2020年07月16日

ペコちゃん2人

   2人のペコちゃんSANY0288.JPG
 不二家のペコちゃん、誰しも知っているキャラクターの中のキャラクター、そのスタイルは当初と現在では少し違っており、日々進化をしていると言える。
 初期型のペコちゃんは今見るとやはり時代が経っていると雰囲気、オーパオールのスタイルも何処となく古さを感じる。
 当たり前の事だが考えられたのが古いから当然の事だが、可愛らしいのは変わっていないと思う。
 マスコット、ガールのペコちゃん、設定が6歳の女の子と言う事になっていて身長は1メートル、体重は15キロと決められているから面白い。
 もっと面白いのはスリーサイズも決まっているから尚更笑えて来るが、設定者は真剣であったろう、1950年に誕生したペコちゃん、何でペコちゃんなのかと言う疑問も多くあると言う。SANY1422.JPG
 東北の赤べコにルーツがあると言う事らしいが、本当なのかべコからペコになったと言う事らしい。

 ちまたでは色々な説があり、喧々諤々の論争まであるらしいが、赤べコからペコが正しいと思う。
 初期のスタイルをしている二人のペコちゃん、上は新しく、下は初期もの、同じスタイルをしているが、素材が違うもの、下はセルロイドでつくられているもの、貴重な初期もののペコちゃん。
 コレクターなら直ぐに違いに気づくであろうが、我々素人には同じ様にしか見えない、それでも良く見るとほっぺの色が違う事に気が付く、下のペコちゃんはほっぺが赤くないのだ、そしてズボンの下の色が白色、上はピンク色とやはり違いがある点だ。



















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2020年07月15日

頭の体操

   歳のせいかSANY1292.JPG
 カラクリ式の箱、以前にも紹介した箱根細工の小物入れ、我が家に来てから何年になるのか、古いものは50年を超えていると思う。
 その後も幾つか買い込んだが、最近では孫が欲しいと言うので買い込んだものが一番新しいもの、しかしこれは非常に難してものである。
 このカラクリ付きの箱は34回ととんでもない回数を重ねないと開かない代物、勿論解答用紙も付いているが、それを見ても分からない位に難しい。
 何回挑戦しても中々開けれなくて、しまいには飽きてしまい途中半端な状態で箱がそのままになっている。
 34回ともなると前行った所を忘れて何度も同じ事をして開かず、そのうちに今までの回数も忘れて結果は途中で終わる事になる。

 その後は孫が回答用紙を見て元の位置まで戻す事にSANY1316.JPG、やはり歳を取って来ると中々開ける事が難しくなり、何度やっても開かないのだが頭の体操だと思って挑戦する。
 しかし34回物はやはり無理、優しい12回ものなら簡単に開くが、24回ものだと苦戦を強いられる。
 確かに頭の体操だと思って挑戦はすれど、何度やっても開かないとイライラが募り、頭の体操どころではなくなる。
 おかしなもので出来ないと分かっているとやる気が出ず、挑戦する事もなくなるが、開けられると思えば挑戦したくなるのだ、今回は24回ものに挑戦したが、結果は途中で棄権、何度やっても同じところで脱落、情けない事になった。

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2020年07月14日

おがら

   麻の幹DSCN2322.JPG
 おがら、現代人には聞きなれない言葉であると思うが、お盆を迎えるにあたって重要なもの、なくてはならないものの一つ。
 今日は盂蘭盆会の中日、つまりお盆の真ん中の日、先祖の霊が我が家に帰って二日目、ゆっくりと我が家で寛いでいると思う日、盂蘭盆会は7月13日、14日、15日を指す。
 先祖を迎える準備を前日の12日に行うが、大事な作業が待っているのが、先祖が乗ってくる乗り物つくり、これを作らないと先祖が迷ってしまうと言い、先祖が乗る乗り物とは馬と牛、我が家に早く辿り着くには馬に乗り、ゆっくりと帰るのには牛に乗り帰ると言われている。
 だから前日に馬と牛を作るが、馬はキュウリで作り、牛は茄子で作るのがしきたり、形の良いキュウリと茄子を選び、馬と牛を作るのだ、この作業も簡単のようでなかなか形がとれないが、やはり経験がものを言う、うまく作るにはコツが必要で経験が一番であると思う。

 この馬と牛のあしを苧殻で作るが、おがらとは麻の幹、麻の皮DSCN2323.JPGをはいだ幹がおがらと呼ばれ、足の材料となるものだ、麻の幹は中が空洞になったおり、軽くて折れやすく、扱いにはコツがいるが慣れれば扱いやすくなり、簡単に折れたりもする。
 おがらはもう一つの役割があり、それが迎え火と送り火、その際使われるのがおがら、麻は神聖なものと言われ迎え火や送り火に使われる。
 先祖の霊はこの火を目印に我が家に帰ってくると言われ、盂蘭盆会には重要な働きがあり、各家庭では玄関先でおがらを燃やし先祖を迎えたり、送ったりする。


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2020年07月13日

盂蘭盆会

   毎年の事
 毎年お盆はやって来るが、節目節目では盛大にもてなす時SANY7190.JPGがあり、色々な節目が存在しており、我が家でも今年は節目の年、親父が亡くなって節目の時期。
 勿論、毎年本の行事は行っているが、節目に当たる時は少し盛大に盆を迎える事になるから、準備も早々にしなければならない。
 宗派によって違いがあるが、昔からの仕来りもあり、我が家でもその仕来たりを守るようにしているが、それが今年である。
 早いもので親父が亡くなってから43年が経ち、今年は節目の時、菩提寺には早々に親父の供養をお願いし、お盆を迎える事にした。
 この地方にも節目には仕来たりがあるので、それなりの行事を行うが、最近ではその仕来たりも薄くなったようである。
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 確かに時代の流れでもあり、先祖の供養も様変わりしてきているとも言われるが、それはそれ我が家では昔通りの仕来りでお盆を迎える。

 核家族化が進み、現代では先祖を供養するどころか、仏壇もつくらない人も居ると言うが、人其々であるが、私は先祖を大事にしたいと思っている。
 自分が何処から来たものなのか知らないのは気持ちの上で不安、現在あるのも先祖のおかげであると思っている。
 確かに時代の流れかも知れないが、先祖の供養は自分たちの務めだと思って、それなりの供養をしているが、むやみにしている訳でもない。
 自分たちに合った中で先祖の供養をして行けばよいと思っており、無理しない範囲で仕来たりを守って行けばよい。
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2020年07月11日

しっぱい

   緑のカーテン
 毎年行っている日除けDSCN2321.JPG緑のカーテン、プランターに日差しを遮る植物を植え、夏の暑さを和らげてきた緑のカーテン、これに勝るものはないと思う。
 その対策とした色々なものを試してきたが、やっぱり自然のものに限ることが分かり、それ以来緑のカーテンを作り出してきた。
 もちろん此処に辿り着くまでには失敗の繰り返しをして、やっとたどり着いたとも言えるが、色々試したことは確かである。
 最初は葦簀を取り付けたが、これが厄介で高さがあるために風に弱くて、風対策に神経をとがらせ、その為に取り付けたものを外し、また取り付けるという作業の連続であった。
 風もさることながら雨もまた障害の一つ、今の中国製の葦簀は非常に耐久性がなく、結んだ縄が切れてしまいバラバラになってしまう。
 夏の4か月を持たない弱さ、以前は麻縄で繋がれていたものが、ナイロン製になり耐久性がなく、見事に切れてしまうのである。
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 そんな事であれこれ試した結果、緑のカーテンに辿り着きそれ以来植え続けてきたが、これもまた手間のかかることに、植物がゆえ水を切らかすことはできず、水やりも日課である。
 しかしこの緑のカーテン、植える時期を間違えると秋まで持たなく、10月前に枯れてしまい、失敗してしまう事になリ、今迄にも失敗がある。
 そんな失敗が今年も起きそうな気配、今は元気に上に伸びているが、一番下のあたりが葉っぱが無くなりつつある事に気が付き心配。
 何時もなら青々と茂っているはずの葉っぱ、向こうが透けて見える位に葉っぱが少なく、これでは10月まで葉っぱが茂っていなてようだ。
 植える時期を少し間違えたよう、今からこんな状態ではとても10月まで持たなく、下の方は枯れてしまいそうなけはい、心配でたまらない。
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郭公

      鳩か郭公か
 根強い人気の鳩時計、日本でお馴染みの鳩時計DSCN0189.JPG、時刻が来ると鳩が扉をあけて時間を告げる時計、通称はと時計と呼ばれるもの、この時計の人気は昔から衰えないが木の持つ温かみが人気の秘密かもしれない、それよりも鳩が時刻を告げる動きのあるカラクリ、複雑な仕組みではないが可愛らしく、尚且つ面白みのある動きであると思う。
 扉を開けて鳩が出てくる仕掛けは、他の時計にはないものだから、面白みがあり人気がある時計、しかし外国では鳩時計とは言わないようで、郭公時計と呼ばれているものだ、日本に入ってきて鳩時計となったようだが、その経緯については不明、何で郭公から鳩になったのか知りたいが、明確な答えは今のところ何もない。
 一説には郭公は閑古鳥とも呼ばれ、日本では縁起が悪い響き、それで鳩にかえたとも言われているがあくまでも推測。

 鳩の方が日本中何処にもいるから親しみやSANY1635.JPGすく、郭公は山間に行かねば会うことはなく、そのような環境が郭公から鳩になっていったのか、いずれにしてもハッキリしない。
 写真の郭公は、ドイツで製造された郭公時計、黒の森と呼ばれるシュバルツバルト、スイスとフランスの国境近くの森林、160キロにわたる森が続く地帯。
 この地方で製造されたのが郭公時計、森林国ならではのデザイン、時計上部にはリアルに郭公がデザインされ、全体に木の葉が彫刻された馴染み深いスタイル。
 このスタイルの時計を郭公時計と呼ぶ、如何にも森林を思わせるデザイン、ドイツのものは郭公もよりリアルにその姿を彫りだしている。
 日本の鳩時計の木彫りとは彫の深さが全く違い、立体的な彫り方をしているが、日本の鳩は平面的な彫り方で、リアルさに欠けたデザインが多い。
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2020年07月10日

とっくり

   持ち帰り用SANY2720.JPG
 徳利とは酒を入れる器の事を指す、日本酒を入れる器の事であるが大小に分かれており、その使い方は違いが、小さな徳利はされを入れて燗を付けるために使用されるものを指す、大きなものは通い徳利と言い、今朝を小分けにして持ち帰るために使用する器の事を指す。
 器の大きさによって使い道が分かれるもので、同じ徳利でも使い方が違うと言う事だが、呼び方は同じ徳利である。
 普通の小さな徳利は実用的に酒を入れて飲むためのもので、同じ呼び方でも通い徳利とは使い方が違うもの。
 通称大きな徳利を通い徳利、又は貧乏徳利とも呼ばれているもの、酒屋にこの徳利を持って行き必要な分だけ酒を入れて、家に持ち帰るために使う器。

 今回の徳利は貧乏徳利と言われているもSANY2723.JPGの、大きさも各種あるが大体は一升とか二升とかが多く存在しているものだと言う、大きなものは一斗徳利と言われるものもあり、酒を入れる器として同じ徳利と称するらしく、やはり大小がある。
 普通の通い徳利は酒屋の印が付いているもの、自分の屋号を入れて使うものだと言い、それを貸しているとの事だが、定かでない。
 大抵の通い徳利は丸酒の印が付いているもの、あの信楽の狸が持っている徳利を指す、あれが酒徳利の定番のものだ。
 写真の貧乏徳利は三河屋の印が入ったもの、この徳利も典型的な酒徳利、如何にも酒屋と言う感じの三河屋さんのものだ、庭に置くとオブジェとして利用があり、何となく懐かしい雰囲気が出るから不思議、利用価値は高いと思う。
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2020年07月09日

音が命

    他より少し違う
 私もコーヒが好きで1日に5、6杯は飲まないと何だか落着かないが、飲まなSANY2938.JPGければ飲まないで過ごせると思っていても、やっぱり飲まずには居られない。
 コヒーの好きな人も多いと思うから、此の気持ち分かってもらえるであろか、一時期はコヒーの飲みすぎは、体に良くないといわれた時期もあったが、何時の間にか消えてしまったようだ。
 最近はポルフェノールがコヒーに良く含まれているから、今度は体に良いと以前とは全く逆な事が言われ、ドチラが正しいのか判断に迷ってしまう。
 そんな論議はどうでも良いが、コヒーはゆったりとした気持ちで飲みたいもので、1番良いのはアンティークな雰囲気の喫茶店が良く、そこで美味しいコヒーを飲むのがベストである。
 前にも話したが愛知県春日井市のJR春日井駅の前にある「喫茶ひまわり」、ここはわたしが30数年通っている店、玄関を入ると正面上部に巨大なスピーカーが目に入ってくる。
 此処のマスター拘りのオオディオ、1.2メートル四方のデッカイスピーカー、普段は小さな音でBGMを流しているので、常連客でも此のスピーカーから流れてくるとは思っていない。SANY2943.JPG

 有線放送であるとしか思わず、駅前であり「おば様から若者」まで店に入ってくるが、「10人中、1人り」がきずく位に、このオ−ディオを知ず、しかしマニアにとっては高嶺の花である代物だと言う。
 アメリカ製「JBL」のスピーカー、このメーカーのものはドライバーがかるく高効率であり、ホーンドライバーの初動特性と音場表現能力が優れているとのことで、プロのスタジオや映画館で使用されている物らしい。
 客が居ない時、マスターに頼べば快く大音響でジャズを演奏してくれ、マスター自慢のスピーカから心地良い音が流れ、流石JBLのスピーカー窓枠を響かせて聞こえてくる、そんな状況の中コヒーを飲むのが至福の時、他の店では絶対に味わえない音楽と雰囲気を満喫できるが、余りの音の大きさであり常時聞くことは出来ないのが残念である。
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2020年07月07日

七夕

   天の川は見えないDSCN2134.JPG
 今年はコロナと梅雨の大雨での七夕、全く見えないと思うが5節句の一つ7月7日は七夕、江戸時代に定められた5節句、その内7月7日を七夕と言う。
 古くは中国よりの渡来行事、奈良時代には既に宮中に伝わっていたとされ、この日祭壇を飾り穀物や海のものを添えなて儀式を行ったらしい。
 中国の棚織の行事が日本に伝わったと言われ、機織りの糸五色を吊るしたり、吹き流しを吊るしている、もともと中国では五行説からこの事が来ており、青、赤、黄、白、黒の五色からなるもの、それが糸の色である。
 江戸時代に入り一般庶民の間でも七夕を行う風習がはじまったとされ、笹竹に五色の短冊を吊るしたと言われている。
 勿論五色とは青、赤、黄、白、黒の五色であったが、次第にいろいろな色に変化して行った様で、元の色が薄れてしまった。
 笹竹に吊るすのも、笹竹は神聖なものとして災いを水に流すと言われており、それに願い事を書いて吊るした、寺子屋などで習い事をしていた者たちは、短冊に願い事を書いて笹竹に吊るしたもの、短冊だけではない。
 五色の糸を象徴した吹き流しを吊るし、巾着や神衣、網、くず入れなどを吊るすのが正式な飾り方と言う、もともと素朴な飾りものであったが時代と共に本来の姿から変化し、吹き流しに梵天が付くようになる。

 くず入れも次第になくなり、変わったものが付くようDSCN2136.JPGになったのも、本来の意味が薄れて行った証、現代の様な七夕飾りは五色の短冊の色は無く、多種多様な色使いで派手に装飾しているものが多い。
 七夕の基本は忘れ去られて、豪華に見せようとする飾りとなってしまったのも時代の流か、それとも観光目的の七夕なのか。
 日本各地でこの時期七夕が開催されているが、今年はコロナで開催が中止の所が多いと聞く、元の五色を守っている所は無いに等しく、キッチリと七夕を伝えて欲しいものだ。
 観光目的で人を集める為に、豪華な飾りを造り、派手な演出をしたりしているが、七夕の基本は伝えて貰いたいものだ。
 やっぱり素朴な七夕飾りが良いと思うし、子供たちが小さな願い事をしたものが、吊るされている笹竹が良い、そんな七夕も家庭で行っているところは少ない様で、幼稚園とか施設で粉われている程度と言う。
 もっとも笹竹を手に入れるのも今では難しく、都会であれば尚更の事、現代は住みにくくなってしまったものだ、そして、この時期の天の川は見る事が出来ない時期、梅雨の真っただ中、旧暦が基本であった昔の事、現代では天の川も見る事が出来ない。

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2020年07月05日

あとむ風

   鉄腕アトム
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 誰でも知っている鉄腕アトム、ロボットでありながら自分の感情を持つアトム、手塚治原作の漫画の主人公。
 少しアトムの生い立ちを話しておくと、アトムは身長135センチ、体重30キロ、エネルギーは原子力と10万馬力、そしてマッハ5で空を飛ぶ。
 これがアトムの姿、兎に角小さくて小2の男の子位、それでもって10万馬力力持ち、その他にも数々の装備があり、スパーロボットである。
 このロボットを主人公にした漫画が連載され、人気を博する事になり、その後テレビ漫画に、一躍子供たちのヒーローとなる。
 ちょうど私の小学生の頃、1952年に雑誌少年に連載され、爆発的な人気となり雑誌は飛ぶように売れた。
 今でも思い出すが鉄人28号と共にロボット漫画を二分した漫画、どちらも子供た達にもてもて囃されるようになった。

 この鉄腕アトム、テレビ番組で上映されるとテレビSANY0439.JPGの前には子供たちが群がり、画面にくぎ付け状態になった。
 そのアトム、玩具に登場するや否や引っ張りだこ、我も我もとアトム人形を買い求め、飛ぶように売れたと言う。
 鉄腕アトムは現在でもすごい人気、今でも子供たちに支持されているよう、それに大人たちもアトムのロボット、つまりブリキの玩具を取り合いしているようで、ネットに出れば高値で取引され、子供でなく大人が取り合いする状況だと言う事だ。
 しかしアトムの類似品も多く製造され、今では考えられない位におおぴらに行われていたよう、写真のアトム似ているようで全くの違いがあるが、堂々と市販されている。
 今だったら大変な事になるのだが昔は大らかな時代であったようだ、それにしてもこれらのアトム全く似ていない。
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2020年07月04日

キャラクター

   おどろき
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 ミッキーとベティーさん共に戦前につくられたキャラクター、ミッキーは1928年(昭和3)に、ベティーさんは1930年(昭和5年)につくられたもの。
 ミッキーとベティーは全く違ったキャラクターとして作られたもので、片方はネズミ、片方は人間と発想が違うもの。
 同時代につくられてものであるが、全く違ってアニメでそのファン層も違いを見せている。
 子供に愛されたミッキーとおとなに愛されたベティー、勿論最初からその設定だつくられたものだが、動物と人間を対比して語るのもどうかと思うが、当時の世相が反映されているものとしては同じだと思える。
 面白い事に戦前でありながら作られてからすぐに日本に上陸している事、戦争前の時期にアメリカ物が日本で流行ったことも興味があるところだが、当然の事直ぐに禁止となった事は言うまでもない。
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 2つの時計、ミッキーとベティー、両方とも珍品であることに違いはないが、ベティーさんの方は彩色されており、価値的には落ちるものだが、ミッキーはオリジナルである。
 しかしこのミッキーマウス、見慣れているものとはかけ離れてもので、これがミッキーかと思える代物、だからこそ貴重と言えるものなのか。
 全体に調べても手が加わってはいなくて、オリジナルの状態だから、最初からこの顔をしていると思われるが、どう見てもミッキーマウスとは思えない。両方とも同時期に製造されたものと思われ、輸出されたものだと思う。
 それにしてもミッキーの顔、もっとよく本物に近づける努力をして欲しかったが、逆な意味でこの時計は珍品と言えよう。

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2020年07月03日

これ何だ

   蠟 管
 先日の日曜日久米邸で蠟管の質問があり詳しく話したがSANY4708.JPG、蓄音機とはエジソンが発明、人間の声を再現するために造られた機械を言う、声の再生機と呼ばれたものだと、英語でボイスレコーダーと呼ばれたもの、これの逸話があのビクター犬、無くなったご主人の声が聞こえるレコーダーの前で首をかしげている犬。
 元は声再生機であったが、音楽を再生して聞く事になり、それが蓄音機になったと言われているもの、最初のレコーダーは勿論人の声だけ、機械から人の声がする画期的な発明、勿論エジソンが最初だと思っている人、しかしエジソンが最初ではないが、特許を取得したのがエジソンの方が早かったから。
 正確に発明した順番ではエジソンは2番目で発明者ではないが、そこはエジソン抜け目がなかったと言えよう、先に特許を取得してしまったのだが後にこの事で裁判となるが、特許を先に取る当たりセコイと言われても仕方がない、そんな蓄音機、実は当初円盤式ではなかったのだ。

 レコードと言えば円盤と思っている人、初期のSANY4740.JPGレコードは筒状のもので円盤ではなく、蠟ででき耐久性もあまりないもの、蠟管と言われるものが最初のレコード、レコードとは言わずボイスレコーダーと言う、この蠟管字の如く柔らかい蠟で出来ているのだ、字が表す如く蠟だから録音はし易いが、耐久性はなく直ぐに摩耗してしまい、聴けなくなるのも蠟管の弱点、エジソンは蠟管のレコードを採用していたが、ライバルは耐久性のない蠟管を諦め、円盤式のレコードを制作、エジソンに対抗したのだ。
 その後エジソンは蠟管に固守したが、相手はディスク版に変更、流行を造り大量生産も出来、先を越される事になり、事業は時代遅れとなるが、写真の蠟管、すでに摩耗しておりあと数回でダメになってしまう事に、つまり聞けなくなってしまい、レコードの役目を果たさなくなる。

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2020年07月02日

芝生の手入れ

    さぼった報い
 SANY7094.JPG我が家の小さな庭の芝生、それでも毎年手入れはしていたが、無理して腰を痛めてからは手入れをしないままである。
 一年位はどおって事ないと思っていたが、現実はそんなに甘くは無かったもので、雑草がびっしりと生えてきた。
 毎年のことだが芝生と雑草はつきもの、何処から飛んでくるものなのか、知らないうちに辺りかまわず生えてくる。
 それが芝生であると言われており、セッセと雑草取りをしないと、綺麗な芝生にならないとも言われているが、まさにその通りである。
 少し手を抜くと、その代償が回ってくるもので、去年は適当にあしらっていたお陰で、今年は無残な結果になってしまた。
 近頃では雑草の方が我が物顔で元気に育っているので、去年の春と思うと全くの別物になっており、一年でこんなになるものなのかと驚く。
 小さな雑草から大きなものまで色々な種類のものが生えており、少し手抜きをするとこんな事になるものかと感心するやら。

 感心していては解決にならないので、雑草を取りSANY7091.JPG除くことに、一つ、一つ、雑草を取りだしたが驚くほど多くて。
 取っても、取っても追いつかないあり様、こんな事をしていてもらちが明かないと、芝生を取り変えることにし、いちいち雑草を取り除いていても、一向に進まないもので芝生をはぎ取り、新しい芝生と植え替えを決め、早速作業に入る。
 芝生をはぎ取り直ぐに植え替えが完了すると思っていたが、それが甘かったもので、雑草の生えた芝生をはぎ取ろうとしても、中々はぎ取る事が出来ないのだ。
 はぎ取ろうとした芝生は以外にも根が強く張り、簡単にはぎ取れない状態、この雑草の生えた芝生の取り除きに苦労する事に、以前にも雑草が生えすぎて、芝生をはぎ取り植え替えをした事があったが、今回みたいに中々取れないと言う事はなかった。
 今の芝生は、その時よりもより強く根を張ったと言う事、元気な芝生であると言う事、もう少し手入れをしていれば、はぎ取らずに済んだのだろう、これだけ根を強く張っていれば、今まで手入れさえしてやれば今年も良い芝生になったはずであると、改めて後悔する。


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2020年06月30日

夏越の払い

      厄払いですSANY7423.JPG
 夏越の払い(水無月払い)と云い、6月30日は夏を迎えての厄払いの儀式をする日ですが、最近は余り知られていないようで、厄払いに行く人も少ないと聴く、この厄払いの儀式、古く701年に大宝律令によって定められた、宮中における儀式、以後1300年に渡って受け継がれてきた儀式であり、現在も続いているもの。
 当時は、毎日洗濯をする風習が無く、この日に新しい物に着替えたと言われているが、新品ではなく夏向きの着物にしたようで、衣替えであったようだ。
 宮中では、国民の健康を願って、「夏越の払い」を行ったとされる重要行事であった由、この時期は季節の変わり目、病を起こす病原菌が多く、多くの人々が流行り病にかかり亡くなった。

 夏越の払いの様子を詠ったものに、「風そよぐ 奈良の小川の夕暮れは 禊ぞ夏のしるしなりける」 とある。

 現在行われている夏越の儀式は、各神社で行われているが、大々的に行わSANY2179.JPGれるのは京都の加茂神社、それは「茅の輪くぐり」と云われ、茅のの大きなワッパを作り、その中を潜り抜け厄を落とす行事である。
 また、この時期和菓子においては、白い外郎の上に小豆をのせた和菓子が作られ、厄除けの和菓子として売り出されるが、これは宮中での氷室の氷に見立てて作られたお菓子。
 一般の人は氷室の氷が食べられるはずも無く、其れを真似て作られた菓子を食べて厄払いをしたようで、現在でも老舗の和菓子屋では、この時期に作られたいる。
 現在我々が6月に入り衣替えをするのも、大宝律令が大いに関係をしている事を、知る人は少ないが、衣替えは殆どの人が一斉にするのも、実に面白い伝統でもある。
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2020年06月29日

マッチの記憶

   見かけなくなり
 またまたSANY0687.JPGマッチの話、以前は何処でも見られたものだが、最近は探さないと見つからないので、諦めているが何処に行ってしまったのか、今はライターが普及しており、マッチを使う機会はなく、またタバコは中々吸えず、しかも手元にライターがありマッチは使わないのだ。
 使わないと言うよりは手元にない、ライターがいくらでもあるから必要ないとも、そんなマッチ、少し前まではタバコに火をつけるものはマッチ、誰もがポケットに入れて持ち歩いたものだが今は見ない。 それよりも最近はタバコを吸うところが狭まってしまい、しかもライターに押されてしまい、マッチの姿はなくなってしまった。
 以前は喫茶店や食堂にはサービス品のマッチが置いてあり、それを貰ってきてはポケットに放り込んで煙草を何処でも吸える為の用意、だからマッチを探さなくても何処かのポケットに入っているので困らなかった。

 その中から特に気に入ったマッチSANY0683.JPGの図柄があると、二、三個貰いポケットに、そんなマッチを他の店で気に入ったものを持ち歩いていたのだ、どんなマッチが気に入ったのか、旅に出かけた時に置いてあるマッチを気に入り、何時もの様なポケットに放り込んでいたもの。
 それぞれに個性のあるマッチ、その中には今は旅館を廃業してしまい現存していない宿も多くある。
 ちょいと昔に貰ったマッチ、今は懐かしい図柄のマッチであるが、今は探してもないと思うと尚更思い出されるのだ、たかがマッチ一つ、しかし、このマッチ一つで昔の事が昨日のように思い出されるから不思議、火をつけるためのマッチであるが、使ってしまえば捨てるだけ、しかし残しておけば思い出となるものだ。
 単に火をつけるだけの物ではなく、色々な思い出も残してくれるのがマッチ、それが今はなくなっている、それはタバコの減少が原因でもあるが、それよりはマッチも金がか掛かり、渋くなったのが現在の原因でもあるようだ。



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2020年06月28日

芝刈り

   狭い庭でも
 我が家の狭い庭、新築時に自分の好きな芝の庭を造ると決めDSCN2295.JPGていたので、早速芝を買いにホームセンターに行き、店員さんにどんな芝が良いのか聞いてみた。
 店員さんは色々な芝があるが、安くて扱いやすいのは高麗芝だと言われ、早速買い込んで庭に植えることにしたが、どのように植えればよいのか分からない。
 そこで植え方も聞くことに、店員さんはなるべくなら平らなところが良いと言い、そして水捌けのよい砂があると育ち易いとも言われた。
 早速川砂を大量に買い付け、トラックで家に運んで貰い、芝生を植える場所に敷き詰め、言われた通り平らな状態にして高麗芝を植えた。

 しかし半年が過ぎても芝生は根をDSCN2296.JPG張らず元気がない状態、それも殆ど枯れかけの状態で瀕死の域、何が原因かホームセンターに聞いたが分からないと言う。
 知り合いのゴルフ場で芝の管理をしている知人に聞いてみたら、水不足ではないのかと、しかし水は毎日散布していたはず。
 自分では水不足とは思わなかったが、結果は川砂が多すぎて水捌けが良すぎるとの結論、砂地が良いと言われたが良過ぎたのが原因であった。
 その後砂を入れ替え現在に至っているが、芝刈りが大変で何時も苦労しており、特に隅が刈れなくて四苦八苦、そこで隅専用のバリカンを買い込んだ。
 しかしこれも便利なようで中々面倒、その上直ぐに歯が切れなくなり、替え刃をしなくてはならず、このバリカンで確か10台目とおもうが芝生を育てるのも苦労する。

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2020年06月27日

溜まりすぎ

   ツイツイ録画
 見たい番組を録画して、暇DSCN2309.JPGな時に見たいと思いせっせと録画、そのおかげで番組を予約して録画、後から見る事が出来る様になった。
 今のレコーダーは番組を複数録画でき、以前のように一つしか出来ないことは無く、その為に逆に録画が増えてしまい、結構なDVDの枚数になったしまった。
 録画している時は別に気にもせず録画するのであるが、その録画を見るときに何でこんなに多くのDVDがあるのだと気付く事になる。
 イザ自分の撮っておいたものを見ようとDVDを探すも、直ぐに見いだせず何枚ものDVDを探す羽目になり、改めて数の多さに気が付く事になる。
 見たいと思って録画するが、後のことなど考えずに録画、そんな作業を何度となく繰り返した事でDVDの山が出来上がった。

 初めの頃は一回限りの録画DVDを使用しDSCN2310.JPGていたので、その数も多くなってしまい、又倍速で録画することも知らなかったので尚更増えてしまった。
 数が多くなると置き場所にも困るようになり、ラックを買い込んでDVDを整理もしたが、整理したものを見ようと、今度は探すのに苦労する羽目になる。
 思い起こすと以前のビデオテープの時代、録画しすぎてテープの多さに幻滅したことを思い出すが、その時の再現が今、昔の繰り返しをやっている。
 ビデオテープは厚みもあり、嵩張ることになるのでラックの数も自然に多くなり、置き場所にも困った時もあった。
 しかしDVDなら薄いからと思っていたが結果は同じ事になり、やはり置き場所に困る現実が今、情けない事に同じ繰り返しをやって、写真のような山が10個以上ある。
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2020年06月26日

きゅうりの値段

   どちらが安い
 我が家DSCN2306.JPGで毎年栽培しているキュウリ、プランターでの栽培であるがよく育ち、なかなかの収穫で朝の食卓に上るのだ、新鮮さが売りもの。
 今年も去年より収穫は落ちるが、新鮮なキュウリが取れているが、ここえ来て収穫が出来なくなっており、今年はこれで終わりかも知れない。
 今年の苗は昨年の苗よりも出来が良くなかったよう、昨年は多くのキュウリが収穫でき、沢山食べれたが今年は少ない。
 勿論プランターでの栽培だから、プランターの土も入れ替え、肥料も規定量を与え、去年と同じ状態で栽培したのであるが、出来が今一つである様だ。
 色々と考えたが去年の苗と今年の苗とは違いがあったようで、幾ら同じ苗でも同じ収穫があるとは限らないもの、それが自然であると思う。
 そんな話をしていると友人が、「キュウリなど栽培するより買ってきた方が早い」と、その上「手間をかけてまで栽培するようなものではない」と言うのだ。

 確かに彼の言う通りかも知れないが、スーパDSCN2307.JPGーで買ってくるキュウリと家で栽培したキュウリと比べれば、はるかに家で栽培したキュウリが旨い。
 するとまた友人「手間をかけて幾ら収穫するのか」、「何本収穫出来るのか」と言い出し、そして幾らお金が係ったのかとまで言い出した。
 面倒な栽培をして、幾らかの収穫をしても、その手間を考えたら遥かに買った方が安いと、現実の話をするのだが、確かに買った方が安いに決まっている。
 手間と時間を考えたらその方が生産的、しかし彼の言う安いからではなく、美味しいキュウリが食べられると考えるべきと思うから栽培している。
 友人、趣味だからそれはそれで良い、しかし少し位旨いキュウリより、安い方が良い、手間暇かけるのが面倒だと、確かに言う通りだが今年のキュウリ、写真の物が最後のようだ。
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2020年06月24日

木曽の架け橋

   木曽路の旅
 中仙道は江戸五街道の一つ、江戸から京DSCN2305.JPG都まで続く街道であるが、山道が多く続く街道であるが何故かしら姫街道と呼ばれている。
 東海道を避けてこの中仙道を旅したお姫様は多くいたと言われ、それが姫街道と呼ばれる所以でもあるらしい。
 然し山道が多く、ましてや難所と呼ばれる危険な場所も多くて、実際は非常に辛い街道であったよう、姫様達もさぞや苦労し多であろう。
 姫街道は表の東海道を避けなけれならない姫様達、時の江戸幕府は大名の妻子を江戸に人質として住まわせていたから、彼女たちの見張りは厳しく、特に江戸を出る時は厳しく見張ったと言われ、東海道には厳しい箱根の関所や新居の関所があり、出女を厳しく取り締まったから、必然的に中山道に道を取らざろう得なかったようだ。

姫様と言えば幕末の頃、皇女和宮はこの中仙道を通って江戸まで旅をしているが、その行列は語り草となって今に残っている。SANY0579.JPG
 皇女和宮の行列は朝から晩まで行列は続き、宿場は一日中行列が絶えることはなかったと言われ、その行列の長さと豪華さは歴史に残ると言われている。
 また松尾芭蕉は中山道を旅して幾つもの俳句を残しているが、この木曽の架け橋にも対岸に碑が立っており、一句詠ったもの。

 かけはしや いのちにからむ つたかずら

日本三大架け橋を詠った大きな碑がその名残を伝えている。
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2020年06月23日

国境

   今とは違うきそじ.jpg
 コロナの国境解禁で久しぶり出かけた島崎藤村のふるさと馬籠、中山道の宿場町として栄えてきた土地、長い坂道の途中に存在する集落であるが、その歴史は古い。
 中山道は江戸から京都に続く街道の一つ、東海道とは違い殆どが山の中を貫いている街道でもあり、別の呼び方は姫街道とも呼ばれていた。
 東海道よりも厳しい山道であるにも関わらず、姫街道と呼ばれたのは検閲の厳しい東海道を避けて女性たちがこの道を選んだことから来ると言うのだ。
 東海道は「入り鉄砲に出女」と言われる位に女子の出入りを厳しく取り締まり、武家の女性が江戸より出る事を見張っていたと言う。
 つまり武家の妻子を江戸に人質として住まわせ、出る事を禁じたからと言われ、その探索は厳しいものであったと言われる。
 特に東海道は検閲は厳しく、女性が旅をするには難しい街道でもあったと言われる位、検閲をしたのだ。

 コロナ解禁で尾張から国境を超え中山道くにざかい.jpgのほぼ中間あたり馬籠宿、ここが島崎藤村の生まれ在所、つまり誕生の地で現在も生家跡があり、観光客でにぎわっているが、この馬籠宿ある事でも有名になった場所である。
 馬籠宿とは長野県に存在する宿場町と昔の地図にはその様に記されているが、現在は岐阜県中津川市に属している土地である。
 つまり昭和になってから長野県から岐阜県に住民投票の結果、越境した土地として有名になった所、それを知らない人は今でも馬籠宿は長野県だと信じている。
 そんな証拠が写真の石柱、上の写真の碑の近くに美濃の国と信濃の国境の指標、柱にはハッキリと、ここが国境と記されているが、今はずっと下がって5キロほどの馬籠峠まで戻る事になってしまったが指標は現在もそのままの状態だ。
 つまり宿場ごと信濃の国から美濃の国に鞍替えをしてしまい、村を二分したこの選択は当時有名になり県境が変わったと騒がれた、しかし今はひっそりとした宿場町だ。

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