2016年05月28日

時計の絵

    どこかへん

 


 
SANY4009.JPG 文明開化の申し子と呼ばれていた西洋時計、明治初期西洋から齎された近代文明、特に時計は当時の人々の生活を一変させたもの。
 近代化を推し進める新政府、それをまともに受けて変化に順応した人々、驚くほど素早く反応していった庶民。
 新しい文化をどん欲に吸収していった人々には驚くほかない、維新の急速な進歩にもついていったのだから。
 外国からやって来たものを即座に吸収する能力、当時の日本人は新しいものにも躊躇なくチャレンジする姿勢は何処から来たのか。
 江戸時代の静かな世の中から、急激に変化して行く時代に、それ程の吸収する力は何処から、明治の人々は進歩的であったのか。
SANY4053.JPG 何時の時代も新しいものに飛び付く人、それを横目に見ながら旧体制を維持する人、それぞれの新時代の取り組み方である。
 今回の時計の絵柄、西洋時計が日本中にあふれて行く様を、逸早く取り入れて新時代に付いて行こうとする絵師たち。
 この頃に描かれたものを見ると、明治と言う時代に進み方が、如何に早く進んで行ったかが伺えるものだ。
 西洋時計はあっと言う間に世の中に受け入れられ、生活の中に浸透して行くが、現代でも同じ流行は庶民の力でもある。

 兎に角新しいものに憧れ、速く取り入れたいと言う行動は、庶民の願望でもあったのか、色々なものに取り入れられるのだ。
SANY4057.JPG 逸早く取り入れたのは浮世絵、当時は錦絵とも言われ、旧体制のまま、西洋時計と古い人間との融合らしき姿。
 色々な構図が工夫され、西洋時計が錦絵に登場し、それが描かれたものを我先にと買い求めていた明治の庶民たち。
 しかしそれらの図柄、実際の時計を見て書いたものなのか、いささか疑わしいものが多く存在しているのだ。
 現存している錦絵や水滴、花生け、皿などに書かれた時計の図、本当に時計を見て書いたのかと疑うものがある。
 写真の皿、例えば江戸時代か、それ以後に造られたものだと思うが、実際の和時計の文字盤を見て書いたものなのか。
SANY0419.JPG 二枚目の写真の皿、これは明らかに現物の文字盤と逆さま、時計を見ん書いたのならば、こんな逆になる文字盤は書かないはず。
 同じ時代に造られた色々なもの、西洋時計の図柄を書いたものであるが、本物の時計を果たして見た事があったのかと、逆に思えて来るのだが。
 人から聞いただけで、もしくは文献だけで、ひょっとして西洋時計を描いたのではないのかと、思わざろう得ないものがある。
 写真の皿や水滴がその一つ、これを見る限りでは実際の西洋時計を見て造られたものとは、到底思えないものであるからだ。
 皆さんはどの様に写真の皿や水滴を見て、実際に時計を見て造られたと思われるのか、私も興味のある所だ。



 
 
 

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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