中條勇次郎製造の時計」がその例だ。

 他の人が探し続けていても手に入らないが、何故かしら私には手に入ってしまったのだが、人は幸運の何ものでもないと言う。
 私は相性が良いと思う、それに引き換え中々手に入らない時計が、それはやはり相性だと思うが、人にはやはい相性が存在しているのだ。

 写真は中々手に入れられない時計、形よりもラベルを見れば何処の時計か分かるもの、あの精工舎の時計でも中々手に入らない時計もある。
SANY9722.JPG
 写真のラベルの付いた時計がそれ、在るようで無いのがこのラベルの付いた時計だ、一度見て欲しいもので、在ったのであれば、あなたは幸運であると思う。
 どんな形でも良いが、これらの時計を探して見て下さい、簡単に見つかるとも知れないし、見つからないとも知れない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/173930924
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック