2017年02月19日

木枠の文字盤

      金属より木


 伝統と技術、長い間に培われてきた伝統と技術、日本古来のもの造りを支えてきSANY2151.JPGた職人、彼らは経験の上に技術を磨いて、伝統産業の担い手となってきた。
 彼らは新しい物を生み出すと言うよりは、今までに培われてきたものを引き続き、自分の熟練した技術によって作り出すことに専念、自らの発想で物を作り出すことは余りしなかったようだ。
 注文主の意思に従い、より良いものを作り出すことに専念してきたのであって、新しい商品としての物作りをあえてしなかったのは、職人としての範囲を超えると考えていたのか。
 あくまでも依頼されたものを完璧に作り出す事、之が彼らの仕事と割り切っていたので、それ以上の仕事はしなかったから、その技術に於いては尚洗練されていった。 明治に入り、西洋物に押されて古来の漆器類は序藷に衰退をして行く、何時の時代でもそうであるが、新しい文化が芽生えると、片方では古来の文化が忘れ去られてゆく運命にある。
 真さにその狭間にあった時代、本来は金属で製造するべき部品、其れを木工技術で製作すると言う仕事SANY2153.JPG、当時はプレス機械は高価で、中々資本投下の出来なかった時。
 西洋から入ってきた西洋時計、当然価格も高くて中々庶民には手の入らないものであったが、明治中期に入り国産化が進む事になる。
 多くの国産時計製造会社が誕生し、西洋の時計をモデルとして製造を開始することになる。
 目的は価格を抑えて一般庶民に西洋時計を供給する事にあるため、色々な部門で苦労する事となる。
 そんなおりに職人たちの技量を利用する事によりコストも抑えた時計を製造。
 職人たちに培われてきた技術を採用する事を思い立ち、木の素材を轆轤で挽き、プレス加工されたものと同じ形を作る事、彼らにすれば朝飯前、簡単な事。
 轆轤で挽かれた木工部品を、今度は漆職人が漆を掛け、更に金箔を施して、金属に見せ文字盤枠を製造、見た目には全く分からず、まさか木SANY2156.JPGで出来ているとは思わない。
  そんな文字盤枠が出来、ブリキの板を釘で打ち付けて、本来の文字盤と同じ形に作り上げた、プレスが無くとも簡単に同じ物を作ってしまった、当時の職人の技量、古来からの伝統技術の結晶でもある。
 この木枠の文字盤枠を製造していた製造会社は、蛎殻町製造の新居常七と吉沼時計の吉沼又右エ門、この両社は木枠を採用しているが、ほんの一時期の事である。
 蛎殻町製造の時計の文字盤、製造番号が106番であることから、最初期の物であることが分かり、吉沼時計も最初期に採用していたようだ。
 その他の時計製造会社も一時期この機枠の文字盤を採用、市場に送り出している。
 写真は木で出来た枠にブリキの板が打ち付けられて、本物の文字盤のように製造された物、写真や目で見てもこれが木で製造されているとわ思われない出来。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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