秋の空に映えるのはやっぱり赤とんぼ、茜色の空高く飛ぶ赤とんぼは秋を代表するもの、誰もがこの赤とんぼを眺めれば何故かしら昔の事を思い出す。
秋と赤とんぼは切り離せない風物詩でもあるようで、誰もが秋が深まった事を知るのであるが、最近は余り見かけなくなったのは非常に寂しい事、昔は空一杯に赤とんぼがこの時期飛んでいた。
あの光景は今は見えず、それがまた人々の郷愁を誘うのかもしれないが、若い人達にとって赤とんぼはどんなふうに思われているのか、興味の湧くところである。
この赤蜻蛉、色々な名前で呼ばれ「赤蜻蛉」、「秋茜」、「姫茜」、「深山茜」、「夏茜」などあり、又「八丁蜻蛉」、「猩猩蜻蛉」、「紅蜻蛉」と書く、この様に色々な面で季節感のつよい蜻蛉である。
しかし、赤蜻蛉が人々の胸の中にあるのは、少し違っていると思われ「童謡唱歌、赤とんぼ」に帰するところが大きい、子供の頃に習った「赤とんぼの歌」、この歌がその原因であると思う。
夕焼け小焼けの あかとんぼ 負われてみたのは いつの日か
十五でねえやは 嫁にゆき おさとの便りも たえはてた
夕焼け小焼けの あかとんぼ とまっているよ 竿の先
この歌、三木露風が作詞したもの、大正10年に北海道トラピスト修道院で窓から見えた赤とんぼ、竿の先に止まって動かなかったの詩にしたものである。
三木露風が幼い時に過ごした播州龍野の町、秋の日の自分の姿を懐かしんで詠ったもの、両親の離婚により露風はお手伝いの「ねえや」に育てられ、背中に負ぶって貰っていた時の事を思い出して詩にしたのである。
お手伝いの「ねえや」に育てられ、そのねえやが嫁に行ってしまった寂しさも詩の中に出てくるが、私はてっきり実の姉と思っていたが、育てて貰ったお手伝いさんであったと知った。
そのな実体験をした露風だからこそ、この「赤とんぼ」の詩が書けたのであろうが、日本を代表する唱歌である事と、日本の抒情が1番良く出ている歌でもあり、人々の胸に響くのではないだろうか。