2019年05月17日

蚤の市東寺

    まだ知らなかった

 若い頃古時計に興味をもち、知人に京都の東寺に行けば骨董市が出ていると教SANY4890.JPGえられ、それから暫くして東寺の蚤の市に行ってみた。
 まさか話には聞いていたが、こんなに沢山の露天が出ているとは驚き、思っていた以上に多くの店があり、何処から見ていったら良いのか分からなかった。
 仕方なく、入り口から順番に見て行く事にしたが、ゆっくり見ていると先に進めない事に気が付き、ザット見てから気になった処に帰ってくれば良いと思った。
 そして足早にザット見て回る事にしたが、それでも店は次々と現れてくるので、気ばかり焦ってじっくりと見ることは出来ず、回り切った時には何も覚えていない状態であった。
 兎に角店を回る事しか考えず、何処で気に入った物があったのか忘れてしまう事に、後から思い出して、その店に行こうと思っても見つけられずに。
 ウロウロしている内に東門近くに、其処である親父に呼び止められ、仕方なくその店を見る事に、私は覚えていないが親父、以前に他の市で私を見かけて記憶にあったらしく呼び止めたと言うのだ。

SANY4892.JPG その親父は50才ソコソコの人、前歯が二本無くて如何にも怪しい雰囲気の男、話が上手くて本当なのか、嘘なのか、全くつかめない男であった。
 その親父が、私が時計を探している事を覚えていたらしく、呼び止めたものらしいが、その親父懐中時計らしきものを私に買えと言っているようだ。
 話はこうだ、出物を仕入れ安いからお前が買ってくれと言う事らしいが、あまり乗り気ではないが、仕方なくその時計を見る事に、しかし私にはサッパリ分からないものだ。
 親父は兎に角安いから買えの一点張り、しかし余り欲しくない時計だから断わると、幾らなら買うのかと食い下がってくるのだ。
 結局、押し捲られて買い込んでしまったが、後で懐中時計の詳しい人に見てもらったら、値段はヤッパリ飛び抜けて安く買ったらしく、逆に褒められる始末、全く知らない事がよかったのだろう。
 その時計が、写真の時計でイギリスのベンソンとボタン時計、今もコレクションの中に納まっている物、この時計を見ると東寺蚤の市の前歯が無い親父を思い出す。
 
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2019年05月16日

薬莢型ライター

    戦後の副産物

 前にも出したライター、煙草の火をつける道具SANY2518.JPG、色々な種類の物が作られてきたが、その全容を見ることは中々難しいもの、世界各国でライターは製造されているからだ。
 種類も豊富で製造数も限りなく多い、男の持ち物の中でも1、2を争うもの、男の必需品と言ってよいもの、その為に人其々の好みに応じて形も色々な物を持つ。
 ライターは持つ人によって2つに分かれ、火がつきさえすれば良い人と、自分の好みでなければ嫌な人に別れ、後者は個性を求める人が多い。
 煙草は趣向品、自分にあったタバコを選び、ライターもまた自分好みのものを選び、常に持参しているもの、だからこそ人一倍に拘りがある。
 そんな人たちは、人とは違ったライターを持ちたいと思っており、其れを探して自分好みのライターを捜し求め、見つけた時の喜びは一入ではないもの。

 私も自分好みのライターを捜し求める方、現在所有しているライターは70個を越しているもの、毎日取り替えても一ヵ月半は優にダブル事はない。
 SANY2523.JPGしかし毎日、とっかえ、ひっかえしてライターを買えるわけでもなく、その中でもやっぱりお気に入りのライターを、常に持ち歩いているが、少し重いのが玉にキズ。
 ポケットが破れそうなものもあり、もって歩くのも大変、そんな中持ち運びには便利で軽い物も、写真のライターもそのひとつで、コンパクトで持ち易いが火が点け難い。
 戦後の動乱期に製造されたライター、廃物利用で製造されたもの、鉄砲の薬きょうを改造して作られたライター、当時は物資不足でこのような廃物利用のライターが珍重された。
 薬きょうを上手く利用して考え出した人のアイデアは大したもの、当時は爆発的に人気を博し、製造が間に合わなかったらしく、その後も長く製造され現在も販売している。
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2019年05月15日

久し振り

      老舗の貫禄

 SANY2850.JPG長野県木曾福島、言わずと知れた御嶽山の地元、中仙道福島宿のど真ん中、橋の袂に店を構えて3百年、木曾福島の蕎麦と言えば「くるまや」と決まっている。
 昔から多くの旅人に支持され、橋の袂で商いをして3百年が過ぎ、今尚木曽の蕎麦屋と聞かれれば「くるまや」と誰しもが口を揃えて云う言葉である。
 今は余り見かけなくなったが、木曽の御嶽山に登山する、白装束の人々で店は溢れかえっていた頃、私がまだ10代であった頃の話、店の中は白装束で真っ白。
 普通の姿をしていると、何だか場違いであるかのような錯覚に囚われ、居心地がよくなかったもの、兎に角信仰心のない私であるから、尚更の事であったのか。
 そしてもう1つが、名物おば様、客の注文を聞くが驚くなかれ、一切筆記をしないので、客は不安な気持ちで居ると、注文通りに蕎麦が目の前に置かれる。
SANY2854.JPG
 其れに気付き、そのおば様の行動を見ていると、実に美しいくらいに敏速、かつ正確であり、何人かがまとめて注文しても、順番通り蕎麦は間違いなく届く。
 客もそんなおば様の姿を見て、目を丸くする人や、はたまた間違えるか、間違えないか、賭けをする人まで出る始末、つまり間違えた方にかけた人は、後でそば代を支払うと云うもの。
 知らない人同士だからやることだが、常連さんならば無駄な賭け等絶対にしないもの、おば様が間違えない事を百も承知、そんなおば様が居るおかげで、満員なのに皆おば様に気を取られて、蕎麦を待つ時間を忘れる始末。
 店は今も昔と変わらず込んでいるが、名物おば様の姿は今はなく、若い頃を思い出しちょつぴり寂しく、蕎麦を待つ時間も長く感じるのは何故であろうか、寂しさなのだろうか。
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2019年05月14日

準備に入る

    ことしは

 SANY1868.JPG毎年恒例の時計展、今年も瀬戸市の古民家久米邸の母屋と蔵で展示、今月土曜日の25日からはじまるが、その準備に入っている。
 展示品は90台以上、多くの人たちに見て貰うために、どのようにしたら楽しんでもらえるのか、工夫をしなくてはならないが、去年は大盛況であった。
 時計と触れ合う事を主体に展示、特に古時計を手にして貰い、ネジを巻いたり、分解したり、実際に見学者にやってもらい、時計の楽しさを分かって貰った。
 人気であったのは古時計がどうして動くのか、家族連れの見学者で小学生の子供さんが、時計のゼンマイを巻きたいと言うので、見学者の前でゼンマイを巻いてもらった。
 彼ゼンマイは巻いたが、これが時計の原動力とは思っていなくて、振り子を揺らして時計を動かすと、「電池は何処にあるの」と私に聞くのだ。
 こんなやり取りが楽しかった昨年の展示、今年も保SANY1961.JPG存活動が出来るように古時計の魅力を発信して行くつもりだが、展示にはやはり気をつかう。
 古時計愛好家からはモット珍しい時計を展示して欲しいとか、説明文をモット長く書いて欲しいとか、中が見える様にして欲しいとか、色々な注文も。
 有り難い事だが、この展示は古時計を余り知らない人たちに、古時計の魅力を知ってもらい、古時計の保存が出来ればとの思いがあっての展示、愛好家には少し物足らないかも知れない。

 確かに珍しい時計も少しは置いて、遠くから見学に見える人たちに配慮もする事も考えつつ、如何にして古時計をアピール出来るのか迷うところでもある。
 単なる珍しい時計の展示では終りたくなく、古時計の保護が目的である事を多くの人に知ってもらう為の展示、それにはどの様にしたら興味を抱いて貰えるのか思案中。
 時計の機械を出して、板にはり付けての動体展示、これが一番人気があったみたいで、今年も2ヶ所に展SANY1842.JPG示するつもりだが、知らない人が触って、振り子が止まってしまったこともあり、動いていないと興味を示してもらえないから、これも課題の1つ。
 文字盤を取っただけでは面白く無い、そして子供たちの人気、キャラクター物も展示しないと、家族づれに人気がなくなったしまうから、これも少し多く展示と欲張って見る。
 何だかんだで現在進行中の展示、数的には90台以上の展示を目的としているが、数だけ並べても此方の意図が伝わらず、ボンボン時計の魅力出しに今一工夫が必要。
 展示もセンスが出るもの、さり気ない演出も必要であるため、陶器で出来た花生けに生花を入れて、時計の横に飾ろうとも思っている。
 

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2019年05月12日

廊下用

    ランプシェード

SANY2419.JPG 廊下のランプが割れて無くなってしまったので、新しい物を探していた時、偶々ネットで見つけ買い込んだが、サイズが合わないのでどうしようと思案。
 私の性格上、見つけたら直ぐに行動する悪い癖があり、このランプシェードもその1つ、普通であればサイズも図った上で買い込むのが当たり前。
 しかし、私にはそれが出来ない、今までに何回と無く失敗しているが、一向にその性格は直らず、今回もまた同じことをしてしまい、実は反省もしている。
 もって生まれた性格は中々直らないもの、そんなに簡単に直るものなら、とっくに直っているはず、しかしこの歳まで直らないのは一生直らないもの。
 そんな事はさて置き、このランプシェード、一般的なものより少し大きくて、写真で見たときは普通のサイズと思って、気楽な気持ちでツイツイ入札してもらい結果落札。

 入札を頼んだ友人が「本当に良いのか」と再度念を押して来たので、お前が気にすることはない自分が気にいったからと答えた。
 その後、家に荷物が届いて、早速開封したが見て直ぐにダメと分かり、其のまま来た時のように荷造りしてお蔵入り、その前に写真を取り、また失敗しないように記録する。
 何処がダメなのかと言えば、普通の取付金具のサイズよりも大分大きくて、特殊な取付金具でなければ使用できず、之につく金具はおいそれとは見つけ難い。
 ヤッパリ普通は買う前に、サイズを確認するのが当たり前であるが、それが出来ないからこんな事になるのも、しかし日常茶飯の事でさほど反省していない。
 価格的にも安かったので、何とかなると思っていた節があり、いやそれも分かっていたがツイツイ癖で入札、そんな時ほど落札するものでもある。
 友人の忠告を無視した報いであるが、それを彼には言えないので落札の礼だけでとどめておく事にしたが、やっぱり悔しいし情けないが身から出た錆でもある。
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2019年05月11日

もっこうばら

    今がさかん
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 この時期、四季のうちで1番活気がある時、あちらこちらの木々は新芽を噴出して、青葉若葉の季節だ、桜があっという間に散ったと思ったら、もう若葉で一杯。
 うちの庭にも若葉が芽を吹き出していますが、これから盛なのがバラで、普通のバラはまだつぼみの状況、その中にあってひときわ元気なのがモッコウバラである。
 以前よりフェンスに這わせてあるが、毎年この時期が1番良い時、小さな花を一杯咲かせ、黄色と白のコントラストが見所、今1番元気な時とばかりに咲き誇る。
 このモッコウバラ、ヨーロッパ原産だと思っていたら、なんと中国が原産地らしいと知ったのは最近、たしかにヨーロッパにしては少し地味かなとも思っていた。
SANY1921.JPG
 ヨーロッパのバラと比べると花が小さい、しかしつるバラらしく幹をいっぱいに伸ばし、咲く様は見事だと思うが、このバラとげが無いのが又扱いやすい。
 バラは良いが、とげがあって扱いにくく、病気には弱く、消毒の繰り返し、やっぱり手間がかかるもの、その点このバラは手間いらずで花が一杯咲いて楽しめる。
 このバラ、実は高貴なバラであり、「秋篠宮眞子内親王」のお印となっている花、皇族の印となった花であったとは驚き、殆どが黄色の花が咲く、八重咲きのバラ。
 一重の花もあるらしいが、我家のバラは白も黄色も八重咲き、しかしこのバラは直ぐに盛りを過ぎてしまい、四季咲きのバラとは違い、長く楽しめない花である。

 
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2019年05月10日

オリジナル

      良い物を求めて

 SANY5413.JPG古時計を愛する人達はオリジナルにこだわる人が多いが、どれが本当のオリジナルなのか疑心暗鬼になっているもの、やっぱり愛好家は良いものを求める。
 古時計とは時代が経っているのが普通、それなりの時代の荒波に揉まれて、時代なりの姿をしているのは当然、無傷の状態であるものが不思議。
 それなりのキズやへたり、すれたり、汚れたりする事は時代のなせる業、其れを拒んでいたら古時計と向き合えないもの、それなりの覚悟も必要だと思う。
 誰しも良いものが欲しいのは人の常、当然のこと私もその1人、オリジナルを求めて40数年経ったが、全くのオリジナルの古時計となると数が極端に少なくなる。
 ではどおしてか、時代が経つにつれて消耗品は商品劣化をするもの、劣化した物は新しく取り替えるか修理され、元の状態に無いものになる。
 例えば文字盤、古時計で良く変わっているものに文字盤があり、商品劣化の早いもので、特に紙の文字盤は痛みやすく、変わっている事が多いもの。

 そんな古時計は現存している時計の大半と思っても差し支えなく、琺瑯文字盤のSANY5388.JPGように劣化しにくいものは別として、ペイント文字盤もしかり。
 そしてオリジナルの文字判を見分けるには、1番簡単なのは取り付けビスの穴、文字盤の穴と時計本体の穴が一致していればオリジナルと思って間違いない。
 よく本体にビス穴が多く開いているものを見かけるが、オリジナルのものは穴が3個か4個、それ以外は空いていないから、其れより多いものは疑問が残ると思ってよい。
 穴がピタリと一致しても、もう1つの点に注意が必要、文字盤をひっくり返して、文字盤枠の半田付けの部分を見て、幾つもの半田の跡があるものも疑問があるのだ。
 穴が合ったとしても、半田付けの部分もオリジナルのものは5か所か6か所で、新しい半田のものではなく、黒くてくすんだ色になっているものでないとダメ。
 写真の時計、完全オリジナルの物、ビス穴も3個しかなく、半田付けも真っ黒のもの、しかもペイントも後から手が加わっていないもの。
 この様な完品の時計と比較して、オリジナルかどうか見極める目を持つ事、古時計はヤッパリオリジナルのものを多く見ることが肝心、完品な時計を探すマニアルでもあると思う。
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2019年05月09日

懐かしの玩具2

    手に取ってみる
SANY0325.JPG
 幾つになっても玩具は楽しい、手の込んだ高級な玩具より素朴な物の方が親しみやすく、当たり前だがそれで遊んだ。
 我々の子供の頃はブリキの玩具が全盛、それも空き缶など再利用されたブリキ、缶を裏返して使われたもの。
 反対側には印刷がされているもの、良く見るとマークなどがハッキリ見えるものも、そんなブリキで造られた玩具。
 其れが当たり前のように使われているものが、物のない時代に造られていたからだが、そんなブリキでも玩具が楽しかった。
 この時期日本の玩具は海外に輸出され、とくにアメリカで人気を博することに、それによりブリキの玩具はより大きく進歩する。
 簡単なものから複雑なものまで製造が進み、日本のブリキ玩具は精度が良いと評判になり、アメリカ全土に多く輸出。

 その製造所は競争が激化して、倒産するところも多く存在し、海外で人気があったにもかかわらず、製造所は大変であったのだ。
 そして時代はおもちゃにも安全性が求められるようになり、それSANY0332.JPGに対応するため玩具メーカーは設備投資が必要となる。
 ただでさえ競争が激化していることもあり、メーカーは減少して行き、ブリキリ玩具は次第と消えてゆく運命になる。
 安全性を求めるためにブリキからソフトビニールにその座を奪われ、ブリキは姿を消してしまう事になり、ソフトビニールの時代に。
 しかし何でもソフトビニールでは面白みがなく、ブリキには独特の雰囲気が存在しているから、ソフトビニールでは出せない雰囲気。
 しかし安全性において勝るソフトビニールは次から次にと新しいものを作り出し、ブリキのおもちゃにとどめを刺す。
 ロボットも車も全部がソフトビニールに、ブリキの玩具に慣れたものにとっては何とも言えなく、しっくりとこないもの、手に取ってみると頼りないものに思える。




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2019年05月08日

後ろにも

      気の使い方

 SANY3976.JPG物にも国民性が出ると言われているが、果たしてそれが何なのかは色々と取り立たされており、地域風土の問題なのか、それとも考え方なのか。
 日本国内においても、県別、あるいは地域別にも違いがあり、東北と九州では大いに違いがあるとも言われ、ヤッパリ地域の個性みたいなものが存在する事は間違いない。
 気候風土の環境の違いから、考え方から生き方まで違いが出来るらしいが、物造りにもそれが映されている様、完成した物を比べて見ると、その違いに気が付く事もある。
 よく言われるのが日本車の後姿、日本人特有のタレ尻、ヨーロッパ車に見られるバックシャン、タレ尻の車とお尻の上がったヨーロッパ車、意識してないのだが、完成すると自然とそうなるらしい。
 日本人の設計したどの車もそうなるらしく、昔から言われてきたが、車でも国民性が出ているのなら、他の物はどうであるか、時計はどうであろうかと比較してみた。

 目覚し時計の後姿、時計の後姿などは気にも止めないし、又余り見るものでDSCN1022.JPGないが、日本車がタレ尻状態であれば、ひょっとして目覚し時計もと思い。
 ドイツの目覚まし時計と日本の目覚まし時計を2つ並べてみたら、今まで気づかなかった事が見えてきたから面白い、それと言うのは後ろはあまり気にしない日本の時計。
 しかし、ドイツ製時計はヤッパリ違っていたのだが、何処が違うのかと言うと、時計の形そのものは変わりはなく、一寸したデザイン変更で、印象が全く違う事に気がついた。
 後ろの蓋にはドイツものはプレスで模様を打ち出しているが、その模様が会社のマークみたいな物が打ち出されており、見た目には派手な演出だと思う。
 日本のものを見れば、平らなノッペリとした蓋、両者を比較すると、ドイツものは後ろから見られても良いように、ちょっとした模様を配置している事だ。
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2019年05月07日

我家でも

    筍のお出まし
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 我家の黒竹に筍が、家を新築した時に展示場で見た黒竹が凄く良く、家とマッチして清々しい雰囲気を醸し出していたので、一編に気に入り其れを再現しようと思った。
 展示場の黒竹は手入れも行き届いており、緑色の葉っぱと黒の幹、このコントラストが良く、白い壁とマッチして、雰囲気が最高であったので、家に植えるしかないと思い立つ。
 家が完成してから、ホームセンターを何軒か回り黒竹を探したが、良い物が中々無く、結局は園芸センターの黒竹を買いこんで、早速家に持ち帰った。
 植える所を選んで植えたが、思うような結果にならなかったのは筍、黒竹を植えた後、友人から「家の周りに竹を植えては、後で始末が悪い」と忠告された。
 彼の言うとうり、竹は根が張何処に筍が出てくるのか全く見SANY1975.JPG当がつかず、地下茎で増える竹は全く見当がつかないもの、他の木であれば幹を選んで切れば、そんなに困ることは無い。

 しかし、竹は此方の思うようにはならなく、勝手に根を張次から次へと根を伸ばし、土台の下まで根を張るから始末が悪いと友人の忠告どおり、今盛に筍が出てきている。
 他の筍ならば、取って食べてしまえば良いのであろうが、黒竹の筍は食べたことSANY1969.JPGがなく、果たして食べられるものなのか、それさえも分からないが困ったものだ。
 出て欲しいところに出ず、出なくても良いところに出てくるのも筍、大体黒竹は3年位経つと見栄えが良くないので、新しく出た物と代えて切り倒す、新しい竹は美しいもの、だから生えて欲しいところに筍が出てくれれば良いが、しかしそれとは逆に出て欲しくないところから良い筍が出てくる始末、それの繰り返しで今日もまた余分な筍を取り除くことに。
 友人の忠告どおり、家の周りには竹を植えない方が良いと、後で面倒な作業をしなくても良くなるが、植えてしまったものは仕方が無く、手入れに汗を流す今日この頃。
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2019年05月06日

アープ外伝

   不死身の男

 ワイアットアープ言わずと知れた西部劇のヒーロー、保安官にしてガンマン、西部開拓史上一番有名な男でもあるがアープについては現在も色々な疑問が投げかけれら、依然として話題に上る人物でもあるようだが、評価が二分している事も又事実。SANY9711.JPG
 彼を有名にしたのはあの決闘、OK牧場の決闘であるが、事実はハッキリと分かっておらずアープ自身が語った事がすべてである。
 然しながら現実彼の話は誇張が大であると言われており、信憑性に乏しいとも言われている一方、ガンマンとして唯一生涯無傷であった事、あれだけの騒ぎの渦中に居ながら無傷であった事自体本物の証とも言われる。
 彼がガンマンとして名を上げたのが19歳の時、当時保安官助手として働いて時に起きた出来事が彼を一人前の男として認められたのだと言う。
 若いアープに向かって荒くれ者が拳銃を向けた時、その場に合ったビリヤードの球をとっさに手に取り、相手に投げつけ気絶されたと言う、その度胸と一歩も引かない姿勢にガンマンとして素質を認められたらしい。
 この時以後彼の名は有名となり、その後の保安官としての名声につながった事は確か、現実に彼は素手で相手を殴り倒して制圧していた。
 拳銃を持った相手にそんな行動をとっていたのはアープだけ、如何に度胸があった事の証だといわれ、当時西部でも有名であったらしい。

 ワイアットアープが有名であった事は確かであるが、正SANY0317.JPG義の味方の様な保安官であったかどうかはいささか疑問であるらしい。
 彼の実際の行動はとばく場の主であったり、売春宿の主であった事は確か、当時はこれが西部では当たり前の事とも言われている。
 法の番人が悪の元を経営している矛盾、その上競争相手のクラントン一家とにらみ合い、縄張り争いから決闘事件を起こし、3人を殺している。
 それも相手はあまり銃を使う事にたけた者ではなく、アープの相手ではなかったとも言われ、弱いものを撃ち殺したとも言われている。
 実際の決闘はアープが仕組んだものと言われ、縄張り争いの末の出来事であって、それを利用して決闘を画策し殺したのではとも言われている。
 その後、クラントン一家の縄張りはアープ兄弟が分捕ったといわれ、始めからこれが目的であったと言われ、正義の保安官ではないと言うが事実はどうであったのか。
 写真は若き日のワイアットアープ、この時代はまだ眼光が鋭くないが、この後彼はガンマンとして修羅場を踏み鋭い眼光を備える事になる。

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2019年05月05日

鎧兜

    忠実に再現
 
DSCN0731.JPG 今日5月5日端午の節句、男の子を祝う節句、子供の日、国民の休日と言い方は変わってしまったが、この日は男の子の成長を祝う日。
 古来より5節句の1つとして古くから行われてきた行事、この節句も渡来文化の1つ、室町頃より武家の子供の成長を祈る行事として定着した。
 江戸時代に入ると社会は安定し平和が訪れる事により、戦さへの備えが薄れる中、武士社会では男子誕生を祝と共に、その子の立身出世を願い武者飾りを飾るようになる。
 幕府も世継ぎが誕生したときは盛大に祝い、鎧兜や旗指し物、吹流しを上げてその子の武運長久を願い、このような風習が武家に伝わると同時、幕府はこれを奨励する事になる。
 この時代は外飾りと呼ばれるものが多く、馬印や旗指物、吹流し等を外にがざっていたが、やがて床の間に飾るようになり、現在の5月人形のような形式となったと言う。DSCN0732.JPG
 しかし、これは一般の武家社会でのこと、庶民にはこの様な5月飾りを飾るものはなく、ごく一部の人達の5月飾りとして行われてきたのだ。
 庶民で財力のある人は武家を真似て鯉幟等を外にがざって節句を祝っていたもの、床の間飾りを飾ろうにも、床の間などは庶民には無いし、鎧兜は武家のもので飾りようがなかった。

 さて写真の鎧兜、昔の鎧兜の製法をより忠実に模して造られたもので40年以上前のもの、小札(こざね)と呼ばれる鉄製の板を絹糸でむすび草摺(楯、たて)を造ってゆく、現在の五月人形は鉄製ものは少ない。
 この鎧兜、平安期の大鎧を模写しているが、戦国から江戸期にかけて流行った大鎧、実戦用に改造された部分があり、近世的な鎧兜。
 良く鎧兜は子供が怖がると云われが、それは面具と呼ばれる顔を保護する部分、目だけが出ているものの、DSCN0730.JPG顔全体を覆っていて相手を威嚇する道具だから。
 当前怖くなって当たり前、その為に造られたもの、これも鉄製のもので重い部品の1つ、佩楯と呼ばれるももを保護する部分やスネあて(毛靴)も当前鉄製で出来いて重い。

 現在の5月人形の鎧兜は全体に省略化されてしまい、細部にわたっては昔の造りはなされていないので、この鎧と比べれば非常にかるい物となっている。
 小手あての上部は鎖帷子が忠実に模写されて付いているのも珍しく、現在ものは殆ど付いていない事が多く、良く見ると甲冑師が製作したと分かるもの。
 このような造りをした鎧兜は甲冑師の仕事、人形師とは一線を隠した本物の鎧兜を製作した人が造れるものであり、時間のかかった代物だと思う。
 わが子の成長を願って飾られる鎧兜飾り、日本の伝統を末永く守って欲しいもの、端午の節句も伝統文化の継承を願うもの、今日は柏餅とちまきを食べて子供と一緒に楽しんではいかがであろうか。
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2019年05月04日

フランター栽培

    毎年
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 我家の家庭菜園、震災後我家でもエコ対策の一環として、プランターでの栽培を試みるようになり、最初の栽培は上手く行かなかった。
 初めてのこと、肥料のやり過ぎで葉っぱばかり大きくなり、結局実を付けるのが少なくしかも小さい、神経を使った割には上手くゆかなかった。
 何しろ栽培するのは初めて、四苦八苦の連続であり、野菜が之だけ大変な思いをしなければ、栽培できない事に身を持って知ったもの。
 農家の苦労が身に浸みた初めての栽培であったが、3回目、4回目はやっぱり経験がものを言うもの、以前の失敗は許されないので、慎重に肥料もやった。
 特に水遣りには神経を使い、経験上余り水をやりすぎも、結局野菜の根を腐らしてしまうもの、園芸店での指導注意を守った結果、見事に実をつけた。
 野菜の栽培が如何に大変であり、神経を使うものだと知り、簡単に出来ると思っていた自分が情けなく、改めて農家の苦労を体験できたのだ。
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 たかがプランター2個、それでも四苦八苦であった事を思うと、今まで野菜を気にも留めずに食べていた事を、改めて考えるようになり、苦労して栽培している事を思う事に。
 そして、今年の栽培はエンドウ、今やっと花が咲きだして、之からが実がなる時期に入るのだが、ちょっと油断するとダメにしてしまう。
 1つは害虫、知らないうちに葉っぱを食べられ、ガッカリすることもあるからだ、葉の裏側をめくっては害虫がいないかチックすることだとホームセンターの人が。
 この一手間が大事な作業、折角実ったものが知らないうちに虫に食べられる事もあり、気が抜けないのだが、それが良い実が成ることになると言う。
 やっぱり栽培する事の大変さを身をもって知り、改めて農家の苦労が分かる事に。
 
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2019年05月02日

八十八夜U

      新茶の季節

 SANY4657.JPG八十八夜と言えば新茶と直ぐに言うが、この「八十八夜」何故その呼び名になったかと言うと、大概の人は説明できないものだ。
 八十八夜と新茶は結びつくが、何故八十八夜なのかと聞かれれば、「さあ〜知らない」と答えてしまう人ばかり、其れ位に忘れ去られている。
 最近では自分でお茶を入れて飲む人が少なくなった来ているが、それはペットのお茶が主流になってしまったから、自分でお茶を出して飲まなくなった。
 お茶との距離が遠のいて行ったから、八十八夜との関係も遠のいたのだろうが、この八十八夜、別に新茶の為に言われている言葉でない。
 八十八夜とは、立春から数えて八十八日の日を八十八夜と言う、この頃が春と夏との境、そして暦の上ではその後立夏となるのだ。
 この頃は遅霜の時期になり、農作物の重要な時、折角芽吹いた新芽が遅霜にやられる被害は昔からあり、農作物には非常警戒の時期である。
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 正岡子規の歌に、  霜なくて  曇る八十八夜かな、   と詠われている様に、この時期の遅霜は油断大敵の夜でもあり、その目安が八十八夜とされ、昔から暦の上で農耕の目安となっていた。
 では新茶はと言えば、勿論この時期新芽が芽吹く1番良い頃、この時期のお茶が一番おいしいと言われ、夏も近ずく八十八夜ともうたわれた。
 この緑茶、庶民が飲めるようになったのは大正時代以後、其れまでは一般庶民の飲めるお茶ではなく、高級なお茶であり、一部の人達の飲み物であったようだ。
 事実は意外と知らないもので、緑茶を飲める様になったのはまだ歴史は浅く、そして今また庶民の間から新茶が遠のいて行く様でもある。
 今はペットボトル全盛の時代、初夏の風物詩、八十八夜も忘れ去られようとしており、新茶もまた遠のいてゆく、時代とは新たな物を作り出して行くと共に古いものを忘れ去るものなのか。
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2019年05月01日

唱歌

    ふるさと

SANY9221.JPG 新しい令和最初は唱歌、最近では学校でこの歌を教えなくなったよう、時代に合わないとの考えだと言う、その為に良い唱歌もまったくと言って良いほど歌われなくなった。
 特に子供たちにとっては全く知らない歌となってしまったもの、残念でならないが時代が違うと言う、確かに古い時代に作られたから、少しは現代と合わないかも知れない。
 唱歌の中には色々なものも含まれているのは確か、時代に合わない箇所もたたある事は認めるとして、其処があるからダメだと言う事か。
 古いものでは明治時代に作られたものもあるから、確かに時代に合わないのは認めるが、では昔話はどうか、昔の話だから教えないのか、心に残る唱歌も幾つかあり、現代人にも通じるものはあるので、全部が全部教えないのは分からない。
 そんな中、唱歌の代表的存在の歌「故郷」、この歌を知らない人は少ないと思うが、今の若い人たちには教えられていないよう、しかし耳にした事はあるはず、特に震災以後、この歌が心の支えとなっている事は確か、あの災害から立ち直ろうとしている人達にとっては、この歌こそ心の支えだ。
 どんな現代の歌よりも、このふるさとの唱歌、幾度と無く被災地の人たちが歌う姿を見てきたので、何処に古いからダメで、新しいから良い事にはならないと思う。

 この愛されているふるさとの歌を作ったSANY9234.JPG人物、高野辰之と言う国文学者、彼の名前はふるさとの作者だと知る人は少なく、歌だけは有名となっている。
 高野辰之は長野県中野市の出身、国文学者しとて有名な人物、その高野のふるさとを題材として作った歌が、唱歌「故郷」である。
 高野は旧豊田村の豪農の家に生まれ、少年時代を豊田村ですごしたが、その後東京に出て国文学者となり、唱歌の編纂にも立ち会うことになる。
 大正5年1914年に自分の故郷を思い出しながら作ったものと云われ、岡野貞一とのコンビを組んでふるさとの歌を発表する事になる。
 その後次々と唱歌をコンビで作り、春の小川、春がたき、おぼろ月夜、紅葉などの歌を発表し、現在まで歌い続けられている名曲となったが、高野辰之や岡野貞一の名前は知らなくとも、故郷の歌は誰しも知っている曲、震災後もこの歌が人々を勇きづけている事は良く知られている。
 日本人の心のふるさととして、多くの人々の共感を呼ぶこの歌、まさに絵に描いたような故郷の風景を思い起こされる唱歌であると思う。
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2019年04月30日

端午の節句が

    早くしないと

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 早いものでもう5月になるのだと思うと、この前雛巡りで雛人形をしまい込んだばかりだと言うのに、令和の5月がそこまで来ているのに今年は少し遅くなってしまったが、兜飾りを出して飾る準備に入り、納戸の奥から引っ張り出して来たのだが。
 毎年の事であるが、4月は入れ替えが大変な時期、雛人形と入れ替わりに5月人形を出さなければならないのだ。
 5月飾りは雛人形と比べれば遥かに数が少ないものだから、飾るのもそんなに苦労はしないが、出し入れが難しいだけの事だ。
 狭い我が家であるから、一端雛人形を入れ、それから5月人形を出さなければならず、この作業が面倒、毎年、毎年同じ事を言っているが、その繰り返しで年が過ぎて行くもの、季節とは繰り返しの連続である。
 ただ4月、5月は一番面倒な事があり、雛人形と時計展が重なるから、何時も厄介な事DSCN0731.JPGばかりで大変な作業、これも有り難い事だと思わなければ。
 ヘルニアであまり動けず、自分ではどうする事も出来ずに他人任せ、雛人形も片付けて貰ったのだ。
 そんな事を思い出しながら、五月飾りを出して一息、この五月飾り我が家のものではなく、友人からの貰い物。
 我が家のものは古民家久米邸で展示してあり、此処にはなくて友人に貰った五月飾り、友人が我が家に五月飾りがないので、これを貰って欲しいと持って来たもの。
 有り難く貰い受け、何時も我が家で飾る事にしているが、この5月飾り大した高級品、実際の鎧兜の造り方だ。
 5月人形ではなく、本物の造り方をしているもの、薄い鉄板を用いており、その上実際のものと同じように造られている。
 その為に小さいが重くて、人形の重さではないもの、飾る時にその重量感がひしひしと伝わって来るのだ。DSCN0730.JPG
 高さは70センチと少し小さいが、ずっしりとした兜、鎧本体の重さは5キロ以上あり、友人に言わせると何で重く造るのかと。
 飾るのに一苦労をしなくてはならないもので、飾るのが面倒であったと言う、確かにこの造り方で重く成って当たり前の事。
 部分的に見ると、薄い鉄板で造られているために、本物の迫力があり、良く忠実に造られていると感心する。
 ようやく5月前に床の間に飾れて、何時もの様に5月が迎えられ、ホッとしている。





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2019年04月29日

明治の時計商

    最先端の職業

 前にも紹介した明治初期の時計商、我々が思っている以上に豪商であったよう、その実態を知ればさぞかし驚SANY4788.JPGくであろう、新しい職業として明治初期に開業した時計商、勿論改暦のおかげである事は言うもでもない事である。
新政府の改暦により西洋時計が必要となり、一般庶民は西洋への憧れもあって、新しい時計に我も我もと買い求めた。
 まさに新しい時代の新しい商売、現在のIT産業の様なもので時代の流行、その商売はどの様なものであったのか、今も昔も時代の先取りをした商売は流行っていたと、そんな姿が見える資料、色々な資料の中、面白いものを見つけた。
 以前にも紹介したが、明治時代の時計塔、全国で数多くの時計塔が建設され、当時の流行であったと言われ、西洋の時計と日本の家屋、そして最先端の時計商ねこれが合体して、新しい建築があちこちに建てられていった。

 その写真を見ると、当時如何に目を引く建物であった事が分かり、流行の建築であった事が伺えるもの,そこには新事業を行うにあたり、先見性を求められたと思うが、新たな商売である以上は一つの冒険でもあるはず。
 成功するか、失敗するかはその人以上に市場の動向が決めて、其れを先読みする能力も又必要となる。
 新事業立ち上げには、それ相当の資金が必要であり、其れを確保できる財力も必要であった事は言うまでもないSANY4776.JPG
 ここにその資料があるが、これを見る限りでは如何に当時の新事業が儲かったものなのか、実感できるのもである。
 当時の時計商の番付けなるものがあり、上位を占める店舗の写真と見比べて見ると、如何にこれらに名を連ねている者たちの商売が儲かった事を示している。
 当時の流行時計塔を備えた建物、誰が見ても遠くからその存在が分かる建物、それが彼らの店舗である。
 独特の建物を建築できる財力と、それを支える利益が如何に膨大であったかが伺え、時計商が儲けていた証でもある。
 まさに今も昔も、流行の商売は儲かるものであると、この写真が立証した形であり、明治は時計が流行であった証でもある。



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2019年04月28日

昔ながら

    タイムスリップ

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 岐阜県多治見市、全国的に有名となった暑い街、一時は最高気温日本一を誇った街、盆地特有の気候で熱い街だ。
 もちろんこれだけではなく陶器の町としても有名なところ、何故かしら陶器の町は全国的にうまい食べものが多いのだと思う。
 職人が多く働く街ならではの特徴、どの町にも名物の食べ物があり、食通を吸い寄せる働きがあり、何処からともなく人が集まってくるのだ。
 陶器の町は「鰻と焼肉」、そして「うどん」と何故かしら多いが、これは「精のつくものと素早く食べれるもの」、それがヒントかも知れない。
 SANY1117.JPG兎に角三つの食べ物が幅を利かせていることは確か、そしてその数は他と比べれば一段と多く、また店は流行っている。
 そんな中、うどん屋も多く、そして歴史の古い店がまた多いのも特徴、古くから店を続けているのだ。
 老舗と言う感じではなく、親しみやすくてどこかしら歴史を感じる店が、そんな店がやっぱり多い。

 その中に「うどんの信濃屋」があり、ここもまた古い店、まず外観は昔の長屋造り、一見民家と思しき店構えである。
 この信濃屋、もとは名古屋でうどん屋を商っていたが、戦争でこの地に疎開して来たらしく、ここは昭和23年に開業したらしいが、店の建物は明治の物らしい。
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 信濃屋は私も古くから通いつづけている処、先代の親父の代からの客、昨今のうどん屋とは全く別物の店だ。
 品数も少なく、量的にも多くはないので、初めての客は戸惑う事になるが、それに店の親父は客に媚びたりはしないのだ。
 そうかと言って上を見ている訳ではなく、真剣にうどんと格闘しているので、一見そのように見え、誤解を生むかも知れない。
 うどんを仕込むのに手抜きはしないので、3日かけて仕込むため営業日は水、木、金、土と4日間しかないので気を付けて行かないと休みに出くわす。
 店の中は昔からの造りで幅は狭くて、大勢の人が入れないから、外で待つ事もしばしば、それでも客は分かっているから帰らないSANY1101.JPG
 味は昔から変わらず、たまり醤油とカツオ出汁、色は黒いが辛くはなく、出汁が利いた旨さのあるうどん、初めての人は物足りないかも知れないものだ。

 そしてうどんは少し量が少なめだから常連さんは二人前頼むのが普通、私などは三人前頼んでいたが、最近ではやはり二人前である。
 ゆで時間が長くて一時間半ほど茹でているのがこの店の流儀、それでいて腰のあるうどんは絶品だと思うが、気長に待つ心がないと食べれない。
 写真の一番下は中華そば、うどんみたいに見えるがラーメンではなく中華そば、出汁はうどんと同じ物なので、ラーメンと思って食べるとどこかしら可笑しく思うかもしれないが、これが信濃屋の中華そば。
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2019年04月27日

再デビュー

    こいのぼり

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 もう直ぐ子供の日、子供の日と言えば鯉のぼり、昔は端午の節句、男の子のお祝い行事、あちらこちらで鯉のぼりを立て、子供の成長を願った。
 この日が来る前からあちらこちらで鯉のぼりがたてられ、天高く泳ぐ姿が見れら、すがすがしい気持ちになったもの。
 どことなく勇ましく、空に泳ぐ鯉のぼりに勇気をもらったような気がし、清々しさを覚えたのが懐かしい。
 カラカラと音を立て矢車が回り、大きな鯉のぼりが風に乗って泳ぐ姿は実に優美、昔からの風習でもあった。
 そんな端午の節句も、今は子供の人なり、鯉のぼりも少なくなってしまい、昔の面影もないくらいだ。
 第一、あのカラカラと音を立てるか矢車、最近では近SANY1841.JPG所迷惑で、単なる騒音としかとらえない人が多く、公害だと言う人も。

 そんな時代であるから、今では鯉のぼりを立てるところも少なく、矢車の音が出ないようにしているらしく昔と様変わり。
 これも現代人の感心の低さかも知れないと思うが、あのカラカラの音が騒音としか聞こえない、そんな世の中になったことだ。
 そして団地では鯉のぼりを立てるところもなく、一戸建ての家でも鯉のぼりは立てず、近所に遠慮しているとか。
 少し前に買った鯉のぼり、使わなくなり押入れの糧隅にしまわれ、日の目を見ることはなく眠り状態であった。
 最近この眠り実用隊であった鯉のぼり、イベントなどの会場に飾られるようになり、新たな活躍の場が与えられた。
 押入れにしまった鯉のぼりが再び空を泳ぐことに、彼らの新しい働き方を示してくれたような気がするが、今では各地でイベント用に大活躍をしている過去の鯉幟たち、活躍の場が与えられ嬉しそうに見える。








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2019年04月25日

節句の準備

    旗指物

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 端午の節句が近づいて来たので、今年も飾りを出す事にしたが、一方で古時計の展示の準備、二つの事を同時に行っている。
 端午の節句は何時も我が家に伝わるものを飾るのだが、親父のものと我々のものとがあるから、古い親父のものを飾る事に。
 鎧兜の飾りはそんなに大きくはないが、当時のものとしては大きい方だと言う、昔から交互に飾っていたと思う。
 親父のものは明治のものだから少し小さいが、出来は良いもので精巧に作られており、鎧びつは漆塗りのもの。
 SANY1835.JPG本物の縮小版、実によく作られたもので、職人の腕の良さが伝わって来る様、今のものと一味違うものだ。
 勿論今の豪華なものと違い、和紙に胡粉を塗り、漆で固められた精巧な鎧兜飾り、高さは50センチそこそこのもの。

 しかし迫力があり見た目にはもっと大きく見え、職人の腕の良さが光ったもの、付属品はなく鎧兜だけである。
 我々のものは大将飾りと言うもの、大将が座った格好で中央に、そして横には家来が座っているものだ。
 後ろには矢羽の柵が並んだものがあり、その後ろには旗差し物が並ぶ格好になるが、全体を飾ると150センチ幅の大きさになる。
 何故かしらこの飾りよりも、親父の鎧兜飾りの方が迫力があり、数では我々のものが圧倒しているのだがSANY1944.JPG
 それでも同時に飾ると古い鎧兜に負けているから不思議、昔の職人の腕が良かったものなのかと思う。
 そしてもう一つが幟、今のように外に飾るものではなく、室内で飾るものだが、今のものと違い全部手描きのもの。
 大きさは2メーター50センチ位の幟、今の幟の様な大きくて派手なものではなく、実際に手描きであると主張している。
 図柄は誰を描いたものか分からないが、迫力のある絵描き方のもの、小さいが今のものとは格別に違うものだ。















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