2016年07月03日

82番と1547番

    最初期と中期


 
DSCN1184.JPG
 蛎殻町製造時計、新居常七が明治16年に設立したと言われているが、ハッキリとした立証は無く、確定するには疑問もある。
 色々な説がささやかれているが、明治16年ごろが推定でき、それ以前はあり得ないと思うが、そんな蛎殻町で製造された時計。
 現存数も少ない事から、中々研究が進まない事も確か、私もあちらこちらの資料を集め、色々な方にも意見を聞いてみた。
 文献上でも色々な事が書かれているが今一つハッキリしないもの、どの意見が正しいのかも分からない。
 只、言えることは現物が物語ると言う事、現物程事実を伝えてくれる生き証人、それらの比較から見えて来るものがあると思うが。
 そんな事で我々の仲間も、蛎殻町について調べているのだが、仲間の持っている蛎殻町製造の時計を記録してはいる。
DSCN1187.JPG 私の所有している蛎殻町の時計、速い番号は82番、遅い番号は2856番、その他1500番台と2200番台などある。
 知り合いが持っているのが63番、後は会員さんの持っている蛎殻町製造の時計、それらのものを少し比較して見た。
 主に機械の形状を比較し、最初期と中期、そして末期と順に並べて比較、そこから見えて来るものは何か。
 やはり現物が語るものの真実、数多くのものを比較するのが一番と思うが、勿論その他も比較する事が大切。
 今回は機械の形状を少し比較して違いを見つけ、他の社との違いなど参考にしたいと思い、一部分を比較して見た。
 まずは地金板のその違い、一見見た目には同じように見える地金板、細部を比較して見ると大きな違いがハッキリとする。
DSCN1186.JPG最初期の82番の地金板上部部分の幅を計ってみると、1、4ミリ、1547番の幅は1、8ミリと違いがある。
 下腹部の文字が刻印されている所を図ると、82番は1、6ミリ、1547番は1、8みりと幅広い事が分かる。
 82番の左には御馴染の八角ダブルの印が、1547番には漢字で蛎殻町製造と刻まれ、その違いは歴然とある。
 そして地金板の長さ、82番は16、1センチ、1547番は18、7センチと少し長く、機械が大きい事がハッキリした。
 ほんの少しの違いであるが、時計の機械としては大変な違い、初期の機械は少し小さくて、中期の機械は少し大きい事になる。
 地金板の3つの中央に開けられた穴の大きさ、これは意外にも同じ大きさの穴であり、測る前は当然違うであろうと思ったが、測った結果は同じであった。
 DSCN1192.JPGそして最も違ったものは地金板を止める部品、82番はマイナスネジで止められているが、1547番は六角のナットで止められている事だ。
 最初期の形式と1547番の形式にどれだけの月日が違うものなのか、それを知る手掛かりはないが、初期はそんなに多く製造していないはず。
 中期には其れ相当の製造量があったと思うが、通し番号であると仮定しての話し、連番であると言う証拠はないが。
 先ずは一つの違いを挙げてみたが、これから次々に違いを記すことになる。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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