2016年08月20日

瀬戸の水滴22

    陶器で出来ている



SANY5979.JPG 明治時代に製造され瀬戸の水滴、殆どが磁器で製造されているが、何故この水滴は陶器で出来ているのかと言う事だ。
 明治時代に色々な形の水滴が製造され、全国に送られて行ったが、やはり圧倒的に磁器で造られたものが多いと思う。
 勿論他の地域で製造された水滴を見ても、磁器で製造されたものが殆ど、それも時代の流れであると思われる。
 陶器から磁器へと色々なものが移行した時代、磁器は丈夫であり、それだけではなく墨などの浸み込みも少ない事から、磁器が使われたのだ。

 時代の要求に産地として答えたようで、やはり丈夫て綺麗な方が良い事に決まっているから、市場が求めたとも言えよう。SANY5990.JPG
 やはり新しいものに飛び付く、人間の心理と文明開化の流れが合体したものと思うが、それだけではないと思われる。
 各産地も文明開化の流れを利用して、磁器の売り込みに力を注いだ事が、その大きな要因であると思う。
 そんな事で磁器の水滴は販路を拡大して行き、市場に多く供給された事が、現在現存している理由ではないのか。

 勿論その他の要因も関わった事は言うまでもないが、陶器から磁器への変換期でもあったようだと思う。
 特に西洋時計をモチーフにした水滴は人気を呼んだようで、数多く製造され当時の学校にも反映されていた。SANY5984.JPG
 子供たちの使う水滴が西洋時計の形をした水滴、当時の最先端を行く流行り物、これを子供たちが見過ごす事はない。
 新しい水滴に飛び付いたとしてもおかしくなく、むしろ其れを目当てに生産者は時計の形の水滴を製造したとも言える。
 明治と言う時代は、何から何まで新しいものが庶民の生活に入り込んだ時代、又庶民もそれを受け入れて居たのだと思う。
 写真の水滴はそんな時代に変換期に製造されたもの、従来の陶器で造られた水滴、カラフルな色眼は確かに文明開化を思わせるもの。

 生産者の中には時代に取り残されたものもおり、新しいものに臆病になり、従来の製法で水滴を造り上げたのだと思われる。SANY5997.JPG
 事実、この様な陶器の水滴の方が現存数が少ない事も、その裏付けではないのだろうかと思う、磁器の水滴に押されて居たのではないだろうか。
 当時どれだけ売れたものなのか、それが現物として残っているものを見れば、明らかに差があり、陶器の水滴は売れなかったと思われる。
 写真は当時従来通りの製法で作られた時計の水滴、多くの貫入と呼ばれるヒビが見られ、陶器特有のもの、磁器との違いが表れているもの。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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