2017年02月17日

組み立て会社15

      存在数は分からず


SANY6946.JPG
 日本の時計製造聡明期、明治初期の時計製造会社は全国で幾つ存在したのか、その実態は今もって謎のまま、その中に数多くの時計組み立て会社も存在していたと思われる。
 特に名古屋地域ではその数100軒を越すと云われ、乱立状態であった事は良く知られているが、その実態となると、これも闇の中である。
 関東地区でも時計組み立て会社は存在しており、現存している時計が其れを物語っているが、名古屋地域と比べれば比較にならないほど少ない。
 その原因は幾つかあるが、精工舎が一手に市場を占有しており、事業参画の意欲をそがれたものではないかと言われるが、それだけでは無さそう。
 しかし、その市場は大きくて、大都会東京での拡販はさほど難しくはなかったと思われるが、驚くほど組み立て会社の存在数が少ない。
 よく会員の中からこの件について質問があるが、その内容は様々なもの、「軒数は幾つくらいなのか」とか、「何故少ないのか」とか、「何処の機械SANY5703.JPGを組み入れたものなのか」と色々だ。
 確かに時計組み立て会社となると、部品調達をしなければならないもの、その最大は機械を何処で調達したかと言うこと。
 1つはアメリカ製の機械を入れているものが多いが、全部がアメリカ製なのかと言われれば、答えはノーと言わざろう得ない。
 ある会員さんから写真が届き、その写真にはローマ字読みでセイメイ舎とラベルに記載されている物、もう1つは東京浅草とラベルに記載された物。
 この2つの時計、間違いなく組み立て時計、しかし現在の残された資料にはこの会社の名前は無い、時計だけが存在している。
 明治期に関東地区での組み立て会社で知られている物は、「コウセイシャ、金森時計」、の2つは良く知られている組み立て会社の時計だ。SANY0168.JPG
 その他にも組み立て会社の時計らしきものが存在しており、明治期、時計商であった高木大五郎もまた、この時計組み立てを行った人物。
 この時計のラベルにはD.TAKAGIと記載されている物、この時計も現存数は少ないが、チョコチョコ目にする時計であるが、実態となると知られていない時計でもある。
 このように関東地域にも組み立て会社は数少ないが存在しており、マダマダ実態が分からないまま、今後の我々の研究課題でもある。
  現物こそ最大の資料、現存するこれ等の組み立て会社の物を、一台でも多く保存するのも我々の指名かもしれないのだ。
 写真一番したのは横浜の組み立て会社金森商店のラベル、珍してもので中々お目に掛かれないもの。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/73249813
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック