2017年07月25日

遊び心

       無機質にあらず 

 
 SANY4747.JPG時計の機械は歯車の集合体であり、規則正しくリズミカルに動くもの、与えられた使命は、時を刻む為に絶えず働き続け正確に刻む事である。

 歯車の一つ一つは何の意識も持たず、与えられた方向に逆らわず、絶えず前に進む事を良しとして、前にしか進めないのであり、休もうとしても休めない。

 自分の意思ではどうにもならなく、後ろから急き立てられ、体が擦り切れるまで止まることを許可されないが、時には例外があり機動部の故障時は意思に反してとまる事を許される。

 それが歯車に与えられた一生であり、他の歯車の迷惑にならないように、務めなければならない使命を持たされ、他の歯車に急き立てられ回り続けるのである。SANY4453.JPG

 人間の様に表現するとこうなるかもしれないが、歯車に意思がない為、彼等は何とも思っていないのが現実であり、見ている我々の生活と同じように感じるのは、少し違っているかもしれない。

 時計と言うのは、機械であり人間味など持たされていないものが大半であるが、時には人間味溢れる時計も存在していて、私たちと意思が通うかのような時計も存在する。

 江戸時代の時計師たちは機械である時計を、時として人間味溢れる物を数多く作り出してきたが、明治以後西洋時計の無機質な機械を真似る事のみに専念したお陰で、人間味のあるものを作り出さなかった。

 江戸の職人たちの作った時計は、遊び心がいっぱいDSCN1390.JPGであり、見ていても機械もいかにも楽しそうに働いて、人間臭さがにじみ出ているのは何故であろうか。

 やはり、真似をするだけではその境地には慣れないだろうし、生み出す事もしないであろうと思われたが、明治末期頃になると又遊び心のある機械が出現する。

 もともと日本の西洋時計はアメリカ製のコピー、忠実に再現していた時期が過ぎ、日本独自の西洋時計が生み出されて行くことになる。

 そこには和洋折衷を取り入れ、伝統技術をふんだんに使ったものが生み出され、職人の技術の結晶とも言えるもの。

 写真の時計は、明治末に造られた時計の心臓部であるが、其処には無機質なものは見えず、人間味溢れる遊び心が出ている時計が造られた。
 無機質さを避け遊び心をふんだんに取り入れた機械を造り、みているものに楽しさを与えるものを生み出した。



posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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