2020年03月17日

鼻煙壺

      美 し い 壺
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 戒めの話ですが、もう30数年も前になるのか、ある骨董屋で美しい小さな壷を見つけ、手にとって眺めていたら、店主が「其れはいい物ですよ、目が高い」と話しかけてきた。
 小さな壷の割には迫力があり、何となく見て買うつもりは無かったが、店主にお目が高いと言われてツイツイ買うと言っててしまい、値段を聞かずに「持って帰りますと」返事してしまった。
 その実、この壷がどんな物かも知らず、ましてや値段が高いとも知らずに、「目が高いと褒められ」浮かれていたから、その時は其れを貰って家に帰ってきた。
 早速友人に電話で壷の内容を説明、すると友人「蓋は付いているのか」と言うが、「蓋等ははじめから無い」と答えると、其れはオカシイ「本来は蓋が付いており、それが無いと中身を取り出せない」と言う。

 良く聞けば、「前に香港に行った時見ているはSANY1452.JPGずだ」と友人、そう言えば香港で見たような覚えも、しかしすっかり忘れていたので、これが其の鼻煙壺だとは分からなかった。
 自分では記憶がなく、以前に見ていてもその気がないから覚えがないのだと思う。
 それよりも友人は、「少しくらいおだてられて、好い気になるからだ」と厳しい、確かに其の通りかも知れないが、その時はこの壷の美しさにツイツイ騙された。
 知らない物に手を出すべきではないと、忠告を受けた大先輩の言葉を今頃になって思い出したが後の祭りであり、骨董とは中々難しいものだと改めて思ったもの、知らないものには手を出すな、特に骨董は未知なもの、経験が必要なものだ。
 現在も我家の飾り棚に鎮座するこの壷、黄色いガラスが何とも言えない雰囲気を醸し出している事には変わりなく、高い勉強代であったことの戒めとして置いてある。









 
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2020年03月09日

オルゴール付き

    火をつけるのが楽しい
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 煙草とライター、これは喫煙者にとっては無くてはならない物、煙草を吸うのには必要な道具、古くから煙草に関する道具は色々とあり、その中でもライターは別格。
 煙草を吸うとき火がつけば何でも言い人、マッチであれ、ライターであれ、火がつけば何でも良い人がいるが、その反対に拘りを持っている人も多くいる。
 拘りを持っている人は、たとえそれがマッチでも拘りがあり、何でも良いマッチでは気がすまないもので、マッチにも持っていると楽しくなる物と楽しくない物とがある。
 普通は火がつけばマッチなどは何でも良いと思っている人が多いが、喫煙家の中には其れを良しとしない人も、そんな人達は自分の好きなマッチを買い求めているもの。
 洒落が利いているもの、宣伝用のマッチでも少し凝った物は良いが、洒落の利かない宣伝物は最悪、そんなマッチを使って人前で煙草は吸えないものだ。

 SANY1680.JPGそんなマッチを差し出されて、私も煙草を吸いたくなく、洒落たマッチはその人を表してもいるもの、だから其れに拘る人も多くて、其々に拘った物を持ち歩いていた。
 その1つがこのライターであるが、これも又持ち主の人柄によるもの、イカツイ人が持っていても一寸と可笑しくて、やっぱり女性が持っていた方がさまになる。
 そっと出されたライター、火が付いた瞬間に心地よい音色が聞こえてきたのであれば、だれも怒る人はいないのではないだろうか、そんな時の煙草は一段と美味しいもの。
 良き時代であった当時のライター、もとは外国製の物をコピーした日本製が多く、一時期洒落た人たちが持ち歩いていたもの、こんな楽しいライターは今でも楽しくなるもの。
 それも、今の時代は喫煙家には厳しい時代、街角での喫煙は出来なくなってしまい、こんな楽しいライターも使えなくしてしまった時代、良き時代であったのか。
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2020年02月21日

懐かしいライター

    ガスではない
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 現在はガスライター全盛期、100円で3個買える時代だから、別にライターに困らないし又有り難味も少なくなってしまい、何時でも何処でも手に入る代物に成った。
 しかし、少し前まではライターは必需品と同時に、高価なものでもあり100円なんぞで買える物ではなかったから、皆ライターを大事に使っていた。
 大事にすると言うよりもそれが当たり前の時代でもあったのだと思う。
 マッチを使っていた時でも、一本、一本が大事にしていたと思う、今みたいに手軽にライターが入ることはなかったから。

 そして何よりも自分の好みのライターを探して、それを買い込みいつも手元に持っており、使いかっての良い自分なりのライターを使いこなしていた時代。SANY0654.JPG
 人其々の好みが別れ、クラッシックなライター、電池式のターボライター、オイル式ライター等毎日持ち歩く物だから、気に入った物を持ちたいのは当たり前の事であったと思う。
 その為に色々なライターが売りに出されていたが、やはり自分好みのものを探す人も多く、それに拘りを持っていたようだ。
 人よりも変わったライターを持つのも自慢、人の持たないものをと探す楽しさもあり、ライターは益々多くの種類が存在した。
 私の好みはアンティーク調の重いライター、重量感がないと何となく嫌で、常に重いライターをポケットに入れていたが、夏など軽装備の時に困った事もあった。

 その中でも1番欲しかったのは「ダンヒル」のオイルライターで、若い頃からの憧れでもあったが、当時値段が高くて手が出せなくSANY0658.JPG我慢していたものだ。
 国産のライターも多くあったが、やはりデザインが良くなく、その点ダンヒルはデザインも良く、持ちたいと言う思いにさせてくれるライターであったと思う。
 ただ国産のライターと比べれば値段が高くて、おいそれと買える代物ではなかった時代、憧れの的でもあったのだ。
 その後、やっぱりダンヒルが欲しくて、アンティークショップで安く見つけ買い込んだが、やっぱり安いだけの事はあり、直ぐに修理をしなければ成らず、結局は高いものに付いてしまった。
 しかし、其れ以来このライターは私の必需品、いつもポケットに入っていたものだが、ライターの底に有るバルブのパッキンが老化していて、オイルが漏れ出しポケットが良く濡れていたものだ。
 パッキンを買えばよいが中々無く、薄いゴムを切って代用し使っていた思い出のライター、今は健康の為余り煙草を吸わないから、何時も持ち歩いてはいないが、好きな物であるには変わりはない。
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2020年02月15日

ディスプレー

      お国の違い
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 同じ目的の物を作っても、その気候風土の違いにより、出来上がる品物が全く違った物に仕上がるが、これは単に職人の趣味の違いによるものではない。
 生まれ育った環境にも多く来影響を与えるものであるが、文化の違いも大きな要素の1つであり、素材やデザインにも色濃く影響与えるものでもある。
 当然の事であるが、その国によっても違いが出るのは当たり前、長い文化の蓄積の中から生まれ出てくるもの、つまり短絡的に其の物が生まれ出ることは無い。
 歴史と文化が育てた上に立って生まれ出る物で、それは長い時間が育んだ末のもの、そんな伝統の上に成り立って物が出来上がるのであり、民族の証でもある。
 写真の時計のスタンド、下はイギリスの物、上は日本の物であり、イギリスのものはブロンズ製で、日本のものは当然の事木製、其々に文化の違いが表に出ている。
 西洋の物は「金属」、日本の物は「木」、この二つはハッキリと文化の違SANY0854.JPGいが分かる代表なものであり、金属と木製で明らかにお国柄がハッキリと出ているもの。

 その図柄も、ひとめ見れば歴然として文化の違いがあからさまに分かり、鉄の力強さと木の柔らかさが対照的に出ており、日本のものはシンプルであり、西洋のものは迫力がある。
 しかし、西洋物は大量生産であり、日本のものは少量生産、もしくは一個しか製造されていないかも、量産品と単品生産の違い等、そして日本製に付いて詳しく見れば、非常に手の込んだ仕事がされている。
 見かけはシンプルであるが、衝立上の板は引き出し式になっており、使わないときはスライドさせ本体の中に入る仕掛け、又その衝立の表面には木象嵌が施された豪華な造りである。
 国民性の違いと言うべきなのか、それとも考え方の違いなのかは判らないが、西洋と日本そこには受け継がれてきた歴史が、木の文化を受け継いだ日本人、木の温かさを表現したものとなっている。
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2020年02月10日

人間国宝の器

    実用的なもの
 
 人間国宝とは国が定めた優秀な技術を持った人を指す、各部門で優れた技DSCN1404.JPG術を持った人に与えられる称号、つまり重要無形文化財技術保持者である。
 国が認定した人物に与えられる称号、各部門で色々な人が認定され、人間国宝となっているのである。
 もちろん範囲は広く、色々な分野に渡っているから、その中から優れた人材が認定されて、技術を保存している。
 色々な部門の人間国宝が存在しているが、すでに亡くなられた方も多い中、私の好きな人間国宝は加藤唐九郎氏である。
 加藤唐九郎氏は瀬戸市出身の陶芸家、日本を代表する陶芸家であり、現在でも人気の高い人間国宝の一人。
 永仁の壺事件で人間国宝をはく奪されるが、逆にこの事で人気がさらに高まり、陶芸界の野人とまで言われた人。
 荒川豊蔵氏と双璧をなした人物、豊蔵氏の優しい茶碗とは対照的に、野武士の様な勢いを持った茶碗を製作した。

 兎に角この人は破天荒な人物であった人で、数々のエピソードを持った人でもあったのだDSCN1405.JPGが、頑固で職人気質の人であった。
 博学家でもあり、古陶器の研究もプロなみ、若い時より研究に励んだと言われており、瀬戸の伝説的人物、加藤四郎左衛門影正は実在の人物ではないと唱えた人でもある。
 その後守山に移住し、作陶活動を続けて数々の話題作を世に出し、唐九郎の実力をいかんなく発揮し絶大な支持を得る。
 その唐九郎の作品を紹介しようと、FMのラジオ放送「アンティークの魅力」の中で取り上げる事にした。
 ここが私の番組担当、特に瀬戸で開かれる祭りを中心に、その話題でアンティークを紹介している。
 今回のぐい飲みや小箱は親父のコレクション、その他にも加藤卓男、中里無庵、近藤裕三、などのぐい飲みが中心。
 勿論瀬戸の作家に話題は集中、唐九郎氏のぐい飲みは、親父が唐九郎氏から直接貰ったもので、親父は唐九郎氏とは親交があった。
 子供の頃、家で唐九郎氏とあった事も、そんな訳で箱のない唐九郎氏の作品が色々とあり、親父は自慢していた。DSCN1406.JPG
 そのぐい飲みで晩酌している親父の姿を思い出すが、色々なぐい飲みを出しては取り替えてのむ、何でそんな事をするのかと不思議であったが。
 今思うと好きなぐい飲みで酒を呑む喜び、其れが今ではやっと理解できる様に、親父の呑む姿が思い出される。

 それにもう一つが瀬戸出身の加藤土師萌氏、2人目の人間国宝であり、地元でも数々の作品を残している。
 紹介している小物入れもその一つ、実際には何に使うものなのか分からないが、飾り小物であるかも知れないのだが。
 親父はこれを煙草入れに使っていたから、別に誰が造ったものなのか知らなかったが、最近加藤土師萌の作品と分かった。
 身近に使われていたものなので、それ程貴重なものとは思わないが、今は親父の思い出の品として保管してある。
 写真は上のぐい飲みが唐九郎作、三番目の写真が加藤卓男作、その下が中里無庵作で、一番上の写真中央の赤い小物入れが加藤土師萌作である。
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黒猫

      孫が見つけた

 我家の孫、9歳になるが猫が好きで、2歳のこDSCN0144.JPGろ我が家にいた猫に興味を持ち、猫に近ずいて尻尾を掴んだが、猫はビッリクして逃げて姿を消してしまった。
 其れ以来、我家の猫は孫を見ると直ぐに逃げ出す始末、無理もない話し孫のやる事は強烈、猫の尻尾を力任せに引っ張る、当然猫は逃げ回るのだ。
 そんな事はお構いなし、孫は猫が気に入ったらしく、相手が逃げ回るのを面白がって追いかけ、部屋中を駆け回る始末、之では猫はたまったものではない。
 幾ら孫が猫を好きになっても、猫の方は尻尾をひっぱり回されてはたまったものではない、逃げ回るのは当たり前の事、それでも孫は追い掛け回す。
 孫にとっては猫が可愛らしくてたまらず、何処の猫を見ても近寄り尻尾を掴もうとする、家の猫ならまだ知らず他の家の猫では危険、相手は驚いて引っかく事もある。
 まだ孫はそんな猫に運よく出くわしていないが、もしもの事があってはと此方はヒヤヒヤなのだが、当の本人は我かんせずとばかりに猫に御執心だった。
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 私の部屋でまたまた黒猫を見つけ、私のもとに持ってきて「黒猫ちゃん」と差し出したが、何処でこれを見つけたのか、沢山あるブリキ缶、その中から探し出したのか。
 小さな子は何をするかわから無い、このブリキ缶は蓄音機の針がいっぱい入っており、もし開けてバラバラになったら針が刺さる事も、持って来た時はヒヤリとしたものだ。
 猫が好きで、この缶についている黒猫が目に入ったらしく、嬉しそうに持ってきたので、こちらが慌てたが態度に出すとビックリするからと、そのくせ内心は怪我しなくて良かったと思ったもの。
 写真が持って来たブリキ缶、三つも持って来るとは欲深いが、缶に付いている猫を見つけるとは、小さな子の目の付け方がヤッパリ違うと感心するやら、驚くやら、この缶を見るとあの時を思い出す。
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2020年01月30日

雛道具

   小さい事が
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 雛人形、3月3日の雛の節句、今では女の子の成長を願って飾られるものだが、その昔は厄払いの儀式であったと言う。
 上巳の節句と言い、5節句の一つとして古くから行われて来たが、3月初めの巳の日に厄払いの儀式として行われたそうな。
 これも中国よりの伝来、平安以前に宮中に伝わったと言われ、厄除けのお祓いをしたそうな、そしてもう一つが神社で行う人型に厄を払う儀式。
 白い人型の紙に自分の災いを託して川に流し、厄払いをするもの、この儀式も古くから行われていたらしい、そんな厄除けの儀式と宮中でお子様が遊ばれていた「ひいな遊び」が合体して、雛人形が生まれたと言われる。
 何時の頃とはハッキリしないが、室町時代とも言われ、京都の室町でその雛人形が生まれたとする説、これには確かな立証はないのだが。
 その後江戸に入ってから、その雛人形が少しづつ大きくなり、寛DSCN0429.JPG永の頃に寛永雛が誕生となり、確立されて行ったらしい。
 この寛永雛が元禄の頃より大きく発達し、享保時代に享保雛が完成し、雛人形が独り立ちする事となったとの事。
 享保雛は姿が現在の雛人形とは少し違い、顔は能面みたいな面長で目が細くて、特徴のある顔立ち、衣装も独特の綿入れを着たみたいな姿だ。

 1768年ごろ江戸で古今雛なるものが誕生、人形師原舟月なる人物が公家風の古今雛と称して人形を作り売り出し、好評を博する事になる。
 この雛人形が現在も作られている雛人形のルーツであると言われ、それに対抗するように有職形式の雛人形も作られ、有職雛と言う。
 この二つの雛人形が発達して、現在の雛人形を二分するものとなったが、古今雛の方が現在は多く製造されているようだ。
 雛人形が発展して行くと同時に、それの伴い雛道具も作られる様になり、その数が段々と増えて行く事となるのだ。DSCN0431.JPG
 五段飾りから七段飾りへと発展して行き、雛人形も七段飾りとなり、雛道具も種類が多くて、形式化され確立して行く事になる。

 今回の雛道具、大正時代に造られたもの、磁器で造られた瀬戸製のもの、小さなもので一円玉よりも小さいものだが写真では大きく見える。
 型押しの茶碗ではなく、ろくろで造られた精巧なもの、こんなに小さな物をろくろで造るのは技術が居るものであり、職人の腕が良かったらしい。
 ポットはどうも型押しらしくて、少し大きく造られてはいるが、それでも雛道具としては非常に小さな物、職人の腕の良さが見て取れる品物だ。
 色々な雛道具が造られたが、時代、時代により流行があり、その時代を反映した物が雛道具として造られ、現在に至っている。


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2020年01月29日

台座

SANY1072.JPG   迫 力
 アンティークランプ、良いものは高くて買えないがリプロであれば安価で買えるので人気となっている。
 アンティークは勿論古いものだから歴史を背負っているので値段が高いと思っている人も多いが、古いから高いと言う訳ではなく「材質が良かったり」、「作者が有名であったり」とそれなりの理由が存在する。
 その他にも古くてしかも数が少なく貴重であったり、その上欲しい人が多く、人気があるものは値段が高くなっているのだ。
 単に古いからと言って値段が付くものでもなく、それなりの理由が存在している事がそのものの価値、アンティークとはその様なもの指して言う言葉、当然のこと偽物も多く造られているのも、この世界の常識でもある。
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 そんなアンティークだが現代に造られたコピー商品なら値段も安くて、雰囲気だけは楽しめるもの、敢えて高いアンティークを買わなくても良い、ムードだけは良く出来ているから、それなら何時でも手に入ると思う。
 自分なりに観察して利用する事も良いと思うし、部屋の雰囲気ががらりと変わると思うが、あくまでも個人の感覚、人それぞれであるから、古いものが良ければそれはそれ、やっぱり利用する人しだいと言う事。
 今のリプロは実に良く造られており、本物により近く出来て、迫力があると思う、無理して古いアンティーク物を買い込んで失敗するより、安価なリプロで楽しく雰囲気作りもおもしいと思う。
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2020年01月06日

双六

    お正月の遊び
SANY2772.JPG お正月の遊びと言えば直ぐに出てくるのが双六、もちろん色々な遊びがあり、その中でも皆で遊べるものとしては双六が人気、人数に関係なく遊べるからだ。
 この双六、古くからあったようで江戸時代に普及したといわれるが、古い双六をあまり目にする機会はなく、どんな図柄であったのか興味もある。
 双六は当時の生活様式が反映されているとの事、時代、時代によって図柄が変化して行くらしく、その図柄を見るのもまた1つの楽しみだったそうだ。
 新しい年にあわせて双六も製作され、その年、年に新しい物が考案されて世に出され、人々もまた其れを期待を持って迎えていたようである。

 写真の双六、明治45年1月に出されたもの、川端龍子の筆なる大作、この図柄当時の世相を良く反映したもの、振り出しはSANY2775.JPG朝5時となっており、上がりは午後10時になっているが、時間をおって1日の生活が描かれている。
 その時間も文字盤を使い時刻を表したもの、5時スタート明治の人は早起き、1日の時間が非常に長い、朝食は7時、其れまでに主婦の仕事は掃除と朝御飯の支度。
 主人の出勤は8時、その後も主婦の1日を時間を追って進む、主人を送り出した後、12時の昼ご飯までに買い物を済ませたり、生花ゃ掃除もろもろ、兎に角時間を追って事細かに双六は進む。
 この双六を見ただけで、明治時代の主婦の行動が分かるが、これも理想の主婦の働きを表したものだが、川端龍子が其れを求めて描いたものなのかは不明だが。
 明治の女性の生活の一部始終が描かれており、当時の生活が今の我々が目で見える物であり、昔の生活を知る上でも貴重な資料といえよう。
 上がりが午後10時となっており、その時々の時間は文字盤で表示されているから、時計の資料としても興味深い双六であり、有名画家の製作した物となると尚更である。
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2020年01月05日

ガラス絵

   描いていない
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 良く古時計を説明する時にガラス絵付きと表現してある時計があるが、何処がガラス絵なのかと疑問を持つ人も多いと聞く。
 大抵の場合、ガラス絵の入っている部分は振り子室のガラスを指す、文字盤部分ではないもの、そこには色々な模様が描かれている。
 時計の種類にもよるが、八角型は振り子室が小さい為あまり大きな絵は描けないから、小さなものに限られ、変形型の時計には大きく描かれたものもあり、絵の種類も多い。
 しかしよく見るとガラス絵付きと書いてあっても、よく実は写真が張り付けてある事に気が付くが、これをガラス絵と呼べるものなのかとの疑問が湧く。
 確かに良く見ると昔の写真が張り付けてあるだけ、絵が書いていないもの、描いてはいないのにガラス絵、やっぱりおかしい。
 本来、ガラス絵なるものは手書きで絵を描いたものを指し、写真を指す言葉ではないが、何故かしら以前よりガラス絵と表現している。
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 この指摘は以前から会員さんからも質問されて来たが、この表現何時頃のものかは不明、しかし明治のカタログにもガラス絵付きと表現したものもある。
 当時からも写真でありながらガラス絵とカタログに表現がなされているから、自然に写真も絵であると認識していたようである。
 カタログを見る限りでは明治期、八角型の時計のガラス写真はガラス絵と記載されいるので、それ以来通説としてその様に扱われたと言える。
 実際のガラス絵を嵌め込んだ時計も多く存在、手書きで彩られた模様、日本的な図柄が多いのも、西洋時計と同じものを描きたくない日本の職人たちの意地かもしれない。
 現在残っている当時のガラス絵の付いた時計、実に見事に描いているから、西洋時計のまねではなく、日本独自の図柄である。
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2019年11月12日

ステンドガラス

    色々な物が

 最近またステンドガラスが人気になっているようであるが、以前みたいに古いスかいだん.jpgテンドガラスしか売れなかったのが、今は違うみたい。
 ステンドガラスと云えば古いのに決まっていたが、ティファニーのような少し時代の新しい物が好まれたかと思えば。
 近頃は近代的なものも流行っているらしく、新しく作ったステンドガラスも人気があるようである。
 人それぞれであるから何とも言えないが、時代の古いもので日本の家屋に合うステンドガラスは中々見つけ難い。
 余り派手な物は毎日見ていると、段々にくどくて嫌になりるのだが、だからと言って余りシンプルなものも良くない。
 このソコソコの良いステンドガラスを探すのが1番難しく、あちらこちらを探して周り遂には諦めてしまう人も居る。
 私の知り合いの喫茶店のマスター、大のアンティーク好きであり、当然ステンドガラスも好きであったが、欲しい物を探し回った挙句、結局ステンドガラスを買うことが出来なかった。

 自分の好きな物が見つからなくて諦めたらしく、ステンドガラスを嵌める場所には透明のガラスが嵌っていた。
 暫くしてから、その透明なガラスの場所にステンドガラスが嵌っていたのにはビックリ、マスターいわく、「どうだ良いステンドガラスだろう」と自慢げ。
 しかし何だか雰囲気が違うようで、良く見るとステンドガラスではなくシールらしき物が貼ってあるみたいである。
 マスターに聞けば、探し回ったが好きなものは無く、ホームセンターでこのシールを見つけて其処に貼ったのだと、雰囲気は透明のガラスよりよっぽど良いと。
 そして、マスターは「シールを切るときは真っ直ぐ切らずに、ギザギザの線上に切るのがコツである」と、そうすればよりリアルに見えて、ステンドらしくなるとの事である。
 安くて便利、探し回らなくても、簡単に手に入るシールで我慢した方が、失敗が無く又料金も安くて、工事をする手間も無く安上がりであり、雰囲気だけは楽しめると言うのだ、これも新しい楽しみ方か。

