2017年05月19日

瀬戸の染付けカップ

      パリ万博向け


SANY1102.JPG 瀬戸の磁器は1800年初期に加藤民吉によって広げられるが、その技術は急速に進歩し伊万里の磁器と肩を並べ、その結果海外進出を果たす。
 海外向けの商品開発には西洋の生活様式を知らずして、商品開発は出来ず、外国バイヤーの求めに応じるしか手は無かったようで、彼らの注文に合わせる事となる。

 しかし、生活文化の違いから西洋の磁器と同じ形の物は中々出来ず、何処と無しに日本の食器になってしまうので、その改良に苦心惨憺する。
 特にコヒーカップ類は、日本にはその習慣が無く、茶器を改造して製作していたようで、湯飲みに手を付けた様な形が殆どであり、良いものが中々出来上がらなかったようだ。
SANY1100.JPG
 幕末にパリで行われた万国博覧会に、瀬戸からも出品する事となり、出品作製造を開始し西洋食器の研究に心血を注いだ結果、西洋に負けない西洋食器を完成させる。
 素材は磁器で、非常に薄く本体は製造されており、磁器独特の透明度の高い製品を生み出す事に成功、そしてその生地に瀬戸独特の染付け文様を描く。
 コバルトの色を少し薄くし、生地の白さを強調できる配慮をした事により、繊細に描かれた模様が豪華に浮き出て、高級感のあるコヒーカップが完成する。

 このカップ足が三つ付いているもの、少し見方を変えてみると、上品な湯呑に足を付けたようにも見えるものだ。
 実際に当時コヒーカップはあまり製造していないため、形こそよく似たものになっているが、やはり何処となく日本的だ。SANY1105.JPG

 写真のコヒーカップは、パリ万博用に製造されてもので、見た目にも分かるように非常に薄く仕上げられ、3個の足つきのカップと波型のソーサーとのバランスの良い出来である。
 このコーヒーカップ、現在再現しようとすると、生地の薄さと染付けの見事さ、両方を再現するのは、殆ど不可能であると言われている位に難しく、当時の技術の高さが改めて見直されている。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク
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