2019年10月31日

雰囲気に合うのか

    国柄が出る
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 部屋の明かりは其の部屋にあった物を付けたいが、其の人其々であるから、色々な照明器具が用意されて、個人の好みによって付けられるのは当たり前のこと。
 各家庭で其の照明器具は千差万別、例えば天井にはめ込まれたもの、吊り下げられたもの、上向きにつけられたもの、下向につけられたもの、など色々な照明器具が存在する。
 しかし、その明るさは日本の家庭が明るすぎる位、照明が付けられているとの指摘が、海外から寄せられている現状を、日本の人は余り理解できて無い。
 日本の経済が順調に伸びてゆく過程で、一般庶民の家庭の明かりも次第に明るくなって行き、照明器具も其の要求を満たす為、必要以上の明るさを作り出して行った。
 蛍光灯が家庭内に入り、今までの白色灯を駆逐して、日本の家庭から白色灯を追い出してしまい、蛍光灯一色に塗り替えてしまったが今はLEDである。
 明るさに慣れた日本の家庭は、より明るい蛍光灯を要求し益々明るくなり、部屋の隅から隅まで照らす事を求めて、より明るい照明器具をつけていった。

 それが現在の日本の家庭の照明事情であり、震災で節減をSANY2185.JPG求められ、やっと照明器具の節電に気が付いたようであるが、今まで染み付いた習慣は中々抜けないと思う。
 慣れている明かりを暗くする事への不安感、今まで明る過ぎたせいで、明るさの感覚がずれ、少し暗いと不安を感じる体質になってしまったのであろか。
 今一度、明かりに対して考えを新たにして、海外で行われている間接照明や、手元だけ照らす部分照明を見直して、節電対策を真剣に考え直すときでもあると思う。
 少し前の日本は、これほど明るさを追求しなかったし、庶民も其れを考えなかったもので、少し前に戻れば良い方法が浮かんでくると思われ、各個人が家庭の照明に、今一度取り組むべきではないだろうか。
 少し暗いくらいのアンティークなランプにして、ムードを楽しんではいかがかな、暗くても生活にはさして支障は無いと思うが、さてどうだろうか、ムードだけでも楽しんでは、明るすぎる生活から少しは後退しても良いのでは。






 
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2019年10月29日

蕎 麦 U

    新蕎麦の出回る
 
 毎年、この時期をくるのを楽しみにして待っSANY1303.JPGていたが、今年は夏が暑かったので心配していたが、そんなに影響は無く無事蕎麦は生育していたようだ。
 兎に角秋の新蕎麦は香りが良く、色も少し緑がかっていかにも初々しい姿をして、我々の前に現れ目を楽しませてくれる。
 蕎麦の収穫時期は殻が黒くなり、緑色したものが3割り近くに少なくなった頃が1番良い時とされ、それを越すと水分が少なくなり香りが飛ぶらしい。
 そおして収穫された蕎麦は乾燥され粉となるが、其の時一番の敵は熱であるらしい、早く回転させ摩擦熱が発生し、肝心な蕎麦の香りが飛んでしまうらしい。
  蕎麦屋の店頭でディスプレーされているあれ、石臼でゆっくりと回転させ蕎麦の実をひく、石は摩擦熱を 余り出さないから、そばの粉が薫り高く挽ける。

 皆さんが良く目にするあの石臼挽き蕎麦、この挽き方が一番らしくて、本来はその都度食べる分だけ挽くのが一番であるが、商売上中々難しい事でもあるが、美味しい蕎麦は「先ず石臼挽きである事」、「打ち立てである事」、そして「茹でたてである事」、それを食べるのが1番とされ、 そんな店を探すのも蕎麦通の醍醐味である。
 そんな蕎麦を求めて、蕎麦通は全国を探し回り、まさに金の草鞋を履いてでも「薫り高く」、「腰があって」、尚且つ「喉越しの良い蕎麦」を求めて今日も探しているだろう。
  蕎麦通にとって自分好みの蕎麦を見つけるのも楽しみの一つ、他人が美味しいと言えども、自分好みでない蕎麦は美味しくないのだ。
 蕎麦通でない人は別にそばに変わりはなく、見た目だとか、固いとか、のど越しかよいとか、そんな事はどうでもよく、やはり自分の好みの蕎麦が良い。
 そこが食通と少し違っているが、拘りと言えば拘りだが、好き好きと言ってしまえばそれでお終い、何でも良い事になってしまうのだと思う。
 

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2019年10月28日

展示の仕方

    インテリアとして

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 古時計やアンティーク物をどの様に展示するか、瀬戸市の古民家久米邸、私の蒐集品を置いてくれている所の1つ、ここを訪れる人の目を慰めている。
 自分の蒐集物が段々と増え、我家に入り切らなくなると共にはみ出す物も、そんな事であちらこちらに置いて貰っているが、ただ預けている訳ではない。
 展示してある所は商売をしている所ばかり、そんな所だからこそ置いてくれていると思う、インテリアとして扱って欲しいと頼み込んだところもある。
 迷惑な話でもあるが、私にとっては藁にもすがる気持、そんなに物が多ければ収集するのを止めれば良いと言われるが、それが止められないのだ。
 あちらこちらと出かけては見たものが欲しくなり、ツイツイ買い込んでしまう癖、一種の病気みたいなものかも知れないと言われる。
 言われて見ると確かにそうであるとも言え、自分自身に反省もするのだが、そんなものを見るとツイツイ手が出てしまい、帰りには買い込んでいる。

 やっぱり人が言う様に病気かも知れないが、この病気からは中々抜け出せないで40数年経つが未だに止め様とも思わない。SANY1105.JPG
 そんな事で物が集まって来るから仕方なく展示にへと進む、それを又助けてくれる人が居るから世間はあり難いものだと思う。
 久米邸では周期的に展示物を交換しているが、それを又楽しみにしている人も多いと聞く、今度は何が展示してあるのかと来る人もあるとか。
 勿論毎年の雛巡りの間は展示物の交換は出来な
い、しかし喫茶部の一部はアンティーク物を展示したいとの意向で、この部屋だけは展示物の交換もその都度行っているのだ。
 この部屋の雰囲気に合う様な小物から、大きな物まで色々と取り替えるが、電蓄等の大物は重くて取替えには大変な事になる。
 部屋の入り口が狭い為に、ここを通過しないと運び出せないので、1人でここを通過しなければ物が出ないのだ。
 そなん事で余り重たい物を運び入れたくは無いが、逆にそんな物ほど人気だから、此方の意向とは逆になってしまい、結局は重いものを運ぶ事になる。
 何だかんだで久米邸の展示入れ替えは大変な作業となり、1人で運べないから手伝って貰うしか仕方が無い、何時も協力者待ちでもある。

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2019年10月27日

収集癖

    やめられない
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 現在も進行中の古時計蒐集、数はこれ以上増えない様にしているが、買い込んではあるものを処分する事に。
 数こそ今の現状を保っているかのようだが、現実はまだまだ買い込んでおり、増える一方である。
 その為に古くからあるものの内、同じ物があればそれを処分して、新たなものを買い込む、それの繰り返し。
 入った分だけ処分すれば数は増えない寸法、いたって合理的だと思うのだが、やはり家族からは冷ややかな目で見られている。
 何であれだけあるのに買い込んで来るのか、理解できないと言うが、これでも抑えに抑えているもので、制約が無ければモット買いたい。
 現在あるものは完成半ば、自分の目的としている分の半分、あと半分もあるのだから、まだまだ途中半端な状態、だからこそ進行形でそれを理解していないから、だからセーブしろと言われているが、これも宿命か。DSCN1705 (1).JPG
 私の収集癖は親譲り、兄弟そろって収集癖があり、大小は別にして皆何がしかのものを蒐集しているが、
 それが何にせよ集める行動は同じようで、こそこそと何がしかを集めているよう、兄は切手を集めていたて、姉は陶器の人形を集めており、同じような行動をしているから、収集癖は親父譲りと思うのだが。
 親父も陶器のほか、色々な物を集めており、切手もその一つであったし、時計もやっていた由、そしてランプも集めていた。
 陶器だけだと思っていたが、親父が無くなったから、後片付けをしていたら切手が大量に出て来たのだ。

 その上ランプも時計もソコソコの数が出て来て、お袋もビックリしていたが、現実に集めたものがそこにあった。DSCN1707.JPG
 親父の収集癖が兄弟に遺伝したのかは別として、それぞれの兄弟が蒐集するものは違えど、物を集める事をしているとは。
 自分では気が付かないものだが、人から見れば親譲りで、何にでも興味を示し、ものを集める事に同じであると言う。
 他人に言われてみればその通りで、兄弟そろって何がしかのものを集めているから不思議、教えて貰った事は無いのに。
 親の遺伝子がその様な行動にさせるものなのかは知らないが、それぞれに同じ行動をしているとは。
 そしてソコソコを集めており、満帆な状態も良く似て来たもので、何処に置くものなのかと思案しているのも同じようだ。
 どうやら止めようとはしていると思うが、中々止めそうにもないのも同じようなもの、親子どこか似ているものなのか。
 子供の頃から体に染みついているのかも知れない。


 
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2019年10月26日

仲間が減った

   まいとし

 私が古時計を集め出してから、幾人もの愛好家と出くわし、大の親SANY0856.JPG友も多く出来、たのしくやってきたものだが、最近めっきりと減ってしまった。
 自分にとって大の仲間、その彼も今はなく、幾度となく古時計について語り合い、また情報交換も行ってきた仲間、その最大の人が亡くなったしまった。
 何時も電話で古時計の成果を報告しあった来た仲間、勿論大のライバルでもあった人、彼が居たから今日まで古時計と真剣に向かい合った来たと思う、それが無ければここまで続かなかった。
 ライバルとは素晴らしいもの、活力の源でもあり、原動力にもなるもの、ライバルあってこその自分でもあるのだから。
 兎に角情報も互いに報告しあい、意見の交換もきたんなく話し合い、お互いに激励しながら古時計を探して来たのだから。
 自分では若いと思っても、歳は待ってはくれず過ぎ去って行くもの、古時計を集め出してから早50年近くなり、何時しか歳もとってしまった。
 大事な仲間も今年も一人無くし、昔からのライバルは大半が居なくなってしまい、寂しさも人一倍に感じるようになった。

 古時計を通じて多くの仲間と出会ったが、親友と呼べる人は数DSCN0827.JPG少ないもの、それだけに無くすと身に応えるのだと感じている。
 もう彼等から良い情報も来なくなってしまい、こちらからも報告が出来ないのだ、やはりライバルがいてこその自分である。
 そんな彼らから後を託された古時計が多くあり、一番の親友からは蛎殻町製造の時計、日本で一台しか存在しない古時計、写真の真中の大きな時計、彼が見つけ出し愛用していたもの、亡くなる前奥さんに遺言として私に渡すようにと告げたといい、奥さんから託された時計が一番。
 ほかには親友の息子さんから、親父が戸田さんに渡せと言われたからと灰谷伊右衛門の時計を送ってきたもの、私が是非とも譲って欲しいと申し出て我が家にやってきた古時計など、多くの古時計のライバルから託され今手元にある。
 それらの古時計を見ていると、この時計を手に入れた時に電話で話をしたことが思い出され、懐かしく思うのである。
 そんな仲間が年々去って行くのは実に寂しいもので、ライバルが居てこそ張り合いもあると思うが、亡くなって寂しくて元気も出ないものだ。

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2019年10月25日

蕎麦切り

    発祥は信州木曽

 昔から世間で、「蕎麦と言えば信州」、「信州と言えば蕎麦」と代名詞に成っている蕎麦、やっぱり発祥の地であったからこそ、昔から言い伝えられてきたのであろう。SANY1218.JPG
 蕎麦は全国で食べられており、信州特産であって、信州だけのものではないが、蕎麦とくれば信州と何故かイメージをしてしまうほど定着している。
 信州木曽の蕎麦は、「そぼく」であり、それでもって「味わい深い」味の蕎麦、俗に言う「田舎そば」で、信州の代名詞的存在でもあると思う。
 蕎麦の歴史は1574年木曽、須原定勝寺における修復工事完成時に振舞われたとされる「蕎麦切り」の記録、今では一番古い記録、禅宗の僧から伝わったと言われているが、やはり「寺方蕎麦」であったのが古文書からわかり、寺方より一般に広がっていったとする説の裏ずけでもあるようである。
 一般には、当時簡単で直ぐに食べられる「蕎麦がき」にして食し、あるいは「団子」にして焼き、食するのが庶民の食べ方、時間を掛け「蕎麦切り」にするのは、当時として特別な料理方でもあったようだ。
 「蕎麦団子」や「蕎麦がき」として食してきた庶民、当時寺方より振舞われる「蕎麦切り」は、特別な時に料理する食べ物であったかもしれないが、やがて徐々に「蕎麦切り」は庶民にも浸透して行く。

 この当時の蕎麦切りは、現在我々が食べている蕎麦とは少し違ったもので、蕎麦の実を殻ごと挽いて粉にし、つなぎ無しの十割蕎麦であり、又現在のような「粘りと腰」のある蕎麦ではなかった。
 そして、現在は蕎麦を「茹でて食べる」が、この頃の蕎麦切りは「蒸して食べる」のが当たり前で、蒸籠で蒸し上げていた。
 今の私達が食べている蕎麦とは、食感も違うし、味や軟らかさも違っていて、確かに蕎麦には違いが無いが、別の食べ物のように思われるかもしれない。
 蕎麦屋では、「せいろ蕎麦」、「ざる蕎麦」、「箱蕎麦」等と呼び名が付いているが、其の語源は初めは蒸して蕎麦を料理していたから、「せいろ蕎麦」と呼ばれるようになったのだとか、蒸篭で出されたから「せいろ蕎麦」と言われたとか、ざる蕎麦はその後の食べ方で茹でたもの蒸したものとの違い。
 蕎麦の呼び方も色々あり、「信州蕎麦」、「出雲蕎麦」、「高遠蕎麦」、「出石蕎麦」、「更科蕎麦」など、あげれば切が無いくらいに全国で蕎麦の呼び名がある。








 
 
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2019年10月24日

参考書

    古い書物

 SANY5074.JPG古時計を集めだしてから、色々な人や参考書のお世話になったが、1番多く利用したのは参考書、自分の知らないことや構造的なこと、それらを知る上で役に立った。
 しかし、自分が知ろうと思うことが書かれていなかったり、昔の事を丸写しにしている参考書も多く、実際の物と違ったことも多かった。
 色々な書物を見れば見るほど、違った事に気が付き始め、どれが正しいのか逆に疑問が増えて行った事、実物との差をどの様に解釈してよいのか迷った事も。
 参考書は時代と共に進化して行き、その進化の過程を知っていればより分かりやすいもの、それら一つ一つを自分なりに取り入れることも大事な事。

 そんな参考書、和時計となると数が限られ、江戸時代の資料は非常に少なく、又其れを解読することも困難、我々のようなメンドクサガリには中々辛い事。
 実際にそれらの参考書を手に入れるのも、これまた大変な作業、数が多いわけでもないから探すのに大変、やっと探したは良いが、べら棒な値段の事もある。SANY5084.JPG
 ある時、神田神保町で和時計の本を見つけて、やったと思い買い込もうとして値段を見てビックリ、とても買い込む気分にならず、立ち読みして終わった事も。
 確かに数が少ないことは分かるが、べら棒な値段は気に入らないもの、何故そんなに高いのかとも思うが、需要と供給のバランスか。
 買う人があるから値段が付く、そんな事は分かってはいるが、それにしても高い、古時計を調べるのにも金次第とは、やっかいな事だ。
 写真の参考書、昭和初期に出版されたもの、中身を見ると確かに参考にはなるものだが、昔の字は読みづらくて難しいのだ。
 解説文が載ってはいるが、今の自分にはヤッパリ読み辛い文、しかし分からないことを知る上で、通過しなければならず、これまた頭の痛い問題でもあった。
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2019年10月23日

秋の七草

   馴染みが

 秋の七草、この言葉も最近では中々聞く事が少なくなってSANY1177.JPGしまった様に思うが、それは何故だろうと考える。
 最近の気候変動がそのようにしたものなのか、それとも現代人が忘れてしまったのか、その咲く花も見なくなってしまったのか、いずれであろうか。
 確かに最近の気候変動は四季の境目がハッキリしなくなってしまったような気がするが、それも原因の一つなのか、とにかく最近は夏が長くて暑い、その上秋との境がなくなったような、変な変わり目になってしまった気がする。
 日本の四季も段々と無くなってしまうのか、暑さ、寒さがハッキリと分かれていた日本の気候、これからモット分からなくなるだろう。
 地球温暖化は日本の四季を無くしてしまうのか、何だか寂しい気にもなるが仕方がないものなのか、嫌な季節感になったものだ。
 そんな事も秋の七草が人々から忘れ去られている原因か、それだけ野の花が少なくなってしまった事も一因、開発され野の花も追いやられてしまったと言う事だ。

 秋の七草、現代人は果たして七草の名前を言えるだろうかと、ふと思ってしまうが自分も忘れそう、とっさに言われると思い出せないが漢字で書くと難しい字がありますが若い人は読めないと思います、チョットおかしな間でですから年配者でも忘れていると思いますが。
 馴染みが無い字で女郎花と尾花、おみなえしは女郎花、ススキは尾花とかき、チョット読みづらい漢字、やはり馴染みがない漢字、秋の七草は桔梗、萩、葛、ススキ、おみなえし、藤袴、なでしこが秋の七草ですが、これを選定したのは「山上憶良」であると言われています。
 万葉集に詠われているとの事、古い時代から秋の七草は決められているようで、現代人には馴染みのないものが多くあり、「葛、藤袴」がその例である。

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2019年10月22日

くりきんとん

    この時期の産物
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 栗きんとん、美濃地方の秋の味覚、栗が昔から多くとれ、それを使った和菓子が作られ、人気の高いものとなった。
  この栗きんとん、よくお正月のお節料理に出てくるものと間違えられるが、その栗きんとんではないものだ。
 美濃地方の栗きんとんは和菓子、100パーセント栗で作られており、他の地方で作られているものと違う製造である。
 美濃地方は昔から栗の産地、太田蜀山人も旅の途中に大井宿の栗おこわが有名、そこで食べた栗おこわは美味しかったと紹介している。
 昔から栗を名物として旅人にも知られたもの、その栗を明治に入ってから和菓子に使い、栗きんとんなるものを作る。
 その元祖といわれる店が二つ、どちらが先か分からないが、有名店になっていることだけは確か、どちらも元祖らしい。SANY0096.JPG
 しかし、地元の人はそれぞれの店を持っており、私の友人に言わせれば、有名店よりは、地元の人が好きな店は別だという。
 有名店だから旨いということもなく、有名ではないが地元の人に愛されている店も多く、それぞれに贔屓があるらしい。

 そんな友人が進めてくれた店に行き、栗きんとんを買い込んで食べてみたが、彼の言う通り有名店とは違った味。
 もちろん手作りである以上、違いがあって当たり前のことだが、その違いで好き好きが分かれていることを初めて知った。
 栗100パーセントであること、そして甘みがそれぞれに違い、甘過ぎてもいけないし、柔らかすぎてもいけないのだと。
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 栗のつぶし方も問題で、粒粒が多いほうが良い人、少ないほうが良い人、確かに言われる通り、店、店の味は違いがあるのだ。
 百貨店で売り出している栗きんとんがおいしいのか、それとも自分好みの栗きんとんが美味しいのか、それが栗きんとんであると。
 栗きんとんを売りでしている店は多くて、どこの栗きんとんが美味しいのかは、その人が決めれば良いもので、宣伝に惑わされないことだ。
 地元の人にお勧めを聞いて買い込むのも一つの手段、なにがなんでも有名店という人以外は、自分好みの栗きんとんを探しては。
 それくらい美濃地方で製造される栗きんとん多く、それだけ買い込む人も多いと言うことだ、探すしかないと思うが。


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2019年10月21日

人其々

   磨かない

 古時計愛好家には色々なタイプの人がいて、観察していると実に面白いもの、人のことは言えないが変わった人が多いようだと思う。SANY1273.JPG
 自分の事はさて置いて、愛好家の人を見ていると実に色々な人に出くわし、こちらがビックリする人も多く、「何だこの人は」と時々驚かされる。
 勿論本人は分かっておらず、接している人が感じる事だが、やっぱり変わった人が多いと、それが個性かも知れないが本人は知らない。
 そんな事を言っている自分の方が変わっているのだと人は言う、あの人に比べれば自分はごく普通の人物だと思っているのだが、人はやはり違う評価をしている様だ。
 古時計愛好家の中には手に入れた古時計をピカピカに磨く人、文字盤も汚くなったものは張替、傷がある所はペイントしてきれいにする、そんな人も多い。
 以前は私もその様にしていたが、明治村で時計展を開催する時、綺麗な古時計が良いだろうと思い、ピカピカの古時計を持参したが、意外や意外学芸員から「戸田さんこれは展示出来ない」と言われ、こちらがビックリ、「何故ですか」と問いただすと、あまり手が入り過ぎており宜しくないと言うのだ。
 自分では選りすぐりの綺麗なものを選別して持って行ったのに、ダメ出しを食らい意気消沈、納得が行かずに再度聞いてみた。

 学芸員の人の言うのには古時計は時代を経て来たもの、当然の事傷も出来るだろうし、文字盤も汚れるもの、しかし綺麗にする為新しいものに張り替えたり、塗ったりして台無しになったしまい時代が損なわれてしまうからと言うのだ。
 出て来た時のまま、汚れだけを落とす以外は手を入れない事、もとの儘が良いのだと言う、それ以来私の手に入れる古時計は出てきたまま、時には埃もそのままの状態にしてある。
 知らない人は戸田さんの所の時計は汚い、他の人の時計は綺麗にしてあるのに、ここの古時計は汚く見栄えが良くないのだと言う、確かにその通り見栄えは良くない。
 しかし、他の人のを良く見ると真鍮部分をピカピカに磨いたもの、傷は塗りなおして、文字盤は張り替えてあり、綺麗なもの、それの好きな人も多いのだ。
 人それぞれで楽しんでいるのも良い、ピカピカに磨くのも良い、しかし博物館で展示するにはそぐわないと言う、しかしそれもまた人其々で史料価値はなくとも綺麗が好きであると言う。
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2019年10月20日

蕎麦巡り

すぎむら.jpg    好き好き

 以前、長野県から岐阜県に県換えした「山口村」、あの島崎藤村の故郷「馬籠宿」、岐阜県に移ることに反対し長年揉めていたが、住民投票に長野県知事が許可し、晴れて岐阜県に編入された経緯のある村。
 其の山口村も、今は中津川市になり藤村の故郷も岐阜県に、事情を知らない人は未だに馬籠宿は長野県であると思っているようで、標識を見て聊か戸惑いをする人も多いと聞く。
 昔覚えた県名や地名は何時まででも記憶に残っているから、突如しとて変えられてもスッキリと頭に入らず、やはり戸惑うしかないのかも、特に年配者はそうである。
 其の中津川市に蕎麦「すぎむら」があり、メンバーの大半が支持する「更科蕎麦」の美味しい店、この「すぎむら」夫婦で店をやっていて、こじんまりとした蕎麦屋である。
 蕎麦は更科系列、店の主人も拘り屋らしく、客が来て注文してからしか動かず、少々待たされるが味は良く蕎麦の香りが高く、腰もあって我々好みの蕎麦である。
 田舎蕎麦もあるから、妻後宿を通過された者たちにも差別はないのであるが、彼らは妻籠宿の「えのき坂」で食べたいのだから、まあ好みの問題でもある。
 彼らは、田舎蕎麦を食べながらでも、「えのき坂」蕎麦が食べたかったとブツブツ、そんな彼らも「すぎむら」の蕎麦がきは絶賛、量が多いで2人で1つの割で注文、分けて食べている。
 此処の蕎麦がき、兎に角蕎麦粉を良く練る事から粘りとコクがあり、何よりも蕎麦の風味が良く、山葵を付けて食べるのも美味し、病み付きになる蕎麦がきである。
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 しかし、このメンバーは良く食べる、今日はこれで食べ納めであるが、どれだけ食べれば満足なのか計り知れない連中、すぎむらで蕎麦と蕎麦がきを食べて店を後にする。
 普通の人であれば、2軒蕎麦屋を「はしご」すれば、お腹が一杯でそれ以上他の物を食べないのであると思うのだが、この連中はそんな事はお構いなく、次に恵那市の五平餅を食べに「あまからや」に行くと言い出し、まだ「すぎむら」を出たばかりなのに。
 運転手も恵那の五平餅が好きだから、人に誘われなくても自分で行き先は決めて「あまんら」やに向け車は進む、「あまからや」は恵那の駅前の路地を入ったところ、地元でも評判の店。
 此処の五平餅、団子状の五平餅で胡桃の甘辛いたれが掛けてあり、其のたれが焼き焦げて良い匂いを発し、満腹なお腹でもツイツイ手が出てしまう代物。
 客は、おみあげ用に大量に買い込むのが常、10本、20本と買い込んで帰るので待ち時間もあり、並んで買い込む姿が見られ、日常茶飯事な店でもある。


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2019年10月19日

招き猫の質問

   ビックリする

 先月末に行われた瀬戸の招き猫祭り、毎年行われる祭りだが年々盛況になり、今SANY0320.JPG年も多数の見学者が来場して会場は満杯。
 この祭りは家族で楽しめる祭り、親子が一緒になって楽しめる祭りでもあるので、家族連れが非常に多く参加している事だ。
 家族そろって楽しめる祭りは中々ないので、この祭りにはやっぱり家族連れが多く参加、祭りの特徴でもあるのでそこが良い。
 私もこの祭りに参加してから10年を超え現在も参加しており、今年も古民家久米邸で招き猫の展示を開催しているのだ。
 久米邸で招き猫を展示して11年が過ぎ、毎年これを目当てに見学に訪れる人も、その大半が磁器製の招き猫を見る為に来る人。
 然し私の持っている磁器製の招き猫は多くなく、毎年展示には友人から借りてきているものも、期待に添うようにしている。
 今年も4、50点を展示したが磁器はやはり少なく、大小合わせて16個、大きなものは60センチ、小さいものは5センチ。
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 そんな中に古い招き猫の小さなものに質問が、ある家族ずれの見学者さんが「狐も展示してあるのですか」との質問、一瞬何の事かとビックリ。
 質問者は明治時代に製造された瀬戸製招き猫をキツネと思われたらしく、何で狐まで展示してあるのかと質問されたようだ。
 確かに明治期に製造された招き猫はキツネみたいな姿をしているものが多く、猫には見えないらしく、現在の招き猫とは姿が違うからだ。
 もともとは伏見人形から発展した招き猫、伏見稲荷のお稲荷さんの狐に似ているからだとも言う、今の招き猫は顔も優しい顔をしているから、それと比較するとその様に思われるかもしれない。
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2019年10月18日

時代の流れ

   世代交代
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 古時計を集め出してから早50年近くなり、時代の変化を強く感じている今日この頃、昔馴染みの店主も段々少なくなってきた。
 最近とみに感じるようになったのも歳のせいかも知れないが、これも時代の流れなのか、世代交代が早まっている様だ。
 私が古時計を集め出したころ、多くの骨董屋さんやアンティークショップに出入りし店主と仲良くなったが、その人たちも今は亡くなった人も多い。
 若かった頃、古時計について色々な事を教えてくれた店主、それこそ自分が趣味で古時計を買い出してきた店主も多い。
 そんな人たちから古時計について様々な事を教えてもらい、中には友達付き合いの人も多く、やはり古時計繫がりである。
 古時計とは人を繋げる働きがあるかも、事実これらの店主達とその後長い付き合いが始まり、古時計蒐集に大いに役立った。
 勿論店主も古時計好き、話は大いに合、意気投合、何処何処の店には面白い古時計があるとか、何処何処の市場でこんな古時計を見たとSANY1168.JPGか情報が多く齎された。

 親しくなればなるほど情報も多くなり、古時計を探すのに一番心強く、実益も多く齎された事は言うに及ばず非常に役に立ったのだ。
 そんな店主達も歳には勝てず、段々と少なくなり、息子の時代となって、付き合い方も変わってしまった。
 親父さんとはいきが合ったが息子さんとは距離も出来る事にもなり、古時計の情報も入らなくなってしまったのだ。
 大概の場合は世代が違うので、今まで見たいな付き合い方は出来ず、結果は疎遠となってしまい、付き合いもなくなってしまう事に。
 現実には息子の代になってから、扱うものも違いが出て来て、特に古時計も入らなくなってしまった事も実際にあり、やはり世代交代は我々にとっても古時計を集める事の支障になり、良い方向に向く事にならなかった。
 写真は昭和46年に始まったルパン三世と現在のポケモン、時代の変遷を感じるアニメで昭和46年に私が古時計蒐集を始めた時のアニメ、ルパン三世。

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2019年10月17日

かおりが

   風薫る
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 この時期になると何処からともなく薫って来る匂い、甘く薫る風、秋特有の匂いで誰かれなく好きな匂いであると思うが、風薫ると言えば5月の風を思い起こすが、秋の風はこの匂いから始まると言って良いもの、何処からとも薫って来る。
 微かに香りをたどって行けば今盛んに匂いを発している場所に辿り着く事の出来る匂いの元、金木犀の木、あの黄金色の小さな花の匂いだ。
 この金木犀の匂い、実際にその花を見ると思っていたよりも小さなもの、以前よりジックリと見た事が無いのでもっと大きな花と思っていた。
 最も自分の家にないから遠くからしか見なかったせいもあり、感覚的な見方しかなく、改めて見てみると不思議な花である。

 こんな小さな花なのに匂いは強く、それでいて嫌な匂いではSANY1121.JPG無いもの、勿論好き好きがあるから一概には言えないが嫌いな人は少ないと思うが、それにしても金木犀の花をじっくりと見ると、兎に角小さな花がびっしりと咲いている姿、遠目には大きな花と錯覚をする。
 事実は面白いもので改めて認識の浅さを感じ、今まで以上に親しみを感じてしまうのは何故であろうか、それは幼い時から嗅いできた匂いだから。
 この金木犀の木、江戸時代に中国から入って来たと言われているが、実際には不明でもあると言う、それは日本の金木犀と中国の金木犀とでは違いがあると言う事、分析をすると明らかに違う種類だと言う、日本の金木犀のDNDに違いがあり、やはり日本独自のものなのか。
 古来より日本に自生していたものなのか、疑問もあるが中国のものとは明らかに違うと言う事らしく、その辺も不明だと言う、しかしこの時期の風物詩とも言える金木犀、これから秋が深くなって行く先駆けを担った花である事は間違いなく、親しまれている花でもある。
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2019年10月16日

木曽節

    中仙道の中間

 中仙道の真ん中の宿場「木曾福島宿」SANY0874.JPG、この地は昔から要害の地として有名なところ、前後に山を配し真ん中に木曽川が流れ、砦としては最高の地。
 五街道が整備され此の福島宿に四大関所の1つ、「福島関所」が置かれ箱根の関所同様に「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まった所、その後尾張潘の御用地として300年管理されてきた土地でもある。
 古くは木曽氏の統括地であり、源氏の総大将木曽義仲の支配地であったが、その後も木曽氏により領土化され、江戸時代には尾張潘が統括した歴史を持つ土地。
 あの木曽踊り発祥の地でもあり、この地の木曽氏が木曽義仲の菩提寺を復興、その時霊祭に武者踊りとして踊られたのが始まりと云われ、その後改良されて全国に広まった。
 盆踊りには「正調木曽節」があちらこちらから聞こえ、最も賑やかな時を迎えるが、冬は厳しい寒さで凍りつく地、町並みは所々に旧木曽街道の面影を残している所もある。

 その木曾福島宿の真ん中に、蕎麦処「くるまや」があり、私せんぼん.jpgは50年来通っている蕎麦屋、昔の佇まいを残した店は余り広くなく、良く並んで蕎麦を食べた思い出の蕎麦屋でもある。
 300有余尾張潘御用を勤めた蕎麦屋で格式も高いが、昔ながらの蕎麦が現在も食べれ、遠くから此の蕎麦を食べに来る客が店の前で待つ風景は今も変わらない。
 店の横に木曽川が流れ、そばを食べながら木曽川の眺めを愉しんだ、昔の旅人が目に浮かんでくるような蕎麦屋、その前の細い道を登れば福島の関所に出られる。
 千本格子の向うに旧街道木曽路が見え、街道を行くたび人が歩いてゆく姿が見えるような雰囲気である。

 「 木曽へなぁー  なかのりさん  木曽へ木曽へと  ナンチャラホイ   風ふくしまの ヨイヨイヨイ  夏はなぁー  なかのりんさ  夏はよいとこ  ナンチャラホイ  住みよかろ  ヨイヨイヨイ 」 

  これが正調木曽節で、現在歌われているものと少し違い、哀愁を帯びた節回しと文句、如何にも武者踊りらしい木曽節、木曽義仲を弔うための歌とも言われているが、定かでない様だが歌の中でも歌われているのは確かな事のようだ。
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2019年10月15日

旧式

    鎖引き懐中時計
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 懐中時計の歴史は意外と古く、16世紀ドイツ、ニュルンベルクのペーター、ヘンラインがゼンマイを使用して時計を製作、それまでの分銅引きを動力とした時計より遥かに小さな時計を作り上げた。
 当時の時計と言えば重たい錘を動力として、非常に大掛かりな時計であったものを、ヘンラインはゼンマイを使用することにより時計を小型化すことに成功したのだ。
 その時計は「ニュルンベルクの卵」と呼ばれるもの、卵型の大きな時計、卵と言っても鶏の卵のような大きさではなく、ダチョウの卵位の大きな物であった。
 当時としてはこれでも小さな時計、持ち歩きの出来る時計は画期的であり、動力もゼンマイ式と革新的な時計であった事は云うまでもない。
 この時計ゼンマイは香箱と呼ばれる真鍮製の器に入っているもので、動力がゼンマイである事が時計を持ち運び出来るようになったもの、形も全く違った物となった。
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 現在の懐中時計は非常に小さく薄い物であるが、この当は卵形をした分厚い物、まだゼンマイも機械も大型であり、懐中時計とはいえ、その大きさはポケットに入る代物ではなく、ヤッパリ大きくて重い時計であった。
 その後改良がなされて次第に小さくなって、現在の物に近いものとなるが、その仕組みはまだ技術的には劣っていたもので、ゼンマイの力を上手く利用できなかったようだ。
 そこで考え出されてものがフュジーと呼ばれる機構、ゼンマイの香箱にチェンーをつけ、片方に円錐形のドラムを設けることにより、ぜんまいが解けて力が落ちた時にも、平均的に力が加わるように工夫された。
 チェンー、フュジーと呼ばれる機構を開発して精度が格段に進歩、ゼンマイの力を最後まで引き出す機構が、懐中時計に確立、古い時代の懐中時計は、このフュジーが大きく、又ゼンマイも厚く大きかったもので、時計全体が分厚く、大きくなってしまい、その改良に苦心した。

 時代が下がるに連れて、懐中時計の厚さも次第に薄くなっSANY3092.JPGて行く事に、その為懐中時計の厚さで時代が判別出来る事も、この時代の懐中時計は勿論手作りであり、作者名が時計の裏側に刻まれており、当然製作したところの地名も入っているから、時代測定もそこから判別する事もできる。
 何にしても、時代の古い懐中時計はその形が卵形をしている物は古く、薄い円盤型みたいになっている物は時代が下がった物と判別できる。
 この時代の懐中時計は、手の込んだ模様が施されている物が殆ど、その模様を楽しめるのも、この時代の懐中時計の楽しみ方でもある。

 写真は古い時代の鎖引き懐中時計の機械を出して、分かりやすく見せているもので、大きさが分かりづらいかもしれないが、明治期の懐中時計より少し大きいくらい。
 古い時代の懐中時計は軸受けに宝石等の石が入っていないから、古いものか、其れともそれよりも新しい物なのかの判別も出来る。
 勿論厚さもその判断の材料、ヤッパリ分厚い物は時代が古い物と判別して良いと思うが、時としてこの範疇に入らない懐中時計もある事も頭に入れておくと良い。



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2019年10月14日

嫁の実家

    脱サラでリンゴ

 SANY8241.JPGこの季節になるとリンゴが市場に多く出回り、何処のリンゴか分からないほど多いが、そのリンゴの産地は日本に多く存在する。
 リンゴと言えばかっては青森と言われていたが、現在は近くでもあちらこちらで栽培され、案外近くで生産されている。
 長野県飯田、ここもリンゴの産地、高速道路を松本に向けて、恵那山トンネルを抜けると両脇に突然リンゴが出現する。
 ここ伊那谷も果物の王国、リンゴや梨、みかんや桃と言った果実が盛ん、その中でもリンゴが有名、飯田を中心に栽培が盛んだ。
 しかし、その歴史は以外に古い様、飯田の市内に行くと道路の脇にリンゴの木があり、沢山の実をつけているのに驚くことも。

 ここ飯田、リンゴが古くから栽培され、リンゴの里として知られ、市内には多くのリンゴを栽培する農家があり、生産高も多いらしい。
 その飯田に私の知人がリンゴを栽培しているが、彼は元々サラリーマン、会社勤めを長年していた人、しかし奥さんの実家の義父が突然亡くなり、急遽リンゴ農家を継ぐ羽目に。
 SANY8248.JPGはじめは手伝いのつもりで始めたらしいが、リンゴ農家はそんなに簡単なものではなく、結局早期退職してリンゴの栽培に専念する事に。
 2、3年は夢中で働いたが、難しさは想像以上であったらしいく、現在はやっと軌道に乗ったと彼は言っていたが、ヤッパリ厳しいのは事実。
 果実を栽培することは自然まかせ、人間は手助けをするだけ、思うようには行かないと、しかしやるしか無いと彼は力説していた。

 そんな彼がリンゴを持ってやってくるのだが、高速道路を通って持ってくるため、友人、知人、近所の人にリンゴを勧め、まとまった数だけ持ってくる。
 当然安いのは当たり前だが、大きさも不ぞろい、大きいのもあれば、小さい物も、袋一杯にはいってはち切れんばかり、今回は信濃スイートと言うリンゴらしい。
 リンゴとしては早くに市場に出るタイプのものらしく、見た目よりも甘いリンゴ、早速食べて見るが取立てなので、もう少し寝かせたほうが良いらしい。
 写真のリンゴが、その知人が持って来たリンゴ、今ではすっかりリンゴ農家の主人、真っ黒に日焼けした顔、生産者らしい顔だ。
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2019年10月13日

種類が豊富

   やはり目につく
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 骨董市場、知らない人にはどんなふうになっているのか、非常に興味の湧くところでもあると思う。
 アンティーク好きな人なら、何処から品物がやって来るのか、それも興味の湧くところだ。
 アンティークショップの店には当たり前の事だが、商品が並んでおり、これらの物は店主が買い付けていると思っている。
 勿論そんな店もあるが、殆どの場合は市場から買い付けて来るもの、自分の目で確かめ、仕入れて来る。
 アンティーク全般、小さなものから大きなものまで、多種多様なものが集まって来て、自分好みのものをセリ落とすのだ。
 持ち込まれた物の中から、店で売れそうなものを見つけ、そSANY1945.JPGれをセリ落とすのだが、そこは自分の思うようにはならない。
 自分だけの競り市ではないからだが、欲しいものには自然と目が行き、値踏みをするが、そこは競争社会、当然他の人と競る事になり、思った金額で手に入らない事が多く、やはり競争社会の原理がプロ同士の競り合いだから、負ければ商品は手に入らず、逆に買ったとしても高く買いすぎて、困る事もある。

 其れがセリ場であるのだと、素人の私でも、その辺は理解できるが、好きな物は力が入ってしまうが、それはプロでも同じ事、分かっているがヤッパリ力んでしまうと言う、人の子であるからだと思う。
 セリ場とはそんな場所、素人が買い付ける事は出来ないSANY1948.JPGが、自分の好きな物にツイツイ目が行ってしまう。
 この日も時計類が多く出品されていたが、値段が気になって、幾らくらいの値が付くものだろうかと思ってしまう。
 勿論市場であるから、市場価格ではない事は理解できるが、幾らか知りい気持ちには変わりない。
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2019年10月12日

色々な種類が

   振り竿の位置

 時計の振り竿、アンクルと連動する部品であり、時計で最も重要な部分、雁木車を正確に動かす為に必要な部分、つまり時計の心臓部と言っても良いもの。
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 ゼンマイの力を常に一定の動力になるように左右に動かす振り竿、あのガリレオが発明した等時性の原理振り子、この部分が常
に左右に動く部品。
 時計の振り子はゼンマイ式の時計であれば必需品、殆どの時計には振り子が付いいるが、その取り付け方法は時計によってそれぞれ違ったものとなる。
 勿論掛時計に限った話であるが、レバークロックとは違う形式である事は言うまでもない事、特にボンボン時計の機械に集約した話し、振り竿の取り付け位置の話だ。

 この時計の振り竿の取り付け位置、殆どの古時計愛好家は関心が薄いSANY8830.JPGので、取り付け位置等はハッキリと覚えていSANY8834.JPGないことが多くて、振り竿の長さを聞いても分からないほどだ。
 つまり関心がないから取り付け位置なども知らないのだが、こり振り竿の振りべらが切れて初めて、この部品が大切なものと気が付くが、やっぱり直ぐに忘れてしまう。
 良く振りべらが切れてしまい、代わりのものを探す時なども、振り竿の長さを聞かれても分からず、適当な長さしか説明できなくて、同じ部品を探せない。
 この振り竿も最近は直ぐに手に入らなくなってしまい、イザと言う時の為にストックを持っていないと困ることになり、私はその為に普段から手に入れるように心がけている。

 それと言うのも振り竿の長さで当然時間が違う、短いものを長くは出SANY8825.JPG来ないが、長いものを短くするのは簡単な事、だから求める時は何時も長い振り竿を買い込む。
 さてその振り竿、時計により取り付け位置がバラバラ、ばらばらと言うよりは色んな取り付け位置が存在しているので、研究してみると新たな発見も。
 前に述べたとおり、古時計愛好家は振り竿の位置を気にしていないが、取り付け位置は製造会社により異なるもの、機械上部に取り付け位置があるものや、その逆に低い位置に取り付け位置があるものまで様々。
 調べてみれば見るほど取り付け位置が分かれている事に気が付き、機械の設計段階でその取り付け位置が変わるものなのか、ハッキリしない。
 殆どの機械の取り付け位置は機械中心部に集中しているが、稀に機械本体から大きく離れた位置にあるものも、この時計の機械は特別であり、例外と思っても良い。
 その他のボンボン時計の機械、その振り竿の取り付け方法は機械中心部が殆ど、勿論アンクルと雁木車の位置とおおいに関係するもので、それも時計製造会社の意向によるものだ。
 そんなわけで振り竿の取り付け位置を写真に収めてみて、やっぱり千差万別の取り付け位置がある事に改めて感心するものだが、何でここまで違うのかとも思ってしまう。

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2019年10月11日

灯りの個性

   色々な灯り

 アンティークなランプシェードが人気、少し前から盛んになって来たSANY8265.JPGようだが、それは若い女性たちが仕掛け人、現代の灯りでは物足りなくて、アンティークな灯りに魅せられたと言う事、彼女たちは自分好みの灯りを探している。
 日本の灯りは部屋全体を明るくするタイプ、外国人に言わせれば「日本人は何で工場みたいな灯りを使うのか」と言うのだ、私もそんな話を直接聞いたこともあるのだが、日本の人は明るい事が良い事と思っているが、外国の人は部分照明に慣れている。
 部屋全体を明るくするのではなく、必要な所に灯りを付ける、そんな灯りの付け方が普通に行われているのだ。
 やはり彼らに言わせれば工場みたいの所で生活したくないと、自分の家までそんなに明るくする必要はなく、いる処だけあればよいと。
 部屋全体が明るい場所に慣れてしまった日本人、どの家も明るく生活はしやすいが、ムード的には今一であると、そんな事に気が付いた若い女性たちは、自分に合った個性的に灯りを探して、そんな事でアンティークな灯りに目が向く。

 少し前に流行ったアンティークブーム、しかし今回のブームはそれSANY7664.JPGと少し違っているようで、我も我もと言う事ではなく、静かなブームで、それは安くて良いものを、そして何よりも自分好みの物をと言う、以前は良いものをより豪華に、それが全くの違いだ。
 豪華なものではなく、良いものを探す楽しみも、自分好みの灯りを探す楽しみも含めてのブームであるのだと思う。
 だから彼女たちの目は確か、じっくりと見極めた上でないと買わないし、高くても買わないので、中々難しいのだ。
 写真のアンティークランプ、実用的なもので、以前のような豪華なものではなく、大衆的なランプばかり。 しかも安いものが多い、自分の部屋に合うものを探す、部屋に合わないものは買わない、堅実派の彼女たちである。
 今日も何処かのアンティークショップを、探し続けているのだろうと、そんな気がする今日この頃の動きだ。
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