2019年09月14日

白露

    秋がやって来る
SANY7106.JPG
 やっぱり今年の夏は暑かった、9月に入っても暑さは中々収まらない日々、どうなってしまった日本の四季、地球温暖化で激変か。
 兎に角暑い、暑い、暑いの連発しかない日々、その上台風まで当たり年と来ているらしく、踏んだり蹴ったりの日本列島だ。
 出るのは愚痴ばかり、明るいニュースは何処へやら、最近の異常気象で竜巻まで起こる現実、全くどうなってしまったのか。
 そんな事を思いつつ、我家の小さな庭を覗くと、葉っぱの上に何やらキラリと光っているものが、雨が降ってきたのかと確かめるが降っていない。
 雨ではなく、どうやら夜露らしいのだが、マダマダ日中は30度を越しているのにと思いつつ、やっぱり確かめに庭に出て見ると、まちがいなく夜露だ。

 SANY7100.JPGそう言えば暑いので忘れていたが、9月8日は「白露」だった、暦の上では9月8日は「白露」と言って秋の入り口、この時期になのと夜露が現れる時期となる。
 昔から、白露は季題の1つ、秋を告げる言葉でもあり、幾つもの歌が歌われているが、この白露の言葉は「暦便覧」に、この様に出ている「陽気ようやく重なりて、露にごりて白色となれば也」とある。
 朝晩、温度が下がり露ができる様子を表現したのが白露と言うらしい。
 昔の人は自然を表現するのにも風情があるのだ、現代みたいな現実的な表現でない。
 夜露になったり、朝露になったりと、露1つにしても表現する字が違う。
 露にごりて白くなりから「白露」とよばれ、そして先人たちはこの季節の変わり目を多くの歌にしており、幾多の人々が白露を詠っている。

 松尾芭蕉は、    「しろつゆ(白露)を  こぼさぬ萩の  うねりかな」と詠い。

 与謝蕪村は、    「白露や  茨のはりに  ひとつづつ」と詠う。
SANY7091.JPG
 芭蕉も蕪村も季節感を感じる句、萩と茨、同じ秋の風景を詠いながらも、芭蕉と蕪村の物のとらまえかたが違う、どちらがどうとは言い難いが。
  昔の人は自然から季節の変わり目をすばやくは察し、ふしふしをチャンと感じていたものであるが、現代人みたいに季節感も感じなくなってしまったとは、寂しい限りでもある。
 我々の感覚よりも草花は敏感に季節の変わりめを逸早く悟り、着実にその営みを続けているのだが、其れも季節が激変している現在、この先どうなる事やら。
 
 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/73981666
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック