2019年06月25日

親父のランプ

      思い出のランプ

 かたみ.jpg昔の記憶は中々忘れないもの、私が高校生の頃我が家の床の間にランプが置いてあったが、何故ランプがあるのか考えもしなかったし、其処に何時からあったのか分からなかった。
 別に大したランプでもないが、明治時代に一般の家庭で用いられていたランプ、こんなランプを何故父親が大事にしていたのか分からなかったが、お袋は聞いても笑っていただけ。
 しかし、床の間にはランプが鎮座していたし、それ以後もずっと其処にあったが、私が結婚して家を出てから数年後、ランプの姿を見なくなってしまった事に気が付いた。
 お袋に、其れと無しに聞いて見たら、邪魔に成ったからかたずけて仕舞ったとの事、其れ以来このランプを見なかったが、お袋が亡くなってから荷物の整理をしていた時、押入れの中からそのランプを見つけた。
 以前には何故こんなランプを父親が買い込んだのか不思議で成らなかったが、時が経って自分も色々なランプを見、それなりにランプも知ってから、父親がこのランプを買った意味が分かったような気がして来た。

 若い頃は、何の変哲もない安いランプを、大の骨董好きな父親が買ったのか、理解が出来なかったのだが、今になってこのランプを見ていると父親が何故このランプを買い込んだのか理解できる。
 私も、今までに数多くのランプに接してきたり、派手で高級なランプを幾つも見たり、さすがに高級なランプは良く、欲しいとも思ったが手に入れて見ると高級なランプは段々飽きてくる。
 不思議な事であるが、あれだけ欲しいと思って手に入れたのだが、直ぐに飽きてしまい手放す結果になったが不思議、それは高級なランプは美しいが、見ていて初めは良いが段々に見慣れるとドギツクなって来て落着かないのだ。
 やっぱりシンプルなランプの方が飽きが来なくて落着いて見られ、不思議に親近感が沸いてくるのは何故、それは庶民が使い揉んだ物であり、飾りとしていた物でないからだ。
 生活に密着した道具であったから、よく使い込まれ身近なランプであったものであるからこそ、親しみが湧くのではないだろうか。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/47435733
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック