2016年12月26日

時代の流れ

    和時計の鐘


 
DSCN1655.JPG 和時計の鐘、時を告げる鐘であるが、時代と共に鐘の形も変化して行くと言う、鐘を見れば大体の時代が分かるとも言われている。
 良く資料にも多く出て来る事柄であるが、実際に鐘を見て見ないと中々分からないとも言われ、やっぱり現物を見るのが一番。
 色々な文献では一番古い物は深鈴と呼ばれているもので、お寺の鐘に良く似たものだと言うのだが、実際の現物はどうか。
 和時計は1500年代に造られたと言われ、それ以来400年間造られた来たもの、長い間には色々な変化が生じて来る。
 その中に鐘も、時代と共に変化して行くが、鐘の形が次第に浅くなって行く傾向にあり、幕末に造られたものと比べると、明らかな違いが。SANY0699.JPG
 初期物の鐘は確かに深くて大きなものが付いており、一見して後のものとは違いが明らか、やはりお寺の鐘に近い。
 そもそも和時計は西洋時計のコピーから始まったとされており、津田助左衛門が和時計の元祖。
 では助左衛門の製造した初期のものが現存していれば良いのだが、現実には現存していないのだ。
 疑問が湧くのは西洋のコピーだとしたら、当時の西洋時計の鐘はそなんに大きくないもの、どの時計をコピーしたかは不明だが。
 静岡の東照宮に現存している当時の西洋時計、これと同じようなものをコピーしたとは思えないのだ。SANY3067.JPG
 勿論、助左衛門がどの西洋時計をモデルとしたかは不明、そして家康に献上したと言われる時計も現存していない。
 実際には推測するしかないと言われているが、果たして初期の和時計に付いている鐘、現存している様な深鈴であったのだろうか。
 ある人がそんな疑問を投げかけた事があるが、一笑されてしまったと言う、しかし実際にはどうであったのか疑問が残る。
 あんな大きな深鈴が付いていたのかと、もっと浅かったのではとも言うが、それを立証する事が出来ない。
 ただ現存している古い和時計はSANY3120.JPG深鈴を付けており、確かに時代の古い物は深鈴であるが、助左衛門は何故深鈴にしたのか。
 私も少しはある人の意見を支持したいような、現実には急にモデルよりも深鈴を付ける理由がないとも思うが。
 そんな疑問もあるとは言え、深鈴から次第に時代が新しくなるに連れ、鐘も浅く成った行く事は確かである。
 古い鐘と最も新たらしいとされる鐘と比較して見ると、驚くほどに小さく、そして浅くなったいる事が分かる。
 特に幕末から明治に入るまでの和時計の鐘は、小さくて浅いものが付いており、現存しているものがそれを物語っている。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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