2019年05月19日

木曽路の蕎麦

      390年の歴史
 
SANY9306.JPG 1600年に五街道が開設され、この木曽路は中仙道の中間に位置する街道であり、その歴史はさらい古く奈良時代に遡るとされているが、当時の中仙道と同じ道ではなかったようである。
 中仙道が整備されてから直ぐに、此処寝覚ノ床近くに立場茶屋として開業したのが「蕎麦屋越前屋」、1624年に木曽街道沿いを通行する旅人相手に商売を開始した。
 現在まで開業している全国の蕎麦屋の中で、3番目に古い蕎麦屋として営業し続け、木曽街道の有名な蕎麦屋として数々の浮世絵や版画等に紹介されている名店である。
 今日で390年の歴史を誇り、19号線寝覚ノ床の前で現在も営業しているが、旧店舗は旧木曽街道沿いにあり、昔の姿を留めここが越前屋である事を誇示しているようだ。

 建物は三階建て替えられており、現在の建物は大正元年に建て替えられたものSANY0584.JPG、蕎麦屋と旅館を営んでいた面影を今も伝えて、ひっそりとした旧街道に今もある。
 この越前屋、街道筋でも有名であった為に、数々の文人墨客が訪れてはそばを堪能していったようで、江戸時代の色々な文章にも多く紹介されている。
 広重の浮世絵にも描かれており、また中仙道木曽路の版画にも、この越前屋が描かれ、江戸や京にも「木曽路越前屋あり」と、音に聞こえし蕎麦処である。
 十返舎一九がこの越前屋を訪れた際に、越前屋のそばを紹介して詩にしているが、当時の越前屋の様子が伺える貴重な資料でもあるようだ。

 「蕎麦は白く  やくみは青く いれものは 赤いせいろに きいろのくろもじ」、

 店で当時出された蕎麦の器や蕎麦の色等を上手く歌っている。
 この越前屋、現在でも当時の十返舎一九が食べた物と同じ蕎麦、器も赤いせいろが2枚、そしてやくみも青いねぎがついてくる。
 木曽路にありながら田舎蕎麦でなく、更科蕎麦の白い物を出しているのも、越前屋の長い歴史なのかもしれない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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