2016年07月08日

明治の時計塔7

    日本にどれだけあったのか


SANY4791.JPG
 文明開化華やかであった時代、時計塔を造る事が流行ったらしいが、当時どれだけの建物があったのか、興味の湧くところ。
 西洋文明が一気に押し寄せた時代、日本全国で時計塔ブームが巻き起こったと言われているが、果たしてどけだけあったものなのか。
 勿論東京が火付け役であった事は確か、東京の町に突如してあらわれた時計塔、それは当時の流行と聞くのだが。
 その流行がどの様なものであったかは、今知る由もないが、写真が少し残されているので、それから推測しかないのだが、写真で見る限り多く存在したと思う。
 一枚の写真から見えて来るものは何かと言うと、その建物の形や建て方に興味が湧き、調べて見る事にしたのだが。
 実際に調べて見ると難しい事が、全国で残されている時計塔の写真は少なく、中々資料が無い事である。
 SANY5414.JPGそんな資料乏しき中から、色々な写真をピックアップ、すると面白い結果があらわれたが、それは日本的な建て方と西洋的建て方が存在する事。
 勿論当時は日本風の西洋建物が造られ、外形は西洋風であるが中身は日本建築である事、一見西洋建築として見える事だ。
 この時代に建てられた本格的な西洋建築も存在しているが、その殆どは和洋折衷の西洋風の建物である。
 レンガ造りで本格的西洋建築は数える位、後は日本の大工が西洋風に工夫して建てたもの、一番多くあったと思われるものがある。
 それは土蔵造りの西洋風建物、外観も土蔵であるが、一部レンガを使い西洋風に造り上げた傑作土蔵、これが一番多い。
 当時の流行で西洋風に見えるが、土蔵を改造した建物、これが当時の街並みにもあい、人気の建物であったと思われる。
 事実写真を見る限りでは、実にドッシリとした建物であり、土蔵とは一味違ったものであり、当時の流行が見て取れる。SANY5410.JPG
 それにしても、当時の時計塔は遠くからでも良く見え、シンボル的な建物であった事が、写真でも良く分かると思う。
 さぞかし当時の人々は時計塔を文明開化の先駆者的なものと受け取っていたようで、珍しさと奇抜さで人気を博したと思われる。
 残念な事に関東大震災で殆どの時計塔は焼失、もしくは崩れ落ちてしまった様で、現存している時計塔は無い。
 全国的に見ても現在時計塔として現存している建物は数が少なく、数える位しかないが、時計の残骸は残っている。

 写真は東京と名古屋の時計塔の写真、色々な建て方が存在した事が伺える貴重な資料と言えよう、無くなってしまったの残念な事でもある。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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