2017年10月13日

西洋ランプ

      灯りは明るければよい


SANY3670.JPG 我々の生活は、明治に入ってからガラリとその生活様式が変わったが、文明開化の恩恵を少なくとも受け、西洋に対する憧れは益々募っていった。
 江戸時代には、庶民は菜種油で火を灯しての生活をしてきたが、明治に入りランプが西洋より輸入され、その明るさに皆驚きと同時に憧れへと変わってゆく。

 それはより明るく自分の部屋を灯したいと言う欲求、蝋燭や灯明の明かりより遥かは明るいランプ、その明るさを求めて日本人は次第にエスカレートして行く事になる。
 明るさの追求は、しいては近代化の推進であり、近代国家への原動力となって行き、発電所の開発に邁進する事になり、電力の明かりへと移行をしてゆく。

 明治以来の流れの中、現在の日本の照明は必要SANY3681.JPG以上に明るく、商用施設などは、より明るくするために電灯を増やし、結果として必要以上の明かりを灯している。
 その灯りは蛍光灯による明かり、外国人が日本の家庭は、何故工場と一緒の明かりをつけるのか不思議であると、素朴な疑問を抱いている。

 しかし、我々は其れが当たり前であり、何の疑問も持たないで今まで来たが、この震災でやっと疑問に気が付いたようであるが、果たしてそうであろうか。
 以前に、イギリスの友人に同じ事を言われた事を思い出す、彼曰く「お前の家でも工場みたいな蛍光灯を使用しているのか」と云われ、「もちろん使用している」と答えたが、彼は「何故そんなに明るくするのか理解できない」と不思議がった。
SANY3676.JPG
 彼等は、「必要な場所に」、「必要な明かりを付ければよく」、部屋全体に明かりを灯さなくても良いと、何故日本人は無駄な事をしているのかと、やはり理解できないらしい。
 私がランプを求めるのも、逆に不思議に思えるらしく、何故ならば、こんなランプは明るくないから、明るいのを好む日本人が何故買うのかと、マタマタ質問。

 彼は痛烈に、我々日本人が無駄な電力を使っている事を、批判しての発言である事を知ったのは、それから後の事、イギリス人独特の言い回しだ。
 しかし、云われて見ればそのとうり、無駄に電力を使って必要以上の明るさにしている現代の生活、ここらで少し考えを変えないといけないのではないだろうか。





 
















 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク
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