2017年02月19日

資料は乏しい

      悪  戦  苦  闘


SANY0205.JPG
 古時計と付き合い出して早や40数年を過ぎてしまったが、未だに奥が深くて中々全容がつかめず四苦八苦、情けない事でありまだまだ未熟を痛感させられる。
 古時計を集め出した時は何も感じず、只時計を数多く集めるのが1つの目標みたいに成っていたもの、兎に角人よりも多くの時計を欲張って集めていた。
 ある程度の数が集まり、自分でも不思議であるが名古屋で製造された時計を全部集めても、そんなに時間なぞ掛からないとその時は思っていたのである。
 時間が経つにつれ、名古屋で製造された主な物は殆ど集めたつもりで、時計関係者を集め、よせば良いのに全部集めたと公言したが、その時までは自分でこれで全部であると信じていた。

 鼻高々で関係者の前で其れを披露したが、その時師匠でもある吉田嘉一氏から、「戸田さんマダマダこれ位では全部とは言えないですよ」と厳しい指摘があった。
 吉田氏から、その時「名古屋で製造されている時計は100社を超えているから、これの倍以上は有ります」と驚きの発言があったのを覚えている。
 吉田氏にその後幾度となく名古屋で製造された時計の種類を教えてもらい、其れを手掛りに獅子奮迅の働きのように動き回り、時計を探索したもの。
 結果は、未だに名古屋で製造された時計を全部集める事が出来ず、疲労困憊している始末であり、この先何時までかかるのかお先真っ暗な未熟者である。
 その原因は、吉田さんから貰った名古屋の時計に関する資料や自分で集めた資料、自分では之だけの資料があれば「鬼に金棒」と思っていたが、世の中そんなに甘くなく、分からない時計ばかりでこれまた四苦八苦。
 名古屋の時計は奥が深くて、底無し沼のように「行けども、行けども」辿りつかないが、それでも進むしかなく前進あるのみである。
 現在分かっているだけでも100社、それ以上にまだまだ沢山の組み立て会社が存在しており、どれくらい存在しているか分からないと言う。
 名古屋地域の時計を全部集めるなどと言う事はとんでもない事、それを目標に軽い気持ちで踏み込んでしまったがまだまだ先は長い。
 何時になったらそれを達成できるものなのか見当もつかないが、最初に立てた目標は諦められないので、これからも進めるつもり。
 写真は林市兵衛の明治20年代の時計製造工場の図、林市兵衛の資料も思ったほど多くなく、全容解明には程遠いのが現状であるようだ。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計裏話
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/47758094
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック