2017年02月13日

個性派

      秋 田 木 地 山 こ け し




 SANY0996.JPGこの木地山こけしは、明治に入ってから製造されるようになったようで、遠刈田の流れをくむものであり、それから独自に発達したこけしである。
 この木地山こけしを有名にしたのは「小椋久四郎」、彼は「こけし界のスパースーター」、数あるこけし作者の中でも「横綱」とされる人物、明治中頃よりこけしを製作し始める。
 小椋久四郎、(明治11年〜昭和8年)秋田県雄勝郡皆瀬村川向木地山にて、小椋徳右衛門の4男として生まれ、幼い時から木地師の仕事につく。
 父親の木地師の技術を取得、独り立ちした後こけしを製造し出す、温泉場にて販売し好評をはくし、その後本格的にこけし製造を志、久四郎独自のこけしを作り出す。
 小椋久四郎は「一生二人挽き」に拘った人であり、最後まで電力を拒み続けた人物で、これも又伝説と成ったいるが、現在は二人挽きを見ることは出来なくなってしまった。SANY0857.JPG
 彼の作るこけしは気品にみちたものであり、凛とした清々しさを漂わせるこけしを作り出した人、木地山特有の前垂れに梅模様、こけしの中の王様である。
 小椋久四郎の造り出すこけしは躍動感のあるもの、特に前垂れと言われる部分に施されている模様、梅の図柄であるが、彼が描くと梅が踊っているかのようだと言われる。
 その躍動感にあふれる柄と、こけしの優美な顔、この二つが相舞って醸し出す不思議なムードが、こけし愛好家の推奨の的と言う。
 現在この小椋久四郎の作ってこけしは幻のこけしとも言われ、愛好家なら1つは欲しいもの、私もあちこち探したが見つからなかった。
 たとえ市場に出たとしても競争相手が多くて手に入る事は難しく、やはり幻のこけしとして扱われるに違いない。
SANY3974.JPG 小椋久四郎亡き後、息子の久太郎が後を取り木地山こけしの伝統を継承、彼もまた「こけし界の名人とうたわれた人物」に成長、久四郎型こけしを生涯製作した。
 小椋久太郎もまたこけし名人として、木地山こけしを製作、父親の造るこけしと少し違っており、久太郎は几帳面な性格であったと言われ、特に前垂れの図柄はきちんと描いている。
 久四郎の梅は躍るようだと言われ、久太郎の梅は清楚だと言われており、、それぞれの特徴が現われたこけしである。
 写真のこけしも、小椋久太郎作のこけし、左は高さ40センチ、胴体の直径15センチ、右は高23センチと大きいが、左のこけしが大きくて右が小さく見えている。
 右は古いタイプの胴体模様が菊模様、右は前垂れに梅模様の木地山こけし、この2つが木地山こけしの代表格、久太郎は生涯多くの作品を残しているが、久四郎のこけしは数が少なく幻となってしまった。 


posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク
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