2020年01月30日

雛道具

   小さい事が
DSCN0427.JPG
 雛人形、3月3日の雛の節句、今では女の子の成長を願って飾られるものだが、その昔は厄払いの儀式であったと言う。
 上巳の節句と言い、5節句の一つとして古くから行われて来たが、3月初めの巳の日に厄払いの儀式として行われたそうな。
 これも中国よりの伝来、平安以前に宮中に伝わったと言われ、厄除けのお祓いをしたそうな、そしてもう一つが神社で行う人型に厄を払う儀式。
 白い人型の紙に自分の災いを託して川に流し、厄払いをするもの、この儀式も古くから行われていたらしい、そんな厄除けの儀式と宮中でお子様が遊ばれていた「ひいな遊び」が合体して、雛人形が生まれたと言われる。
 何時の頃とはハッキリしないが、室町時代とも言われ、京都の室町でその雛人形が生まれたとする説、これには確かな立証はないのだが。
 その後江戸に入ってから、その雛人形が少しづつ大きくなり、寛DSCN0429.JPG永の頃に寛永雛が誕生となり、確立されて行ったらしい。
 この寛永雛が元禄の頃より大きく発達し、享保時代に享保雛が完成し、雛人形が独り立ちする事となったとの事。
 享保雛は姿が現在の雛人形とは少し違い、顔は能面みたいな面長で目が細くて、特徴のある顔立ち、衣装も独特の綿入れを着たみたいな姿だ。

 1768年ごろ江戸で古今雛なるものが誕生、人形師原舟月なる人物が公家風の古今雛と称して人形を作り売り出し、好評を博する事になる。
 この雛人形が現在も作られている雛人形のルーツであると言われ、それに対抗するように有職形式の雛人形も作られ、有職雛と言う。
 この二つの雛人形が発達して、現在の雛人形を二分するものとなったが、古今雛の方が現在は多く製造されているようだ。
 雛人形が発展して行くと同時に、それの伴い雛道具も作られる様になり、その数が段々と増えて行く事となるのだ。DSCN0431.JPG
 五段飾りから七段飾りへと発展して行き、雛人形も七段飾りとなり、雛道具も種類が多くて、形式化され確立して行く事になる。

 今回の雛道具、大正時代に造られたもの、磁器で造られた瀬戸製のもの、小さなもので一円玉よりも小さいものだが写真では大きく見える。
 型押しの茶碗ではなく、ろくろで造られた精巧なもの、こんなに小さな物をろくろで造るのは技術が居るものであり、職人の腕が良かったらしい。
 ポットはどうも型押しらしくて、少し大きく造られてはいるが、それでも雛道具としては非常に小さな物、職人の腕の良さが見て取れる品物だ。
 色々な雛道具が造られたが、時代、時代により流行があり、その時代を反映した物が雛道具として造られ、現在に至っている。


posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク
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