2018年07月01日

何処の製品か

      陶器のランプシェード
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 知り合いが見て欲しいものがあるけど何時行ったら良いのかと電話、珍しい事もあるもので、この人が電話で問い合わせて来るとはと思いつつ、後日約束して電話を切る。
 この人、今までに連絡して来るのは稀、大抵は忙しいときに限ってくる人、偶々であるが彼が訪れるときに限って忙しい、そんな巡り合わせの人物。
 古くからの知人で何かにつけて我家にやって来るが、話が面白いのと気さくで何時来ても楽しい人物だからよい、何時でも楽しく会話が出来る人だ。
 只呑んべいには変わりなく、酒好きのお人よし、酒を呑む時は余り他のものは食べず、只酒を飲む男でもあり、私は酒よりもつまみが大事なのだ。
 色々な酒の肴がないと面白くないので、何時も色々と並べて彼と呑むが、彼何時も「そんなに食べたら酒が不味くなる」と、私にそんな言葉を言い続けるのだ。
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 精密機械関係の仕事をしていて、いっぱしの経営人でもあるが、気さくでそんな素振りを見せない男、そんな彼がランプシェードを持って現れたから驚きだ。
 彼はそんな古物には興味のない人物、機械の事には強いが古物には全く弱いので、私の下に持参したらしいが、それにしても何処で手に入れたのか。

 私が「何でお前が、こんな物を持っているのか」と聞けば、得意先で見つけてちょっと褒めたらしいが、先方は彼が欲しがっていると勘違いしてプレゼンとしてくれたらしい。
 彼は褒めちぎった手前、断わることもできず貰ってきたのだと云う、しかし「何処にあったのか」と聞けば、得意先の居間にかかっていたらしい。
 貰ってきたが高価なものなら御礼をしなければならず見て欲しいと言う、彼が持って来たものは則武のランプシェード、白地にもみじが散りばめてあるものだ。
 彼も何処のものか分かり、その上心配していた高価なものでないと分かり、安心して帰っていったが、古物もわからず、ましてや知らないものを褒めちぎるとは彼らしい。










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2018年06月28日

水団扇の図柄

    図柄が命


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 水団扇は美濃で製造されたものであることは周知の事実、昭和時代当時は数多く製造され商店のお中元として配られたもの。
 丈夫で美しい団扇は人気の的、それ故に団扇を出す方も出しがいがあったようで、ほかの団扇より高かったが宣伝効果は絶大であった。
 この団扇の強さは美濃紙、美濃紙の中でも高級品の雁皮紙、繊維が細かく丈夫な紙であり、札にも使われているもの。
 その和紙を使用しているから当然丈夫だが、その上から天然のニスを塗り、より丈夫な紙絵と変身させたのだ。


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 少々の水には濡れても破れる事はなく、水団扇と呼ばれる由縁でもあるが、ほかの意味もあると言われる。
 ニスを塗ることにより紙は透明度を増し、向こうが見えるようなことから、水のような団扇と称せられたとも。
 確かに透き通った紙となっていることは確か、ほかの団扇とは全く別の団扇、それが水に丈夫とあれば人気になるのは必定。
 この地方で中元用に出されているから、数も多いはずであるが、現存数は少なく、それがまた人気の的となっている。



 SANY6033.JPG昔の水団扇は実に趣があるもので、図柄が命とも言える団扇、職人たちの手による絵が非常に良いものとなっている。
 団扇は美しくなければならないもの、事実残っている水団扇は美しい図柄、芸術品と言えるような団扇である。
 団扇であるから涼しくなければならないが、見た目も非常に大事、一見して清涼感がなければならない。
 写真の古い水団扇、美しいのは確かだが、他の団扇とはやはり別格、手が込んでいることの証、清々しさが伝わってくる団扇だ。
 職人が腕によりをかけて造り上げた団扇であることが見えるもの、筆の走りは見事と言うほかはない。
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2018年06月01日

貯金箱

      歴史を伝える

SANY6659.JPG 時代の出来事を伝えるものには色々な種類が存在し、それらの一つ一つが歴史の証人であり、その物が歴史を伝える役目を果たし、後世に留める役目をする。
 種類は様々であるが、通り過ぎてきた歴史を見つめてきた生き証人、彼らは当時を事を生き生きと我々に語りかけ、出来た出来事を雄弁に語る。
 其れから知りうる出来事を我々後世の者は忠実に理解しなければイケないが、其れが果たして出来ているのであろうか、我々個人がどの様に受け止めるかは不明である。
 写真の貯金箱もその色々とある種類の中の一部、ブリキで出来た何処にでも存在しうる物、さして珍しい物ではないが彼らは雄弁に歴史を語っている。

 一般庶民の貯金箱、この小さな貯金箱、されど彼らは激動の時代を見つめてきたもの、幾多SANY6654.JPGの困難の中生き延びて現在に自分の存在を誇示すると共に、当時を語りかけている。
 写真のブリキ製の貯金箱、ドーム型の小さな物であるが、生々しく当時の様子を我々に語っており、前面にお国の国策を国民に義務づけたことの証が刻まれている。
 前面に「国民一致、挙げて貯金」と冨国強兵を示唆した内容の大正時代の物、兎に角軍国主義、如何にも軍事的な表現の戦争の貯金箱。
 この貯金箱は日本の歩んできた歴史を後世に伝える為、その姿を我々に見せ付けているのではないだろうか、貯金箱の小さな物であるが、彼らの強い表現が我々に告げているものは。
 こんな時代にならないように教訓として残っているのではないだろうか。
 
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2018年05月12日

エジソン

      同 じ 格 好

SANY6625.JPG 何度も取り上げているがエジソン、言わずと知れた大発明家、トーマス、エジソン数々の発明をなし個人から大実業家となった伝説の人物、レコードの発明から電球、電話、様々な発明をし大成功を収めた。
 彼の興した会社は現在でも健在、一個人から世界の大企業に発展させ、自らも宣伝マンを努めた異例の人物であり、社長でもあると共に発明家でもある。
 普通発明家とか、学者とかは会社の前面にはあまり出ないもの、華々しい販売の表舞台に出て、しかも自分で宣伝しないのが発明家であったと思うが、このエジソン其処が又違う人。
 自分の発明したレコードを自分自身で宣伝に努めた人、自社で販売しているレーコードの商標とも言える部分に自分の顔を出している事、この事からもエジソンが、他の発明家と少し違う人であったよう。

 自社の商品の宣伝に自分が出る事自SANY4708.JPG体異例、同時期のグラハム、ベルもまたレコードを出しているが、彼は自分の顔すら表に出していなくて、発明家らしく表舞台に登場していない。
 写真のエジソン、どれが1番若くて、どれが1番歳を取っているのか見比べてみては、このレコード古いものでは1885年のものがあり、その物にもエジソン自身の姿を出している。
 3つのレコードにある顔、右から左に七三に頭を分けている姿で写真に写っており、1885年、1906年、1914年と30年以上の歳月が流れているが、殆ど同じ姿で写真に写っている。
 これも又、当時としてはどの様なとらまえ方であったのか、今では知る由もないが、エジソンと言う人余程の出たがり家であったのか、兎に角目に付く人のようだ。
 あたかも、自分の顔が商標のような扱い方である事には変わりなく、他の人とは比較にならないほどの自信家であったのか、其処まで自分を売り込む人物であったようだ。
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2018年05月10日

      個 性 が 命

SANY1789.JPG 伝統の「こけし」、土産物屋の店頭で売りに出された「こけし」、その発祥は東北そしてそんなに歴史は古くなく、幕末頃であるらしくハッキリした年代は分からない。
 当初は顔や色はなく、人間の形をして素朴な物であったが、次第に色や模様替えが枯れるようになり、東北一円に広がり温泉場のみやげ物となった。
 売り出し当時はそんなに売れるとは思われず、木地師のお遊び程度であったらしく、現存する古い当時のこけしは、素朴其の物であり、今の「こけし」とは様相が違う。
 しかし、次第に温泉場の土産として定着すると共に、売れ行きも好調となり木地師が競い合うようになるに連れ、「こけし」は次第に土地、土地の個性が出始める。
 こけしを見れば、どの温泉場で売られていたものか分かるような個性が表現され、木地師たちの系図も徐々に出来上がり、何々系と言れるようになる。
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 例えば、遠刈田系、鳴子系等と呼ばれ、特徴のあるこけしが売り出され、益々こけし人気に拍車がかかる事になるが、こけしだけでは生活して行けず、あくまでも副業であった。
 この様な「こけし」、産地と作者により独特な顔が確立するが、その表現は実に豊で素朴なものが多く、奇抜な顔の物もあるが人気は今一のようで、やっぱりこけしは可愛らしくなければイケない。
 そして、顔の中でも目が1番難しいそうで、之でこけしの命が決まるらしく、木地師たちの腕の見せ所といった感じ、作者独特の目が描かれている。
 やはり目は口ほどにものを言うと言われたとうり、目に「こけしの命」があると表現されているのも頷け、個性溢れる目が作者の意図を表している。

 
 
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2018年05月09日

偽アトム

   全く似てません

SANY6638.JPG ブログ再登場の「鉄腕アトム」、わたしの若い頃に雑誌「少年」に連載されており、夢中になって本を読んだものだが、この「アトム」実に息の長い漫画であり、昭和27年4月から昭和43年まで連載されていた。
 この時代、私達同世代の子供は皆「アトム」の虜になって、小さなロボットであるにも拘らず、当時「10万馬力」と言う途方も無い馬力を誇り、次々と悪いロボットをやっけるアトムに酔いしれたもの。
 当時アトムの馬力が10万馬力と聞いても、どれだけの力か分からなかったが、あんな小さなロボットが如何して、そんな馬力を出すのか不思議でならなかった。
 漫画とはいえ10万馬力のアトムが空を飛んで、人間とおんなじ動きをするロボット「アトム」、其れを造った「天馬博士」はとんでもない偉い博士であると思っていたのを覚えている。

 間違っていなければ私の記憶では「アトム」の身長は135センチ、体重30キロ、年齢10SANY6648.JPG歳、そして馬力は10万馬力、その他目がライトになったり、空を飛んだりと凄い能力を持っている事など記憶に残っている。
 当時から絶大な人気を誇り、漫画のヒーローでありながら、あたかも実在しているかのように思っていたのも、今思えば夢があって当時は楽しかったものだ。
 そんなアトム人気にあやかって、色々に「アトムグッツ」が売りに出されたが、その1つが写真の土人形、「瀬戸で製造された陶器の鉄腕アトムの貯金箱」、本物のアトムと比べればあまりにも似ていない。
 今で言う海賊版のアトムの土人形、当時は絶大な人気であった為多く製造されたようで、何年か分からないが、これもその当時の物だと思う。
 土人形の貯金箱、アトムであると言わなければたぶん分からず、大して似ては居ないようであるが、当時としては之でも売れたものであるよう、当時の子供はおおらかで有ったと言えよう。
 今であれば、パテント問題で製造会社は訴えられるであろうが、当時はマダおおらかであったのか、訴えられてはなく良き時代でもあった。
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2018年05月08日

ノベルティー

      こ れ 誰

SANY6674.JPG 前にも取り上げてみたが、知らない人のために、これは何、この迫力、誰かと思いきや、やっぱりプレスリーは偉大であり、その偉大な姿をコンパクトにまとめた姿だ。
 磁器で造られた置きものらしが、しかし小さくてもプレスリーはプレスリー、「あの偉大なロックの神様エルヴィス、アーロン、プレスリー」である。
「1935ー1977、42才」の若さでこの世を去っているが、今尚根強い人気を保っている偉大な歌手である。 
 エルヴィス、プレスリーはアメリカにおいても賛否両論、良くも悪くもロックンローラーとして不動の地位にある人物。
 日本でもロックの神様的存在であり、中年の人には憧れのロック歌手、あの吉幾三もプレスリーの真似をして歌手になったようなものだ。
 1956年、「ハート、ブレイク、ホテル」で全米一位を獲得頂点に立ち、「監獄ロック」、「恋にしびれて」など名曲を連発。

 当時、ベトナム戦争真っ只中に兵士の慰問SANY6682.JPGや戦争賛成派として知られ、数々の話題を振りまいたがビートルズの反戦派とは息が合わなかったようだ。
 勿論、プレスリーはアメリカ人、当然自国の事だから立場が違ったが、愛国心は人一倍であったと言われており、ビートルズとは立場が違う。

 左の写真は、エルヴィス、プレスリーの全盛期の姿を映したもので、アメリカで発売された限定品のウイスキーボトルである。
 一目で誰が見ても分かる位に迫力があり、これを見ると往年のプレスリー姿を思い出すのであるが、まさか地元で手に入るとは。
 瀬戸で製造されたウイスキーボトルの在庫品、本来は絵付けがされているが、これは絵付けがされていないが、その方がより迫力がある様に思われる。
 高さ40センチ位はあり、下の台にはオルゴールが仕組まれている、豪華なつくりをなしたウイスキーボトル、エルヴィスファンには堪らないものです。
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2018年05月04日

小物入れ

      便利です

 SANY6603.JPG古時計を持っていると、必然的に必要な物は部品、特にビス関係のこまかい物が必要、小さなビスが無いばかりに失敗する事も多く、その部品を集めるのに、これまた必死。
 兎に角古時計を所有していると、トラブルは日常茶飯事、何時壊れるか分からないし、部品が無くなってしまう事も、そんな時の為に小さなビスとか部品を集めている。
 集めた部品は自分の分かる範囲において置かないと、イザ必要なときに慌てて探す事に、しかしそのような時ほど見つからない事がしばしば、そんな時はイライラして修理どころではない。
 結局その日は修理できずに部品探しに明け暮れ、とどのつまり修理も出来ずにイライラが募るが、こんな時の為に必要な小物入れを何時も探している。

 必要な時に探しても見つからないから、普段からアンティークショップに行くと、必ずや小物入れを探す事にしているが、之が又丁度良い物が少ない。SANY2192.JPG
 前にも飲料水メーカーのブリキの景品を集めたが、それだけでは到底足らないから、今尚小物入れは探索の最中、いい物が見つかれば直ぐに買い求めている。
 之も私の拘りなのかも知れないが、プラスチックの入れ物では良くないので、アンティークな物が良く、他の人は入れ物なんて幾らでも有、ホームセンターに行けば沢山有ると言うが。
 其処が又私の拘り、中々自分好みの物が欲しいもの無く、写真の入れ物は大正時代の化粧品入れ、アールデコのガラスで出来た入れ物、キャップが付いており、小物入れにはピッタリ。
 大正昭和の化粧品、乳白色のガラスのクリーム入れであるが、之が又使い勝手が良いのでアンティークショップで見つけ買い求めたが、店主「こんな物、戸田さん何に使うの」と怪訝な顔、「こんな物まで集めているの」と手厳しいが、部品入れと説明すれば直ぐに納得。
 このような小物入れが沢山有れば、小さなビスや小さな
部品もしまって置くのに便利、暇な時にじっくりと探して、使いやすそうな物を色々と集めている。
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2018年04月28日

蒔  絵

      漆塗りに蒔絵
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 今回も蒔絵の時計を取り上げて見たが、時計には色々なデザインがなされており、明治以後数々の名品が誕生していて、それは特注品によるものであり、一般的な販売網にのって売られたものではない。
 江戸から明治に入り、海外から多くの時計が輸入されるが、その後次第に日本国内で時計を製造しょうとする動きが活発になり、次から次に時計製造会社が誕生し、外国製時計をモデルに数多くの西洋時計が製造される。
 初期段階は外国製をコピーするのに必死で、日本独自の時計を作り出す余裕はなかったが、明治中期を過ぎると次第に日本特有のデザインの時計が誕生してくる。

 西洋時計は彩色にニスを用いていたり、木の皮を張り付けたり、象嵌を施していたりと、西洋の技術で装飾された時計であるが、日SANY6541.JPG本には漆と言う素材があり、日本の独自な彩色に用いられてる。
 やはり輸入したものは西洋の香りが強いもの、そんな西洋時計を日本人の感覚に合ったものに造ろうと職人たちは奮闘し、伝統の技術を使って新たなものをつくり出して行く、それが漆である。

 その漆を使い時計に塗ることにより、独自の時計が出現、西洋のニスにはない深みのある光沢、そして漆を塗ることによりニスよりは高級感が増し、より時計を引き立たせ高級時計に仕立てたのである。
  西洋の時計に日本の伝統漆を合体させる事により、和洋折衷の時計の誕生で日本の職人の高度な塗りが、時計装飾に生かされた実例でもある。
 日本人は古来より渡来してきた物に、日本ならではの工夫と技術を融合させてきた歴史があり、明治に輸入された西洋物も、この伝統ある技術が融合につかわれたのである。
 写真の時計は、時計の表面全体に黒漆を塗り、その上から金銀を用いて蒔絵を施し、川面に飛び交う鳥を見事なタッチで描いており、鳥が茶色くなっているが本来は金伯仕上げ、ニスには出せない雰囲気をかもし出している。

 
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2018年04月26日

重 錘

   動 力

 SANY6597.JPG明治以後日本に輸入された掛け時計の多くは、ドイツ系の掛時計が多く日本にやって来ているが、その中に郭公時計「鳩時計」と呼ばれる時計がある。
 外国ではドイツ系の重錘式時計の中でも安価な時計、主に子供向けの時計とまで言われて、子供部屋などに当てられた時計であるが、しかし日本では輸入され高価な時計になってしまった。
 これらの時計は動力として錘を用いており、古い形式の時計は大きくて重い錘が付いており、鎖引きのイカツイ時計となっているが、中身はシンプルな機械であるが高価な機械ではない。
 日本人に人気のある「鳩時計」、実際には「郭公時計」と言われ、掛時計の中でも形が変わっており、木の素材をふんだんに使ったドイツ系の時計らしく、森の香りのする時計である。

 あちらでは郭公時計と云われ、時計上部には郭公の彫り物が付いているので、その名前の由来らしく、日本では飾りが鳩に変わっており、誰がそのように変えたのか分からない。
 一説には郭公は閑古鳥と呼ばれ縁起が悪いから、鳩なら縁起は良いだろうと言う事で鳩時計になったとする説もある。
 この鳩時計は、動力として重い錘がぶら下がっており、それが動力となるなり、昔の古い時計はもっと思い錘が付いていたが、次第に改良が重ねられ徐々に軽い錘でも動くようになった。
 写真の錘はドイツ系の小型の鳩時計に付いている錘、普通の鳩時計の錘とは少し違って、可愛らしい時計に相応しいような錘となっている。
 錘の格好は、木の実をデザインしたと言われているが、日本の松ポックリに似ていて可愛らしく、錘も大事な時計の部品であり、デザインの良し悪しで時計の人気が変わってしまう。
 種類の違った錘、其々違った格好をしており、小型の安価な時計であるにも拘らず、錘に拘って職人が其々の個性豊かな錘を、デザインしたのが見て取れる。
 玩具みたいな時計でありながら、普通の鳩時計よりもこった錘をつけているのも、何だか可愛らしいのと同時に、時計に対する姿勢みたいなものを感じる。




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2018年04月23日

根付

      流行の先端

 以前にも紹介した根付SANY6533.JPG、印籠、矢立、煙草入れ等の紐の先に付いている留め具の事、着物の帯びに下から上に差し入れて、留め具を帯の上からたらす事で落ちないようにするもの。
 この留め具、古くから日本に存在していたが、根付として確立されたのは戦国時代後、特に江戸中頃よりは非常に流行したものであり、数々の傑作が生まれた。
 根付は、元々木などで出来た質素な物であったが、時代が下がるにつれて、段々と豪華になり、細工も細密化してゆくことになり、素材もまた、色々な物で出きるようになる。
 特に徳川家康が旗本等に常備薬として印籠に入れて持つことを奨励、之により大名や高級武士の間では根付も次第に豪華な物が作られるようになる。

 武士が豪華な物を携帯するようになると、一般庶民も之を真似て、矢立や煙草入れ等を持ち歩くようになると共に、当然のこと根付も次第に豪華な物となって行く。
 木の素材から、珊瑚や象牙等の高級品がもてはやされるようになり、根付職人らは競って細密な根付を作るようになり、益々根付ブームは広がっていった。SANY2364.JPG
 写真の根付、流行りものの最先端を行く時計を題材にしたもの、当時は時計は高級品であり、一般庶民には高嶺の花、其れを根付として作るのが流行する。
 素材は、紫檀の木で出来ており、表側には大名時計の文字盤が、銀の板に刻まれた当時の流行った物、紫檀と銀の素材も、当時の贅沢品、金持ちの道楽者が持っていたものなのか。

 今は文字盤の中心にあった針が欠落しており、惜しい事に文字盤のみとなっているが、再現するにはそんなに難しい事ではないので、いずれは再現したいと思っている。
 文字盤部分は銀の板に時刻が浮き彫りの状態で作られており、外の素材は木製の紫檀で作られている。
 之も当時は高級品であったと思われ、どんな人が持っていたものだろうか。
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2018年04月18日

必需品

      重いです

 SANY6463.JPG若い頃から憧れていたライター、それは「デュポンのライター」ですが、高くてとても買えませんでしたのでデパートのウインドーガラス越しに眺めていた。
 出きる事なら、その中でも漆塗りのライター、かってに自分が持つなら漆塗りと決めていたもの、そして何よりデュポンの魅力はあの音、近くで誰かが煙草を吸う時、デュポンのライター音は魅力的であった。
 「キーン」と金属音のする心地よい音、あの音こそライターの頂点「デュポン」、あの音は直ぐにデュポンのライターと分かり、聞き惚れてしまう音でもあった。
 しかし、それを手に入れることは難しくて憧れていたが時が過ぎ、30代後半になり質屋会館でやっと手に入れることが出来、それ以来何時もポケットに入れていた。
 勿論新品を買うことは出来ず、質流れの中古品、程度の良いものを探し当て、安SANY6469.JPGく手に入れたのが現実であった。
 憧れのライターを手にしたたが、実際に使ってみると問題もある事に気が付く、苦労して折角手に入れたものだから使わないと。

 実際には大型のライターはかなり重く、夏等の薄着のときはひと苦労も、ライターが重くてポケットが破れることもあり、その都度ライターが下に落ち傷が付いたりと事件も。
 特に漆塗りのライターはショックに弱く、直ぐに傷がついてがっかりしたもので、その時は直ぐに傷をコンパウンドで磨き、傷を分からなくするのに苦労をしたものだ。
 写真では黒く見えるが緑色のライターが其れ、毎日持ち歩いていたので表面の漆は傷ついたが、漆ぬりは剥げず丈夫な造り。SANY6478.JPG
 特に緑色した漆塗りのライターは良く使った物で、愛着もひとしおで手にしっかりと吸い付くような感覚になり、長年使っていたからこそ手に馴染でいる。
 今も現役であることは当たり前、金属音も変わらず「キーン」と良い音が、之だけ楽しんで使い今尚現役であるから、初めは高いと思っていたが年数を考えると安い物だと思うようになった。
 良いものは何時まで経ってもへこたれないもの、現役で活躍している。


 
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2018年04月17日

流行もの

      遊び心を表に

SANY6481.JPG 明治初期の時計をかたどった花生けは、本物に近ずけようと努力し、殆どの商品はリアルに表現されている物が多かったが、明治後期には、初期に無い製品が多く生まれて来、デザインが大幅に変更され。
 其の1つは、色彩が鮮やかになってくる事、色々な多彩の色使いがされ、初期当時には無かった色が出回り、本来の時計とはかけ離れた物に仕上がって行く。
 元々、ボンボン時計は色彩が地味で、木の持つ色其のものに再現されている為、色々な色彩が使うのが難しく、本来の時計からかけ離れてしまう為、初期段階では冒険しなかったとも受け取れる。
 しかし、時計をかたどった商品が市中に出回るようになり、時計と言う物の形は浸透して行ったので、少しくらいアレンジをしても時計と分かって貰える様になった事も事実、そしてデザインを変更して新たな消費者を開拓してゆく事になる。

 市場のマンネリ化を打開する為の商品開発でもあったようで、中には奇抜な時計もデザインされたようでSANY6487.JPGあるが、実際に市場には出回っていないのか、知らないのかだが、探したら出てくるかもしれない。
 明治後期には一般庶民の間でも時計が深く浸透しており、時計そのものを説明する必要性は無かったから、其の先へとデザイン化が進み、時計本体の形が文字盤だけになるデザインも登場する事となる。
 そして、文字盤だけの物から、もっと進んだ物はカレンダー時計を模した物が次第に登場し、より複雑な時計の花生けが誕生する事になる。

