2010年10月29日

続古時計行脚 2

     論議をするも郡上まで腹が持たずヤナ場で鮎を食べる。

 ヤナ場とは、夏の終わりごろ鮎が産卵のため川を下るが、其の鮎を川の一部に誘導して、竹製のデッカイ簀みたいなもので、水は隙間から下に流れ鮎が取り残され、一網打尽に捕まる仕掛けである。
 
 友人の頼みで鮎を食べたが、まだ腹が一杯にならないのは何時もの事、やっぱり「郡上の平甚」で蕎麦を食べなければ旅の始まりは無い、まっしぐらに平甚に直行する。

 この「平甚」は蕎麦処として有名、ある有名人が平甚の蕎麦を食べに来て、中々順番が来ないのに苛立ち始め、付き人が「早くしてくれ」と主人に頼み込んだらしい。

 すると主人、「有名人であろうが一般人と同じで待ってもらう、嫌なら帰れ」と一括、有名人を無視、蕎麦を打ち出し、それを聞いた人達が拍手喝采をしたとか、そんな逸話を持つ頑固親父の店である。

 そして、私にとって今でも後ろ髪引かれている店で、未だに其の問題を解決されていない、難題を抱えた曰く因縁の店でもある。

 郡上の平甚の店に入り、左手の壁中央付近に掛けてある時計が其の問題児、この問題児をめぐって早40年が過ぎ、問題児を未だ手に入れることが出来ていないでいる。

 その問題児は、明治後期名古屋で造られた掛時計で、今では中々見る事の出来ない「大珍品の時計」、「神谷鶴次郎作の逆さ振り子の掛時計」である。

 40年も前、ここの主人が私に「何処の時計か分かるか」と、蕎麦を食べている時に問いかけてきたので、早速中を開け見て「ビックリ」神谷時計であり、しかも完全オリジナルに近い珍品時計であったのには驚いた。

 よせば良いのに若かった私は、自慢げに「この時計は大珍品であり」、しかも「中々見る事の出来ない物」で、お宝ですよと主人に告げると、「そんな良いものなら取っておこう」と言い出した。

 其の上、私が不思議そうな顔をすると、主人いわく「動かないから捨てようと思っていた」と、思っても見ない返事が返ってきたのに私は驚いた。 

 しまった、自慢げに私が時計を褒めすぎ「珍品時計」と言った為、動かないから捨てるはずの時計を、捨てるどころか「お宝として」大事に保管する事になってしまった。

 その後、何度も主人に譲ってくれと申し出たが、「あんたが大珍品だと言ったから家宝として取っておく」と、私の話に取り合わない。

 それ以来40年、あんな説明をしなかったら、この時計は我が家に引っ越してきて、我が家の一員になってたのに、自慢げに知ったかぶりをして説明したお陰で、この時計を手に入れることも出来ず大失敗したのである。

 
 









 
posted by kodokei at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計奮闘記
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