2018年09月21日

ノベルティー

    リアルな表現

DSCN1839.JPG 戦前戦後、瀬戸で製造された陶器、外貨獲得に大いに貢献したが、特に戦後日本の経済を引っ張り上げた事は事実。アメリカ向けの輸出が拡大して行き、その中にノベルティーと呼ばれる焼き物が大いに活躍、一躍表舞台に躍り出る事に。元々瀬戸の置物は鎌倉以前から造られていたと言われ、狛犬や人形などが手び練りで造られていたようだ。
 特に狛犬は多くの社寺に収められており、全国に残っているもので、瀬戸の焼き物を広める役割を果たしていた。 この狛犬、時代によって形を変えて造られ、どの時代に造られたものかを知る上でも役に立っている。

DSCN1843.JPG 狛犬の姿は非常に多種多様で、勿論作者の意向によるもの、独特の姿をした狛犬もあり、狛犬愛好家も多いと言う。特に古い狛犬は表情も豊かで、面白い顔をした狛犬に人気が集中していると言う、これも瀬戸ならでは。そんな狛犬も江戸時代中に入ると、さらに需要が増して社寺に多く収められ、人々の信仰の深さと結び付くことになる。
 この様にして瀬戸の置物は発達を遂げて行き、幕末になると招き猫や、福助、オカメなどの置物に変わって行く。その上、郷土人形や招き猫などが人気となり、製造するとこも多く、それだけ需要があったと言う事だと思う。

 DSCN1841.JPGそんなころ明治6年ウイーンで開催された万国博で、石膏型から置物を造り出す技術を日本の持って帰る これが切っ掛けで瀬戸のノベルティーは飛躍的に進歩することになり、石膏型が一気に導入され、今までのものよりも優れた人形や置物が出来るようになる。 この頃になるとドイツの優れた人形を研究し、瀬戸の石膏型はより細密的なものが出来るようになり、マイセンに近づいていた 明治後期には万国博に出品され、海外から高い評価を得る事となり、輸出にも拍車がかかるが小規模の生産であった 生産が大きくなるのは昭和に入ってからの事、其のころには石膏型の技術もマイセンに劣る事のないものであった。
 第二次世界大戦後、アメリカから大量の注文が入り、生産も急速に発展、工場も大型化し、海外からの注文に応じるようになる。

DSCN1842.JPG
 次第に置物や人形もより細密化し、何よりも大型化して行く事になるのだが、大型化すればするほど問題も大きくなる。 当然の事ロスも多くなり、焼き物がゆえに焼いて見なければ分からない事も、窯から出して見ないと何とも言えないのだ。 写真の置物、高さはさほど高くはなく、何処が難しいかと言えば、尻尾の部分であり、その長さ40センチ以上。 この尻尾が難題で、焼くまでに乾燥段階で垂れてしまう事に、そして窯に入れて焼くのだが、焼いてみると尻尾が垂れたり、ヒビが入ったりと難題であった 全体のクジャクの大きさは70センチと大きく、これだけの置物を焼くには技術的にも難しく、ロスも出るのである。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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