2011年06月04日

あれから一年

      月 日 の 経 つ の は 早 い

あかい.jpg 昨年、ブログを立ち上げ何時まで続けられるのか、いや続けるのか、心配で仕方が無かったのを覚えているが、早一年が経ったようであり、その間何回も挫折をした。

 何故ならば、原稿を書いているうち、同じ事を書くわけにはいかず、前書いたものは削除しているつもりであるが、そんなに甘くないもので、同じ文章が出来上がることが、多くなって来てしまう。

 其の内に、原稿を書く手が止まり、其の先に進めなくなると、もうこの辺りが限界かなと思い始めると、絶対に文章は出てこなくなり、強烈に挫折感を味わったものだ。

 はじめは、何となく進んで行くと気楽に考えていたし、どうせ自分の文章等読んでもらえないものと、タカを括っていたが、あくる日にアクセス数を見ると、ちゃんと多数の人が見てくれている。

 其れを確認してから、今度は「あんな事書いて良かったのか」とか、「何て変な表現をしたのか」とか、疑心暗鬼になり出し、今度は文章が全然出てこなくなり、これまた挫折。

 そんな事が度々重なって、もうブログを辞めようと何度も考えた事も、しかし一旦立ち上げたものを短期間にやめる事は、余りにも情けなく、読者に対して失礼に当たると考え直し、現在に至っている始末。

 思い起こせば、40年も前に友人から貰った数台の古時計を修理、部屋に掛けて眺めていた時から、いばらの道の始まりであったが、今思えば其れもまた楽しかったものだ。

 人の縁は謎めいていて、先は全然見えず、過去は既成の事実として存在し、消えずに我が胸の奥に溜め込まれ、人生の年輪となって刻み込まれている。

 人から貰った壊れた古時計が、これ程までに私の人生の一部に成って行った事も、自分自身また驚きであり、これから何時まで続けて行くのかも不明である。

 そんな古時計を今一度眺めていると、今までに出会った大勢の人の顔が、走馬灯のように思い出され、懐かしさと共に幾多の縁に、感謝の気持ちが湧いて来る。

 人は一人では生きて行けず、人と交わりながら生かされていることを、再確認すると共に、この先も人との出会いを感謝する事と、古時計との新たな出会いを夢に見て、一年を振り返ってみた。




posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計奮闘記
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