2017年08月15日

木曽の木材

      木曽と時計産業 
 

SANY8613.JPG 明治期、全国に時計産業が生まれるが、名古屋地域の時計産業は、他の時計製造地域と少し様子が違う形態をなしていた。 
 名古屋地域の時計産業の特性は、よく指摘される所であるが、他地域に比べれば労働賃金が安い事、熟練工が容易く確保できた事、分業化が進んでいた事など色々上げられる。
  名古屋地域は古くから和時計の産地、江戸初期津田助左衛門が名古屋に入ってから、時計は名古屋の伝統でもあったことは確か。

 代々助左衛門は時計師として尾張藩に努め、多くの弟子を輩出し和時計造りを盛んにした事が、後の西洋時計製造に大いに貢献することになる。
 多くの弟子の中から明治に入り禄を失ったもの達で西洋時計製造に関わり事となり、時計製造の地盤が早くからきずかれていた。SANY4376.JPG
  技術的にも、素材的にも、そして資本的にも、時計製造の地盤となるものが名古屋地域には存在していた事だと思う。

 江戸時代から続く商業地名古屋地域、そこにある資金源は代々続く商家、今まで蓄えてきた資金が時計製造に役立つことに。
 其の中でも一番の要素は、外箱の木材が容易く手に入った事、江戸時代から木曽の木材、即ち天領地から名古屋へ大量に供給されていた。
 
 交通運搬の面においても、木曽川を下り集積地名古屋に素早く大量の木材が入り、新興産業の時計の材料として容易く手に入っていた。
  環境の良さは材木だけではなく、時計の箱を製造するのに、地場産業であった名古屋仏壇、仏壇職人の技術は高度の技術を要していた。SANY0379.JPG
 
 その名古屋仏壇を作るより、時計の外箱を製造するには遥かに容易く、又職人の調達も苦労せずして手に入っていた。
  こうした地場産業であった名古屋仏壇と時計の外箱、他地域より木材職人も多く又、賃金面において職人過剰ににより、労働力確保は製造者に有利に働いたせいで、当然賃金も安くなっていた。
 
 木曽の材木を安く仕入れ、職人の賃金も安いとなれば、必然的に時計産業に容易く参入できると言う立地条件が重なり、他の地域よりも時計製造会社が乱立する原因にもなった。
  時計の外箱を製造するに、材料は端材で十分であり、高価な材料を要しないのもコスト面において、他の地域との競争力の大きな要因となっていた。               
 天領飛騨地方、木曽の木材が明治期、名古屋地域の時計製造に大いに貢献したとは、当時の時計製造戦争の裏に、木曽の材木が関係していたとは面白い話である。
 
 
 
 
 
 
 

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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