 それは全国の産地の別は兎も角、瀬戸や伊万里、そして東農地方で盛んに時計型の花生けが製造され市場に送り出されたが、当時として、どれだけ製造されたか記録としては残っていない。
 写真の花生けは、伊万里で明治末に製造された物であるが、前期の時計型花生けと比較すると、色彩も鮮やかであり、形も少し本物の時計とは異なったデザインに仕上げられている。
 遊び心をふんだんに取り入れ、時計上部の色もブSANY6490.JPGルーと黄色掛かった茶、そして本来あるはずの無い唐草模様を描いている。
 写真では色が薄い為に、非常に見にくくなっているが、振り子室の横に、同じ図柄の唐草模様がデザインされているから、比較して想像してみて下さい。
 又、振り子室のドアーも本来は、この形の扉は付いていなく、デザイン的にあえて四角のドアーにしたものなのか、不明であるがかえって四角のほうが面白いかもしれない。
 何にしても、明治末期に自由に時計の形をした花生けを、しかもカラフルにデザインがされたが、実際に家庭で使用した時に、何処の部屋に掛て楽しんだのか分からない。
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2018年04月12日

これは何だ

      鉄の塊

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 またまた友人が分けの分から無いものを持ち込んで来たので、その論議に喧々諤々、またしても論争が激化する嵌めになったしまった。
 たまたま知り合いと酒を呑んでいた時に友人が現れ、何やら重そうな物を持って入ってきたが、何か怪しい雰囲気の物だと感じた。
 一緒に居た知り合いも友人とは顔馴染み、その場に入り込んだ友人、先ずは自分の好きなビールを一気に飲み干し、新聞紙の包みを開けだした。
 現れたものは埃まみれの汚らしい物体、「食べ物の席に汚らしいものを持ち込むな」と私が諌めると、そんな事よりこれは何だと汚らしいものを出した。
 知り合いも「汚いものだなぁ〜」と呑んでいたグラスを避け、その物体を迷惑そうに眺め、やっぱり汚らしいものだと、確かに汚いものだ。
 友人、「これは何だ」と鉄の塊を指差し、貰ってきたが何だSANY8077.JPGか分からないものだ、だけど面白いと思って持って来たのだが、やっぱり汚いなぁ〜と言う。
 酒を呑んでいる席に持って来るものではないだろうと思いつつ、その物体を良く見ると灰皿ではないのかと思うが、それにしても重いものだ。
 仮に灰皿でも何でこんなに重いものを造ったのか疑問、しかし良く見ると自動車の姿をしているように、すると知人が「これ自動車だ」と言い出した。

 私も気付いたのだが古い自動車の形をしている物、灰皿らしきものである事には違いないのだが、時代が相当に古いものだと思う。
 自動車の形から昭和のものには違いないとの認識で一致、しSANY8083.JPGかし戦前にこんなものを造るのかとの疑問も湧いて、モット古いのではと知人が言い出した。
 戦前、つまり昭和のはじめ頃であれば、「金属でこんなもの造るのか、金属不足の中」と友人が、確かに言われれば金属不足のおり、灰皿などに金属を使用するのかとの疑問だ。
 「では戦後の鋳造であるのか」と知人が言うが、戦後の代物でもなさそうな雰囲気、兎に角分けの変わらないものには違いなく、それを肴に3人して酒を呑む。
 自動車の形からはやっぱり大正から昭和初期の自動車、それにしては鋳造方がお粗末で、しっかりとした製造で造られた物ではないと思う。
 そんな事で何だ、かんだと論議をするうちに、酒が回りだしてきて、そんな論議もそっちのけ、酒が旨いと言いつつボトルが空になったしまった。
 写真の鋳物、形もボケたような姿の灰皿、テイブルの上にこんなボケた自動車を置いては恥、だけど何だか捨てがたい雰囲気の代物でもある。

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2018年04月02日

千利休

      志野の焼き物

SANY6326.JPG 私が小さい頃から、我が家の床の間に鎮座していた焼き物、何でこんな床の間に古臭い焼き物が置いてあるのか不思議で、よく見たものだが誰であるか全く知らなかった。
 その後、何処に消えたのか分からなかったが、お袋が引っ越す時に何処ともなく現れ、チャッカリと荷物になって引越しのトラックに、引越し先で又も何処かに消えうせた。
 それから、この焼き物の事等スッカリ忘れてしまったが、私が新築をした家に移るさい、又もどこからともなく表れて私の家に、何だか知らないがどうして着いて来るのか不思議であった。
 我が家に引っ越してきたからはダンボウルの中でひっそりと姿を隠していたが、子供が結婚する事になり、再び荷物を整理していたら、マタマタ現れた。

 そんな因縁でこの焼き物は我が家の床の間に鎮座する事に、現在では時ある毎に出しているが、不SANY6330.JPG思議でならないのは引っ越すたびに現れてくるからである。
 余程我が家に来たくて着いて来たかのようで、其れ以来我が家の一員となり、床の間に居ついてしまったようであるが、この人物誰だか分からなかった。
 てっきり松尾芭蕉とばかり思ったいたら、友人が「何で利休が此処に居るのか」と云われ、初めて利休と分かり常時出しておく事には抵抗があり、かたずけたのである。
 この焼き物、尾張瀬戸で幕末頃に作られたもの、志野焼きで出来の良い作品、てびねりで上手く雰囲気を出している傑作、作者名は無いが素晴らしい焼き物である。
 父親が大事にしていた事が、今になってやっと分かったような気がしてきたが、何処がどうだと言うことは無く、焼き物に対する感覚が少し分かって来たのかも知れない。








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2018年03月14日

改暦辨

      この時から始まる

 SANY0367.JPG日本が西洋と肩を並べだした明治初期、今までの暦から新しい暦に切り替わる時、即ち太陰暦から太陽暦に切り替わる事により、世の中大騒ぎ。
 明治5年12月3日を明治6年1月1日とするお触れが突如として市中に出、庶民はてんてこ舞いをすることになり、その動揺は計り知れないものがあったようだ。
 今までの暦が使えなくなり、時間の観念が根底から変わると言う、大きな出来事であり、長年培って来た生活習慣まで変えざるを得ない事になってしまうから。
 やはり当時の人は戸惑いを隠せなかったと思われ、その名残が現在もまだ引き継いでいる事もあり、新暦と旧暦との呼び方がそれで、未だに旧暦で行う行事もある。
 140年も経っているのに、未だにその当時の事が尾を引いているとは、如何に長きに渡って日本の暦が続けられてきたか、改めて当時の人々の戸惑いが分かる気がする。SANY0373.JPG

 そんな世相を反映して慶応義塾の創始者福沢諭吉が、この改暦を庶民に分かりやすく解説した本が、改暦辨と呼ばれる書物、今で言うマニアル本である。
 改暦辨には、今までの日本の暦が西洋時間になった場合の事が、比較して分かりやすく説明されているが、当時の人は自分の生活が支障をきたすと戸惑ったようだ。
 本の中でも、一日の時間を24時間となり、今までの一時(いっとき)が西洋時間ではどうなるかとか、秋分の日や春分の日が変わること、月の日にちが替わることなど。
 こと細かく説明されているが、果たして当時の人々がどれだけ理解していたかは疑問、長い間に染み付いた習慣はそんな制度で簡単に変えられることも無かったようである。
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2018年03月02日

電笠

      上向きか下向きか

SANY5941.JPG ランプシェード(電笠)、ランプシェードとはランプの覆い、昔はランプの火が風で消えないように覆いを被せて、風対策をしていたもので、風除けであった。
 強い風から炎を守る為に作られた覆いであるが、単に覆いだけではアッケない、其処でガラスのほやで風から守る事を考案、次第に装飾性を施して行った様だ。
 時代が経つにつれ段々と豪華になり、単に風除けとは云えない代物に変化して行き、当時貴重であったガラスを用いて覆いを作るようになり、次第に派手になった行く。
 何時の時代でも権力者は最高の物を求め、宮殿のランプを鮮やかな物で飾りより豪華さを競った為、ランプシェードは急速に発達する事となる。

 それでも一般庶民はまだまだ直ぐに手が足せる物ではなく、時代が下がらないと普及しなかったが、それでも単なる透明のガラスであり、
装飾性の優れたものは高価で手が出せなかったようだ。SANY5946.JPG
 時代が進み電機の発明と共にランプシェードもその用途が風から炎を守るのではなく、光を集中して下に向けるための用途に変わって行き、形や色彩もより鮮やかな豪華な物が出来上がり、一世を風靡する。
 形式もランプでは無かった形、つまりランプの光は上向きであった為その様な形に作られていたが、電気は下向きでも使用可能であり、新たな形が生まれる事になる。
 西洋では「ランプシェード」と呼び、日本では「電笠」と言う、日本の人は電気の笠なのに何で「ランプシェード」と呼ぶのか不思議であると思う人が多いと思う。
 それはランプから発展していった過程での呼び名であり、ランプシェードと今でも呼ばれ、ランプの笠ではないが日本の人は海外で電気の笠ではないと思ってしまうらしい。
 写真はイギリス製のランプシェード、形はランプのほやそのもの、これは一目見てランプのカバーで電笠ではないと思える位、上向きのランプ用であり、高級なオパールセント、薄くラメ状になっていることが確認できる。
 古い時代のランプシェード、壁掛けタイプのおとなしい形、日本の家屋にもピッタシ合う、シンプルで日本人好みの物、中々日本の家屋にあうランプを探すのも一苦労だ。
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2018年02月25日

福助2

      登  録  商  標

SANY1667.JPG 本来、福助の置物と福助足袋のマークは同じ物ではないが、福助足袋のマークが有名になってしまった結果、現在の若い人は福助は福助足袋のものと思っている。
 この福助は、福助足袋の歴史よりもずっと古く江戸時代からある置物、其の置物をモデルとして福助足袋がトレードマークとした結果、有名になった物。
 福助足袋は、明治25年に辻本福松が、大阪堺に於いて「丸福」と言う屋号で足袋を販売する店として創立、商売が順調に進み店が繁盛するようになったが、屋号の「丸福」が同じであると訴えられ、裁判において敗訴して屋号を変更。

 福松の息子辻本豊三郎がお伊勢参りの途中、福助の置物を見て、この福助を商標することを思い立つ、親子協議の結果福助足袋と命名し、福助をトレードマSANY1577.JPGークとした。
 明治33年(1882年)、辻本豊三郎は福助マークを登録商標として登録、その後社名も福助足袋株式会社と改名、派手な看板や宣伝を行い、足袋業界においてトップクラスの会社となる。
 福助をトレードマークに採用した効果は絶大で、全国的に福助足袋の名は知れ渡り、足袋と言えば福助マークの付いたものが1番と言われるようになった。

 写真の看板が、遠くからでも一目で福助足袋と分かる看板ができあがり、之が全国に広がり親しみやすさと、派手な赤色で福助足袋を印象ずける事に成功したものである。
 福助足袋の宣伝物は、兎に角目に付く物を利用しており、赤色が印象深くて、大人から子供まで、福助を見れば足袋の会社だと思ってしまうほど覚えられた。
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2018年02月24日

瀬戸の磁器雛3

      呼び名が変わった
SANY1432.JPG
 雛人形の呼び名が変わった物が2つあり、1つは「右大臣、左大臣」ともう1つが「衛士」の2つ、この2つが呼び名が変わったもので、今では随身と呼ばれる(右大臣、左大臣)。
 その昔から右大臣、左大臣と呼ばれていたわけではなく、一説には東京の某人形店が自分のところの雛人形にパンフレットの形で人形の飾り方を印刷、其のマニアルを付けて人形を販売した。
 其処には右大臣、左大臣と記載されており、これが全国の人形店に広がり呼び名の元となったようだが、事実はどうであったか不明な点が多い。
 只、全国的に広まったのはマニアル化された印刷物であった事は確かなようで、それ以後急速に全国に広まったことは確、この右大臣、左大臣と呼ばれた人形、弓矢を持っている。

 大臣が弓矢を持っている事は無く、正式には近衛兵の中将か少将と云われ、天皇の警備に付いた武官であり、人形店の勝手な判断が誤解を生んだもの。
 SANY1433.JPGSANY1434.JPGそしてもう1つは衛士、従者の事をよび雨傘や日傘を持っている人形、現在は仕丁と呼ばれているが人形店によっては従者となっていることもある。
 写真の随身、大正期に瀬戸で焼かれた磁器雛、可愛らしい人形で座っているが、格好が少し普通の随身と違って寛いだ雰囲気、片足を挙げてリラックスしている珍しい物。
 本来は立って警備している姿をしているのが当たり前の姿、この様にリラックスしている物は極めて珍しく、磁器雛の製作者が遊び心を持った人物であったようだ。
 そしてもう1つが、背中に背負っている矢、本来は右肩から出ているのが当たり前であるが、左の肩から出している随身もあり、左右両方から出しているのも珍しい。
 弓矢は右利きである武士は、当然のこと右肩の後ろに矢が無ければ弓に装置する際、左肩に有る事事態ありえない話だが、現在製造されている雛人形を見るに、左肩に背負っている物が多いのは何故であろう。







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2018年02月22日

照明

      改めて見直して

 SANY5721.JPG今まで全く気付く事のなかった蛍光灯、自然に其処にあり明るくて電気代が安い、そんな蛍光灯を無機質な明かりとは思ってもいなかったが、イギリスの友人に言われた言葉が、やけに気になり出した。
 「日本人は、何故無機質な蛍光灯を家庭の中まで持ち込むのか」と、そして「工場で使用しているものを何故家庭で使うのか」と、指摘された事。
 思いもよらない言葉、蚤の市でアンティクランプを探し求め、気に入った物を買い込んだときに、「このランプ何処で使うのか」と、この言葉もやけに気になった。
 云われて見れば、日本の家庭で蛍光灯が使われだしたのは、昭和30年代後半の事、そのときは工場で使っているものと同じ真っ直ぐな蛍光灯、彼らの言う工場で使われているのと同じ物であった。

 工場は当然作業をしなくては成らず、手元が暗くては仕事にならないので、当然明るい事を求められ、部屋全体を照らすように設計されている。
 それをなぜ日本は家庭に持ち込むのかとの疑問、家庭の中まで直接照明をする必要が有るのかと、彼等は間接照明こそが温かみのある照明ではないのかと言うのだ。SANY5728.JPG
 素朴な質問でもあるが、耳の痛い話でもあり、考えざるを得ない様になったが、それ以来自分の家の照明が気になり出し、必要以上に明るくないランプに切り替えだした。

 壁にランプを取り付けて、中央のランプの明るさを、今までよりも小さな物にし、間接照明を取り入れて、部分的に切り替えられるように改造したのである。
 以前の照明と比べれば部屋全体は明るくはないが、決して暗くもないのだ。
 人間の慣れとは恐ろしいもので、明るすぎに気が付かなく、それが当たり前のように思っていた生活、少しは暗いかも知れないが。
 もう1つは、LEDの白色の光を発する電球をやめ、温かみのある黄色のLEDに取り替え、今までより明るくないが暖かさのある光になって、昔のような雰囲気になったの良いと思う。
 省エネの現代、必要以上に余りにも明るいものは避けて、しかも実用的な照明に替える事が進んでいる事は喜ばしてのではないか。


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