2020年06月23日

国境

   今とは違うきそじ.jpg
 コロナの国境解禁で久しぶり出かけた島崎藤村のふるさと馬籠、中山道の宿場町として栄えてきた土地、長い坂道の途中に存在する集落であるが、その歴史は古い。
 中山道は江戸から京都に続く街道の一つ、東海道とは違い殆どが山の中を貫いている街道でもあり、別の呼び方は姫街道とも呼ばれていた。
 東海道よりも厳しい山道であるにも関わらず、姫街道と呼ばれたのは検閲の厳しい東海道を避けて女性たちがこの道を選んだことから来ると言うのだ。
 東海道は「入り鉄砲に出女」と言われる位に女子の出入りを厳しく取り締まり、武家の女性が江戸より出る事を見張っていたと言う。
 つまり武家の妻子を江戸に人質として住まわせ、出る事を禁じたからと言われ、その探索は厳しいものであったと言われる。
 特に東海道は検閲は厳しく、女性が旅をするには難しい街道でもあったと言われる位、検閲をしたのだ。

 コロナ解禁で尾張から国境を超え中山道くにざかい.jpgのほぼ中間あたり馬籠宿、ここが島崎藤村の生まれ在所、つまり誕生の地で現在も生家跡があり、観光客でにぎわっているが、この馬籠宿ある事でも有名になった場所である。
 馬籠宿とは長野県に存在する宿場町と昔の地図にはその様に記されているが、現在は岐阜県中津川市に属している土地である。
 つまり昭和になってから長野県から岐阜県に住民投票の結果、越境した土地として有名になった所、それを知らない人は今でも馬籠宿は長野県だと信じている。
 そんな証拠が写真の石柱、上の写真の碑の近くに美濃の国と信濃の国境の指標、柱にはハッキリと、ここが国境と記されているが、今はずっと下がって5キロほどの馬籠峠まで戻る事になってしまったが指標は現在もそのままの状態だ。
 つまり宿場ごと信濃の国から美濃の国に鞍替えをしてしまい、村を二分したこの選択は当時有名になり県境が変わったと騒がれた、しかし今はひっそりとした宿場町だ。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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