2017年06月09日

素朴が良い

      秋 田 の 名 工


SANY1012.JPG 日本全国に「こけし」は多く存在し、今尚根強い人気を保っているが、その多くは東北中心のようであり、過去色々な名工と言われる人たちを多く排出したのも又東北である。
 一時期の熱狂的なこけしブームは去り、今は静かなブームと言えるのではないか、このこけしの登場はそんなに古く無く、幕末頃に東北の木地師によって作られたといわれる。

 そもそも、この「こけし」は子供の「遊び道具」として、木地師が自分の子供や孫に造ってやったのが始まりとされ、当時は彩色もなしの生地そのままの物、人をかたどった玩具であったようだ。
 勿論この時はこけしとして売りに出すものではなく、あくまでも遊びの道具としてつくられたもの。
 子供のために簡単な玩具とて造りあげ、それで遊ばSANY0996.JPGせていたとも言われている。

 そのうち、生地に彩色を施して温泉地で土産として少しづつ売り出し、やがてそれが評判となり、木地師の現金収入となったため大々的に製造するようになる。
 冬には雪で閉じ込められる生活であった人々、生活の糧は出稼ぎなどして生計を立てていたとも言われ、それがこけしで現金収入となることに。
 当時現金収入の少なかった木地師達は互いに競い合い、次第に各地独特のこけしが登場する事になり、それを目あての観光客は自分の好きなこけしを求めだすことになる。

 明治から大正時代に現在のこけしが確立、東北地方各自の型が出来上がり、温泉場のみやげ物の横綱と言われるまでに成長、そしてその中から名人と言われる人物が登場する。SANY3974.JPG
 その一人が「小椋久四郎」であり、現在彼は伝説的なこけし職人と呼ばれ、こけし界のスーパースターで、彼のこけしを捜し求める蒐集家は数多く、憧れの存在でもある。

 その息子「小椋久太郎」も父久四郎に手ほどきを受け、見る見る上達して父親と肩を並べる位に成長、此の2人のこけしの特徴は何と言っても、こけしの胴にに描かれる梅の絵、久四郎の梅は跳ねている様に描かれ、久太郎は整然と描いているとも言われる。

 この木地山こけし素朴さが一般大衆に受け、他とは少し違った図柄、おぼこと呼ばれるスタイル、特に前垂れと呼ばれる図柄が特徴である。
 2人に共通するのは派手ではなく素朴なこけしを製造している事、秋田の木地師の誇りを奥に秘め、素晴らしい作品であると同時に、蒐集家の憧れ的存在である。
 写真は「小椋久太郎」の「こけし」、如何にも素朴な雰囲気を持ったこけしであり、蒐集家の好むこけしの代表と言って良いもの。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク
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