2018年11月21日

くろねこ

      黒猫の表と裏

DSCN0978.JPG 黒猫に付いては色々な説があり、どれが本当か分からない位存在するが、実際の黒猫は性格がおとなしくて、人なっこい性格であると動物学では言われているらしい。
 西洋では魔女の使いとして嫌われていたり、その反面悪魔から災いを避けてくれると信じられてもいるらしく、此方も善悪が同居しているようである。
 日本でも、昔から黒猫に付いては色々な良くない説があるが、そんな事は当の黒猫本人は迷惑な話に違いなく、人間様が勝手につけた濡れ衣でもある。
 よく言われて来たのはクロネコは不吉な予感のする猫のイメージ、あの黒い色が不吉とされ、クロネコを見ると良くない事が起こると言われた。
 昔の人は黒色には良くないイメージが付いて回ったと言われ、それが猫にも向けられて行ったと言う事、たしかに神秘的ではある。
 然しながら本当にクロネコは不吉な猫であるのか、その姿とは別の面を持っていると飼い主たちは言う、色で決めつけるのはおかしいと。
 事実、家庭で飼われている黒猫は、やっぱり人なっこい性格のようで、おとなしくて家庭的な性格で、飼うのにも飼いやすく癒されると評判は良いようである。くろねこ.jpg

 黒猫でも、種類が沢山あってどれが良いかは好き好きであるが、人気の高いのは目の色が金色、ブルーだそうで、特に金色が良いそうである。
 実は、招き猫も商売繁盛には黒猫の招き猫が好まれるようで、金色の目が暗闇の先を見通せると信じられていて、商売には縁起が良いとされているから、やっぱり厄除けにご利益があるようである。
 写真の下の黒猫の招き猫、実に堂々としていて、手を挙げた姿は如何にも威厳があり、之を製造した作者は良い腕の招き職人であったのではないだろうか。
 高さ60センチ強と大振で、程度はバッグンに良く、ご利益が如何にもありそうで、ツイツイ拝みたくなるような招き猫である。
 とにかく黒色の猫は雰囲気はほかの猫たちとは違ったもの、独特の雰囲気がある。
 やはり神秘的なイメージを持っている猫、そのが最大の持ち味でもあり黒色の招き猫は、その雰囲気から愛好者が多く、今では引っ張りだこの人気を誇っている。
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2018年11月20日

郷土玩具

    全国各地

SANY8477.JPG 郷土玩具とは、その土地土地で造られた素朴な玩具をさし、日本各地に存在しているもの、古くから作られたものもある。
 主に農閑期に内職としてつくられたと言われており、土地土地の材料で素朴なものがつくられ販売された。
 各地に伝わる郷土玩具、その土地の言い伝えや昔話を題材にしてつくられたもの、祭りなどを象ったもの、伝説を題材にしたものなどがある。
 いずれも素朴なものが多く、簡素で温かみのあるものが多く、土地土地に根付いた復職の産物であると言えよう。
 材質を見ても、その土地で容易に手に入るものを使用してつくられており、原価的にも安いもので仕上がっている事だ。
 勿論、それが本職でないものがつくるため、大量に生産されることはなく、あくまでも農閑期の復職であった。SANY8482.JPG
 そんな中、日本三大人形と呼ばれる郷土玩具、長崎の古賀人形、京都の伏見人形、仙台の堤人形がそれである。
 その中でも京都の伏見人形は歴史が古く、伏見稲荷の門前で売られていたもので、復職とは少し違っている。
 お稲荷さんの土産物として売り出され、人気を博した人形で他の郷土玩具と一線をかくしているが素朴さはそのままである。
 この人形が全国に広まり、郷土玩具の見本となった事は確か、各地で盛んにつくられるようになり、土着化して行ったようだ。

 相良人形、この人形も又その流れをくむもの、堤人形の影響を受け特徴を受け継いで入るが独立した人形でもある。
 寛政年間に始まったと言われSANY8483.JPG、御用窯を辞した相良清左衛門が窯を開いたのが最初と言われているが、その後断絶したものを7代目の相良たかし氏が復興したものが現在に至っている。
 現在は8代目が受け継ぎ制作されおり、相良人形の伝統を受け継いで工房で製作がされたかし氏後を追っている。
 写真の相良人形は私が米沢の工房を訪ねた時に買いもとめたもの、はじめて会ってからすでに40数年が経っているが、その時の感激は今でも覚えており、大事に持って帰った記憶が鮮明に浮かぶのだ。
 伝統的でありながら独特の彩色、新しさと古さの競演、初めて目にして直ぐに気に入った郷土玩具と言えよう。
 それ以来我が家では毎年出して飾り、相良人形の雰囲気を楽しんでいるが、雛人形は首が取り外し出来るので気お付けなければならない。
 素朴な郷土玩具、最近また陽の目を見出したと聞いているが、どれ程の人気かは分からないが続いて欲しいものだと思う。


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2018年11月19日

ネタが尽きた

      何処にネタが

 SANY8470.JPG毎日更新しているブログ、はじめてから丸8年になり自分でも信じられない気持ち、良くも続いたものだと感心する。
 当初はこんなに長く続く事は予想もしなくて、単なる遊びではじめた事、友人からは「何時まで続く事やら」とか、「そんなに気張らなくても気楽に行け」とか、色々な言葉を貰った。
 勿論自分自身もそんな事は考えず、軽い気持ちで始め、何時でもやめる気持ちでいたのだが、ツイツイやめる時を外してしまった。
 今にして思えば何で早くやめなかったのかとツクヅク後悔している毎日、それも夜が来ると気持ちが強くなる。
 「今日もブログを書かないと」、そんな思いが持ち上げて来るのも夜、12時までに更新しなければならないと焦ってしまう。
 別に罰則がある訳でも無し、書かないからと言って誰も怒らないが、夜になれば何時ものように気持ちが焦って来るのだ。
 人間なんて不思議なもので、昨日と同じ様でなければ不安になり、何故かそれを続けたいと思ってしまうものでもある。
 友人は「同じ事を書くならばやめておけ」と忠告してくれ、そんなに書けないならやめろとも言うのだが。

 確かにその通り、くだらない事を書くのであれば書かない方がよくSANY8464.JPG、恥をかくだけである事は承知しているつもり。
 5年間続けている雑誌もまた同じような事、中々記事を書く事が出来なくなり、読者に失礼になるのだとも思う。
 物書きとは大変な事だとつくづく思う日々、どうして小説家はあんなにスラスラとものが書けるのかと感心する。
 ある作家は本文よりもネタ帳の方が多いと聞く、十分な下調べを行い膨大な資料を基に本文を書くと言う。
 生半可な資料だけでは到底書けない文章だと言うが、それでなければ良いものは書けないと思うし、それが小説家でもある。
 一流の小説家は膨大な資料の中、想像を膨らまして文章を書くのであろう、我々のおよびもしない苦労をしているのだと思う。
 文章とは一度書いてしまえば永久に残るもの、失敗は許されないもので後で後悔しても何時までもそのままである。
 だから恐ろしいものだと気付くが、素人はそんな難しい事は出来ないから、武運相応のもので良いのではと、そんな妥協で今日も過ぎて行く。
 しかし、今日は何のネタで書くのか、それすら思いつかない日、そんな日はキリキリの時間まで悩むことになる。



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2018年11月18日

お気に入りです

      好きなものは手元に

 SANY0629.JPG誰でも、自分の好きなものは手元において置きたいものだが、其れがどんなものでかまわないもの、人が首をかしげる物でもだ。
 自分が好きであればどんなものでも、人がなんと言ようとも、それが好きだから、誰でも自分の好きなものを人からとやかく言われたく無いものだ。
 自分が好きならそれで良く、手もとに置いておきたいのだが、されとて人の目も気になるとは人の常、私もその1人で人からとやかく言われたくない。
 友人がこの時計気に入ったから貸してくれと言い出し、自分の店に展示したいと言う、結構な事、置き場所にも困っている現状、願ってもない事だ。
 友人は自分の気にいった時計を物色、何点かを選び出して持っていったが、後日友人の店に行ったら、棚にその時計が並べてあった。

 置時計ばかり持って行ったのでこちらは大助かり、掛時計と違って置時計は場所を取る、多すぎると置く場所に困り、ダンボールの中に。
 そんな事より友人の店で展示した方が余程良い、その時計は棚に並べてあったが、私の家に居た時よりも居心地が良さそうだ。
SANY0637.JPG 他の時計達と一緒に棚に澄ました顔で並んでいるのを見ると、何だか嫌味みたいな気になって来るが、それは気のせいなのか。
 家に居る時は部屋の隅に積み上げてあったので、ここではお客様扱い、澄ました顔で居るのが滑稽に見えてくるが、彼らは余程喜んでいるようだ。
 友人が気に入った時計をスケッチして、その時計の隣に展示してあり、如何なも高級な時計のように見えてくるから不思議だ。
 友人は絵の専門家でもあるから上手いのは当たり前だが、こんな形で展示すると如何にも雰囲気が良く、まったく別の時計に見えてくるのだから不思議。
 多少錆びていても、それは歴史であることの証し、気に入ったものに囲まれて生活するのも良い、人がなんと言おうとも、それが友人の言葉だ。
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2018年11月17日

何でギボシ

      通称ギボシ

 ぎぼしし.jpg通称とはその物に付けられた別名の事、形やその他がほかの物によく似たものと喩えられた名前の事、日本人は喩えが上手い民族でもある。
 昔から、別名で呼ばれてきた物も多く、別名の方が有名と成ったものもあり、通称とは面白い呼び名でもあるが、似ても似つかないものも存在する。
 今回の「ギボシ」、時計についている装飾品、明治時代に西洋から入ってきた、スリゲル型の時計に付いていた飾り、この飾りを称して、日本の物によく似たのがあったので、その呼び名が付いた。
 その飾りの呼び名は「擬宝珠」、そもそもギボシとは橋の欄干の支柱上部に付いている金具の事、宝珠型の飾り金具、よく見かけるが記憶にない人が多い。
 この金具は元々支柱を雨から守る為の飾り金具、、語源は海底に住む竜王に付いている宝珠とされ、毒の浸透を防ぐと共に火から守る役目をするものらしい。
 その伝説にちなんで、火災から橋を守る役目を果たすとされているのだが、その形が西洋時計についている飾りとよく似ている事から、「ギボシ」と呼ばれるようになった。SANY8357.JPG

 下の写真のギボシ、西洋時計の時計に付いている飾り物だが、この形が橋の欄干についているギボシと似ているらしいが、似ていると言われればそうかと思うが、似ていないと言われれば、似ていないと思うが、どっちだと言われれば似ているかなと思える。
 上の写真は橋の欄干についている本物の擬宝珠、本物を見るとヤッパリ似ていないようだが、昔の人は之とよく似ていると思ったらしく、通称ギボシで通り名となったようだ。
 その後、日本で作られたスリゲル型の時計には、このギボシが飾りとして付けられているが、製造元の違いにより、様々な形のギボシが作られていった。
  形もはじめの頃は良く似たものであったようだが、時代が下がるに連れて、形も変化して行く事になる。
 ギボシもギボシらしからぬものに変化してゆく事になるが、其れもギボシの発達でもある。
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2018年11月16日

やはり菊

    小菊の方が

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 秋、何処と香りがかすかに香るころ、わが家の小さな庭に小菊が盛んに咲いており、秋を感じている今日この頃。
 菊の種類は多いと聞くが、見た目に派手な菊と、控えめで小さな小菊、対照的な花であるが、どちらも和む花。
 この菊、日本の花と思っていたが、奈良時代に中国よりやって来たとのこと、古来からの日本の花と思っていた。
 そう言えばヨーロッパでも盛んに作られていたのを思い出したが、ヨーロッパの菊とは少し違うように思う。
 平安時代には宮中で愛された花らしく、高貴な花として昔から作られていたらしいが、鎌倉時代から武士にも愛された。
SANY0194.JPG
 江戸時代に入り、武士のたしなみとして菊の栽培が盛んとなり、大小の菊が作られ、花を競い合ったと言われる。
 菊の種類も嵯峨菊、伊勢菊、美濃菊、江戸菊、肥後菊などの種類が、それぞれの歴史があり、武士が作り上げたと言われる。
 彼らは菊の栽培も武士道につながると、端正に育て献上したも言われ、菊に対する心が少し違っていたようだ。

 もちろん一般庶民も菊を愛し、品評会も開催され、美しさを競い合ったらしく、とくに産地同士で競い合った。
 そんな派手な菊よりも、小菊のほうが可愛らしくて良いと思うが、派手なSANY0832.JPG菊は長く見ていると飽きてくるもの、しかし小菊は違う。
 いつ見ても可愛らしくて飽きないもの、派手さはないが親しみやすく、それでいて存在感がある花だと思う。
 もちろん好き好きで、大きな派手で色よい花が好きな人も多いが、野に咲く野菊のような可憐なものがよい。
 写真は我が家の庭の菊、数は多くないが、そこそこの種類があるらしいが、それがどんなものなのかは知らないのだ。
 これから冬に向かって、長く咲いてくれるのもうれしい花、パッと咲いて、パッと散る花ではないから、長く楽しめる花だ。

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2018年11月15日

龍馬とお龍

      今日が命日

SANY9838.JPG 坂本龍馬、稀代の英雄として現在でも人気の高い人物、明治維新の立役者として人気が高いがその反面評価が分かれているのも龍馬である。
 そして龍馬ほど不明な点が多い人物も居ない位に謎だらけ、一介の素浪人が上は大名から下は商人にまで通じた人物はいないと言われている。
 よく言われるのは明治維新の立役者は西郷、大久保、木戸であり、龍馬はその下で働いたに過ぎないと言う人も多い。
 確かに謎多きが故にハッキリと証拠の残っている人物が評価されているのも確か、しかし現在でも龍馬の功績を示す資料が発見されており、謎の部分の解明も進んでいる。
 西郷、大久保、木戸等は藩と言う枠から抜け出ておらず、常に藩中心であった事は維新後も証拠として残っている。
 新資料の発見で龍馬の功績が新たに出るたびに、日本の新時代を見つめていた龍馬の証拠が次々と明らかとなっている。
 まだまだ新証拠が出て来ると思うが、逆にSANY8208.JPG西郷や大久保の出なかった部分も見えてくると過大評価だと言う人も反論できないであろう。
 いずれにしろ今後も新証拠が出て来て龍馬の功績が立証されると思う、その龍馬今日が命日である。
 近江屋で暗殺されたが何故居所が分かったのであろうか、色々な論議がある中、妻のお龍が関係しているとの裏証拠もある。
 自分の夫龍馬の居所を彦根藩主西村松兵衛に知らせたとの説があり、この松兵衛とは寺田屋時代に知り合ったとも言われ、お龍は明治8年松兵衛と結婚している。
 西村松兵衛は彦根藩士で会津藩とも親しく、龍馬の情勢を逐一調べあげ、会津藩に報告していたと言う。
 龍馬暗殺は会津藩が京都見廻組に指示して暗殺を決行したとの事、現在ではこの説が信憑性があるとされている。
 もしそれが事実であるならばお龍は自分の夫龍馬を自らの手で殺したことになり、意外な結果となる。
 龍馬が愛したお龍、それが彦根藩や会津藩のスパイであったとするならば、龍馬ファンにとっては居た堪れないものとなる。
 色々な事実に基づいての新説であるが、西村松兵衛と再婚したことは事実であり、それも明治8年にはすでに再婚しているのだから。
 この事実をどのように受け止めればよいのか、まだまだ龍馬の記録が出て来ると確信していて、何時か真実が明るみに出るのではないだろうか。


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2018年11月14日

感覚の違い

      こけしブーム

 SANY1012.JPG最近またもこけしブームと言われて久しいが、瀬戸市の久米邸に展示してあるこけしに質問が多いらしい。
 私が展示してから大分時間が経っているが、それ程関心を持たれなかって様に感じていたので急に質問が多くなったとは。
 確かに最近こけしブームと聞くが、周りを見渡してもそんな気配は感じず、ブームと言われてもピンと来なかった。
 勿論私がこけしを集めたのは偶然のなせる業、たまたま見かけたこけしが小椋久太郎のこけし。
 ある所で見かけ、面白い顔をしているこけしだと思っていただけの事、それが秋田での印象であった。
SANY0996.JPG
 その後再び秋田で巨大な久太郎のこけしを見て、突然欲しくなったので買い求めたのが最初である。
 小椋久太郎のこけし、何とも言えない愁いを帯びた顔、その顔に引き付けられてこけしを買い求めたと言った良い。
 それ以来何とはなしに久太郎のこけしを買い求め、自分でも気が付かないうちに段々と増えて行ったようだ。
 人は何で久太郎のこけしばかり集めるのだと聞くが、自分でもそれを目当てに買い求めたのではなく、知らないうちに増えたのだ。
 一番大きなものは1メートル20センチのものが最高、確かな数は多いと自分でも思うが偶々そうなってしまっただけの事。
 こけしを集めようと思って集めた訳でないから自然にそうなり、現在に至SANY1022.JPGっているのだが、人はそうは思わないらしい。
 そのこけし、最近若い女性が見に来ると言う事らしく、こちらの知らないうちに評判となっている由。
 それになんでも鑑定団でこけしが馬鹿高い値段が付いたので、急に関心が持たれた様であるが訳が分からない。


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2018年11月13日

今は懐かしい

      ブキリノ玩具

 SANY6587.JPGブリキの玩具は明治時代に海外から入ってきたが、その後日本でも製造されるようになり、昭和20年から30年頃がピーク、その後は海外に多く輸出された。
 特に日本のブリキの玩具は製品としても優秀な出来であり、その製品は海外で高く評価されドイツと肩を並べるようになり、特にアメリカで持て囃された。
 日本製のブリキの玩具、精密で丈夫カラフルなデザインとアメリカ人に好まれ、ドイツものを凌ぐ勢いでアメリカ市場を駆逐して行くことに、しかしその後は安い中国製品に取って代わられ、昭和40年代からは減少の一途を辿る事となる。
 写真の玩具、そのような状況の中で製造されたもの、今見ても当時の様子が伺える歴史の証人みたいな物、ブリキの玩具としては最後となる過度期の物だ。

 この玩具より後はプラスチックが取り入れられ、今までの雰囲気とは違ったものが製造されるようになるが、中国で製造される安いブリキの玩具に対抗する為、コスト重視の製造が始まるのだ。
 海外の市場を確保する為には仕方のない事だが、結局はSANY3423.JPG自分の首を自分で締める結果となり、ブリキの玩具は市場から消えて行ったようだ。
 写真の玩具、今見ると懐かしい車の形、JAFのマークや車に施された色彩、当時の状況が思い出されるようなもの、車の側面のドアーに書かれた日本自動車連盟の文字、今の書体とは違ったものだ。
 タクシーも同じ様に今のものとは一味も違った車、時代の流れが刻まれている姿だが、ゼンマイ仕掛けの仕組みも、これ以後簡素化されたものとなる。
 時代の生き証人とは、後世にその当時の姿をそのまま伝えてゆくのが使命、そのような宿命を持たされたブリキの玩具、懐かしさと同時に歴史を伝えて行って欲しいものだ。
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2018年11月12日

ネットの落とし穴3

      便利だが

SANY4137.JPG インターネットのオークション、今では極普通に取引をしているが、ネットでの取引は安全なものではなく、お金を振り込んでも品物が届かないとか。
 もしくは、品物が届いたが中身が違うものが出てきたとか、トラブルは今や日常茶飯事の出来事、あちらこちらで耳にする機会が多くなった。
 そんな話、人事ではなく私も又捕まってしまったのだが、前にもネットで買い込んだものが良くなかった事を書いたので、余り書きたくはないのだが、失敗は失敗で素直に認めなければ。
 何時ものように時計のページを見ていたら、懐かしい時計が出ていたのでツイツイ見る事に、見た感じでは極普通のものと判断、値段が安いので入札してもらう事にした。
 自分では入札できない為に、友人任せの取引に、例によって友人二つ返事で入札、もちろん安い提示価格で入札してもらったものだが、友人「又騙されるぞ」と電話の向うでいきまく。

SANY4140.JPG 「今度こそ大丈夫だ」と私が言うと、「その返事を何度聞いたことか」と友人、そんなやり取りをしてから、入札してもらった事も忘れていた頃、友人が時計を持って現れ、「何だか音がする」と言って手渡した荷物。
 開けて中から取り出した時計、ヤッパリカラカラと音がするので、荷物を開ければ時計の裏蓋が外れていたのだ、単なるネジが外れていると思っていた。
 しかし、結果は中の機械がないのだ、私が唖然としていると、友人「ヤッパリ捕まったか」とひとり言、またまたやられてしまったので、友人に「相手に文句を言え」と言う。
 すると友人、文句を言ってもダメだと思うけど、「やれと言うのならやるよ」と言って帰って行ったが、後日友人から、結果相手はトンズラで出ないとの事。
 ヤッパリまたまた捕まってしまったと、1人ブツブツ言ってこの件は決着、しかしながら改めてネットでの取引を注意しないと、肝に銘じているのだが、何時まで続くことか。
 写真は、中身のない時計、外から見た分は中身がないとは分からないもの、未だに中身無しの状態で鎮座、之を見て再度肝に銘じているのだが。
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2018年11月11日

初自然薯

      我が家の自然薯めし 

DSCN0345.JPG 今期始めてのとろろ飯、例年の事であるが秋になればとろろ飯、つまり自然薯を食べる季節がやって来たことになるが、これが大変だ。
 つまり自然薯の調達から、製造まで、すべてが私一人でやらなければ成らないからで、何故そんなに大変かお分かりにならないと思う。
 自然薯のとろろ飯、食べるのは簡単で直ぐに食べられ短時間で食してしまうが、調達と製造は大変な重労働で、この季節になると疲れがどっと出るのも又、自然薯めしのため。
 少し前までは自分で自然薯を掘り出していたし、又それが秋の楽しみでもあり、友人の持ち山、岐阜県恵那市に何時も自然薯堀に友人たちと出かけてた。
 山の持ち主である友人は、何処に自然薯が多く大きなものがあるかは、当然熟知しており我々にその場所に案内してくれ、後は私の仲間が掘り出すのが恒例の行事でもあった。
 掘り出し道具も友人がすべて用意してくれているから、後は掘り出すだけであるが、それが大変な作業であり、実際に経験してみないと多分分かりずらいかも。
 私の友人共は、普段から楽ばかりしているから、この時ぐらいはと張り切るが、全然長続きしないのも又常、2本位掘り出しただけでもう根を上げる始末。
 体力には自信があるとかで、「ゴルフをやっているから」とか、「マラソンをやっている」とか、「野球をやっている」とか口は勇ましく、まくし立てていたがこのざまである。

DSCN0346.JPG 中腰で重い道具を使って掘り出すため、普段使っていない筋肉を使うため、直ぐにバテバテ自然薯を掘り出す何処ろではなくなり、その場に座り込んで動かない。
 何もしなくて見ていた山の持ち主が、「何しに来たのだ、そんなに早くダウンするとは」と呆れて、後は黙々と自然薯堀を続行、あれだけ体力には自信があると、息巻いていた者共は何処へやら。
 結局は山の持ち主が全部掘り出してくれ、其の薯をあたかも自分たちで掘り出してきたかのように、自然薯の入った籠を担いで山を降りるのも又何時もの光景でもあった。
 そして、愈々自然薯を摩り下ろす、先ず2人して瀬戸物の卸板で荒く摩り下ろし、別の2人がすり鉢で荒く摩られた自然薯を、山椒の木で出来たすりこ木で根気良くすり出す。
 すり出してから1時間、皆が「まだ早い」、「もっと摩れ」とか、「摩り方がおかしい」とか喧々諤々と、正に戦場さながらの勢い、これが無いと自然薯を皆で食べる面白さが無い。
 兎に角自分の意見を出せるだけ出し、お互いに摩りつかれて、後はとろろ汁を食べるだけであるが、今度は出来上がったとろろ汁の味で又、一騒動である。
 「出汁が利き過ぎ」とか、「味が薄い」とか、「汁が辛すぎるとか」まあ言いたい放題、そんなに文句を言うのであれば食べなければ良いのにと思う。
 







 
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2018年11月09日

またやって来た

    厄介な事に

SANY7262.JPG 久し振りに現れたやつ、「例のあの男」我が家に災いをもたらす張本人、その男が久し振りに我が家くる。
 最近は静かで良いと思っていた矢先、けたたましく登場と相成り、いっぺんに我が家が騒がしくなり、困った事に。
 この男のおかげで今までにさんざん振り回され、どけだけ迷惑したことか、なれどこの男全く悪びれていない。
 それどころか、お前の為にした事だと、あきれたものであるが、なぜか憎めないのもこの男の持っ生まれ持った徳か。
 憎めないから尚更のこと、今回も何のために現れたのかとこちらが身構え、彼の切り出しを待つ、厄介な事にならなければ良いが。
 そんな彼が言い出したことは、「私の持っている時計を譲って欲しい」という、「急に何を言い出す」のだと切り返した。
 彼は知り合いから、私の持っている時計が欲しいから何とかしてほしいと頼まれてらしい、それを簡単に引き受けてきたと言うのだ。

 どの時計かといえば、なんでも「黒柿のバイオリン」だと言う、本人はどんな時計か全く知らず、我が家に何度も来ているのに全く知らない時計と言うのだ。
 頼んだ人は我が家に黒柿のバイオリンがあることを知っており、「是非それを手に入れて来てくれ」と頼まれたとの事、彼に「その時計がどんな時計か知っているか」と、そして黒柿のバイオリンは数が少なく、譲る気持ちもないと伝えると。
 彼曰く「また手に入れれば良いではないか」と、そして「お前の事だから、またすぐ手に入る」、だから「譲ってやれ」と、すました顔で言う、これにはこちらが呆れ、「お前という奴は何を考えているのだ」と怒る。
 すると、「何時もそんなことを言って、しかし又手に入れて来るではないか」、だから今回頼まれてくれと再度言うのだ。
 彼には、この時計の意味が分かるはずもなく、簡単に手に入ると思っており、その後何度となく、この時計の少なさを説明したが届かず。
 それにしてもこの男には手を焼く、簡単に考えて引き受けて来るからだが、悪気があっての事ではなく、何も考えてないだけの事。
 しかしこの時計は譲るわけには行かず、はっきりと断ったが、その後も何度となく懲りずに譲ってやれと言い続けているのだ。

 


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2018年11月08日

ミリタリー

      思い出の品

 SANY4074.JPG時計には色々な思い出があり、様々な人たちとの係わり合いの中から探し出したものも多く、一つ一つが思いでのある品、其れを手に入れた時の事など、今でも思い出される。
 古時計は当然のこと時代を経てきているもの、長い歳月のうちには、様々な事を見てきている生き証人でもあるが、黙して語らないのも古時計だ。
 只黙々と時を刻み、現代の我々に時を知らせ、過去も、現在も、未来も同じ時を刻むであろうが、それらを時計を通して感じられるのも魅力の1つだ。
 写真の時計、海外のアンティークマーケットで手に入れたものだが、この時計を見ると、その時の事が昨日の事の様に思い出される。
 この時計を買う時も、今思い出しても笑えて来るが、自慢じゃないが英語はからっきしダメ、他の外国語はと聞かれれば、其れもダメ、ようは全部話せないのだ。

