2020年10月01日

瀬戸の茶道具

    堀 の 手
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 瀬戸の陶器、その歴史は古く千有余年のふるきに渡るが、この地で日本最初の釉薬を使った陶器が製造され、都へと送られて行ったが、その中には茶道に関する陶器もある。
 千年以上前から作り続けられている陶器、その歴史の中では色々な種類の陶器が製造され、全国に送り出されてきたが、その代名詞とも言うべき呼び名が「瀬戸物」である。
 陶器の事を「瀬戸物」と呼ぶ事、明らかに瀬戸で製造された陶器の事であるが、陶器全般を瀬戸物と呼ばれているくらいに、全国に瀬戸焼が愛されていたからである。
 その瀬戸で焼かれた陶器は食器全般、その他にも茶道具して焼かれた器も、その茶道具呼び方も瀬戸の付く物が多く、例えば「瀬戸黒」、「黄瀬戸」、「古瀬戸」など瀬戸の名前が付くものが焼き物の名前となっている。
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 茶道具、この器は普通の一般で使かれる物と区別され、特別に作られたものであり、食器とは一線を引く焼き物となるが、大量に作られたものではない。
 必要に応じて製造され、極僅かな生産で発注主の要望にあわせて造られる器、これ等の器造りには職人や茶道具専門の作家が、独自に製造したもの。
 写真の器は、堀の手と呼ばれる発掘品、つまり古い時代に製造されたが、地中に埋まっていたものを掘り出したもの、その為に新品同様で時代が掛かっていない。
 この様に掘り出された物は、茶道具の中でも別格扱い、古く造られ人々が日常に使い伝わってきた器と区別され、伝世品とは別の呼び名、堀の手と呼ばれている。
 この器、程度が非常に良く完器、掘り出された割にキズも無く、程度の良い堀の手、灰釉も素晴らしい出来、江戸時代前期に製造されたものとの事。
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2020年09月30日

やっぱりオイル

      時代が変わっても
 最近は愛煙家にとっては住みずらい世の中にSANY2592.JPGなってしまったようで、オリンピックを控え猶更の事、煙草をこよなく愛する愛煙家の人たちにとっては、忍耐の時であるようだが、其れも時代のれか。
 個人主義が蔓延っている時代だが、煙草に対する風当たりは個人主義ではないらしく、個人の自由は認めて貰えないのも、また時代なのか。
 そんな時代であるが、愛煙家は苦労しながらも煙草を嗜んでおり、それはそれで仕方がない事かも、確かに体のことを考えれば、ソコソコで止めておかねば。
 一時の休息、それは愛煙家にとっては煙草を嗜む事によって、リラックス出来る一時でもあり、色々な休息の取り方の1つでもあると言う事。

 わたしはやっぱり「ピース」、こんな時の楽しみは「ピー缶」と呼ばれる煙草、昔は煙草の量も多くSANY5616.JPGて、特に会議が始まる時には二箱は当たり前であった。
 兎に角良く吸ったものだだが、今では体の事も考えて、一日に数本くらいしか吸わないし、時には全く吸わない事もあり、少しは体の事も考えている。
 しかし、煙草を止めようとは思った事はなく、数量を調整したに過ぎないが、煙草の銘柄は絶対に換えず、「ピー缶」一筋の今であり、誰になんと言われても譲れない。
 それと、もう1つは火を付けるライター、これも拘りの1つ、好きな物で火を付けないと煙草も美味しくなく、何時もの物で付けなければならない。
 やっぱりオイルライターに限るのだが、他人に火を付けて貰うのには何でも良いが、出来ればオイルライターにしてもらいたいと、今は持つ人も限られている。
 そんな拘りのライター、昔からこのライターが好き、少し火を付けるのが難いが、其処が又良い苦労して火を付けるのも、やっぱり拘りでもある。
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2020年09月29日

猫の鈴

    何故鈴が
 SANY2938.JPG現在家で飼われている猫のうち、どれくらいの猫が首に鈴をつけているだろうか、昔から猫の首には鈴がつけられてきた様であるが、何の為だろう。
 普通感覚では飼い猫の首に鈴をつけるが、それは皆がやっているからとか、なんと無しに首に鈴をつける人が、別に大した意味もなくつけるとか、首輪を買ったら最初から付いていたからと色々だ。
 確かに猫の首輪を買えば大抵は鈴が付いてくるもの、無いものもあるが殆どが付いているのが普通、元々鈴とか鐘とかは神や仏の居る所にあるもの、神社に行けば神殿の前に鈴がつけられているし、お寺では鐘が置いてあったり、鐘突き堂(鐘楼)に鐘があるが、これは神や仏に合図するものといわれている。
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 その鈴が猫の首にいっているもの、この風習は江戸時代に始まったといわれているが、猫は足音をたてない動物、何処にいるか分からないから鈴をつけたらしいと言われる。
 昔裕福な家に飼われていた猫は鈴をつけるのが流行であったらしく、それが明治に入ってからも庶民が付ける様になったと、しかしこれも信憑性は無い。
 江戸時代に作られた招き猫、この猫の首にも鈴ずつけられているおり、これが当時流行ったものなのか、元々招き猫も神社の土産物、神社の土産だから、神に近い生きものとして鈴を付けたのか。
 正確な理由は不明、猫の首には鈴が付きものとして、別に深い意味が無いものだと思った方が自然なのかもしれない。
気になる方は是非研究してみて下さい、いわれは兎も角、写真の招き猫、上は古い形の招き猫、この猫の首にも鈴がつけられているから、流行なんぞではないと思う、神社に関係するものであると思えるが果たして真実は何処に。
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2020年09月28日

瓶ボトル

    懐かしいもの
 戦後、日本に色々なものが上陸してきたが、一番人々に浸透したのは飲み物、進駐軍と共の日本に上陸した飲み物はコーラ飲料だ。SANY4311.JPG
 この飲み物ほど人々から奇数な物として受け入れられたのは無いと思うが、初めて飲んだ人はこんな飲み物は絶対にはやらないと思っていた。
 今までの日本には無い飲み物だからだが、真っ先に飛びついてのは若い人たち、はじめこそ戸惑っていた様であったが、見る見るうちに日本全国の若者に支持され、あっという間に広まった。
 初めて飲んだときは薬臭かったが、何故かしら又飲みたくなり、2度3度飲むうちにとりことなり、次々と連鎖反応みたいに飲んでしまったものだ。
 黒くて煎じ薬みたいな不思議な飲み物であったコーラ飲料、若者のハートをがっしりと捕まえて、瞬く間に広がっていった飲み物。
 その販売方法も今までに無かったもので、ルートセールスと呼ばれる販売形式のもの、今までの日本での売り方とは全く違った方式であった。
 この販売形式により、全国に浸透、何処でも買える様になり、更にコーラ飲料の需要は若者に広がって行き、宣伝も派手に行われた。

 その後、リンク瓶からワンウエーイボトルに移行され、その転機が始まるのが1970年代の終わり頃、その過度期に現れたのが写真のボトルである。
 今では見ることの無いボトル、当時のままに封印されたもの、この様な試作品が、あちらこちらの飲料水メーカーから販売され、又価格も其々で競争激化で、SANY4310.JPGこのボトル、まさにその時代の生き証人とも言えるもの、ラベルにもその当時の常態が分かる文字が印刷され、プラスチックボトルにと移行される過度期の物だ。
 この様なボトルは飲み終わった後、処分され市場には残らないもの、中身が入ったままで残っているのも、今は珍しい物となった。
 まさに過度期に現れたボトルといえ、之も時代の流れの中の一部、当時は飲料水の戦国時代であり、様々なケースが試された時代。
 各社がこぞって試作品をつくり出し、市場調査を行っていた時、色々な商品が開発され消費者の動向を見極めていた中の一部である。
 この時代を経てボトルもプラスチックの時代と突入して行くことになる、そんな時代に存在していた証しなのか、珍しい生き残りの商品。
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2020年09月27日

何故だろう

   人 気 薄 に
SANY1483.JPG 姫達磨、四つ丸ダルマ型時計の小型の時計、その姿が可愛らしくて人気抜群の古時計、見た目にも素敵な時計だ。
 日本人は可愛らしいと言う事の例えが上手い民族、お姫様は可愛らしいとか、小さいものを姫と呼ぶのだ。
 このたとえが一番しっくりと来る古時計は、やはりこの時計しかないと思うが、兎に角人気はある古時計。
 以前には絶対手に入れたい古時計の一番人気だと言う事があり、我も我もと姫達磨を手に入れようと探した。
 勿論古時計としての人気でもあるが、やっぱり可愛いと言う事、一つはあっても良いと思う人が多い事だ、そしてもう一つが住宅事情がそれを後押し、家庭環境の変化もあり、マンション暮らしだと古時計をかけるところが少ない。

 その上大きなものは掛けれないと言う事情も相まって、小さな古SANY1492.JPG時計に人気が移行、その為求める人も多くなったこと。
 そんな事情がこの時計の人気を押し上げ、見る見るうちに高額な値段になってしまったことにある。
 当然の事、欲しい人がいればその分値段は上がる事に、市場と言うものは敏感に反応するもので、値段と直結している。
 そんなブームが去って、姫達磨の人気は下降気味になると、その値段も下降しだすと言う結果に、これまた敏感に反応。
 人気と言うのは難しいものであることの証、一寸した切っ掛けで人気が爆発、何でそんな事になるのかと思う。
 それもまた古時計愛好家が自分自身で釣り上げているものだが、一人一人はそんな感覚はなく、ただ欲しいだけの事、それがブームだと言ってしまえば、それだけの事であるが、簡単には諦めきれないのも人情であると思う。

