2018年11月15日

龍馬とお龍

      今日が命日

SANY9838.JPG 坂本龍馬、稀代の英雄として現在でも人気の高い人物、明治維新の立役者として人気が高いがその反面評価が分かれているのも龍馬である。
 そして龍馬ほど不明な点が多い人物も居ない位に謎だらけ、一介の素浪人が上は大名から下は商人にまで通じた人物はいないと言われている。
 よく言われるのは明治維新の立役者は西郷、大久保、木戸であり、龍馬はその下で働いたに過ぎないと言う人も多い。
 確かに謎多きが故にハッキリと証拠の残っている人物が評価されているのも確か、しかし現在でも龍馬の功績を示す資料が発見されており、謎の部分の解明も進んでいる。
 西郷、大久保、木戸等は藩と言う枠から抜け出ておらず、常に藩中心であった事は維新後も証拠として残っている。
 新資料の発見で龍馬の功績が新たに出るたびに、日本の新時代を見つめていた龍馬の証拠が次々と明らかとなっている。
 まだまだ新証拠が出て来ると思うが、逆にSANY8208.JPG西郷や大久保の出なかった部分も見えてくると過大評価だと言う人も反論できないであろう。
 いずれにしろ今後も新証拠が出て来て龍馬の功績が立証されると思う、その龍馬今日が命日である。
 近江屋で暗殺されたが何故居所が分かったのであろうか、色々な論議がある中、妻のお龍が関係しているとの裏証拠もある。
 自分の夫龍馬の居所を彦根藩主西村松兵衛に知らせたとの説があり、この松兵衛とは寺田屋時代に知り合ったとも言われ、お龍は明治8年松兵衛と結婚している。
 西村松兵衛は彦根藩士で会津藩とも親しく、龍馬の情勢を逐一調べあげ、会津藩に報告していたと言う。
 龍馬暗殺は会津藩が京都見廻組に指示して暗殺を決行したとの事、現在ではこの説が信憑性があるとされている。
 もしそれが事実であるならばお龍は自分の夫龍馬を自らの手で殺したことになり、意外な結果となる。
 龍馬が愛したお龍、それが彦根藩や会津藩のスパイであったとするならば、龍馬ファンにとっては居た堪れないものとなる。
 色々な事実に基づいての新説であるが、西村松兵衛と再婚したことは事実であり、それも明治8年にはすでに再婚しているのだから。
 この事実をどのように受け止めればよいのか、まだまだ龍馬の記録が出て来ると確信していて、何時か真実が明るみに出るのではないだろうか。


posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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