2019年09月15日

赤とんぼ

      赤  蜻  蛉
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 秋の空に映えるのはやっぱり赤とんぼ、茜色の空高く飛ぶ赤とんぼは秋を代表するもの、誰もがこの赤とんぼを眺めれば何故かしら昔の事を思い出す。
 秋と赤とんぼは切り離せない風物詩でもあるようで、誰もが秋が深まった事を知るのであるが、最近は余り見かけなくなったのは非常に寂しい事、昔は空一杯に赤とんぼがこの時期飛んでいた。
 あの光景は今は見えず、それがまた人々の郷愁を誘うのかもしれないが、若い人達にとって赤とんぼはどんなふうに思われているのか、興味の湧くところである。
 この赤蜻蛉、色々な名前で呼ばれ「赤蜻蛉」、「秋茜」、「姫茜」、「深山茜」、「夏茜」などあり、又「八丁蜻蛉」、「猩猩蜻蛉」、「紅蜻蛉」と書く、この様に色々な面で季節感のつよい蜻蛉である。

 しかし、赤蜻蛉が人々の胸の中にあるのは、少し違っていると思われ「童謡唱歌、赤とんぼ」に帰するところが大きい、子供の頃に習った「赤とんぼの歌」、この歌がその原因であると思う。

   夕焼け小焼けの あかとんぼ 負われてみたのは  いつの日か
   
   十五でねえやは  嫁にゆき  おさとの便りも   たえはてた

   夕焼け小焼けの あかとんぼ  とまっているよ   竿の先
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 この歌、三木露風が作詞したもの、大正10年に北海道トラピスト修道院で窓から見えた赤とんぼ、竿の先に止まって動かなかったの詩にしたものである。
 三木露風が幼い時に過ごした播州龍野の町、秋の日の自分の姿を懐かしんで詠ったもの、両親の離婚により露風はお手伝いの「ねえや」に育てられ、背中に負ぶって貰っていた時の事を思い出して詩にしたのである。

 お手伝いの「ねえや」に育てられ、そのねえやが嫁に行ってしまった寂しさも詩の中に出てくるが、私はてっきり実の姉と思っていたが、育てて貰ったお手伝いさんであったと知った。
 そのな実体験をした露風だからこそ、この「赤とんぼ」の詩が書けたのであろうが、日本を代表する唱歌である事と、日本の抒情が1番良く出ている歌でもあり、人々の胸に響くのではないだろうか。
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2019年09月14日

白露

    秋がやって来る
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 やっぱり今年の夏は暑かった、9月に入っても暑さは中々収まらない日々、どうなってしまった日本の四季、地球温暖化で激変か。
 兎に角暑い、暑い、暑いの連発しかない日々、その上台風まで当たり年と来ているらしく、踏んだり蹴ったりの日本列島だ。
 出るのは愚痴ばかり、明るいニュースは何処へやら、最近の異常気象で竜巻まで起こる現実、全くどうなってしまったのか。
 そんな事を思いつつ、我家の小さな庭を覗くと、葉っぱの上に何やらキラリと光っているものが、雨が降ってきたのかと確かめるが降っていない。
 雨ではなく、どうやら夜露らしいのだが、マダマダ日中は30度を越しているのにと思いつつ、やっぱり確かめに庭に出て見ると、まちがいなく夜露だ。

 SANY7100.JPGそう言えば暑いので忘れていたが、9月8日は「白露」だった、暦の上では9月8日は「白露」と言って秋の入り口、この時期になのと夜露が現れる時期となる。
 昔から、白露は季題の1つ、秋を告げる言葉でもあり、幾つもの歌が歌われているが、この白露の言葉は「暦便覧」に、この様に出ている「陽気ようやく重なりて、露にごりて白色となれば也」とある。
 朝晩、温度が下がり露ができる様子を表現したのが白露と言うらしい。
 昔の人は自然を表現するのにも風情があるのだ、現代みたいな現実的な表現でない。
 夜露になったり、朝露になったりと、露1つにしても表現する字が違う。
 露にごりて白くなりから「白露」とよばれ、そして先人たちはこの季節の変わり目を多くの歌にしており、幾多の人々が白露を詠っている。

 松尾芭蕉は、    「しろつゆ(白露)を  こぼさぬ萩の  うねりかな」と詠い。

 与謝蕪村は、    「白露や  茨のはりに  ひとつづつ」と詠う。
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 芭蕉も蕪村も季節感を感じる句、萩と茨、同じ秋の風景を詠いながらも、芭蕉と蕪村の物のとらまえかたが違う、どちらがどうとは言い難いが。
  昔の人は自然から季節の変わり目をすばやくは察し、ふしふしをチャンと感じていたものであるが、現代人みたいに季節感も感じなくなってしまったとは、寂しい限りでもある。
 我々の感覚よりも草花は敏感に季節の変わりめを逸早く悟り、着実にその営みを続けているのだが、其れも季節が激変している現在、この先どうなる事やら。
 
 
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2019年09月13日

中秋の名月

    月  見

 中秋、まだ暑いこの頃、暦の上では秋半ばとなっていSANY0922.JPGるが、新暦になってから一ヶ月も季節が早くなったしまい、秋半ばと言われてもピンとこない。
 暦の上では今日9月13日が中秋(なかあき)、字の如く秋の真ん中と言う事、少し季節感がずれている事もあり、ピンと来ない人も多いだろう。
 昔からこの月のこの日の月を中秋の名月と言う、十五夜の中でも、最も美しい月が見れるのは今日、天気が良ければ美しい月が出るはず。
 昔からこの月を詠ったうたは数多く、色々な人が中秋の名月を称えている。

   月 月 に  月 見 る 月 は 多 け れ ど  月 見 る 月 は  こ の 月 の 月

   名 月 や  池 を め ぐ り て  夜 も す が ら

   名 月 や  取 っ て く れ ろ と  泣 く 子 か な

 日本人は昔から自然を愛し、自然に親しみ、自然と同居してSANY0936.JPGきたもの、特に月にたいする感覚は別もの、もの悲しい秋の代名詞であった。
 平安の昔は池に写った月をめでたらしく、池に船を浮かべて静かに鑑賞したと言われ、これが1番の月見であったとの事、今と大分違うものだ。
 また、1日早い月を待宵(まつよい)と言い、十五日は名月、その次の日は十六夜(いざよい)と言ったが、どの月も美しい表現であった。
 この日に曇りで月が見えない時の表現は「無月」とあらわし、雨が降ったときは「雨月」とあらわして、その時の状態をあらわしたもの。
 この様に日本人は繊細に月を上手くあらわして来たが、果たして今日は上手く月が見えるであろうか、統計では60パーセントの確立だそう。
 しかし現代の子供達はこの中秋の名月、どの様に感じているのもなのか、若い親たちが知らなければ子供にも伝わらないのだが、果たしてこれからも伝わって行くのだろうか。
 月見団子をお供えして、静かに月を観賞するのも良いものではないだろうか、天気が良ければ満月の美しい月が見られると思う。

 
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2019年09月12日

リプロ

    土台が良い

 アンティーク物は程度と雰囲気、これが一番大事だと思う、物が良いのはあたりSANY1072.JPG前の事だが、自分に合わないのは幾ら良くても欲しくはなく、自分好みのものしか要らない。
 勿論アンティークはいろいろなものが存在しており、どれを買うかは自分次第である。
 アンティーク物を使用する時は十分注意をしないといけない。
 当然の事だが古いものである以上故障するもの、特に電気製品は要注意。
 部品が古くなっていたり、普通の使用に耐えないものも多く、修理は当然の事であると思う事、電気製品は慎重のうえにも慎重にすることが肝心だと思う。
 自分で修理が出きれば良いのだが、電機ものはやはり専門の人に頼むことだと思う。
 後で失敗してからでは遅いから、これだけはプロに任さないといけない。
 アンティークとは、100年以上前のものでないと「アンティーク」とは呼ばないらしく、其れより新しい物は「ビンテージ」と呼ぶらしいが、日本ではその規定はない。
 何でも同じであるが幾ら高価な物でも、自分が欲しくない物は要らないのだ、それよりは別に高価でなくとも好きな物であけばそれで良い、高いから良いとも限らない。
 とまあ強がりを言ってしまったが、本音から言えば高い物は買えないとの結論、しかし安くても良い物もたくさんあり、其れを見出すのも腕の見せ所かもしれない。

 事実、目が利かなければ良い物と悪い物を見極められず、それには沢山の良いものを見るのが1番目が鍛えられ、その経験が目利きになる一番の早道でもある。
 何処かの誰かが良く言っているセリフ、「博物館に行って本物を見て学びSANY2104.JPGなさい」と、「多くの本物を見て覚えないと目利きにはならない」とも、やっぱり目の肥やしである。
 写真のランプ、之を買ったのはランプの土台が気に入ったから買い込んだもの、アンティークではなくリプロであり、現代に製造されたコピー商品である。
 しかし、雰囲気と云い、形と云い、そして何よりも土台のデザインが良く、このランプを見て一目で好きになり買い込んだが、普通はランプのガラスが良いから買い込むのが当たり前だ。
 私は、ランプに目もくれず、土台に目がくらんだといって良く、ランプは付いていれば良いと思っていたのだが、店の主人「之は新しい物ですから」と、再三念を押していたのが可笑しかったのだ。
 後で騙されたと言って来ることを恐れての事だと思う、しかし初めからそんな事は分かっており、ランプは自分の持っている古いものを変えれば済む。
 それよりも気に入ったものが付いている方がよく、自分好みのものを探すのは中々難しいものだから、見つけた時が買い時である。
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2019年09月11日

瀬戸物祭り

   在庫一掃
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 全国的に有名な瀬戸市の瀬戸物祭り、陶器の祭りとしては最大の祭り、2日間で60万人の人出がある祭りだ、昔は業者が半分以上買い出しに来ていた。
 全国の問屋さんが安い出物を見つけ出すために買い出しに来ており、一般客に交じって値引き合戦をあちこちでやっていた。
 子供の頃は何であんなに買うのだろうと不思議でならなかったが、今にして思えば市価の半値以下、当たり前の事商売になるからだ、在庫一掃を目的とした瀬戸の陶器問屋は荷物を掃かせたいとの思いもあり、値引き合戦を繰り広げるのであるが、それを知らない人は何であんなに買い込むのか分からないだろう。
 その上、上物の器が多く市場価格の半値以下となれば業者も必死、他の商売敵に取られまいとして、会場を走り回る事になるが、そこにも熾烈な競争がある。

 毎年買いに来る客には売る方も安くし、まSANY0711.JPGた大量に買ってくれる者には値引きも多く、駆け引きも又見ていても面白いもの、売る方と買う方が互いの腹を見透かし、合戦を繰り広げる。
 本来はこの様な商売の人達が多く買いに来ていたが、今は一般の人達ばかり、商売人は少なくなってしまった様だ。
 これも時代の流れ、在庫品も以前のように多くはなく、値引き額も以前とは少し違って来たから、それも原因かもしれない。
 それよりも流通システムが違って来たから、どおしてもこの日に買い込まなくても良くなり、商売形態も変化したためでもある。
 それにしても60万人もの人達が押し寄せ、買い物をしている姿はやはり壮観、暑い日差しの下2日間の祭りが繰り広げられる。


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2019年09月10日

小さな蕾

   70回を迎え
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 小さな蕾に記事を連載して70回目の節目となる、始めは軽い気持ちで連載を引き受けたが、ここまで長く続くとは思わなかった。
 自分でも不思議に思うが続けると言う事は非常に難しいもの、簡単な事さえ難しいのに文章となると後々まで残る。
 一度書いてしまった文章は消せれないもので、間違って書いたものも後世に残り、後からでも非難される事になる。
 自分でもその事は百も承知して引き受けたが、後から書いた文章を見て失敗したと思う記事も多い、後の祭りであるが訂正がきかないのだ。
 その時は自分なりに納得をして書き、当然の事チェックもして納得の上で原稿を送り、また校正を経て出版される事になるが、それでも後から考えると少し変と感じる事もある。
 そんな時はこの事が頭の中で何回となく駆け巡り、何であんな表現をしたのかと後悔する事もしばしばあるのだ。
 文章とはそんなもので、一字一句が勝負みたいなもの、一文字違っても意味が全く違う事にもなり、自分の意志とに反して違って受け止められ、結果はまずい事になってしまう。
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 これは自分でもよく承知しているが人の文章だと間違いだと気付く事もあるが、自分の文章だと中々気づかないもの、人のは冷静に判断できるから。
 自分の文章は自分の意思もあり、そこを上手く表現できるかどうか、それが問題であるがうまく出来ないのが常なのだ。
 文章とはそんなもので、大事な所で一字違っただけで、取る方の考えが違ってしまい、意図に反して批判を受けることもある。
 こちらはそんなつもりで書いてはいないと思っても、取る方がその様に取ってしまえば、それまでの事、対面して話をしているのでは無いので行き違いが生じてしまう。
 文章とはそんなもの、小説ではなく解説であるから尚更の事、何処まで詳しく書くのが良いのか迷う事になる。
 何にしても70回の節目で感じた事は書いた文章は消せないのだと言う事、恐ろしい現実である。  
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2019年09月09日

蕎麦切りの発達

    上級武士に

 江戸中頃SANY0566.JPGになると、寺方の蕎麦切りが発達を遂げ、田舎蕎麦から次第に高級化し、更科蕎麦なるものが登場し、武士階級のしかも上流武士に蕎麦切りを精進料理として寺方が接待する事により、蕎麦切りはより高級化する事になる。
 記録によると3代将軍家光が上野寛永寺にて精進料理を食した中、蕎麦きりが出されたとの記録が残っているようで、田舎蕎麦が高級化し既にこの頃より上級武士の間でも食されていたようだ。
 その後将軍家に献上する蕎麦なるものが出始め、蕎麦きりが上級武士階級の広い範囲まで広がりを見せていた様子が伺え、更に蕎麦切りは洗練されて行ったようである。
 一方、庶民の間でも蕎麦切りは広がりを見せ、夜鳴き蕎麦の様な屋台ではなく、一軒の店として蕎麦屋が進出して来出し、江戸の町にうどん屋と肩を並べるまでに成長してゆく。
 当時江戸では急激な発展に伴い、地方からの流入者が多くなり、建設業などに従事するものが増大、当然食の方も発達を遂げて行く事になる。
 それに一役買ったのが蕎麦きり、早く食べれて、安くて、旨い、それが又労働者たちに受け、江戸中に蕎麦屋が進出し、彼らの要求に応じたのである。

 味のほうも、この頃よりカツオ出汁の汁が出始め、「SANY0545.JPGなまぐさ汁」と呼ばれ、寺方の味噌や辛味大根汁と区別され、下品な汁の食べ方と呼ばれていた様だ。
 しかし、この 「なまぐさ汁」が序藷に庶民の間で人気を博してゆく事となり、「かけそば」なる物はカツオ出しで取った汁で食べられるようになり、寺方蕎麦と一線を隠した形となる。
 ご存知の忠臣蔵に出てくる、討ち入りの前、蕎麦屋の二階で一同が会する場面が描かれているが、まだ此の頃は蕎麦屋は出来て居なかったようで、芝居の時代考証が間違っていたようだ。
 そもそも、蕎麦屋の二階に約50人もの人間が集結するのに、人目につかない筈が無く、ましてそんなデッカイ蕎麦屋など当時は無かったし、江戸末期頃にようやく作られたようである。
 映画の世界では、蕎麦屋に集結した浪士たちが、戦いに行く前に身支度をしている様子は、一般の家屋より蕎麦屋の二階が如何にもこっそりと支度している様子が似合うかもしれない。
 其れぐらい蕎麦屋は庶民の間に普及していた事の裏ずけでもあるようで、赤穂浪士の面々が庶民に受け入れられたひとつの要素でもあり、当時は無かったとしてもそれは其れで良いのかも。
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2019年09月07日

エッフェル塔

    革命記念です

 エッフェル塔、フランス、パリのシンボルSANY0897.JPG、日本人にも馴染みの深い建物、フランスと言えば殆どの人がエッフェル塔と言うだろうし、現在でもパリの代名詞にもなっている。
 このエッフェル塔、1889年にフランス革命100周年の記念行事としてパリ市内に建てられた物、そしてパリ万博で好評を博し世界的に有名となる。
 当時は、この建物を建設するに賛否両論があり、大分もめたらしいが結果建設され、パリ市内に偉容を誇ったが、万博後入場者が激減して解体の憂き目になる。
 その後、国がエッフェル塔を無線塔として利用し始め、解体は免れ現在に至っているが、軍の利用で命を永らえたとはあまり知られていない、エッフェル塔の裏事情。
 なぜエッフェル塔になったのかも色々説があるが、結果建設会社のエッフェル社の名前になったらしく、設計士やデザイン者がエッフェル社の社員であったらしく、この名前になった。
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 写真のエッフェル塔、フランス、リモージュ社の製造したもの、この入れ物が欲しくて長年考えていたが、結局誘惑に負けて買い込んだもの、と言い訳である。
 実は中身が欲しくて買ったものだが、とは言え私はそんなにノンベイではないと、始に言っておかないと余程ノンベイと思われるかもしれないから。
 おもしろいボトルを集めるのが趣味であり、特に陶器でできた物を集め、色々な物を買い込んだに過ぎないので、決して飲みたい為ではない。
 とまあ、言い訳しても仕方が無いが、リモージュ焼の綺麗な姿をしたボトルで、今でも大事にして飾っているが、口の悪い友人は飲んでしまった物を何時まで置いておくのかと言うが、このボトルは均整も取れていて焼き物としても実に良いものであると思う。
 
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2019年09月06日

厄病神

    厄病神の出現

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 しばらく姿を見せなかった奴が又現れ、我が家にやって来たが、今度は何を持ち込んで来たのか、厄介な事にならなければ良いが。
 機械オンチのこの男、今までにもさんざん振り回されて、何時も厄介な事になっているが、本人は知らんぷり。
 以前は享保雛でヒットを飛ばしたので、それ以来ヒットは無し、そろそろホームランでも飛ばして欲しいものだが今回はどうだろおか。
 奴が現れたが何も持っていないので、「今日はどうした」と問いかけると、ニヤリとしたまま何も言わないのだ。
 こんな時は要注意、何が飛び出すか分からないからだ、過去にもこんな態度の後、ビックリさせられた覚えがあるのだから。DSCN0465.JPG
 そう言えば4か月ぶりに合うので、正月には顔を出さなかったもの、それが今日やって来たので「何かあったのか」とまた水を向けてみた。

 はじめから今日は酒を呑むつもりで我が家にやって来たのだから、仕方なく酒の用意をして奴の話を聞く事に、これも何時もの事だ。
 酒を呑みだしてから奴の腕に時計が、何時もは我が家にやって来る時は時計などしていないのに、今日は珍しく時計をハメているので、「その時計如何した」と聞けば、待って居ましたと自慢気に腕を指し出し、この時計を見ろとばかりに私の目の前に。
 一見ロレックスらしいもの、安かったのでロレックスを買い込んだと、自慢気に差し出した時計はコピーのロレックス、本人は本物と思っているらしいのだ。
 何も持たずに来たのはこの時計DSCN0467.JPGの事かと、頭の中で思っていたが、本人が「ロレックスだ」とニコニコ顔でいる。
 こいつまた騙されて来たのかと、「どうしたこの時計」と聞く、良い買い物をした「安かったのだぞ」とまたも自慢気。
 お前「それコピーのロレックスだぞ、良く税関を通ったな」と言えば、「嘘だ何で見ただけで分かるのだ」と不機嫌そう、「お前大丈夫か、プロだろう」と一喝する。
 そんな馬鹿なと腕時計に見入っているが、何時もの機械オンチらしく、機械物は買って来るなと言い聞かせておいたのに懲りずにまたやってしまった。
 しかしよく税関を通ったものだ、偽物は厳しくなったので持って入れない筈。











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2019年09月04日

確認事項

   浜松ミーティング開催の件
 日時、9月8日、日曜日
 場所、浜松市東区小池町2543−4
    NKトレーディング事務所 053.465.3666
 時間、11時半開始
 会費、1500円、昼食代含む
 尚、オークションを開催します。

 日本古時計保存協会 事 務 局
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2019年09月03日

大珍品

   珍しいもの
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 前にも取り上げたが古時計に関するものを幾つか集め、その中でも珍しい物ではピカイチのものであると思う。
 古時計の小物は色々とあるけれど、江戸時代の封筒があったとは驚き、今まで見た事がないのだ。
 勿論私がであり、他の人は知っていたかもしれませんが、私は初めて見たもの、江戸時代に封筒があったとは。
 それも思ったよりも小さなもので、何の手紙が入っていたものなのか、それとも手紙ではないものなのか。
 現在の封筒と良く似たものになっているが、造り方が少し違うもの、縦12、5センチ 横4、5センチの大きさ。
 勿論和紙で出来ているが、紙も薄いもので造られており、大きさと言い薄さと言い現在の封筒とは違ったもの。
 当時この様式が普通とは思えず、よく映画やテレビに出て来る手紙の大きさと違って、小さいように思うが。DSCN1732.JPG
 何の為のものなのかはヤッパリ分からないが、封筒としか思えないので、それが正解かどうかは不明である。
 この封筒、何処が面白いかと言えば、先ず表には和時計が印刷してある事、良く見ないと和時計とは分からない。
 青色で印刷されているから分かり辛いが、上部には文字盤が描かれており、その文字盤の中に、薄くなっているが年号がある。
 
 よく見ると宝暦七年と読め、宝暦七年は1758年であり、約270年も前のものになるから、ずいぶん昔のものになる。
 ある人に言わせれば和時計の紐の下に付く錘、その錘に大小の文字が入れてあり、そこから分かる事は暦であると言う。
 つまり大小歴、大の月と小の月が示されているから、暦であると言う事DSCN1735.JPG、それにしても斬新なものである。
 江戸時代にこのような印刷した封筒が存在していたとは驚くほかなく、それに和時計が印刷されているとは。
 今時の封筒にも匹敵する斬新さ、江戸時代にすでにそのようなデザインのものが存在していたとは面白い。
 面白いと言うよりもやっぱり驚きであり、ユーモアがあったと思うと、江戸の人は粋であったようである。
 それにしてもこの様なものが見つかるとは面白いもので、中々見つからないものと思うが、手紙の部類で時計が書かれているとは。
 そして古い物が今まで残っていたとは、偶然に見つけたものであるが、超珍品の部類であると思う。
 大抵は処分されてしまい、現存するものは少ないと思われ、我々古時計好きには堪らないものである。

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2019年09月02日

ちょっとした

   軽い気持ちで

 私がブログを始めた切っ掛けはSANY0763.JPGチョットしたはずみ、友人がブログ自慢をしていた時、偶然に友人にブログとは何だと聞いた。
 友人ニコリと私の顔を見、「お前ブログを知らないな」と、確かに私はブログなるものを、その時は知らなかったから知らないと答えた。
 すると友人、「ブログ位やってみろ」とけしかける様に私に言い、簡単だからやってみろと言い出したので、友人の挑発に簡単ならやってやると言ってしまった。
 しかしその時もブログが何だか分かっていなくて、だ大事でやってやると思っただけの事、それが大変な事になるとは思っても居なかった。
 ブログの意味を教えて貰ってから、こんなにメンドクサイ作業をしなくてはならないものとは思ってもみなかった。
 まず自分のブログページを開設しなくてはならず、それも自分ではできなくて友人任せ、面倒な作業は彼が全部やったのは当然の事。
 彼曰く「何で俺がやらなきゃならないのか」とブツブツと言いながら、ブログを開設、しかしそれからが大変であった、レイアウトをどうすれば良いのかも分からず、結果友人任せ。

 開設されたページをどんな内容で埋めるのか、友SANY0772.JPG人に聞けば「俺に聞くな」と一言、そんな事はで俺が知るかとそっけない。
 彼にしてみれば私にブログをけしかけた手前引くに引けず、一応開設から書き込みまでは教えてくれたが、その先は自分でやれと。
 確かに意地でブログを開設、簡単にやれると思っていたが、続けるのにこんなに苦労するとは夢にも思わず、後悔が先に立ちだした。
 それでも最初は意地もあり、何とか記事は書き出したが中々進まず、どんなものを書くのかも決まらず思いのまま書いていた。
 友人からも、もっとましな文章書いたら共嫌みも言われ、頭にきたが読み返してみると言われたと通りの文章、これではダメだと悟りそれから努力はしてみた。
 毎日、毎日書く事により、少しは成長したと思っても、友人たちは厳しかったので止める訳にも行かなかった。
 そんな事で続けてハタと気付けば、2500回を越していたので自分ながらビックリ、良くも続いたものだと思う。


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手が込んでいる

      デザイン的に
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 古時計には色々な種類の時計が存在しいてるが、その一つ一つが個性の塊みたいなもの、1つの時計を作り出すためには色々な過程が。
 スタンダードな形から奇抜な形まで色々、その造り方は時計製造会社の意気込みが現れているもの、他社との差別化を計る事を目指している。
 そこにはやはり個性が満ち溢れ、時計に興味のない人は、時計は八角の形だけと思っている人も、しかし形も驚くほど多く存在している。
 確かに八角の時計も多く存在しているが、逆に形の違ったものも多く存在、色々な形のものが、変形式の物はやっぱりデザイン。
 デザインの良し悪しが売り上げにひびく事もあり、その形を決めるのにも当然神経を使う、明治期の時計のデザインは殆どがアメリカ製のコピー。SANY7180.JPG
 日本独自のデザインが出来てくるのは明治末期になってから、それまでの間はコピー商品が多く出回っていたが、そのデザインを少し日本的に変え、売り出す事にした会社が現れる。

 今回紹介する時計もその中の1つ、アメリカ製ウオーターベリー社の上下八角の時計、この時計もそんなに数多く日本に入って来ていないが、この時計がモデルとなっている。
 しかしモデルとなっている時計はシンプルな上下八角の形、彫等は施されていないもので、上下八角の縁に溝が彫られているだけの時計だ。
 この時計が日本人の手になると、何処となく日本を感じるものに変化して行く事に、大手時計製造各社が真似て製造したと思えるが、やはり小さな組み立て会社が多いようだ。
 今回の時計も名古屋の今津時計が製造したもの、形こそ上下SANY7162.JPG八角の形式を取ってはいるが、縁取りがされ時計全体に彫がなされている。
 その彫も何が彫られているのか分からないものが、葉っぱの模様とも取れる彫り、しかし良く見ると西洋的にも見えるものだ。
 外国製のものには葡萄唐草の模様が彫られているのが多いが、それを意識して彫り込んだものなのか、それともよく似たものをただ彫っただけなのか。
 同じ形の時計もあるが、ほとんどが8インチ文字盤の時計、6インチ文字盤の時計は少なく、珍品の部類に属する時計だ、このような時計を生み出したのも激戦区名古屋ならではのものだと思う。
 
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2019年09月01日

エコカーテン

    エコ対策であるが
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 今年も兎に角暑い夏であるが、何でこんなに暑くなるものなのか、気象変化は計り知れないのだ。
 ここ数年異常気象であると言われているが、何時まで続くものなのか、やはり少し地球がおかしくなった来たのか。
 温暖化と言われ続けて年々温度が上昇、何処まで暑くなるものなのかと心配もするが、もう日本も熱帯地方に入ったのか。
 それにしても暑い夏であったが、まだまだ残暑は続くと言う事らしく、この暑さは当分収まりがつかない様だ。
 そんな事で毎年の事、暑さ対策の為に緑のカーテンを採用しているが、これが功を奏しているのだと思う。
 日差しを遮るのに色々にものがあるが、ホームセンターで進められたのが緑のカーテン、震災後之を採用して7年になる。
 安くて見た目に涼しそうであり、尚且つ日差しを遮ってくれるので、毎年の事ながら成功している。
 勿論これだけではなく、簾も併用して使っているが、何方が良いものなのかは判断が出来ないと思う。
 風が良く通るものは簾の方が良いとも、見た目に涼しそうに見DSCN1440.JPGえるのは緑のカーテンであると思うが。
 どちらにせよ暑い夏に活躍してくれたことは確か、簾は一度セットすれば秋までは世話をする事は無い。
 しかし緑のカーテンは世話をしないと持たないので、毎日水やりを欠かさないが、これが案外面倒でもある。
 プランターで植えてあるから、暑い日には水枯れを起こす事も屡々、うっかりすると水が少なくてしおれている事も。
 暑い日には朝と夕方の二回水をやらないと持たない事も、そんな事で手間はかかると言う事、一長一短の価値である。

 簾は今まで竹製のものを使用していたが、今年は何故かホームセンターに竹製の簾が無かったのだ。
 何でないのか分からないが、何処を探しても見当たらないので仕方なく、中国製の葦か知らないが、その簾しかなかった。
 ないものは仕方が無く、渋々その簾を買った来たが、竹とは違い少しDSCN1439.JPG強度不足で、台風など風には弱いようだと思う。
 そして雨にも弱そうであり、この先台風シーズンで果たしてもつものなのかと不安でもあるが、無かったから仕方がない。
 勿論緑のカーテンだって台風には弱くて、去年も台風で葉っぱが落ちてしまい、結果は取り払うことになった。
 今年も台風が来ており、これからが心配であるが、今も厚い日差しを遮ってくれ、緑のカーテン今年は不良な状態で、葉っぱがやっと茂っており、役目を辛うじて果たしている。
 どちらにしてもこれからが正念場、あと少なくとも二週間か三週間は持って貰わないと、まだまだ涼しくならないから、エコ対策として色々な方法があるが、手軽に出来てそれでいて効果があるものは中々少なく、見た目にも涼しく感じる緑のカーテンをお勧めする。







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2019年08月31日

健さん2

   刺 客

 あの忠臣蔵、誰もが知っている歴史の事実、江戸時SANY0434.JPG代の中間時、江戸で大事件が起こるが、これが赤穂事件の始まりである。
 今の人は忠臣蔵として知っている人が殆ど、お芝居や映画で多く演じられて来た歴史の一とコマ、日本人なら誰しも知っている仇討ちだ。
 忠臣蔵とは赤穂の藩士浅野内匠頭が吉良上野介に江戸城松の廊下で人情に及ぶ、つまり刀で切りつけ傷を負わせた事件、当時江戸城で刀を抜いただけで切腹、そんな仕来たりがなされていた場所、将軍家のお膝元で刀を抜けば主君に対して刃を向けた事になる。
 当然の事浅野内匠頭は切腹、吉良上野介は御咎めなし、これは当時喧嘩両成敗と武家諸法度に書かれており、本来吉良上野介も処罰されて当たり前、それが御咎めなし、これに反発したのが赤穂の藩士、家老の大石内蔵助ら藩士が浪々の末仇を討った討ち入りの事件が忠臣蔵。

 これが今まで語り継がれて来た赤穂事件であるが、こSANY0441.JPGの映画では大石内蔵助ら藩士は刺客として描かれており、今までのストーリーとは別格の取り上げ方。
 勿論大石内蔵助の描き方も、今までとは全く違った描かれ方、内蔵助本人も刀の使い手であり、自ら先頭に立って戦うもの。
 健さんが演じる内蔵助は今まで見て来た内蔵助とは全く違った描き方、健の使い手であり、刺客の親玉として描かれている。
 この映画では健さんが任侠映画で見せたあの迫力のあり刀の使い方をしているが、武士としての刀の使い方であり、刺客であり、刀の使い方は全く違うもの、それに衣装も今まで見たものとは違い、如何にも刺客と見えるいでたち、何時も見るあの姿とは別のもの、歳を重ねた健さんの姿が印象的で、これが真実の討ち入りではないかと思わせる映画であると思う。

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2019年08月30日

珍品時計

   古時計の人気
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 古時計愛好家は色々な人が居て、それぞれに自分の欲しい時計があり、それを求めて探し回るものであると思う。
 私もそうだが自分の欲しい時計はその都度決まるもの、例えばある時計を目にして欲しいと思うか、思わないかである。
 はじめからこれと言う時計がある人も、違った時計を見て新たに欲しいと思う事も、人とはそういうものである。
 古時計は数が少ないうちは欲しい時計を決めているが、数が多くなってくると考える事が違って来るもので、はじめとは違うものだ。

 ある程度蒐集すると一通りは満足をするもの、自分が欲しいものが手に入ったという満足感、それで一息着くことになる、誰しも同じ道を辿ると思うが、これは私の経験した事、他の人も同じだと思SANY9407.JPGうており、それから先がまだあるのだ。
 ある程度定番ともいえる古時計を手に入れてしまうと、これだけ集めたのだからと満足はするが、まだ欲しいものがあると思えて来るのだ。
 人とは何処まで言っても欲望の塊と思う、一つ壁を乗り越えてしまうと、また一つ乗り越えたいと思ってしまうのだ。
 どんな蒐集でも同じようなもので、ある程度は集まって来るがその先が中々集まらないのだと思う。
 良くい言れる定番のものを集めると、それで満足する人としない人があり、満足しない人はその先を行くことになる。
 人とは違ったものを集めたいと、誰しも持っているものとは違うものを、人気があるが数の少ない古時計を。

 珍品と言われる古時計を集めたいと思い出す、やっぱりここまで集めたのだから、もっと充実させたいと、古時計を充実させたいと思うが、どんなもSANY0998.JPGのを充実させたいかは人それぞれであると思うのだ。
 私の友人は精工舎の古時計を全部集めたいと思っており、それに邁進しているから凄いとも思う、その人の目的が何処に定めるかで変わって来るもの、精工舎の時計であればそれはそれで良い。
 ある人は皆が欲しがっている古時計を全部集めるのだと、いきがって居る人もまたいるのだが、その人、その人の好によって集めれば良い事で、何も人と同じ事をしなくても良いと思うが。
 古時計はそれだけ種類があると言うもので、どれをとっても奥が深くて、全部を集める事は出来ない。
 だからこそ古時計は人気であると思う、簡単に集まってしまえば面白くもなく、集めないと思う、探しても、探しても中々集まらないから、人は何とかして集めたいと思うし、それが生甲斐ともなるのだと思う。

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2019年08月28日

蕎麦の食べ方

   時代により

 蕎SANY0751.JPG麦は時代により変化を遂げてきた食べ物、現在我々が食べている食べ方は明治以後だと言われており、その前は違った食べ方をしていたらしい。
 そもそも蕎麦は主食として食べられて来たものではなく、非常食用につくられていたものだ、古い時代は蕎麦の実をそのまま湯がいて食べていた様で、その後蕎麦がきにして食べていた。
 蕎麦を粉状にして水か茹でとき、粘土状にして丸め、それを焼いて食べていたよう、もしくはそのそまの餅状になったものを食べた。
 勿論一般の庶民も同じような食べ方をしていたとは限らず、米が主食であった事は確か、下々のものが食べていたと言われている。
 この食べ方が長く続き、うどんの伝来と同じくして蕎麦もうどん状に細長く切り、食べるようになると言われるが、ハッキリとした記録が無い。
 室町時代とも言われているが証拠が存在していなくて推測の域を出ないもの、一番古い記録は1574年木曽定勝寺に残る古文書、その中に蕎麦切なるものがSANY0758.JPG記録されているが、今はこれが一番古い証拠の文書、蕎麦きりの発祥と言われている。

 この蕎麦切、当時の蕎麦がどれ程のものなのかは分からないが、細くうどん状に切ったものだろうと推測され、蒸して食したと言われる。
 現在我々が食べている蕎麦とは全く違ったものと考えた方が正しい、蒸した蕎麦は今我々が食べている腰のあるものとは違い、もちもち感はうどんと似ていると言われ、硬くてしまった蕎麦ではなく、やはり別物の食べ物と思って良い。
 初めの頃は塩で食べていたと言われ、その後みそやたまりを付けて食べていたよう、その他大根おろしの汁を付けて食べた。
 この様に当時の食べ方は現代とは違った食べ方をしたおり、今のようなだし汁を付けて食べるになったのは江戸中期になってからの事。

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2019年08月27日

ミステリークロック

    時計なのか
SANY2985.JPG
 時計の種類も色々なものが製造され、極普通の時計から、特注品まで千差万別、世界中にこの様な時計が幾つ存在しているのであろうか。
 現在では子供までが時計を持っている時代、昔と違って大人になったら時計、そんの時代はとっくに過ぎてしまい、今や小さな子供でも時計を持っている。
 昔は成人式の贈り物として、腕時計が贈られるのが習わしみたいになっていた時、ほとんどの人が成人式に時計を貰っていた時代、そんな懐かしい時。
 どんな腕時計を贈ろうか其々に迷った事と思う、あれが良いとか、これが良いとか、思い思いに腕時計をプレゼントされたものだが、現在ではそんな光景を見ることも無くなった。

 今の若い人は時計をしていない人が殆ど、携帯電話の普及に伴い、腕時計は若者の腕から消えてしまい、プレゼントに腕時計を買う人も少ない。
 本当にここ数年の間に、腕時計が姿を消してしまった事は、SANY2988.JPGSANY2989.JPG良いのか悪いのか知らないが、腕時計をしている人を見つけるのも一苦労な状況だ。
 写真の腕時計、少し前に流行った物だが、今となっては懐かしいものとなり、見ることも余り無いが、以前は若者の間でも人気があった時計、ブレスレット形式の腕時計。
 一見すると時計には見えず、単なるブレスレット、時計の文字盤すら見えないもの、これと同じ様な形式の時計、外国の某有名メーカーの時計が持て囃された。
 その時計のコピー、日本で製造されたものには違いないが、製造元が書かれていないもの、ステンレス製の普及品、この手の時計は少し手が込んでいる。
 時間を見るのには、時計本体を横にずらし、右に出てくるから文字盤が見えるようになるが、あくまでもドレスウォッチ、デザイン優先の時計だから、時間を見るには一苦労。

 
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2019年08月26日

浜松ミーティング

   日本古時計保存協会ミーティング開催
 9月の浜松ミーティングを開催いたします。
 日時、9月8日 日曜日
 時間、11時半開始
 場所、浜松市東区小池町2543−4
    NKトレーディング事務 053 465 3666
 会費、1,500円、昼食含む
 尚、オークションを開催いたします、参加ください。

   日本古時計保存協会  事 務 局
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2019年08月25日

招き猫が欲しい

   磁器製
SANY1104.JPG
 最近招き猫の愛好家が増えて居ると聞く、特に若い人に多いと言うのだが、それは色々な招き猫が製造されているからだ。
 招き猫の愛好家は二分されて居ると聞く、それは現代的な招き猫と古い招き猫であり、年齢層によって違いがあると言う。
 若い年齢層は現代的な派手な招き猫が人気のようで、カラフルな招き猫が出回っているもので、ピンクや鮮やかなブルーの招き猫。
 今までには無かった色の招き猫が続々と出現しており、我々の様な年配者にはピンと来ない色、しかし若者には派手な色の招き猫が人気のようで、見学者の中にはもっと他の招き猫を展示して欲しいと。
 確かに若者向けの招き猫も展示しないといけないかも知れないが、どうも私はそれが出来ないのだ。
 何時の時代にも流行りが存在しており、風水が流行った頃は黄色や金色の招き猫が大流行、我も我もと金色の招き猫を求め、最近では少し下火になったようではあるが、昔ながらの招き猫も人気、やはり好き好きで人気は二分しているようだ。SANY0893.JPG
 そんな中、久米邸に訪れた年配者の一人からから、瀬戸の磁器製の招き猫を探しているが何処で探すのかと聞かれる事に。

 私の場合には殆どが友人からのもの、彼らが買い求めて来たものを譲って貰い、展示をしているのだ。
 勿論自分でも招き猫を探している事は確かであるが、中々見つけられないでいるもので、何処で探せばよいのかと聞かれても、答えようがないのだ。
 無論骨董商からも買いこんだ事もあるので、それらのルートも教え、紹介もしたが、やはり持っている人から譲って貰うのが一番。
 探さなくても其処にあるから、後はじっくりと交渉すればよいので、彼らがその気になるまで待つのみであるが、その話をすれば、是非とも紹介して欲しいとせがまれるが、紹介すれば友人から怒られるのだ。
 見ず知らずの者に、折角集めた招き猫を何故譲らなければならないのだと、怒られてしまうのは必定、それに彼らは友人であればこそ信頼しているもので、その信頼を損ねるDSCN0978.JPGような事は出来ない。
 そんな対応をすると必ず帰ってくる言葉が、「ではここに展示してある招き猫を譲って欲しい」と言うのだ。
 確かに目の前にあるから手っ取り早いが、これは私が彼らから譲って貰ったもの、これを手放せば彼らから怒られる事に。
 誰しも目の前にあるものは是が非でも手に入れたいと思うのは人情、私もその一人であるから気持ちは理解する。
 そんな時は知り合いの業者を紹介しており、招き猫を常時持っているから交渉して見ると良いと教えてあげる。
 自分の集めたものを手放す事は無いが、欲しいと願う人の気持ちも理解出来、複雑な心境にもなるのだ。
 それにしても磁器製の招き猫は、益々人気が高くなるような、そんな気持ちになるのは私だけであろうか、事実、時期で出来ている招き猫が市場に出れば、我も我もと引く手あまた、何処に消えてしまうものなのかと思う位に姿を消すのだ。
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