2020年05月12日

紙の鯉のぼり

    現在とは違うもの
DSCN1176.JPG
 端午の節句は過ぎてしまったが、男の子の成長を願って行われる節句、古来中国より伝来した節句の一つ、色々な説があるが武家社会に入り益々盛んとなる。
 古来より端午の節句は邪気を払うものとして、5月に行われる行事であったが、武家が力を持ち仕来りとして参加となり、江戸幕府が推奨した節句でもある。
 元々菖蒲は勝負に通じ、その形が剣にも似ている事から、縁起の良い植物として武家に好まれ、また蓬はその匂いで邪気を払う。
 もともと薬草として用いられた蓬、菖蒲と相まって端午の節句には欠かせないものとなり、粽と菖蒲、それに蓬が加わる事により、厄除けとなる。
DSCN1178.JPG 古くは宮中で行われて来た厄除けの儀式、5節句の一つとして邪気を払い、1年の健康を願って行われて来たのだ。
 現在の様な男の子の節句となったのは、江戸時代に入ってからの事、特に将軍家が5節句を重要な節句として定めた事による。
 将軍家は男の子の誕生を祝い盛大に儀式を行い、端午の節句をも要した事が、武家に広がったのが最初らしい。

 端午の節句を祝うには、旗指物を床の間に飾り、菖蒲と蓬を束にして軒に吊るして邪気を払い、粽でお祝いしたと言われる。
 この行事が一般庶民にまで伝わり、男の子成長を祝う行事として浸透、武家を真似て鯉のぼりを立てるようになるのだ。
DSCN1177.JPG 元々は武家の旗印、戦において目印としたもの、馬印とも言われるが、庶民には縁のないものだから、鯉のぼりが流行る事に。
 庶民と言っても大店や裕福な商人たちが、子供の成長を願った行った物であり、一般庶民は菖蒲や粽で祝ったものだ。
 江戸時代の鯉のぼりは、今のような形ではなくね本物の鯉に似せて作られており、鯉独特の腹が大きくて寸胴型のものであった。

 写真の明治時代の和紙の鯉のぼり、和紙で出来ており、古い形式のもの、長さは5メートルを超す大きさ、胴体は太くて実物の鯉のようだ。
DSCN1180.JPG
 実際には外で掲げた訳ではなく、大きな土間などの天井に吊るしたとされているもの、和紙で出来ているものなので雨風には弱い。
 これだけの大きなものは、裕福な家庭でなければ掲げる事は出来ないもの、やっぱり子供の成長も金次第なのか。
 それにしても今の鯉のぼりと違って、胴体の大きなもので、和紙で出来ており、鮮やかな色使いもまた当時のもの。
 今の鯉のぼりは流線型の細長い形のものだが、ここにも時代の違いがはっきりと表れているもので、比較して見ると面白いものだ。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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