2017年07月29日

花  火  

      夏の夜空にひらく花火


SANY2895.JPG 花火は夏の代表的な風物詩、日本各地で此の時期花火大会が模様され、多くの人々がその美しい花火に魅了され、一時の幻想的世界に入り込む。
 花火の特徴は、パット開いて、パッと散るその潔さが又人々の心を揺さぶるのであり、郷愁を誘う風物詩でも、やはり夏は花火である。

 この花火、歴史は古く紀元前3世紀に遡ると言われ、中国が発祥地らしいが、今みたいな花火の姿ではなく、爆竹に近いと言われているらしい。
 そもそも、花火とは火薬であり、当然戦の武器であり、機密保持が当然行われていたし、持ち出しにも厳重に管理され、門外不出の機密事項であった事は当然の事。

 日本に入ってきたのは、種子島に鉄砲が伝来した時と同時であったと言われているが、あの元寇の役後にSANY2889.JPG渡来したとする説もあり、諸説がある。
 現在の花火と同じ様な状態になったのは、江戸に入ってからとされ、大和の国篠原の住人、弥兵衛なる人物が最初に製造したといわれており、1659年(万治2年)江戸両国横山町に住み、宗家花火師「弥兵衛」屋号を鍵屋と称した。

 記録では、鍵屋の弥兵衛、あの両国で花火を揚げた人物、其れ以来現在まで鍵屋は花火屋として創業しており、その弟子が暖簾分けをして貰い、「玉屋」と名乗り花火屋は此の二つで、江戸時代の代表的な花火屋である。
 花火の掛け声は昔から「玉屋」、「鍵屋」と声を掛けるのが常識であったが、その玉屋は自分の店から出火して大火事となり、当然のこと江戸追放となり、残ったのは鍵屋一軒だけになってしまう。
SANY2893.JPG
 一時は分家の「玉屋」の方が本家の「鍵屋」よりも人気があり、川上は玉屋が占め、川下に鍵屋が担当したといわれているが、店からの出火は、当時大罪であったのは当たり前、江戸所払いで済んだのは幸運であった。
 今も続けられている隅田川の花火大会は、7代将軍吉宗が始めたとされ、それ以来江戸の花火と言えば隅田川と言われるようになり、現在まで続けられている。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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