2017年10月23日

保障ラベル

      色々なラベルが

ラベル.jpg
 時計の背板もしくは振り子室の中に色々なラベルが貼ってあるが、其の中でも1番信用性の高いのは、愛知県時計製造組合の保障ラベルである。
 保障ラベルと言っても数多くの保障ラベルがあり、個人の時計屋の保障ラベルから、時計製造会社の保障ラベル、時計販売者の保障ラベルなど色々あるが。

 明治期に製造組合の保障したラベルが貼られているのは愛知県だけであり、そのほかの地域では見られないが、此のラベルにはいわく付きな話が存在する。
 分業化が進んでいた名古屋地域の時計製造会社は、他社の部品を仕入れてコストを下げ安く時計を製造することに成功していたが、東南アジアや支那などに輸出も手懸ける様になり、粗悪品も出回ることなり、名古屋物と蔑まれらしたのである。
 之には、他の地域との製造販売競争の妬みも、多分に入った風評であったようだが、精度の低い時計も存在したことは確かで、その為愛知県時計製造組合は厳しい制度を設けて、之をマスターしない時計は組合の保障ラベルを張る許可を下ろさなかった。

 愛知県に当時の記録が残っており、全国の時計を集め愛知県の時計も含めて、制度検査をした結果、1番精度が高かったのは名古屋の尾張時計の製造した時計であったとの記録が存在する。
 明治36年、愛知県知事の認可を取り、合格した時計製造会社の時計には、愛知県時計製造組合の保障ラベルを貼る事を義務ずSANY4298.JPGけ、不合格の時計の販売を禁止した。
 それにより、愛知県の時計は信用を回復して、「粗製乱造」との汚名挽回を図り、他地域との製造販売競争に打ち勝って、時計の市場を拡大して行った。

 当初の保障ラベルは、大きな物であったが時代が下がるにしたがって、徐々に小さくなり、昭和に入り1番小さな保障ラベルとなり、時計製造組合の面目を保った。
 よく耳にすることは愛知県製の時計は質が悪いから、それを挽回するために作られたもので他ではないものだ、性能が悪いからであると言うのだ。
 これは一部の人達が名古屋地域の時計を中傷したもので、他地域の時計が優れていたと言う事ではなく、逆に時計製造組合が保証している例がない。
 それこそ品質管理が徹底されたことの証、他地域との差別化がハッキリしたと言う事、それだけ製造数が多かった裏返しでもある。
 写真は上は最初の保証マークの大きさ、下は最後の昭和の保証マーク、大きさが全然違う時代が新しくなると小さくなる。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計裏話
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