 もっぱらジェスチャー、片言の英語「デスカウント、プリーズ」と「ハウマッチ」之の繰り返し、それでも意気込みは通じるもの、何だかんだで商談成立するものだ。
 向うの親父、「ミリタリー、ミリタリー」と、この時計を持ってSANY4076.JPGSANY4078.JPG私に叫ぶが、何がミリタリーか分からず、手振りで「ノー」と示すと、文字盤を指差して、「ミリタリー」と言っている。
 良く見ると、文字盤に何やら記号が、其れを示してミリタリーと言っているようだと気づき、見れば文字盤は夜光塗料が塗られ、軍隊仕様だ。

 文字盤には記号とハミルトンの文字、「OK、OK」と態度で示すと、今度は親父「エアープレン」と言う、何の事やらと首をかしげる私に空を指差す。
 どうやら飛行機の事らしいと思い、「OK、OK」とまたまた返事、すると「スエーデン、スエーデン」とまたまた叫ぶ、はじめは分からなかったが、どうやらスエーデン空軍の時計らしいと分かる。
 そんな事で買い込んだのがこの時計、英語が話せなくても気合、それで十分通じるが、恥ずかしいのは仕方が無く、そこは度胸しかないと思うのだが。

 
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2018年11月07日

立 冬

      暦の上では冬
SANY0679.JPG
 毎日暖かい日ばかり、今年の秋はどうなってしまったのか、23度の夏日の様な暑い位の日ばかり、本当に冬がやってくるのかと思える今日この頃、しかし暦の上では立冬であり冬の季節に入ったが暑。
 季節の感覚がずれてしまい、まだ半袖で充分な温度だから立冬といわれてもピンとこないが、確実に暦は進んで冬に入った事を告げている。
 植物もこの気候に惑わされそうになっているが、人間様と違って忠実に季節の移り変わりを演じようと装いをはじめて、我々と違って季節感は敏感に反応してる。
 あの彼岸花もしかり、彼岸には忠実に花を咲かせて我々に彼岸到来を告げ使命を終えたが、草花はやっぱり律儀だと思う、季節異変にも素直に対応している。

 SANY0680.JPGそこえ行くと人間様はやっぱり頼りないか、暑いといってはエアコン頼み、寒いといってはエアコン頼みと人様は世話にならなければ満足しない今日この頃。
 その点植物は己一人で対応しなければならず、自然の力は偉大で植物は頼もしいもの、これから寒さが一段と厳しく成るが、かれらはめげず耐えてゆく。
 写真は、これからの寒さを楽しんでいるかのように咲き乱れる菊、その紫の色は堪えている色なのか、それとも楽しんでいる色なのだろうか。
 その横で紫式部が菊に負けじと、その実をより鮮明な紫に染め、お互いにその艶やかさをあたかも愉しんでいるかのような光景、初冬の庭は彼らの競い合いで幕を開ける。
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2018年11月06日

染付け

      時代の流れ

 SANY3886.JPG何時の時代も流行と言うものはあり、その時代時代に合ったものが新しく生まれる事に、それは時代の要求かもしれないが、昔から受け継がれたものが消え去るのも寂しい。
 流行とはそのようなもので、出来ては消え、消えては生まれる事を繰り返すもの、懐かしがったり、寂しがったりするものではないのだが。
 時代の要求に、その当時の職人たちは精一杯に合わせようと努力、その結果新しいものが誕生する事になり、ものの発展に貢献する事となる。
 瀬戸の染付けもその様な繰り返しをしてきたもの、常に新しいものを追い続けるのも人の常、磁器の世界もまた同じ事、新しいものが次々と誕生し、古いものは忘れ去られていく。
 陶器から磁器にと時代は移り、染付けのデザインもまた、其れにあったものが要求され、磁器に相応しいデザインが登場、今までの陶器には無いデザインと軽さである。

 陶器に比べて磁器は本体自身薄く出来、軽くて丈夫なものが誕生、今までに無い薄くて軽いものに人々は求SANY3888.JPGめ、その要求に答えるかのように薄いものが出来上がる。
 写真の茶碗、当時の要求に答えた、非常に薄い茶碗、もっても軽くて当時は飛ぶよう売れたものだそうだが、現在はこの様な茶碗は市場から消え去ってしまった。
 昔ながらの染付けのデザイン、1個づつ手書きで描かれた模様は、繊細な筆裁きで職人たちの腕の見せ所、素早く描き、量産に答えたものだが。
 今はこの様に手の込んで、しかも軽くて薄い磁器の茶碗は姿を消してしまい、今時のデザインものに押されて、市場には出回っていない。
 プラスチックの茶碗や中国製の安価なものに移り、この様な昔ながらの手の込んだ茶碗は、値段も高い事もあり、100円均一で買える、安価な味のない茶碗になってしまったようだ。
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2018年11月05日

ブーム再来

      優しさを求めて

SANY8209.JPG 最近のこけしブーム、若い女性の間で流行しているといわれ、その実態はどうか知らないが、確かにブームである事は確か、東北のこけしが売れているのだ。
 こけしは全国に存在している玩具、全国各地で造られているが、やっぱり東北のこけしが良いと思うもの、若い頃より東北に旅をした関係上、多少贔屓目であるかもしれない。
 私自身こけしを集めている訳ではなく、知らないうちに集まってしまったと言え、数もそこそこあるが、私のものは自分好みのものであり、一般的なものではない。
 特に小椋久太郎のこけしが好きで、幾つかのこけしは手に入れているが、その他のものは多くないので、今回のこけしブームと言っても私のものとは違うのだ。
 元々こけしは温泉場の土産物として売り出されたもの、その歴史も幕末とされているが、実態はまだ不明な点が多く、ハッキリとした証拠はない。

