2018年10月26日

円空のなぞ

      なた一本で
SANY6754.JPG
 円空、行脚僧として全国を歩き回り、12万体もの仏像を彫り上げた僧、一宗派にとどまらず宗派を超えて仏像を彫り上げた。
 1632年寛永9年、美濃の国羽島で生まれる、その後あちこちの寺を回り、点々とするが、30才の時母が没する。
 其れを機会に仏像を彫り出す事に、はじめの円空仏は柔らかな彫り方で、従来の仏像と大差の無いものであったが、40才を越えた頃より作風が変わる。
 寛文6年1663年、弘前城下を追われ、蝦夷地松前に上陸、北海道各地を点々とするが、その地も追われることとなり、寛文9年地元美濃に帰ってくる。
 円空は生涯13万体もの仏像を彫る事を目標に持ち、はじめの頃の作風から、なた一本で彫る作風に変えたようだが、実際は鉈一本で彫り出した訳ではない。

SANY6753.JPG多くの仏像を彫りだす為に簡略的な仏像へと変化してゆく、そして3、5メートルもの大物から、木っ端仏と言われる小さなものにも挑戦。
 円空は求められれば誰かれなく仏像を彫り、分け与えたといわれ、個人所有の仏像となり、現在も家庭で奉られている物も多くある。
 円空仏、初期のものは優しい姿をした物であり、仏像本来の姿をしているが、次第に鉈彫りと言われる円空独自の仏像へと変化して行く。
 写真は、40代、50代の作品、円空独特の顔お持つ神像、鉈彫りと言われる彫りながら、荒々しさの中に優しさが溢れたもの。
 この頃の仏像が1番エネルギーが満ち溢れたものとなっており、地元に伝わる物が多い、その中でも愛知県内には3000体以上と1番残っていると言う。
 写真の円空仏、地元美濃に現存しているもの、「青面金剛神像」と言う、2つとも良く似ているが、同じところの所有物ではなく、別々のお寺にあるものである。
 はじめは全く同じものかと思ったが、良く見ると細部にわたって違う、当然同じ人物が彫った物であり、よく似て当たり前だが、多くの仏像を一気に彫った事が分かる物でもある。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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