 一時期の過熱した人気は去り、現在では静かなブームとでも言えようSANY1487.JPGか、また少しづつ回復傾向にあり、姫達磨の欲しい人は今が買い時だと思う。
 以前に買い込んだ人たちからすれば、夢のような値段であると思うが、其れもまた現実、確かに以前の値段の三分の一。
 確かに安い、以前が馬鹿高であったことも確か、余りにも人気が良かったことも原因、これも愛好家の心理の一つ。
 現在では市場的には冷静な時期であり、買い求めるなら今が良いと思う、ジックリと見定めて良いものを買えばよいと思う。
 自然体で臨めば見間違えることもなく、焦って悪いものを買わなくて済むと、そんな気がする昨今の姫達磨の相場である。
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2020年09月24日

象嵌

   木象嵌
 古時計にはいろいろな種類が存在しており、それが又古時計を蒐集しようとすDSCN1330.JPGる人が増える要因、好き好きにより集めるものが違う事になる。
 その人の好みにより当然集めるものが違い、同じ掛時計を集めていても、八角型の時計、達磨型の時計、スリゲル型の時計、大型の時計、小型な時計、と種類は様々。
 同じ掛時計でもこれだけ分かれる事になり、種類が多い事が実感できると思うが、これはまだほんの一部分、製造メーカーの違いと国産か外国産かに分かれる事に、またまた細かく分かれる。
 ある人は精工舎しか集めない人も、その中には6インチの琺瑯文字盤しか集めない人も居て、同じ成功者を集めていても又分かれる事になる。
 古時計が奥が深いと言う事はこの事、6インチだけ集めようとしても、数が多くて中々全部集める事は難しく、集めれば集めるだけ奥の深さをつくづくと感じる事にもなる。

 ある人が古時計を見て論議が始まっている所に出DSCN1311.JPG会い、仲間に入れられ、意見を聞きたいとの事だが、何の事やらと思いつつ話の中に入る事に。
 よくよく聞けば古時計の模様にある事に気が付き、彼らの意見が2つに分かれている事も分かったので、うかつに意見を言えないと思った。
 目の前に置いてある古時計の模様に論議が集中、それは描いている模様だと言う人と、木が埋め込まれているのだと言う人、2つの意見が論議のもと、私にどちらが正解かと意見が聴いているのだ。
 その時計はアメリカ製の象嵌が施されている時計、明治以前に製造されたアメリカ製の時計、時計本体に木象嵌が入れてある。
 間違いなく木の部品を嵌め込まれているもので、木象嵌と言い手間のかかる模様つくりをしたもの、描いている模様ではないが、あまり強く否定しても間違っている人に失礼だから、やんわりと説明する事にした。
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2020年09月21日

侵入者

   何者かが
SANY6425.JPG コロナ騒ぎが収まらない中、我が家の近くで最近物騒な事件が多発、空き巣が多くて被害にあったところが続出しているのだ。
 我が家も以前に空き巣に入られたが、周りで特に多くなっていると言う、その手口は千差万別。
 家に住人がいない事を確認しから空き巣に入ると言うもの、住人を確認する為にたちが悪い。
 家の者が居ない事を確認して空き巣に入るから、これでは防ぎようがないとも言われ、頭を悩ましている。
 勿論我が家ではセンサーを取り付け、簡単には入れないようにしているのだが、それとても何時入られるかしれない。
 専門家に相談したら音の出るものが良いと言われ、色々なセンサーも取り付けたが逆に近所からうるさいとの苦情も、自己防衛も大変で度を過ぎると失敗をする事にもなりかねないが、何もしないでは安心できない。

 近所でも色々な対策をしているみたいでSANY6418.JPGあるが、これが一番と言う対策もないのが実情、用心するしかない。
 それともう一つが野良猫で、折角空き巣防止に取り付けたセンサーに野良猫が反応、それも幾度となく。
 我が家の飼い猫が居なくなってから久しく、その間出入りしなかった野良猫が今では我がもの顔でいる。
 動物とは敏感なもので敵対する猫が居なくなったことを知り、我がもの顔で出入りする事になってしまった。
 出入りだけならまだしも芝生の上で排泄をして行くからたちが悪く、その対策にも頭が痛いのだ。
 センサーに反応するやら、排泄して行くやらで、やりたい放題の現状、困ってものでネットを付けてみた。
 簡単なネットを出入り口に設置して、野良猫が入れないようにしたがその効果はあまりなかった。
 ネットが低すぎて野良猫は簡単に飛び越して行く事に、目の前で飛び越されてしまい頭にきた。
 それでネットを高くして飛び越せないようにしたが、敵もさるもので今度は他から侵入しているようだ。
 その対策に乗り出さなければ、空き巣と野良猫、頭の痛い事ばかり発生するとは、今の世の中忙しい事だと思う。



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2020年09月20日

季節は移り行く

    異常の暑さだが
 SANY6779.JPG今年の夏、異常な暑さ、記録的な猛暑と何度も報道されているが、全国各地で最高気温も更新され、確かに暑い。
 幾ら暑くてもお盆を過ぎれば例年は少しは涼しくなるが、今年はまったくと言ってその気配が無く、マダマダ太平洋高気圧は元気だ。
 これからも当分暑い、暑いと言わなければすまないようだが、果たして何時まで続くことやら、そんな事を思うこの頃。
 近所の庭に秋を見つけ、こんなに暑いのに如何して秋が来ているのか不思議、まだ35度を下らない気温、そんな中植物は秋を伝えに来ている。
 自然界とは不思議のもの、我々人間の営みとは別に、彼等は彼等なりの生き方が存在している事は確か、敏感に季節の変わり目を感じているようだ、巷ではコロナが蔓延している現実、秋が来たかと思えば少しは気が休むもの。
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 秋を代表する花コスモス、漢字でも秋桜と書く、その字の通り秋に咲く花、そのコスモスが近くの庭で咲いているのを見つけた。
 このコスモスが暑いのに咲きかけているとは、そんな思いで眺めていると、その庭に別の花を又見つけてしまった。
 これも秋の七草の1つ萩、コスモスは秋の七草ではないが、萩は秋の代表的花、この2つの花がチラホラと咲き始めている。
 自然とは素晴らしいもの、我々の様に暑いと言って部屋でエアコンを効かせて居るのに、片方は暑いのに花を咲かせ始めているとは。
 彼等は暑さにめげず、健気に花をつけ、人間に季節が変わり始めた事を告げているようだ。
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2020年09月19日

テーマはノリタケ

      放送なので

 地元FMラジオ、ラジオサンキュウ、ここの放送に出るようになって10年になるが、SANY9651.JPGあっという間に過ぎてしまったが、今でも新鮮な気持ちでやっている。
 始めの頃は余り多くを語らなかったが、最近では時間が足りないように思いだし、時には時間を超過し、ディレクターが手でグルグルと合図。
 そんな事がしばしば、はじめと違って次から次へと云いたいことが出てくるから、止まらなくなり時間だ、時間だとディレクターを慌てさせる。
 はじめはアナウンサーの質問にしか応じず、アナウンサーもやりにくそうであったが、今は逆に私が喋りすぎ、全く逆な事になっている。
 そんな事で、今日のテーマはオールドノリタケ、何回もこのテーマはやっているが、何回やっても言い尽くせないもの、今日もまたディレクター泣かせ。

 今日もダブル高橋、2人の高橋アナウンサーとノリタケ談義、私からざっと、オールドノリタケの歴史について述べ、その中で明治期森村組に瀬戸の陶器業SANY9736.JPG者が大きく関わった話をする。
 すると両高橋アナ、パクリと食いつき、瀬戸の窯元の話になり、盛り上がりを見せだしたので、また話が長くなると思い、他の話題に変えると、2人とも私の顔を見て何故と言うような素振り。
 是も何時もの事だが、これ以上話が進むとノリタケの詳しい話ができなくなり、時間がなくなる恐れがあるためだが、2人の目はまだ話が途中と言いたげだった。
 オールドノリタケの話に無理やり引き込み、ノリタケのウンチクを話し始め、軽く流して説明をする。
 慌てて早く話を済ませたもので少し時間があまってしまい、そこからはオールドノリタケの品評会開始である。
 結果はそれぞれが好みのカップを持つ事に、自分好みのカップを手に、人の持っているものを何で選んだか、お互いに聞いている内に時間となった。
 何時もぶっつけ本番の放送、殆どがアドリブと出たとこ勝負、だから他の人がどんな話をするのか、その探りあいで非常に面白いトークとなる。
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2020年09月18日

久し振りの市

   血が騒ぐ
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 久し振りに蚤の市に出かけたが、ヤッパリ何処かそわそわとして、何か良い物がありはしないかと、そんな思いが湧いて来るのだ。
 別に大したものがあるとは思わないが、それでも何か良い物があるのではと、期待してしまうのも蚤の市である。
 幾度となく訪れてはいるが、それでも何時も思うのは何かあるのではと、誰しも思う期待が表に現れるものだと思う。
 そんなに大きな蚤の市ではないが、期待は何時も大きくて、現場に入るまでが一番、入ってしまえば思いよりも、早く良い物を見つけたいと。
 そんなものが有るわけないと思いつつも、その気になってしまうのが蚤の市、大抵は期待を裏切るものなのだが。SANY3074.JPG

 若い頃は余りにも荷物が多くて、一つ一つの店を順に見ていたので、時間ばかり過ぎて先に進めず、良い物を人に取られてしまった事も。
 一つの店を見過ぎてしまい、早く次の店に行く事が出来ないのだ、それほど時間がかかっていたが、次第に店の商品が分かるようになる。
 そもそも何が専門なのか、店、店によって違いがあり、それを早く把握しない事には早く回れないと、それに気が付くまで時間がかかった。
 慣れて来ると店主の好が分かるようになると共に、自分好みの店を覚えるようになり、数段に時間が短縮され、一点集中して見れるように。

 そして店主とも顔見知りになるSANY2955.JPGと、向こうから話かけてくれるようになり、情報もくれる様に、それまでに時間が過ぎた。
 今は逆に久し振りではないのかと、向こうから呼びかけてくれ、顔見知りとは良いものだが、少しご無沙汰でもある。
 そんな蚤の市、今日も何かあるのではと、気持ちも高ぶっているのも久し振りである証拠、蚤の市に呑まれているかも知れないのだ。
 しかし、何時もの空気が漂っているのも蚤の市、時間が止まったような雰囲気、昔に遡って行くような、そんな雰囲気が漂う、さてさて今日は何を探せるものなのかと、足早に進む事になってしまったのも、やっぱり久し振りの証拠である。
 こんな日は何にも手に入らない事は、今までの経験で分かってはいるが、ひょっとして良いものに出会うかもと。
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2020年09月17日

材質の違い

   普通の材質と異物
SANY2036.JPG 古時計、色々な種類が存在しており、種類の多さが古時計でもあるのだが、それが蒐集に意欲を与えている。
 色々なものがあるから面白いもの、数が少なければ蒐集は簡単に出来、あまり時間も係らず値やはり面白味がないのだ、集めても、集めても、尚且つまだ集まらない、だから集めてやると意欲が湧くのも、数の多さが原因とも言える。
 種類の多さが原動力ともなるのだが、的が絞り難いのも古時計の世界、探す興味を持てるのも古時計の多さ、そんな古時計、的を絞れば集めるのも目標が出来、その目標に向かって進めるので、蒐集のめども立つと思う。
 逆に人とは違った蒐集の仕方をすれば、変わったものが集まる事も、人の手を出さない物であれば、集めるのも楽かもしれない。
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 そんな思いで、人と違った道を進むが、之もまた簡単な事でない事に気が付くことに、それは逆にかすが少なすもの。

 例えば変わった時計を集めようと決めても、数の少ないものはなかなか集まらず、探しても、探しても見つからない事も、中々古時計が手に入らないと、自然に気がめいって来るもので、何時になったら手に入れられるのかと不安が先に立つことになる。 
 それがドンドンと大きくなり、のしかかって来るとは思っても見ない事に、イライラが募る事にもなりかねないのだ。
 私の知り合いが、人と違ったものを集めたいと、コツコツと集めだし、何を集めているのかと聞けば、形よりも材質の違ったものを集めているのだと。

 何かと聞けば「例えば振り子であったり、飾りボタンでSANY2058.JPGあったり」と言うので、もう少し詳しく聞くと、八角型でも振り子の違ったものがあり、材質も違ったものに的を絞ると。
 写真の振り子と渦巻きりんの台、普通は金属であるが値素材がガラスだと言う、ガラスの振り子や渦巻きりんの台など、ガラス物は珍しいと。
 素材が違えば、違ったで面白く、形が違えばもっと楽しいのだと、見つけた時の喜びが堪らないのだと言うのだ。
 少し違った視線で古時計を見ると、また視野も開けるもので、人と違った道が見えて来るから、進むのも楽しいらしい。
 自分の道を探し、簡単な事から集め出せば、楽しく先に進める意欲も湧くもの、それが古時計の世界かも。
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2020年09月16日

使い慣れたもの

    之がないと
 SANY4626.JPG車を運転して47年、この年まで幾つものサングラスのお世話になったが、レイバーンのサングラスほど付き合いの長いものはない。
 どう言う訳か運転するのにサングラスがないとダメ、路面が光って目に痛く感じ、サングラスをかけないで運転は出来ないのだ。
 その為に之までにどれ位のサングラスを買い込んだことか、はじめの頃はまぶしさを避けられれば、どれでも良かったと思っていたが。
 ある時、マックイーンが掛けていたサングラスが気に入り、そのサングラスを探して買い込んだのだ、其れ以来レイバーンのサングラス一途。
 次から次にとサングラスを買い込んで、今では10個以上のレイバーンのサングラスを持つ事になってしまい、どのサングラスを使うのか困る時も。
 友人が「1人で1つのサングラスしか掛けれないのに、幾つあっても無駄」と手厳しい、「お前は2つのサングラスをどの様に掛けるのか」と、またまた嫌味。
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 言われてみれば確かにその通り、1つしかサングラスは掛けれないが、使用場所によってサングラスを掛けかえるものだから、違ったサングラスが欲しい。
 晴れた日と雨の日とは違ったもの、曇りの日と雪の日とも違ったサングラスが必要、用途によってサングラスを掛けかえるのが通。
 写真のサングラス、1番気に入っているもので20数年使い続けているものだが、今ではなくてはならないサングラスと成っているもの。
 偏光レンズが付いている為に、利用度は高くて便利なサングラス、何処に行くのも手放せない1つ、多くのサングラスがあるが、やっぱり之が1番使い易いサングラスだ。
 そんな私に友人、「日本人には合わないサングラスだ」と嫌味、確かにその通りかもしれないが、好きなものは好きで、人に言われたくもないのだ。
 このサングラスを使い出してから20数年、好きなサングラスをとっかえ、ひっかえて使っているが、これが一番お気に入りのものだ。
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2020年09月15日

洋館の明かり

      シンプルが良いSANY2874.JPG
 明治期、西洋から入ってきたランプ、日本の生活の中に溶け込んで久しいが、その種類は様々なもの、その建物にあったものもあれば、場違いなものも多い。
 日本の建築にあったものが輸入された訳ではなく、そのランプに合わせるかのようにランプが流入、其れを選ぶのも購入者の好み、派手なランプを欲しがる人、シンプルなランプを好む人。
 そんな西洋ランプ、電燈が使用されるようになってから、急速にその姿が増したのは言うまでもなく、電気の普及と共に西洋ランプも増えて行く。
 そして、日本建築その物に付けるのではなく、西洋館を建築して、日本の住まいとした建物が増え、其処には西洋ランプが当然の如く使用された。
 明治期も中期を過ぎると、日本人も西洋ものに少しづつ馴れ、その好みも多少変わってきたのか、やっぱり建築に合ったランプを選ぶようになった。

 写真のランプ、明治当時建てられた西洋建築、シンプルな造り方であるが、西洋館には違いなくランプが使われているが、思ったよりもシンプルなものが付けられている。
 形こそは色々な種類があるが、その物は派手なランプではなく、SANY2877.JPG部屋部屋にランプの形や大きさは違うもの、シンプルである事には違いなく、センスの良さが伺える。
 写真のように、乳白色系のランプであり、殆ど色は入っておらず、白色で統一されているかのようだが、当初からこの様なスタイルであったかは不明だ。
 しかし、現在使われているランプを見た限りでは、この建物にピッタリのものが付いていて、非常に好感が持てるものとなっており、見る人も落着いて見える。
 生活のなのランプ、毎日見るものであり、余り派手なものは見ていると飽きるもの、シンプルなものは何時までも飽き無いもの、しかし、少しは色の入ったものも変化があって良いのか。
 この様なランプ、建物によっても違うが、色とりどりの色の付いた派手なものばかりではくど過ぎると思う。
 その雰囲気に合ったものを付けるのが良く、派手なものは避けた方が良い、西洋ランプも適材適所で、その建物の雰囲気を壊さないようなものが良いと思う。
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2020年09月14日

ガラス絵で分かる事

   各社の違いが
SANY2861.JPG 明治期、日本の時計製造会社は西洋時計をモデルに、盛んにコピー商品を造り、市場に供給していたが、今で言う違反であるが当時はお構いなしに行われた。
 アメリカ製の時計をそっくり真似て西洋時計を製造、今で言うコピー商品、商法違反である事は明らか、しかし当時は気にせず造り続けた。
 兎に角そっくりに造り上げる事を目指しており、その完成度は高いもの、本家の時計と瓜二つの時計が製造された。
 そんな事で本物そっくりに造る事が当時の時計製造会社が目指していた事、そっくりに造り上げ安価な値段で提供する事に生き甲斐すら目指していた。
 現在の中国と同じ状況で、コピー商品をとやかく言う現代人も、昔は日本も盛んに造り続けていたのだから、今にして思えば恥ずかしい。
 しかし当時は恥かしいとは違い、逆に誇らしく思っていたのだから、考えもしない事、とにかく一生懸命にコピーした時代。

 現存している古時計がその証拠である事は確か、より本物に近い物を造る、その意気込みが健在に伝わって来るのだ、今そんな古時計を並べてみると、面白い事が見えて来るもので、会社が何処の時計をモデルにしたか、そして同じ時計をモデルにしても、その出来の違いSANY2855.JPGが。
 大手の時計製造会社と中小の時計製造会社とでも、その違いが表れているが、個人の時計製造所もまた競い合っていた。
 ある意味、個人の時計製造所の方が、より本物に近い商品を製造しており、大手の時計製造会社よりも精度の高い時計を製造。
 何処にそんな力があったのか、個人の時計製造所が大手の製造した物よりも良いものを造る、おかしなことであるが、事実それが残っているから、ある人に言わせれば大手の製造会社はコストと利益を重要視したために、個人の製造所よりも程度の落ちる時計を製造したと。
 プライドを持って造り上げた個人の製造所、大手に負けまいとする心意気は、明治の職人魂を見る思い、意地とプライド、職人気質、個人の製造所の職人の腕が良かった事の裏返しとも言える事、その証がしっかりと残っているのも面白い事だ。
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2020年09月13日

招き猫の由来

    由来です
 招き猫の発祥とは、古来中国の逸話に由来SANY0900.JPGするものであるらしいが、今の招き猫の形が出来上がるのは江戸時代に入ってからだと言われる。
  何故、猫が人を招くのか、猫の顔を洗う仕草がいかにも「おいでおいで」と人を招いているように見える事からとか、色々な説が存在する。

 800年代の唐時代にこんな諺が、 「猫面を洗いて 耳過ぎれば 即ち客到る」と、これは猫が顔を洗うと雨が降る、雨が降れば雨宿りの客が店に入って来るとの例えである。
 もちろん猫が顔を洗ったからと言って雨が降るとは限らないが、雨が降れば人は雨宿りをしなければならないから、店に入って来ることもある。
 商売人にとっては願ったり叶ったり、雨が降れば客が来る、そんな事の繰り返しが猫の顔を洗う仕草と相まったともいえ、当時も今も、雨が降りば人は雨宿りを求めてつい店に入ってしまうが、この事が客を呼んでくれる縁起の良い仕草であると喜ばれていた。
 日本で言う、 「風が吹けば桶屋が儲かる」の例えと同じ、間接的に繋がっているが縁起の良い事の教えである。

 日本では色々な説がある中、1400年後半、太田道灌が負け戦で道に迷い、自性院の飼い猫が手招きした方角に逃れ、窮地を切り抜けた故事にちなんだもので、これが招き猫の始まりであるとされている。 

 豪徳寺説、 1600年後半2代彦根藩主が鷹狩の帰り、豪徳寺近くの大きな木の下で雨宿りをしていたが、豪徳寺の飼い猫がしきりに手招きをするので、それにつられて豪徳寺の境内に入ったら、今まで雨宿りをしていた木に落雷して命拾いしたとの故事にちなんだもの。
 西方寺説、SANY2926.JPG今戸神社説、など諸説がいくつか存在しているが、いずれも確証がなく、どれが正しいかは本人の考え次第、諸説ある中、1番信憑性のあるのは、京都伏見の伏見人形が1番初めではないかと私は思うが、ここで製造された伏見人形が江戸時代初期から、全国に普及し、この人形を手本に土人形が作られるようになる。
 その中に招き猫風の猫の土人形が存在し、これが元となっている事は確かで、諸説ある招き猫も伏見人形の発展系であると思われる。
 中国の故事をヒントに、みやげ物や商売繁盛の縁起の良い置物として、あちらこちらで製造が始まり、その内に元祖や本家などと後から付け加えたようだ、何れにせよ商売人には客引きの縁起の良い置物には違いは無く、また郷土玩具の愛好家には是非とも手にしたい土人形でもあり、招き猫は愛玩用としても人気がある。

  現在でも招き猫ブームがあり、新しい招き猫も続々とつくり出されているようで、現在では我々が驚くような招き猫も出現しているとのこと、いずれにせよ招き猫は幸福を齎す縁起の良い置物であることには変わりなく、全国各地で色々な招き猫が製造されているようだ。
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2020年09月11日

ブリキリ玩具

SANY0283.JPG   ロボット
ブリキの玩具と言えばロボットと帰って来るのは男の子、男の子にとってはロボットは憧れのオモチャと言って良いと思う。
 勿論私も即座にロボットと答えるだろうし、他の人もその様に答えると思われるが果たして全部が答えるのか、それもまた疑問でもある。
 そんなロボット、勿論年代順にロボットの種類が違う事は明らかだ、私の頃は鉄腕アトム、鉄人28号、この2つに限ると言って良いと思う、しかし世代が違うとロボットもまた違う。
 それなのにブリキから連想するのにロボットが出て来るのはやはり男の子だからと思う。
 勿論その他の答えをする人も居るだろうと思うが、ほぼ全体が支持するオモチャだと思われ、今も昔もロボットの人気は高いのだ。SANY2042.JPG

 当然の事だが現代のロボットはブリキではないため、今の男の子に問いかけても無意味であるが、私は今でも男の子はロボットが好きだと信じている。
 その筆頭がガンダムと言えようが、他のロボットも出ると思う、しかしロボットに違いなく、男のロマンみたいなもの。
 しかしブリキのロボットは高い、特にアトムや鉄人などは復刻版でも高くて、買う気にはならないが好きには違いない。
 高くなければ直ぐにでも買いたいと思う心理は幾つになっても持っているのも男だからと言えるのではなかろうか、それこそ動かなくとも安いアトムや鉄人のブリキの玩具があったなら、絶対に欲しいと思うし、買い込むかもしれない。
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2020年09月10日

郷土玩具

   小さな蕾DSCN2362.JPG
 郷土玩具、日本全国に伝わる素朴な人形郷土玩具、昔から愛好家が多く、今尚人気が高く愛され続けている人形の一つでもある。
 全国に伝わる郷土玩具は人形だけではなく色々な物があり、その土地、土地でつくられ続けている素朴な玩具を指して言う言葉だと思う。
 それは様々な素材でつくられたもの、土であったり、木であったり、鉄であったりと、その土地にあった色々な材料を利用してつくられたものだ。
 それらは本職の人達が造り出すものではなく、農耕の合間につくり出したもの、だから素朴でその土地に溶け込んだもの達だと言う。
 土地に伝わった伝説がもととなったものや、話からヒントを得てつくられた玩具、また土地に合った素材でつくられたものと様々、その中の一つが土人形である。

 土人形の歴史は古く、全国でつくられてDSCN2363.JPGいるが、もとは京都の伏見人形であると言われており、その伏見人形が伝わり、各地でつくられるようになったようだ。
 今回の小さな蕾はかって私も集めていた三春人形や堤人形、それに相良人形、花巻人形など素朴なものが取り上げられている。
 土人形は簡単な絵の具で彩色されているから、長年の汚れや煤で傷んでいるものが多く、程度の良いものを探すのは大変。
 あちらこちらを探し回って、程度の良い人形を見つけることが愛好家にとっては何よりな事、だから張り合いが出ると思う、特に古い江戸時代の土人形を見つけた時は何よりの喜び、それが愛好家だと思う。




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2020年09月09日

階段ダンス

    便利な階段
SANY5205.JPG 前にも紹介した建物の二階に上がるのには、登る道具が必要になるもの、古くから建物の上に上がるには梯子を利用して上がっていたのだ。
 古墳時代の建物にも、梯子の階段が使われていることは知られているが、その梯子から二階に上がる階段になるには時間がかかったようだ。
 神社仏閣は別として、一般の住居に二階が誕生するのは凄く後の事、庶民が二階建ての家に住むようになったのは江戸時代其れも後期の事。
 町屋でも大店と呼ばれる商家は別として、庶民の家はヤッパリ幕末から明治頃の事、この様に階段の歴史もそんなに古くないようだ。
 そんな階段、時代が下がると梯子下に扉などが付くようになり、次第にその形態が進化してゆくことに、はじめは扉を付けただけの物が、段々と進化する。
SANY5211.JPG
 写真の階段ダンス、何時も日本古時計保存協会の時計展の準備に古民家久米邸の蔵の二階に上がる為のもの、明治中頃に作造られた階段ダンス、素材は一般的なもので高級な物ではなく、実用一点ばりのもの。
 階段の幅も狭くて急な傾斜をした階段ダンス、この様な階段ダンスは造り付けで移動できない物であるが、他にも移動できる階段ダンスもある。
 用途により階段ダンスは造られたものであり、その建物にあった階段ダンスが製造されたもの、同じ様な形態ではあるが、それぞれに違ったものだ。
 この階段ダンス、扉部分が大きくて、大きな物が入れられるようになっており、引き出し部分が少ない物、この逆に引き出し部分が多くつけてあるものもある。
 この様な階段ダンス、狭い部屋を広く使いたい為に、階段部分の面積を小さくしたもの、結果的に急勾配の階段ダンスとなったようだ。

 
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2020年09月08日

確認事項

   浜松ミーティング開催の件

 日時、9月13日、日曜日
 場所、浜松市東区小池町2543−4
    NKトレーディング事務所 053.465.3666
 時間、11時半開始
 会費、1500円、昼食代含む
 尚、オークションを開催します。

 日本古時計保存協会 事 務 局
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2020年09月07日

この時期になると

   招き猫
DSCN1117.JPG 9月何時もの招き猫祭りがやって来るが、今年はコロナの影響で開催中止、しかし自分の展示は行う事に、その準備に振り回される事に、毎年の事であり勝手が分かっているから、別に慌てないでしょうと人は言うけれども、そんな事は無い。
 人から見れば、毎年やっている事だから経験があり、別に今更慌てなくても簡単に行われるのではないかと言うのだ、しかし現実はそんなに甘くなく、コロナの影響で展示内容も難しことに、そなん思いがこちらにもあるから、展示前から大変、今年はどんな変化をして楽しませるのかと、毎日考えていたのだ。
 それと言うのも、私がそんなに多く招き猫を持っている訳ではなく、人からも貸して貰う事にしているのだ、色々な人からの協力が無ければ毎年物を変える事は出来なくて、何時も協力を求めているのでこれも大変だ。DSCN1123.JPG

 その人達も同じ事で、毎年同じではと考えているのではと、この時期になると大変だと思うので、それも気がかりである。
 展示とは自分だけで行えるものでは無く、多くの人の協力なくして実現できないものであり、感謝に耐えないのだ。
 この招き猫祭り、私が参加してから11年になるが、その間色々な事があり、はじめの頃はただ忙しいだけ、しかし途中から考えが変わり何処の招き猫でも良いと言う事は無く、やはり瀬戸で製造された招き猫でないと意味がない。
 そんな考えが芽生え、それからが大変な事になり、それは瀬戸の招き猫だけに絞ると、数を集められないのだ、招き猫と言う事であれば、伊万里でも常滑でも、そして九谷でもと言う事だが、瀬戸に限るとこれがまた大変である。
 限定された中で招き猫を集める事は難しく、その上数を集めるとなると苦労をする事になり、先に進まにくなることも。

 前にも言った通り、何時も同じ物では面白くSANY8441.JPGないと、そんな事でそれを実行するとなると、難しいことになるのだ、その招き猫は前に展示をしたものと、この招き猫も以前に展示したもの、そんな作業をしているとお先真っ暗になる。
 展示する招き猫が無くなるので、関係者から「そんな事を言っていたら前に進めません」と、少し位同じ招き猫があっても良いと、もっと過激な発言は「誰が去年の招き猫でと分かるのですか」、「同じ物で十分目的は果たせるのでは」との意見が出始める。
 要するに拘っていては先に進めなくなり、結果は行き詰まってしまう事になるのではと、確かにその意見も現実である。
 現実と言うよりも、今おこっている事だと再認識させられ、コロナの中長年の展示は大変な事であると改めて実感する事になった。



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