2010年12月28日

忘年会 6

奈良井宿.jpg      来年のNHK連続小説のタイトルバックはこれから見えるが、寅さんは?

 メンバー朝の番組より、寅さんの思い出のほうが忘年会らしいと撮影場所に行く、其処は奈良井駅前の向かいにある旅館、今は営業していないが、当時のままの姿である。

 メンバーの1人が「あの二階から寅さんが駅を見つめていた」と云えば、又1人が「のぼるがあそこから駆け下りてきた」と映画のシーインを思い浮かべて感慨ひとしおのようだ。

 映画の中ではSLが走っていたが今は其の面影も無く、電気機関車の姿しか見れず、年月が経つと走る乗り物も変わる、当たり前の事ではあるが、あのままの姿で残っていて欲しいと願うのは、叶わぬ願望であろう。
 
 しかし、奈良井宿の町並みは、あれから40年も経っているのに昔のまま、そしてもう1つが宿場中央の旅籠「越後屋」、此処も当時そのままの佇まい、この旅籠は200年もの昔から此処に建ち、多くの旅人を迎えたり、送り出した旅籠、映画で寅さんもこの旅籠に集った、その姿が昔の記憶と供に蘇ってくると供に、メンバー全員が懐かしさを覚えるのも、やっはり寅さん効果なのか。

 寅さんの思い出に浸りながら奈良井宿を散策し、再び木曽へと引き返し蕎麦切り発祥の地、須原の定勝寺を見学する事に、メンバーは此処が日本の蕎麦切り発祥の地であることは知っているが、それが何時ごろなのかは余り知らない。

 1574年と聞けばメンバーの1人「何で時代が分かるのか」と質問、此処定勝寺改築の際の記録が残っていて、それが日本で1番古く確実な蕎麦切りの立証できる資料との事。

 各地で自分の所が蕎麦切り発祥だと力説している所があるが、記録として確かなものは無く江戸時代に書かれたらしい文献があるだけで確証がないらしい。                                                      奈良井2.jpg

 何処も同じであるが、自分の所が一番としたいのは分かるが、歴史的に記録が無ければ立証できないのは当たり前、其の点定勝寺の記録は動かしがたい。

 定勝寺の境内を見学し再び車を名古屋方面に向け走るが、早くもメンバーの中から「何処か蕎麦を食べる所に行かねば」と、マタマタ催促のお言葉をいただき、迷惑でもある。

 この先を走れば候補は2つ、妻籠宿の「えのき坂」か、中津川の蕎麦「すぎむら」のどちらかで、意見が分かれるのは必定、「えのき坂」は田舎蕎麦、「すぎむら」は更科蕎麦であるから。

 「しのはら」でも論議が出て、結局は更科蕎麦を食べたのであるが、更科蕎麦にするのか、田舎蕎麦にするのか、あとは運転手の意見1つで決定してしまう。

 ハンドルを持っている者の強み、その人の意見が決定に成るのは必定、其の運転手は更科蕎麦派で、田舎蕎麦派は非常に不利な立場であり運転手にゴマを摩り出した。

 運転手の肩を後ろからもみ出したり、叩いたりで一生懸命ゴマをするが成果無し、車は妻籠宿の入り口を通過して中津川方面に走りを早めてしまったのである。
 
posted by kodokei at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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