2018年10月31日

蜂屋柿

      青空にぽつりと1つ残し柿。

SANY8185.JPG そろそろ寒い冬が訪れ、この時期の楽しみが干し柿であるが、日本全国で干し柿が生産されて地方の特産品となり、我々干し柿好きの元に届くのである。
 この干し柿、渋柿で作っている事も知らない若者が増えているようで、どんな柿でも天日に干せばあの様な干し柿が出来上がると思っている人が多いと聞く。
 なるほど話を聞けば分からない事も無いではないが、現代はパソコン1つあれば世界の情報が手に入る時代で、製造方法を知らなくても自分の生活には支障をきたすことは無い。
 況して干し柿が渋柿であろうが、甘柿であろうが関係なく、干し柿が欲しければ産地から通販で取り寄せれば良く、自分で買いに行かなくても構わない世の中。
 しかし、干し柿が柿木で出来ると、信じている人が居るとはとても信じ難いが、其れも現実で情けないと思うのは私だけであろうか、其れもどうでも良い事か。
 この干し柿、古くから生産されていたようで、古墳時代に遡るらしいが、古代の人の知恵は大した物であると感心するし、どうして発見したのであろうかとも、興味の沸くところである。

 SANY0667.JPGさて蜂屋柿とは、岐阜県美濃地方の特産物、其の歴史は古く奈良時代に遡り、記録によれば朝廷に美濃の国蜂屋村から干し柿が献上されたとの記録が残っている。
 この蜂屋柿、大きな柿で大きいものは18センチ近くの大きさになり、蜂屋村の特産物として当時の権力者に代々献上され、「堂上蜂屋柿」との名がつけられた。
 「堂上」とは、朝廷に献上するとき宮中に参内出き、昇殿を許される位を与えられた柿のこと、つまり一般の干し柿と格が違い、古くから朝廷より、諸役免除を与えられ、特別に栽培された柿である。
 その後権力者が代々保護し、「織田信長」は尾張直轄の保護をし、信長に献上するため「御柿庄屋」なる者を置き、代々蜂屋柿を保護すると供に厳しく取り締まった。
 その後、「豊臣秀吉」、「徳川家康」、そして代々「徳川将軍家」に献上され、明治に至り一般にも手に入るようになり、その後1904年セントルイス万博で金賞を受賞。
 数々の栄光の中大事に守られてきた蜂屋柿、長い伝統と格式を持った全国でも稀に見る干し柿として、代々作りつつけられてきた干し柿の中の干し柿である。
 写真左が蜂谷柿で右が富士柿、富士柿の大きなものと比べてみたが、やっぱり蜂谷柿の大きさが際立っていることが実感出来き、如何に蜂谷柿が大きいかが分るもの。








posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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