 遠刈田温泉が発祥とされているらしいが、それより古いものもあると言われ、やっぱり実態は不明のまま、そんなこけしであるがやっぱり東北のこけしが人気。
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 こけしも種類が多く、どのこけしがお気に入りなのかは好き好き、伝統的なこけしから、創作こけしまで種類は様々、その中から気に入ったものを選べば良いと思う。
 昨今のこけしブームで、どんなこけしが支持されているのか分からないが、聞くところによると現代的なこけしも支持されているようであり、創作こけしも人気だと言う。
 こけし作家、有名、無名問わず、やっぱり自分好みのこけしが1番、好きなこけしが1番良いものと思う、それがこけしの魅力かも知れない。
 幾ら有名なこけしでも好きでも無いものを、自分の所有にするよりも、無名でも好きなこけしの方が良く、有名だからと言って無理して持たなくても良いと思う。
 やっぱりこけしは素朴が1番、素朴なればこそこけし、むやみに流行を追う為に作られたこけしは面白みにかけるもの、受けようとして作られた物には力がないと思う。
 写真は作並こけしの第一人者、鈴木昭二作のこけし、独特の顔をしたこけし、数あるこけしの中でも、ひとめで鈴木昭二と分かるこけしである。
 形はチョッと違うが、胞吉型の変形みたいなもの、鈴木昭二独特の形、しかし、このこけしも鈴木昭二作のこけし、小さいけど迫力と可愛らしさが同居している。
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2018年11月04日

寄木でない

      論議を重ねて

 SANY0731.JPG寄木ダルマ、時計愛好家にとっては人気の高い時計、その中でも最も高い時計はイングラハム社の寄木四ツ丸ダルマの時計だ。
 この時計は何故かしら人気が高くて、昔から愛好者が多く、定番の蒐集品の1つ、誰しもが手に入れる1台、その為に値段も高かった。
 日本の家屋には金ダルマよりも、この寄木四ツ丸の方が良く合うと思うが、好き好きだから派手な金ダルマの方が見栄えがするかも。
 しかし、寄木ダルマの方がスッキリとしていて、尚且つ日本の家には良く合う時計、木の質感を旨く表現した時計の1つでもあるもの。
 日本にも寄木細工は存在しており、その精密さは海外から高く評価され、人気も高いものだが、そんな寄木と通じるものがこの時計にはある。
 本来の木の色をそのままに、濃淡で組み合わせて寄木とする物、そのために天然の色が良いムードを醸し出すのだと思う。

 しかし、時代が経つと色が変色して来るのも、この時計の欠点の1つ、段々と濃淡が分からなくなってくるもの、寄木の良い所が失われてしまう。
SANY0734.JPGSANY0745.JPG 写真の時計がその物、これを手に入れた時は寄木であるとは思っていなくて、少し濃淡のある生地ダルマだと思っていた。
 手に入れてから、アンソニアのこの手の時計は珍しいと時計仲間から、そして仲間が集まった時に、この時計で論議噴出した。
 ある人は寄木ダルマに間違いないと、すると、これは色が変色しだだけで寄木ではないと、両者の意見で喧々諤々の論争に。
 其れまで気が付かなかったが、良く、良く見ればヤッパリ寄木のダルマ、変色しているのではなく、色落ちしたものだと分かったのだ。
 
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2018年11月03日

今年も

    有難い事です

SANY8220.JPG 今年も私の大好きな柿が届き嬉しいやら大変やらで胃が悲鳴を上げているがそれもその筈量が多いから。
 私が柿大好きを知っている知人からの差し入れ、勿論毎年の事であるがこの時期余り柿を買う事がない。
 秋になると順番に別々の柿の産地から柿が届き、色々な種類の柿が堪能できるのだが、その量が大変。
 我が家で消化しきれない位友人から届き、その都度近所におすそ分けをして喜ばれているが、どうしてこんなに沢山送って来るのかと不思議がられる。
 毎週、毎週別の友人からくるため、何でそんなに多く届くのかと、勿論もらっているが不思議でならないと言うのだ。
 確かにその通りで量も多いが毎週届くとは異常、別々に買い込んでいるのではないのかと、そんな冗談も飛び出る位。
 送って来る範囲は静岡、愛知、岐阜、長野、山梨と多くの県から送ってSANY8224.JPGくるため、早いものと遅いものとがあり、柿の種類も別々である。
 柿と言っても様々、早いものは豊橋の筆柿、これが一番早い柿の到着、9月初めには我が家にやって来る。
 それを封切りに次から次へと柿の宅配便が届き、配達してくる人も毎年の事だからよく覚えており、今度は静岡からだと言う。

 それ位配達の人も覚えている位に各地から柿が届き、その都度お裾分け、それもこの時期の日課となっている。
 今日も届いたのは富裕柿、岐阜の友人からの贈り物、この友人は商売で柿を栽培しておらず、庭になった柿を送ってくれる。
 だから不揃いで見た目には良くないが、味は折り紙付きのもの、何時もこれをサンドイッチにして食べている。SANY8234.JPG
 この時期の私の朝食は柿サンド、この話をすると気持ちが悪いと言う人が多いが、一度食べればその良さがわかると思う。
 待ち遠しいのはあの柿、もちろん蜂谷柿、毎年この柿で干し柿をつくるのだが、今年は少し遅いようだ。
 そしてその後が市田柿、年末になると長野からこれが届き、正月まで干し柿を食べて年を越すのが習わし。
 友達とは良いもので私の好物をよく覚えていてくれ、その時期になると送ってくれるから感謝しているのだ。



