2019年12月08日

水滴のいろいろ

    カラフ

 SANY5968.JPG明治期に製造された尾張瀬戸の水滴、文明開化の象徴西洋時計を模写、今までに無い水滴を作り出した瀬戸、時代の最先端を行く。
 この水滴は古来より製造されてきたもの、様々な種類のものが製造され、使われてきたが素材もまた色々なもので製造されても来た。
 大きなものではないが、必需品として何時の時代でも使われ、又親しまれてきたものの時代時代の流行もあり、世相を反映した物とも言える。
 元々瀬戸の水滴は歴史が古く、鎌倉以前に遡り、猿投窯で焼かれていた様、中国より渡来の文化、中国で盛んに使われてきたものを輸入され日本に渡来。
 もっとも中国のものは当時高級品、日本で製造されるようになり、一般にも普及してゆく事となるが、其れも庶民の間ではない。
 この水滴が庶民の間でも使われるようになったのは江戸時代、この頃より盛に色々な種類の水滴が製造されたが、ヤッパリ流行があったようだ。

 今回の水滴、明治期に盛に製造された時計の形をして物、主SANY5979.JPGに瀬戸と伊万里が盛に製造したものだが、瀬戸の水滴はカラフルなものも製造した。
 明治期に製造された水滴は文明開化の流行もあり、派手なものが多く、他の産地のものも赤や緑を使ったものが流行り、形も色々だ。
 主流は磁器で製造されたもの、江戸時代までは陶器の物も多く製造されたが、明治期は磁器が幅を利かせ、カラフルになって行く。
 写真の水滴、カラフルな色が使われている事が分かるだろうか、緑、あか、黒、青、茶色、金色と多くの色が使用されている水滴。
 本来の時計は木製であり、いろとしては茶色が普通であるところ、実際のものとはかけ離れた色合いのものが製造された。
 これは新時代の西洋時計をデザインした際に、当時の職人たちの遊び心とも言うべきか、様々の色合いのものをデザインした。
 これは江戸時代にはなかった水滴の色、新しい時代に相応しい水滴を作り出し、当時の職人の腕を見せつけた水滴と言えよう。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話
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