2016年11月19日

明治の教科書

    色々な時計が

 


DSCN1621.JPG 明治初期、新府政により改暦が行われ、新時代の到来を告げ、一般庶民は新しい生活をすることになる。
 一番違うのは時間であり、明治6年1月1日から西洋時間と同じ太陽暦に移行され、今までの時刻が変わることになる。
 勿論時間の呼び方も変わる事になり、刻から時間にと変更され、西洋と同じ呼び方となる事に。
 明け六つ、暮れ六つと呼ばれていた江戸時代の時刻、旧来の呼び方とは違い、時間で表される。
 つまり1時、2時と言う呼び方に変わる事に、これに一番早く反応するのは子供たちであったと言われる。
 新政府は学校教育において西洋時間を教えるために、教科書に時計の読み方を載せて指導するのだ。DSCN1622.JPG
 勿論近代化の流れの一環としての教育、その中に時計が含まれており、西洋時間を広める為でもあった。
 子供たちは当然親よりも早く西洋時間に慣れることになり、時計とも関わりを深くして行く事になる。
 明治の子供の教科書には其れを裏付ける資料が残そされており、それを見ると興味深い事が分かって来る。
 当時の日本が置かれていた時代、それがヒシヒシと伝わって来るもので、如何に近代化に躍起になっていたかが伺える。
 明治20年以後の学校の教科書、時計に関しての奇DSCN1623.JPG術を見ると、先ず時計の読み方を教えている。
 時計の読み方を今の人から見れば何で学校で教えるのかと不思議に思われるかも知れないのだ。
 確かにその通りで、現代の人からすれば時間の読み方なんか教えなくても、自然に子供が覚えるものだと思っている。
 現在の子供たちは時間と言うものは自然と身に付いているもので、生活の中に小さな頃から入り込んでいるから。
 しかし明治の人達には江戸時代からの習慣が根強く染み付いており、特に親たちはその習慣から離れられないのだ。
 そんな事もあり、新政府は子供の教育に取り入れて、逸早く子供たちに西洋時間を浸透されるべく指導した。DSCN1625.JPG
 教科書も良く見てみると、学年別に違いが出ている事に気が付く、つまり学年によって時計の出て来るか所が違うのである。
 低学年では当然時計の読み方について教えているが、高学年になると時計は読み方を教えるものでは無く、近代産業の一環の中に組み込まれており、時計はどの分野に属するかを教えている。
 例えば懐中時計は鉱物や金属の部類に属して、近代産業から生まれて来るものとして教えられているのだ。
 ここにも明治政府が子供たちから近代化を浸透させる秘策を講じていたことが分かるのだ。
 新時代の担い手となって行った時計、それも子供たちに浸透していった様子が良く分かるものであると思う。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/177373499
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック