2019年08月19日

奇抜な造り

    コスト的に安いのか

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 友人がある時計を持って現れ、面白い時計が手に入ったとやって来たが、その時計について喧々諤々の論議がはじまる。
 久し振りに訪れた友人、珍しく時計も持参しているので、「その時計がどうしたのか」と問いかければ、ニコリと笑う。
 よほど嬉しいとみえ上機嫌であり、早速その時計を取り出して、自慢話がはじまり出し、これは長くなるともう一人の友人を呼んだ。
 勿論古時計好きの友人、その男はすぐにやって来たが、ここからが時計談議のはじまり、何時もの様に自慢話の花が咲く。
 確かに友人の持って来た時計は珍しいもの、最近では中々手に入らないもの、良く手に入れたものだと感心するが、それを言わない方が良い。
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 下手に褒めれば奴の思う壺、それから長々と自慢話を聞かなければならないから、だから褒める訳には行かないのだ。
 この男一旦調子に乗れば、長々と話が進み、酒がまずくなるからだが、後から来た友人もそんな事は百も承知しており、けなし始めたのだ。

 これも先制攻撃であり、奴の自慢を増長させては面白くもないから、それはお互いに知り尽した仲、増長させては都合が悪いと牽制しているのだ。
 そんな事はお構いなしに時計を持参した本人は、自慢したくてやって来たから、少しは聞いてやらないと気の毒でもある。
 すかさずもう一人の友人が、「お前にしては良い時計を見つけたな」とおだてに入ったが、それ以上は深く聞くとまずい。DSCN0404.JPG
 私が友人に態度で聞くなと大げさな仕草を、すると友人「分かっている、此奴は煽てるとつけあがるから」と大きな声で言う。
 言われた本人も「お前たちの魂胆は分かっている、悔しいからだ」と指をさして言う、確かにその通りであり、珍しい時計を手に入れられて喜ぶ訳がない。
 そんな事でこの時計の話しが進み、何で時計の裏にヤマト号時計製造所と書いてあるのだと、友人が言い出したのだ。
 この時計はと名古屋の巴商事が製造した時計、時計にともう商事の金具が撃ち込まれており、何でヤマト号時計製造所なのだと。
 私も一台持っているから、その時計を持ち出して、彼が持って来た時計と比べて、喧々諤々の論争が勃発してしまった。
 そしてこの時計はコスト削減のために製造された時計だと言い出し、次から次と意見が続出。
 これがはじまると酒の量が増えてしまい、時間は長くなるは、酒は飲むわ、終わる事のない時計談議が延々と始まるのだ。

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2019年08月18日

夏の味覚

    そうめんが1番。
 
 SANY0579.JPG何時までも暑い日が続きもおウンザリ、食欲も余り無い、冷たいものばかり食べたり呑んだりして、胃が弱くなっている。
  そんな時、手早く食べられて胃にもやさしい「素麺」が1番良い、麺類には色々あり「うどんやきしめん、蕎麦」といつた麺もあるが、やつぱり一番なのは「そうめん」だ。
  「うどんや蕎麦」と比べて細くて食べやすいのも其の要因、冷たい器に氷を浮かべ、ダシノ利いた汁につけて素早く食べられるのは「素麺」である。
  あの「素麺」独特の細さが、のど越しをスムーズにしている要素、うどんや蕎麦ではあののど越しは得られないのである。
  「素麺」は全国で製造され、兵庫の「揖保の糸」や奈良の「三輪素麺」小豆島の「素麺」、そして地元安城の「素麺」など色々な所で製造され、人の好みも其々だ。
  素麺が細いといっても産地によって太さが違い、地元安城の素麺は少し太め、三輪素麺は少し細めと違いがあり、私は極細が好みで「細くて腰があり」、「のど越しの良い素麺」が1番好きである。

 冷たい水で冷やした素麺は又格別、「こりこり」と噛み応えもあり、するりと喉を通っていく感覚は夏ならではの素麺の味でもある。SANY3052.JPG
 
 そして、もお1つ楽しみがあるのは、素麺の中に彩りに入っている色の付いた麺、真っ白な素麺の中に虹色の七色入った麺がある。
 そんな素麺が店屋で出てくると、暑くてイライラしている気持ちも何故かしら和らぐのと、涼しさが増した気分になり食欲も湧いてくる。
  別に他の素麺と味が変わっているわけではなく、只、麺に色が付いているだけであるが、其れと出会うと嬉しくなってくるのは何故か。

日本人は料理を目で味あうとも言われるとおり、一束の白の麺中に2、3本色が少し付いているだけの演出で料理が引き立つ、正に其れである。
 色1つで味が変わってしまうのも演出に他ならないが、それが又、味を左右するとは不思議なものだ。


 
 
 
 
 
 

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2019年08月17日

懐かしいもの

      なくした物が

 SANY5156.JPG先日、我家の孫が椅子の下から見つけたものを持って、「おじいちゃん、これなぁ〜に」と言って差し出したものが、探していた玩具の時計、昔集めた玩具の時計、たまたま友人が来ていた時、話の中で玩具の時計を私が沢山持っている事を知っていて、その時に懐かしいから出して見せろと。
 別に彼がこんな玩具を集めている訳ではなく、彼はプロとして見せてくれとの事だ、大した物で無いものが面白いと、其れで見たいとの事だった。
 彼は商売の為に見せろと言っているのでなく、自分も子供の頃に見た懐かしさから出た事、ほかに時計の玩具だけでなく、グリコのおまけ等色々見せろと。
 その中の時計の玩具を特に見たいとの事、何故かと言えば彼もまた孫がいて、その孫に見せてやりたいとの事でもあったが、今一ピンと来ないものがある。
 こんな玩具の時計を何故孫に見せてやりたいのかと質問、すると友人「孫にはクオーツの腕時計を幾つか買ってやった」と、そして、その話の中で「昔玩具の時計は動かなかった」と話したらしい。

 その孫が「動かない時計なんかある訳ないと」言って不思議がったから、昔の動かない時計を見せて、話が本当の事だと立証したいらしい。
SANY5167.JPG おおげさな話だが、彼にしてみれば孫が自分の話を信用しない事がショックらしく、実物を見せて納得させたいらしいのだが、果たして上手く行くのか。
 玩具の時計、今の子供の見せても果たして分かるものなのか、うちの孫も同じて゛、玩具の時計を見ても、其れが本当に時計なのか疑問を抱いたいるらしい。
 こんな形の時計は見た事もないし、軽くて、大きくて、針は短針も長針も当時に動いてしまい、今の時計とはかけ離れているからだ。
 形こそ時計の形をしていても、本当の時計でないと思っていることは確か、だから何んだろうと、不思議な物に見えるらしいのだ。
 我々には懐かしい玩具に思えるのだが、世代が代われば、そんな事実も通用はしない事を、改めて思い知らされたものだが。
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2019年08月16日

送り火

   先祖の霊

 日本の宗教行事盂蘭盆会、旧暦の8月13日から16SANY0628.JPG日までをお盆と言う、日本各地で模様される宗教行事であり、様々な様式があるが先祖の霊を迎える儀式。
 最近は7月に行う所が増えてきたが旧盆に行う所も多く、それに向けて全国的に帰省ラッシュが出現、大混乱に陥る。
 高速道路は大渋滞、鉄道や飛行機も満席状態で故郷に向かう人々、年に2度の帰省ラッシュが繰り広げられる。
 正月とお盆、年2回のために日本中が帰省ラッシュになるが、特に夏のこの時期は一番暑く、帰省するのも大変だけど毎年繰り返されている。
 今と昔では帰省の意味も違って来たが、故郷に帰ると言う習慣は今も続いているよう、久し振りの帰郷、懐かしさと楽しさ、これが人々を故郷に向ける要因かも知れない。
先祖の霊はキュウリの馬に乗って帰って来るが、何を目指してくるかと言えば自宅の前で炊く松明の火を目指してくると言われている。
 つまり迎え火、13日の夕方家の前で松明を炊き、先祖の霊を迎えるのだが最近では中々見受けられなくなってしまった様だ。
 昔は各家庭で松明を炊いていたから、先祖は何で自分の家が分かるのだろうかと子供心に不思議に思っていた事もある。

 そして16日には先祖の霊がなすの牛に乗って帰って行くが、その時に焚くのが送り火、この炎に乗って天上界に帰ると言われている。
 この送り火、全国各地で行われているよう、秋田、岩手、栃木、山梨、神奈川、静岡、奈良、大阪、など送り火で有名だと言うのだ。
 しかし何といっても大きさと言い、歴史と言い、京都の送り火は最大、平安時代からだとも言う、大の字の送り火は弘法大師の大の字とも言われ、「如意が岳」、通称大文字山には弘法大師の祠があり、そこを起点に五山の送り火がはじまる。
 何故大の字かとは色々に説があるが弘法大使説が有力、それも一番古いとも言われているから、この送り火が全国に伝わり、お盆の送り火となったようだ。
 その大きさは最大で160メートルと120メートルの大の字のはねの部分の大きさ、やっぱり大きな大の字のだ、思っていた以上の大きさ。
 それにしても京都の送り火は最大級、時計の逆回りに5つの山に順に点灯して行く様は正に圧巻、京都の夏を彩る風物詩でもある行事、これが終わると暑さも和らぐと言われているが、果たして今年はそおなるだろうか、今年の夏は暑いのだ。
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2019年08月15日

リアルすぎる

   ボトルの中の
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 またまた瀬戸で製造されたウイスキーボトル、数多くのボトルが製造されたが、その中でも飛びっきり精度の高いものがこれ。
 ウイスキーボトルは磁器で製造され、国内外からの注文がひっきりなしに、そんな時代のボトルの中、一番の出来がこのボトル。
 色々なボトルが造られてはいるが、大抵のボトルはソコソコの出来、細部的にこだわって製造するのではなく、リアルさも程々のもの。
 普及品から高級品まで様々であるが、高級品はボトルを造る時も原型から拘って製造されるのが普通。
DSCN0351.JPG 一つ一つは手造りで仕上げるが、拘れば拘るだけ原型も手が込んでくるから、その分職人も手が抜けないのだ。
 原型師は見本を蝋型と呼ばれる様に蝋で造り、型を起こすのだが、この型は石膏で出来ているのも出、高級品になれば型もピースが多くなる。
 単純の型から、細部にまで拘った高級な型まで色々あり、この型は非常に高級な型で造られている。
 複雑なものになると型は多くの部品で分かれることに、例えば足が4本あれば、型の数は倍に増える事になる。

 足を抜くためには型も細部に渡らないと抜けないので、切り込みを多く造り、本体を抜きやすくするためだ。DSCN0349.JPG
 足がなければ両サイドから2つの部品で抜けるが、4本足がある事により、切り込みを多く必要とするのだ。
 今回のボトルがまさにその4本足、しかし脚だけで馬の体重を支える事は出来ず、支えるために土台を付けられている。
 4本脚だけでは重みに耐えられないため、やはり型造りも大変、職人の腕の見せ所、とこで切り込みを入れるかも職人次第。
 そしてもう一つが、彩色であるが、ケバケバシイ色使いは禁物、勿論落ち着いた色彩のもので造り上げるのだが。
 ボカシも入っており、手間がかかる仕上げに、見た目にはさほど変わりがないものに見えるが、何回か色を塗り、強弱をつけた上でボカシをするのだ。
 馬の体もリアルに、そして躍動感にあふれるものに仕上げられており、このボトルが手の込んだ造りになっている事を物語っていおり、このウイスキーボトル、海外からの特注品、国内に出回る事のないものだ。





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2019年08月14日

蕎麦回想

   郡上の平甚

 何回も出て来るがこSANY0612.JPGこ平甚との付き合いは非常に長くて、私が大学時代すでに通っていたから少なくとも50年以上になると思うが、それ以上かもしれない。
 スキー場に行く途中立ち寄っていたから、やはり大分昔の事になり、半世紀を過ぎているのだと思うと長い。
 まだ先々代が生きていたと思うが、確か頑固な親父である有名な陶芸家か訪れた際にも、順番は順番と店の外で待たせた事も、どんな有名人であろうが客として来れば順番に従ってもらう、他の客とは区別しないのも頑固親父の所以であるのだ。
 確か私が最初に行った時も、店頭の狭い蕎麦打ち場で蕎麦を作っていたと思うが、確かに頑固親父であった。
 先代とは店にある逆さ時計の話で盛り上がり、何度となく親父と時計を譲れと話を繰り返したものだが、結果は未だに手に入っていない。

 そんな親父が進めたのは以外にも蕎麦がき、親父曰く「昔の人は、この蕎麦がきを食べていた」と言う、今我々が食べている蕎麦の姿は江戸時代に入ってからだとも言うが、そんな頑固親父の勧めで、ここに来るときは蕎麦がきを食べる事にしている。SANY1021.JPG
 蕎麦がきは器の中に茹で汁をはり、湯の中に浮いているかの様な状態、この蕎麦掻を知らない人は不思議そうに見る時もある。
 わけの分からないものが出て来たかのようなそぶり、一緒に行った友人でも「なんだこれ」と聞いたくらいだ、しかしこの蕎麦がき、出し汁につけて食べると旨い、もっちりとして歯ごたえもよく、食べ進むにつれて蕎麦の味が深く、それに一人前と言うが、何だか蕎麦切りよりも量は多いようで、腹にドッシリト来るので、ざる蕎麦を食べてから、こいつを食べれば腹持ちもよい。
 平甚といえば蕎麦がき、頑固親父のおすすめの逸品だと思うが、なかなか蕎麦がきを注文する人がいないのだ、郡上の平甚に行ったなら絶対に蕎麦がきを食べることをお勧めするもので、一度食べたら蕎麦のおいしさが一番良く分かると思う。
 
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2019年08月13日

値段が知りたい

    是非手に入れたい

 古時計愛好家にとって自分の欲しい時計は是非とも手に入れたいのが人情SANY0370.JPG、人とは違った時計を欲しいと思うのもまた自然。
 古時計愛好家なら誰しも思う事、しかし現実は中々うまくは行かないもの、欲しいと思っていても手に入らないのが常である。
 それには色々な条件が重なるからだが、イザその時計が出たとしても値段がべら棒に高くて、それを手に入れられない事もしばしばだ。
 個人差もあるが、その時計の妥当な値段と言うものがあり、ソコソコの範囲であれば妥協もするが、それがべら棒に高くては手も出ないのだ。
 幾ら欲しくても自分の出せる範囲があり、それを越しての値段であれば諦めるしかないのだと思う、誰しもそんな思いをした事があるはず。
 私自身も何度か経験している事、欲しくて仕方がない時計だが、そんな値段ではとても手が出ないと、自分に言い聞かせて諦めるしかない。
 そんな事が何度もあったが、それが当たり前の世界、自分に出せる範囲は決められているから、それ以上はどうしようもないのだ。

 ある知り合いが、蛎殻町製造の時計を見つけて来て、どうしても手に入れたいが幾らで買ったら良いのかと聞いてきた。
 聞けばコレクターの持ち物だと言い、譲っても良いとの返事だが、問題は値段だと言う、先方は値段を提示して欲しいと言っているらしい。
 SANY0374.JPGそれで私に幾らで買えば良いのかとの相談らしいが、之は難しい相談でもあるから、一概に値段の提示は出来ない。
 何故ならば相手がその時計の評価をどれくらいに設定しているか、その設定値段がある程度分からないと失敗する。
 誰しも安く買いたいと思うが、相手がある事、それを無視すれば手に入らないことは察しが付き、そうかと言ってべらぼうの値段では。
 本人にどれくらいなら出せるのかと聞くしかなく、幾らなら買えるのかと逆に聞くことに、すると知り合いは世間一般の値段よりも高く買うと言い出した。
 その時計の程度は見ていないから何とも言えないが、常識的な範囲の値段を教え、それよりも少し高い値段を提示してみろとアドバイス。
 結果の話は決裂したみたいで、本人が思っていた値段と開きがあり過ぎたらしく、知人もガックリとしていたが、自分の出せる範囲以上であれば諦めるしかない。
 古時計とは需要と供給のバランスの上に成り立つもの、そのバランスが非常に難しく、運としか言いようがないものだと思う。



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2019年08月12日

盆踊り

    今年も始まった

 SANY0286.JPGこの地域の盆踊り大会がまた始まり、夕方から聞こえてくる太鼓の音、暑い風に乗って聞こえて来る。
 暑い日中から少し涼しくなる夕方、盆踊り大会がはじまるのだが、人が多く集まればやっぱり暑い、それを吹き飛ばすような太鼓の音、何故かしらこの音を聞くと涼しく思えるのは不思議、心が浮き立つためだろうか。
 人の心に響く太鼓の音、この太鼓の音は何で心に響くものだろうか、やっぱり不思議なもの、しかし心は躍る太鼓の音とは、そんな気にしてくれるものなのか、あのリズムがその様にさせるもの、それが太鼓だと思う。
 盆踊りと言えば櫓、高い櫓を組み、その上で太鼓をたたく、これが盆踊りのスタイル、そして重要なのは提灯、祭りと言えば太鼓と提灯、二つとも祭りには欠かせないものであり、どちらか一つ欠けても雰囲気が台無し。
 盆踊りと太鼓ね櫓と提灯、あとは紅白の垂れ幕があれば最高の会場となるのだと思う、昔から伝わってきたスタイル。

 日本全国で盆踊りはこの時期盛んに行われるが、これも先祖の霊を迎え、庶民が踊りを踊った事に始まる。SANY1663.JPG
 盆踊りの起源は色々な説が言われているが、盆踊りは一般庶民の楽しみでもあったようで、藩主もこの盆踊りを奨励したと言われる。
 庶民が不満を持たないようにと、捌け口の一環として盆踊りを利用して、不満を和らげたとも言われる。
 盆踊りとして大規模なものは岐阜県郡上の盆踊りが有名、その規模と人出は他地域を圧倒しているのだ、その規模はやっぱり日本一、兎に角人が多く数万人と、誰でも参加できること、それを助ける人々が多くいる事、哀愁にみちた郡上節は藩主自ら庶民と楽しんだとも言われ、それを現代まで受け継がれているのだ。
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2019年08月11日

岐阜提灯

    美濃和紙で造る
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 提灯、歴史は古く平安時代には既にあったとされるが、一般庶民の使うものではなく、宮中で使われた。
 やはり中国よりの伝来もの、今の提灯とは形は少し違っていたもので、その後神社やお寺でも使うようになる。
 岐阜で提灯が製造されるようになるのは慶長年間、この頃から岐阜で提灯が製造され尾張藩に献上されていた。
 岐阜提灯は竹ひごが極細で繊細の造り、その上に張りと呼ばれる美濃和紙の薄い紙を張り付ける。
 この薄い美濃和紙は丈夫でありながら、灯りをともすと光が柔らかく透けて見え、上品さが引き立つ提灯。
 その提灯にやがて美しい絵が描かれるようになり、ますます洗練されて行くことになるが、現在のものとは少し違っていた、現在の姿となったのは宝暦年間の頃だと言われ、この頃には非常に繊細な提灯の姿となる。SANY1706.JPG

 職人たちは競って極細の竹ひごを使い、ますます繊細さをまし、摺り込みと呼ばれる技術を用いる事になる。
 伊勢型紙を用いて図柄を選定、この型に絵具を摺り込んで行き、ぼかしなどの技法を用い細かな絵を描いた。
 この摺り込まれた絵は灯をともすと、摺り込まれた絵が浮き上がり、岐阜提灯独特の雰囲気を醸し出す。
 出来上がった提灯は尾張藩を通して将軍家の献上品として江戸に運ばれ、岐阜提灯の名を全国に広める事になる。
 岐阜提灯は形も独特なもの、ウリ型をした上品な形は上流階級に支持されて、高級品の名を高める事に。
 しかしまだ多くは製造されず、まして一般庶民の手の届くものではなかったが、明治に入り明治天皇が岐阜に行幸された折り、岐阜提灯を掲げて迎え、この事が全国に広まり、一般庶民も憧れの提灯として広まることになり、その後岐阜提灯は大量に製造されることになる。

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2019年08月10日

明治の教科書

    時計の紹介

 新政府は改暦後、学校において時計の紹介や読み方について詳しく勉強さSANY4238.JPGせているが、それは親よりも早く時計に接する事だ、親よりも時計がよく分かった。
 新政府は外国から新たに西洋時計を大量に輸入、日本各地の公共施設に配布、近代化を推し進める意味で時計を利用した。
 勿論、役所の時間は改暦後、西洋時間となり、就業時間をキッチリと定め、時間管理を厳しくする、その一環として教科書に時計の解説を定め、子供たちから西洋時間に慣れさせるべく、教育を行ったのだ。
 当然、子供たちの方が親よりも早く西洋時間に慣れ、時計も身近なものとして接していたが、当時時計は高価であり、親たちは余り時計に接していない。
 公共施設には時計が置かれ、西洋時間となっていたが、一般庶民は昔のままの生活を続けていたのである。
 本当の意味で庶民が時計と向き合うようになったのは明治中期、一般に西洋時計が浸透し始めてからの事。

 面白い話も残っており、子供たちは学校で読み書きの学習をしているから、当然読み書きは出来るが、しかし親たちは字が読めない人も居たとの事。SANY4245.JPG
 当然、時計も時間が分からない人が居たのだと思う、それに引き換え子供たちは時間も正確に読めたのであろう。
 子供が親に時計の読み方を教えたと言う、そんな冗談みたいな話も、事実あちこちで当時は展開されていたようだ。
 嘘みたいな本当の話し、子供たちの方が逸早く文明開化の先駆けを担った事は確か、其れもまた新政府の狙いでもあったようだ。
 近代化を推し進めるのには若い力が必要であり、頭の固い大人よりも、柔らかい頭の子供の方が早く吸収するからである。
 写真は明治時代に小学校で使われていた教科書、その中の時計を紹介している文章、色々な時計をイラストにして解説をしている所、実際の時計を図にして、何時何分の読み方を一つづつ丁寧に教えている事だ、これにより子供たちは時間を正確に読めるようになる。
  
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2019年08月09日

うどん

      日本3大うどん

SANY7992.JPG 麺類には拘りがあり、自分好みの麺を求めて全国食べ歩いた事も、行く先々のご当地麺の美味しい所を探しながら、兎に角良く回ったものだ。
 その多くは蕎麦が主体で、蕎麦の美味しい所を求めて北から南と、そんな訳で大抵の全国のそばを食べ歩いたと思っているが、日本はまだまだ広いもの。
 まだ食べていない蕎麦が多くあると思っているのだが、これからもそれを求めて食べ歩きたいもの、美味しい蕎麦は何処に行けば良いのか。
 蕎麦の歴史は中々難しくて、私の知っている限りでは木曽の定勝寺の古文書による、戦国時代のものが現在の時点で最も古いものだと思う。
 寺の改修時に蕎麦切りを振舞ったと書かれた古文書、これが現在確認されている蕎麦切りの事実を伝えた証拠、この辺りが蕎麦切りの発祥の証しだと言う事。
 その他の地域のものは、言い伝えだけのシッカリとした立証に基づいたものではない事から、木曽地方が蕎麦切りの発祥地とされている。
 この木曽から信州北部へと蕎麦切りは伝わり、信州が蕎麦切りの盛んな地域となり、その後全国に伝わり、現在のような全国的に蕎麦が食べられる事となる。

 一方、うどんもまた中国より伝わった食べ物と云われ、僧侶によって広められたとも言われるが、色々な説も存在しており、発祥地も数々ある。
 日本3大うどんとは、讃岐うどん、名古屋のきしめん、秋田の稲庭うどん、この三つが日本の3大うどんと呼ばれているもの、
 今回の稲庭うどん、秋田湯沢で作られたうどん、その歴史は1600SANY7994.JPG年代に遡ると言われ、古くから作られてきたようだが、一般の食べ物ではなかったとも言われ、上流階級のものであった。
 一般に食べられるようになったのは明治に入ってからとも云われるが、その歴史はやっぱり古いもの、油を使わない乾麺であり、うどんの中に空気を含ませる独特の製造方法。
 一子相伝の秘伝で製造されたうどんだと云うが、その喉越しは滑らかと腰の強いうどんで、1度食べると止み付きになる美味しさ、良く角館で食べたものだった。
 讃岐うどんとも違い、少し細い面、冷麦よりは太いが、やっぱりあの感触は冷麦とも違うもの、稲庭うどん独特の腰と味、何時食べても旨いうどんである。
 稲庭うどんの特徴は柔らかいが腰があり、何とも言えないあの喉越しにあると言って良いが、あれはうどんの中に空気の層が入れてあり、茹で上がった後の喉越しにも影響を及ぼすのだと言う。









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2019年08月08日

蕎麦

   蒸籠と笊

SANY0504.JPG 蕎麦、日本人に親しまれてきた食べ物の一つ、古くは古墳時代に遡ると言われ古墳から発掘されており歴史は長いとも言われている。
 只、蕎麦と言っても現在の食べ方ではなく、蕎麦の実をそのまま食べていたと言われ、その後茹でて食べていた様だとも言われている。
 遺跡からは数々の証拠が出てきており、やはり古くから食べられていた様だが、主食として食べられたのではないと言う。
 その後中国より渡来してきた食べ方をするようになるのは奈良時代からだと言う、しかしこの当時も現代の食べ方とは違ったものであった。
 蕎麦の実をふづして粉状にしたのは室町時代になったからだと言う、うどんの伝来とも関係しているらしく、詳しい事は分かっていない。
 食べ方としては蕎麦の実を粉状にしたものをお湯で溶き、蕎麦がき状態にして食べていたのではないかと言われている。

 当時も上流階級の食べ物ではなく、下々の人々のSANY0586.JPG食べ物とされていた様で、雑穀米の一つであったが飢饉用でもあったらしい。
 そんな蕎麦の食べ方、時代とともの変化して行き、現在の形になったのは江戸時代になってからと言う、蕎麦がきなどで食べていたものをうどんと同じように棒状にした。
 蕎麦切の始まりで急速にこの食べ方が全国に広まり、庶民に受け入れられそれ以後一般の食べ物として普及したもの。
 当時は蒸籠で蒸したものが主流、つまり茹で上げたものではなく蒸して蒸籠のまま客に出していたもので、現在のようになったのはその後の事。
 蒸籠で出していた時と茹でて笊で出した時とでは少し時代が違うが、後世には蒸籠で出す処と、笊で出す処に分かれて行ったと言う。
 その名残で蒸籠と笊の名前が付いているのだと、そんな時代の流れが蕎麦の名称にも影響して、現在に至っているが、笊でも蒸籠でも蕎麦の中身には関係なく蕎麦切である。

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2019年08月07日

流行とは

    何時の時代でも

SANY3010.JPG 流行とは恐ろしいもの、あっという間に世間に広まり、何故かしら人々に受け入れられ、浸透して行くものなのだ。
 老いも若きも流行には弱いもの、何時の時代も同じ事、昔から流行病の様なものと言わるくらい伝わるのだ。
 昨今、車など来年の流行のデザインが紹介され、それを見ると各社同じような物を造り出している事に気付く。
 車で言えば全体のラインとかライトの形とか、テレビや電化製品も又同じようなものが販売される予定だ。
 そんなもののデザインを見てみると、何処となく良く似たもの、それが流行だと言わんばかりに同じだ。
SANY2836.JPG
 勿論商売であるから当たり前と言えば、それで終わってしまうが、それでも真似ではないと主張するから面白い。
 ある車の展示会でテレビの司会者が「何故良く似たデザインではないか」と聞いたことがあるが、その答えは「まったく似てません」と主張していた。

 「わが社独自のデザインで、他社とは関係ないものです」と力説、しかしどう見ても良く似たもので、素人でも察しが付く。
 それが流行と言えばそれで結論は出ているが、それを良しとして受け入れる我々もおかしいと思うが、それが流行か。
 時計の世界でも同じような物であり、明治以後数々の流行を生み出してきたが、面白いように各社が同じものを出しているのだ。
 SANY3014.JPG例えば時計のガラス絵に女性の姿を描いたものが出れば、ここぞとばかりに各社同じものを製造して市場に送り出す。
 写真の時計、同じ時期に製造されたもので、各社から出された時計の一部、面白いのはどの時計にも馬の絵が描かれている事だ。
 これは勿論アメリカ製の時計の物をコピーしたもの、そのデザインの時計が売れ出し、日本の時計製造会社もこぞって、その姿の時計を造り出したのだ。
 写真で見て何処が製造した時計なのか、サッパリ分からないもので、良く見ても同じような絵が描かれている。
 同じ時計ではないのかと、逆に質問されるくらいに良く似ているもの、縁の図柄が微妙に違い程度。
 果たして皆さんは何処の時計か判断が出来ますか、ズバリ当てられたら博士、それがどれだかサッパリだ。
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2019年08月06日

すぎだま

    新酒の出来

 良く造り酒屋の軒先に、茶色の大きなボール状のものが吊るされているのを見たことがありますか、昔は殆どの造り酒屋の軒先には掲げられSANY2911.JPGていた。
 最近では余り見られなくなったが、昔ながらの杉玉を軒先に吊るしているところもあり、ここが造り酒屋と分かるようになっている物、この杉玉、名前を「酒林」と言うそうな。
 本来の意味は酒の神様に新酒の出来お祈りして、杉の穂先で大きな玉を作って、軒先に吊るして酒の神様に捧げたもので「酒林」と言われる物だ。
 青々とした杉の葉でボール状の玉を作り、店の軒先に吊るしていたが、本来の意味よりも新酒が出来た合図みたいになってしまっているが、元々は奈良酒神大神神社の三輪山の杉で、杉玉を作り神様に捧げたものだ。

 酒神大神の杉は神聖な物とされ、その神聖な杉の葉で作られている杉玉であるから、ご利益があるとされ、造り酒屋の軒先に吊りし神に祈ったもの。
 造り酒屋の看板でもなく、毎年新たに作られるのが本当の形、しかし現在では酒も杉の桶で新酒は作らず、まして杉玉を毎年作る造り酒屋はなかなか無いと思う、時代だと言ってしまえば其れで終わりだが、新酒の出来は人間の力で出来る物ではなく、酵母の働き如何に掛かっているもの、人の力で無いからこそ、酒神大神に御願いするのだ。

  極 楽 は  何 処 の 里 と 思 い し に  杉 葉 立 て た る  又 六 が 門
  
 そんな風習も、近代的に酒を作るようになり、神の存在を忘れてしまったようなもの、日本人の持って生まれた優しい心は、既に失われて行ったのか。
 現代経営の酒造りには、酒神大神神社の存在は忘れ去られて、商売優先の厳しい世の中になったしまったらしく、風習も忘れ去られようとしている。
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2019年08月05日

見た目と違う

    球体の時計

DSCN0281.JPG ボール型の置時計、その仕組みはどんな風になっているのかとの質問が多くあったが、そのままになってしまった。
 以前に紹介した時はさほどでもなかったが、その後質問が多くなり今回その答えをしなくてはと思い、置時計を出して見ることにした。
 私も分解して詳しく見た事はなく、手に入れてからそのままに置いてあったもので、別に疑問も持っていなかった。
 只、質問されると知らないとは言えなくて、詳しい所は濁して答えていたが、自分も知らない事にやばいと感じていたのは確か、そこで今回分解して見る事にしたが、そんなに難しい組立ではなく、簡単に外れるような設計に自分も驚いた。
 普通の時計だとネジを多く外さないとカバーが外れず、何本かのネジを外し、後からネジを探す羽目にもなったが、それが普通の時計の仕組み、この時計思っていたよりも簡単で、ネジ一個で外れる事にビックリ、メンテナンスにはうって付けの設計だ。

 置時計はこの様に簡単に外れなければ、素人にはめんどくさくて、DSCN0287.JPGメンテナンスに苦労する事になるのだがそれがこの時計には無い。
 これを設計した人はその事をよく知っている人、素人にも簡単に外せ、メンテが出来るように、有り難い設計をしたものだ。
 まず質問の多くはネジが何本ついているのかとの事、結果は一本だけ、それさえ外せば後は簡単に外れて行くのだ。
 機械は普通の物と同じ形式の置時計の簡単な機械、ただ長針と短針の長さは異常に長い、当然だが球体の形だから、中心から距離があるものだから長くなっている。
 勿論ネジを巻く方も長い心棒が使用してあり、前後に長く突き出している形式、種明かしをして見れば簡単な事だが、球体になっていると、どんな仕組みかと疑問に思ってしまう。
 写真左右の外側を一体化するには、前面に付いている突起物と、後部に付いている切り込み部分をスライドすれば結合完了、機械だけは三本のネジで前面の本体と事てされているので、このネジが一番多いネジ、兎に角簡単に設計されている時計だと思う。
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2019年08月04日

堀田版時計絵図

    色々な人物が

DSCN0295.JPG 堀田版時計絵図、人気の版画であり古時計愛好家から信頼を集めているもの、多くの人が一つは所有している版画である。
 私も知人から紹介て貰いか鈴多くの版画を所有し、その都度展示会に展示していたが、その度に是非とも譲って欲しいと懇願された。
 愛好家からは伊藤深水のものが良いと評判で、深水の版画の前でこれが欲しいと懇願させ、結果は譲る羽目になってしまった。
 そんな事で深水の版画は数が激減、今は数点のみとなり、逆に之では展示に差し支えると、又探し出す事になってしまった。
 その時は懇願され、断るのに必死であったが、押しの一手で来られ、結局は根負けして譲る事に、それも買値よりもはるかに安く。
DSCN0298.JPG
 何でそんな事になったのかと言えば、会場では多くの人が居るために、金銭の事は余りしたくないので、結果はその様になってしまう。
 自分なりに情けないと思うが、それもなんかの縁と思い、自分でも若い頃はそんな事をしていた記憶があり、気持ちも分かるからだと思う。
 堀田版は伊藤深水のほか、金森や川上、そして神崎などの先生が手掛けられたものが、時代と共に作者も変化して行った様だ。

 私の一番好きな物は和時計が背後になる、伊藤深水の版画とフランス人形が描かれたもの、深水の力量が一杯あふれたもの。
 やはり堀田版の絵図は深水物が一番、特に芸者の艶やかさが飛び抜けて良いもの、量産品とは思えないほどの出来だ。DSCN0297.JPG
 今回の版画は昭和59年の版画、神崎温順画伯の版画、西洋の時計売り、肩に担いで時計を村々に売り歩く姿を版画にしたもの。
 この姿の時計商は色々に人が描き、色々に文献にも見にする事があるが、その人その人の描き方が違う、そこが面白い所でもある。
 実際にはどけだけの時計を担いで行商していたのか、重い時計であるから、そんなに多くの時計を担いで歩けないと思う。
 昔の人は良く歩いて村々を回っていたと思う、それしか交通の手段がなかったからだとしても、大変な仕事であったろうと思うが。
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2019年08月03日

毎月が勝負

    話題が色々と

 毎月連載している小さな蕾、今回で69回となるが長い様で短い期間であDSCN0599.JPGったよう、はじめた頃はそんなに苦労しなかった。
 もっとも長く続くとは思っていなかったし、さしあたって1年やれば良いと、簡単に思って引き受けたのだが、次々と原稿が進むうちに、次第に文章が出てこなくなり、同じような文章になり出し、これではいけないと思う。
 簡単に引き受けてしまった事を次第に、「気楽に引き受けた事に後悔しだし」とつぶやくようになり、それは自分が簡単に考えていた事、短い文章であり、そんなに苦労する事もないし、1か月ごとだからと思っていた。
 しかしやって見ると次第に事の重大さに気が付き、読者がいる事にプレッシャーが募り出し、何時の間にか文章が出てこない事に。
 短い文章で簡略的に伝える文章をと思うが、それがなかなか出てこなDSCN0602.JPGくて、次第に焦り出す事になるのだが、一つの時計について事細かく書けばよいのだが、短い文章でしかも分かり易くとなると、これが意外と難しい事になる。
 専門的な事を書けば簡単と思っていた時は良かったが、読者は時計に関しては素人、そんな人達に分かるようにと思うと、やはり文章が出てこない。

 そんな事を思い出したら、ぴたりと文章が出てこなくなり、その先が進まなくなったしまい、どうしたら良いかと思い出す、すると益々出てこなくなり、時間が迫ってくれば尚更な事、早く書かなければ締め切りに間に合わなSANY0469.JPGいと焦り出す。
 幾らでも時計の事だから簡単に書けると思っていた自分、しかしそんなに簡単ではない事に気付きだし、これで良いのかと何回も書き直す事に。
 書き直せばするほど益々ダメに、こんな事は夢にも思っていなかった事に、小説家とは大したものだと思い出す事に。
 何であんなに簡単に文章が出て来るのか、それも専門的な事がすらすらと、それに引き換え自分は全く出てこないから。
 当たり前だが私は小説家でも専門職でもない只の人、そんな自分が書けるはずもないとつくづく思うように。
 その上、同じ文章にならない様にと思えば思うほど、良く似た文章になるから不思議、これも素人のなせることなのか。
 そんな思いで6年が過ぎてしまったが、今思うと、これで良かったのかそんな事を思いつつ原稿を書いている。




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2019年08月02日

麦藁細工

    懐かしい物 

 SANY1025.JPG麦藁細工、麦の茎を天日でかわかし、其れを素材として虫籠や動物を作って湯治場のみやげ物として売ったのが始まりとされており、その歴史も古い。
 東京大森宿で江戸中期麦わらを五色に染め、それを箱物に貼り付け細工物として、東海道を行き交う旅人にみやげ物として売り出したのが始まりとされ。
 一方兵庫県城崎温泉も同じ頃、因州(現在の鳥取)人で半七なる人物が城崎温泉に当時湯治に来ており、半七は湯治の代金を得るために麦わらで細工物を作り湯治客に売り出した。
 それが評判を呼び、やがて箱物と称せられる細工物を作るが、その技術を何処で習得したかは不明であるが、東京の大森宿の麦わら細工を、半七が知っていたとすれば理解できよう。
 技術経路は兎も角も半七が城之崎温泉で麦わら細工を作ったことは確かだ。
SANY9623.JPG
 城崎温泉のおみやげ物として麦藁細工は定着して行き、商品構成も徐々に多く特に箱物は手が混んでおり、麦わらを立てに裁断して平たい物にし
て、色々な箱に貼り付けてゆく。
 細かな図柄になると彩色された麦わらも細かく、量も多くなり繊細な技術が要求されるが、その割には土産物としての評価しかなく、芸術品として認められなかった。
 現在では東京の大森では、麦藁細工を作る職人はいなくなり、兵庫県城崎温泉の麦藁細工が唯一の物、職人さんも現在は5、6人しか存在しなくて、将来存続が危ぶまれている。
 写真の麦藁細工は土産物の普通の物、特に細部に手の混んだ物ではなく、安い細工物であるが何処となく懐かしい雰囲気を持っている出来上がり。
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2019年07月31日

ペコちゃん2

    独特のキャラクター

 企業物のキャラクター、色々な物が存在しているが、人気の高いSANY9764.JPGものにペコちゃんがあり、不動の地位を保っている、言わずと知れた不二家のキャラクター、店頭に置かれたペコちゃんが子供たちを待ち構えており、人気は高い、愛らしい独特の顔、あの舌をペロリと出した何とも言えない可愛らしさ、スタイルも又いい味を出しているのだ。
 頭でっかちのペコちゃん、何頭身だろうかと数えてみたが、4頭身くらいかなと思われ、スタイルは良く
勿論人形としてのスタイルは、これが最高かと思うくらいによい、あのバランスだから人気だろうと思う。
 あのスタイルが8頭身美人だと、やっぱりピンと来ないと思うが、作って見ないと分からないが、ヤッパリ良くないと思う、本来はペコちゃんとぽこちゃんの2人が主役、しかしペコちゃんの方が人気が高い様で、何時もモテルのはペコちゃん、勿論、ペコちゃんは女の子、ぽこちゃんは男の子だが、やはり女の子の方が人気、あの黄色い色のTシャツ何時もペコちゃんは黄色のTシャツを着ているのだが、ズボンは真っ赤なものを履いており、見た目にも可愛らしいのだ。

 当初からこのスタイルだけだと思っている人、それはペコちゃんを本当の意味知らない人だと思う、はじめはこのスタイルだけであったが、その後は時代と共に衣装を変えており、ズボンだけではなくスカートも履いている。
 どちらかと言うとズボンのスタイルの方が、私はペコちゃんらしいと思うのだが、皆さんはどちらが好きであろうかスカートのペコちゃんも可愛らしいには違いはないが、赤のズボンと黄色SANY9776.JPGのTシャツ、これが一番良いと思う。
 しかし不二家では季節、季節に衣装を着替えさせているらしく、夏用と冬用とがあり、冬にはサンタクロースの衣装も着るとの事。
 確かにクリスマスにはサンタクロースの姿のペコちゃんが、不二家の店頭に居た事を思い出すもので、あれを見るとクリスマスだと。
 その他にも色々なスタイルが用意されており、祭り姿のペコちゃんやお正月には勿論着物姿で登場している。
 あんなデカい顔をしているから、着物姿は似合わないと思っていたら、これまた予想外の可愛らしさ、良く似あうのだ。
 このキャラクター、実によく考えられたもので、これだけ長く愛されている事は、如何に良いデザインである事の証、それにしても、何でこんなに人気が高いのか、不思議であるが、やっぱりあの笑顔、頭でっかちのスタイル、これが良いと思う、これからも色々と進化を続けて行く事だろうが、ペコちゃんは黄色のTシャツと赤いズボンが一番だと思う。
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2019年07月29日

おみやげ

   明るすぎる

 SANY9489.JPG私は酒はあまり飲まないが好きである事には違いなく、多くは飲めないがたまにはたくさん飲むこともあるのだ。
 何故か日本酒は苦手で猪口一杯でダメになるが、蒸留酒なら体に合っているようで多少は飲めるので好きでもある。
 知らない人は日本酒が飲めないのに蒸留酒が飲めるとは信じず、時々私と飲み比べをすることもあるが、大抵は相手がダウンする事が多い。
 別に私が強い訳ではなく、全く酒が飲めないと思い飲み比べをするから誤解するのであって騙している訳でもない。
 蒸留酒は好きで何故かしら身体にSANY9497.JPG合うよう多少の事では酔わないので、何で酒が飲めるのかと不思議に思う人もいる。
 日本酒が飲めないのにウイスキーは飲める、そんな馬鹿な話はないと思い込んでいる人、そんな人と飲むときなどは面白い事も起こる。
 私は大抵はストレート、何も薄めずに飲むのが好き、だから知らない人は私と同じの見方をして失敗するのだと思う。
 ビールを飲むのと同じようにウイスキーを飲もうとするから間違いが起こる事に、ウイスキーの飲み方とビールの飲み方は違うもの。

 同じの見方をすれば間違いなく酔っぱSANY9500.JPGらう事になるが、何時ものペースで飲んでしまいダウンする事になってしまう。
私が強い訳ではなく、飲み方が悪いものであり、ウイスキーにはウイスキーの飲み方が、ストレートであまり飲まない方が良い。
 娘がイタリアに旅行に行った時、お土産にデキャンタを買い込んで来た、それは鮮やかな赤い色のデキャンタ。
 何時も私がウイスキーやブランディーをデキャンタに移すから、それを見てデキャンタを買って来たらしい。
 しかし現れたのは鮮やかな赤い色のデキャンタ、グラスもセットであるが余りにも赤色がきつ過ぎて使う気になれなくて、もっぱら飾り棚の上で鎮座している。
 折角買って来てくれたのだが、一、二回飲んでは見たが旨くなくて、赤が気になって仕方がなかった。
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