2016年05月21日

グランドキャニオンか

    深さが200

 

DSCN0782.JPG
 焼き物の町瀬戸市、1200年以上焼き物を焼き続けている町であり、全国的にも瀬戸物としての瀬戸市が知られている。
 長い歴史の中、焼き物の地元瀬戸では陶土も瀬戸で採掘、良質の粘土が取れたこともあり、1200も掘り続けている。
 特に蛙ろ目と言われる良質の粘土、瀬戸独特の粘土と言われ、長きにわたって使われてきてもの、これが瀬戸物の元である。
 伝説の加藤四郎左衛門影正が見つけたとされる祖母懐の粘土、全国を歩き回ってやっと見つけたといわれる粘土でもある。

 もっとも藤四郎が見つける以前からすでに焼き物は造られており、祖母懐は釉薬をかけた焼き物、中国より持ち帰った技法。
 DSCN0781.JPG当時は近くで掘り出した粘土で焼き物を造っていたのだが、生産量が多くなるにつれ、次第に採掘場は広がって行く事になる。
 良質の粘土が掘り出されるのは、露天掘りと言われるように、トンネルを掘らないで山を削りだして行く方法、簡単に掘り出せることが利点。
 採掘されたものは、そのまま使えるわけではなく、当然不純物を取り除いてから、焼き物に使用するもの、そこには川が必要でもあった。
 そんな条件に合ったのが瀬戸、鎌倉時代には日本初の釉薬を使った陶器を造り、都に送り出して行き、市場独占することになる。
 もちろん当時は高級な陶器として、上流階級や神社仏閣に使用され、その製造数は多く、市場に供給されていったようだ。

 供給が多くなれば当然採掘も進むことに、次第に近くから山へと現場が移動することに、江戸時代には山が削り取られて行く。
DSCN0779.JPG 明治以後は良質の粘土を求めて全国から陶土の需要があり、その採掘量は膨大なものとなることに、それと粘土だけではなく、ガラスの原料である珪砂。
 この珪砂の需要が増すとともに採掘は大掛かりなものとなり、段々と地下深く掘り込んで行くことに、当然粘土と珪砂の両方が産出。
 その後、海外にまで輸出されるようになり、ますます採掘は急ピッチで進められたが、瀬戸の粘土は幾らでもあると言われていた。
 しかし、産出量が増大するにつけ、粘土が底をつき始め、他の場所に移転しなければならなくなり、採掘場探しが始まることになる。
 かと言って遠方ではなく、もちろん市街地に近く、学校の敷地内に粘土が埋まっていることが分かり、学校まで移転させ、そこが採掘場となることに。
 結果は市内の四か所の巨大なクレーターが出現、深い所で東京タワーがすっぽりと入ってしまう深さまで掘り進む事になる。
 写真は山がなくなり、巨大なクレーターが残っている現実、この大きさのものが四か所あり、今も採掘を続けている。
 水が溜まっているから深く見えないようだが、肉眼で見るとその広さに圧倒させられ、火山の火口のような雰囲気を醸し出している。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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