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2018年10月31日

はじめての驚き

      まだ駆け出しの頃
SANY7446.JPG
 時計を集めだして日が浅い頃、一台の時計と出くわす事に、ある骨董屋に入った途端、目の前に小さな掛時計が目に入った。
 はじめての店であったので何があるのか分からず、興味本位で店に入ったが、この時計と出くわして釘付けとなってしまった。
 今までに見たことも無い時計、しかも小さい、いっぺんで気に入り手に入れようと思ったが、値段を聞いてビックリ、買う気が飛んでしまった。
 今までに買った時計は精々1万円まで、其れが5万円だと言われビックリ、何でそんなに高いのかと思ったが、はじめての店だから自重。
 店の主人曰く「この時計は非常に珍しい時計で数が少ない」と、しかも外国製のもので珍品だと言う、確かに見たところ小さいが機械がすごく良いものだ。
 ラベルには製造元が書いていないが、マークが矢がペケ印になってSANY7399.JPGいるもの、そんなマークはその時は知らなかったので、再度店の主人に聞いてみた。
 すると「ドイツ製の時計だ」と言う、外国製の時計はヤッパリ高いのだと、その時思ったものだが、其れ以来この時計を見かけなかったが、ある時偶然出くわす事に。

 その頃よく行った骨董屋での事、店に入ると先客がいて、何やら物を売りに来ていた様、狭い店なので直ぐに会話が分かり、聞くともなしに聞いてしまった。
 色々なものを持ってきており、親父さんが亡くなり遺品を整理する為に持って来たとの事、その中に時計がチラリと見えた。
 店主と値段の交渉が済み、時計も全部置いてゆき、その人は帰っていったので、直ぐに店主に「その時計欲しいのだが幾ら」と聞いてみた。
 店主「買い取った値段も聞いていたのだから、仕方が無い1万5千円でどう」と言う、そのまま買ってはと思い「1万2千円にして」と言ったみたSANY7385.JPG
 店主「仕方が無いねそれで良いよ」と、かいらくしてくれ、あの時計が手元に入ったので、今一度店主に聞いてみた「この時計はハンブルグ、アメリカン」の時計と教えてくれた。
 確かに小さいが、これよりも日本製の時計でもっと小さな時計がある、しかし中々手に入らないけど、この時計も珍しいのだとも付け加えた。
 はじめて見た時の驚き、そして今手に入れた時の感激、あの頃が1番充実していたような気がするが、今はそんな感動を覚えないのだ、自分が年を取った証拠かもしれない。
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蜂屋柿

      青空にぽつりと1つ残し柿。

SANY8185.JPG そろそろ寒い冬が訪れ、この時期の楽しみが干し柿であるが、日本全国で干し柿が生産されて地方の特産品となり、我々干し柿好きの元に届くのである。
 この干し柿、渋柿で作っている事も知らない若者が増えているようで、どんな柿でも天日に干せばあの様な干し柿が出来上がると思っている人が多いと聞く。
 なるほど話を聞けば分からない事も無いではないが、現代はパソコン1つあれば世界の情報が手に入る時代で、製造方法を知らなくても自分の生活には支障をきたすことは無い。
 況して干し柿が渋柿であろうが、甘柿であろうが関係なく、干し柿が欲しければ産地から通販で取り寄せれば良く、自分で買いに行かなくても構わない世の中。
 しかし、干し柿が柿木で出来ると、信じている人が居るとはとても信じ難いが、其れも現実で情けないと思うのは私だけであろうか、其れもどうでも良い事か。
 この干し柿、古くから生産されていたようで、古墳時代に遡るらしいが、古代の人の知恵は大した物であると感心するし、どうして発見したのであろうかとも、興味の沸くところである。

 SANY0667.JPGさて蜂屋柿とは、岐阜県美濃地方の特産物、其の歴史は古く奈良時代に遡り、記録によれば朝廷に美濃の国蜂屋村から干し柿が献上されたとの記録が残っている。
 この蜂屋柿、大きな柿で大きいものは18センチ近くの大きさになり、蜂屋村の特産物として当時の権力者に代々献上され、「堂上蜂屋柿」との名がつけられた。
 「堂上」とは、朝廷に献上するとき宮中に参内出き、昇殿を許される位を与えられた柿のこと、つまり一般の干し柿と格が違い、古くから朝廷より、諸役免除を与えられ、特別に栽培された柿である。
 その後権力者が代々保護し、「織田信長」は尾張直轄の保護をし、信長に献上するため「御柿庄屋」なる者を置き、代々蜂屋柿を保護すると供に厳しく取り締まった。
 その後、「豊臣秀吉」、「徳川家康」、そして代々「徳川将軍家」に献上され、明治に至り一般にも手に入るようになり、その後1904年セントルイス万博で金賞を受賞。
 数々の栄光の中大事に守られてきた蜂屋柿、長い伝統と格式を持った全国でも稀に見る干し柿として、代々作りつつけられてきた干し柿の中の干し柿である。
 写真左が蜂谷柿で右が富士柿、富士柿の大きなものと比べてみたが、やっぱり蜂谷柿の大きさが際立っていることが実感出来き、如何に蜂谷柿が大きいかが分るもの。








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