2019年09月26日

蕎麦の歴史 

    歴史も古く
 SANY4245.JPG
 蕎麦が確実に確認されるのは、古文書によると「養老7年(723年)太政官符」に蕎麦の栽培要請を各地に出している事が分かった。
  この時代は一般庶民が主食として食べていたが、当時の貴族や武士達は蕎麦は食さず、下賤の食べ物であるとされていた。
 庶民は白米を余程の時以外は食べられないものであり、稗や粟など穀物を主食としていたが、蕎麦の栽培を当時の政府は食糧確保の目的で、全国に広めるために力を入れていた事が伺える。
  山間地で水田や作物も中々育たない地に、蕎麦栽培を新興し食料の確保と、庶民の生活安定をはかったものでもあった。
 この当時は今みたいな食べ方でなく、蕎麦を練って蕎麦がきみたいにして食していた様で、蕎麦切りが出現するのは、もっと時代が下がってからである。
 その後、寺方の食料および 食材として精進料理に用いられ、蕎麦の栽培が寺方より全国に広がる事になって行く。


 しかし、まだこの時点では一般庶民が毎日の食料として食べてSANY2895.JPGいたわけではなく、祭事などのときに食していた様である。
 鎌倉、室町と時代が下がっても蕎麦は相変わらず、練って団子のようにして食していたようで、寺方では広く食料として用いられていた。
 全国で蕎麦切りの発祥が各地に存在しているが、其の信憑性は薄いと言われており、長野県塩尻市の本山宿説、山梨県甲州市の大和説、長野県の戸隠説、など色々あるが、文献上で確認でき信憑性の高いのは、長野県木曽郡須原の定勝寺説である。
 天正2年(1574年)、定勝寺の建物改修工事完成時、寄進者から蕎麦切りを献上された事が明記された古文書が発見されており、これが現在確認されたもので1番古い。
 その他の諸説は之より50年から100年後であり、また確実な証拠となり得ないものばかりで、定勝寺説が1番古く立証も出来、この地方が蕎麦切りの発祥地と認定出来るようだ。 
 諸説がある中信憑性のものはなく、伝承として伝えられているだけの事、手前みそ的要素が強く、信頼性はないもの、いずれにせよ蕎麦切りはそんなに古くから食べられて来たのではなく、500年そこそこであると言えよう、それにしても蕎麦は奥が深い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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