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2019年10月30日

染付けのすり鉢

    始まりは何時
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 前回書いたが写真がちいさかったので分かり辛いとの指摘で又書きました、瀬戸の染付けは磁器が製造されてからと思われているが、実際にはもっと古く1623年(元和9年)尾張潘の元和御成之記に、瀬戸の染付けを使った器で料理を出してと記録されている。
 以前より瀬戸の染付けは、加藤民吉が伝えた1807年からと言う事になっていたが、磁器ではなく陶器に白土をかけてその上から染付けをしたものが製造されていた。
 又発掘等でも陶器に白土をかけたものに染付けされた破片が出土し、加藤民吉以前に既に瀬戸で染付け陶器に製造されていたが、有田の磁器には及ばなかった。
 本格的に染付けが磁器で製造されるようになったのは、1770年代後半カオリンを使って磁器を製造するようになり、染付けを試みているがあまり良いものが出来なかったようである。
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 こうした状況下加藤民吉が磁器の製法を伝授してから、瀬戸の磁器により染付けが急速に進歩、今までになかった上質の磁器による染付けが本格的に製造される。
 瀬戸の染付けの特徴は、有田と違って本絵師の指導の下、絵師が染付けを担当した事であり、中国的なものではなく山水画の日本的な画風を元とした点にある。
 幕末には、伊豆原麻谷、山本梅逸らの絵師の指導のにより、染付けの基本を徹底的に学び取り、山水画等の技法を習得、瀬戸の染付けの基礎を確立する。
 写真の染付磁器は幕末に製造されたもの、絵師の指導による山水画が見事に描かれた逸品、繊細な筆捌きが見事な絵を生み出しており、当時の職人の腕の確かさがうかがえる代物である。
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2019年10月01日

小物入れ

      便利です
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 古時計を持っていると、必然的に必要な物は部品、特にビス関係のこまかい物が必要、小さなビスが無いばかりに失敗する事も多く、その部品を集めるのに、これまた必死。
 兎に角古時計を所有していると、トラブルは日常茶飯事、何時壊れるか分からないし、部品が無くなってしまう事も、そんな時の為に小さなビスとか部品を集めている。
 集めた部品は自分の分かる範囲において置かないと、イザ必要なときに慌てて探す事に、しかしそのような時ほど見つからない事がしばしば、そんな時はイライラして修理どころではない。
 結局その日は修理できずに部品探しに明け暮れ、とどのつまり修理も出来ずにイライラが募るが、こんな時の為に必要な小物入れを何時も探している。

 必要な時に探しても見つからないから、普段からアンティークショップに行くと、必ずや小物入れを探す事SANY0401.JPGにしているが、之が又丁度良い物が少ない。
 前にも飲料水メーカーのブリキの景品を集めたが、それだけでは到底足らないから、今尚小物入れは探索の最中、いい物が見つかれば直ぐに買い求めている。
 之も私の拘りなのかも知れないが、プラスチックの入れ物では良くないので、アンティークな物が良く、他の人は入れ物なんて幾らでも有、ホームセンターに行けば沢山有ると言うが。
 其処が又私の拘り、中々自分好みの物が欲しいもの無く、写真の入れ物は大正時代の化粧品入れ、アールデコのガラスで出来た入れ物、キャップが付いており、小物入れにはピッタリ。
 大正昭和の化粧品、乳白色のガラスのクリーム入れであるが、之が又使い勝手が良いのでアンティークショップで見つけ買い求めたが、店主「こんな物、戸田さん何に使うの」と怪訝な顔、「こんな物まで集めているの」と手厳しいが、部品入れと説明すれば直ぐに納得。
 このような小物入れが沢山有れば、小さなビスや小さな部品もしまって置くのに便利、暇な時にじっくりと探して、使いやすそうな物を色々と集めている。
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2019年09月18日

追いつきたい

    マイセンと肩を並べ
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 尾張瀬戸の磁器は、幕末から現在まで作られてきたが、1番多く輸出されたのは戦前、戦後の時期、この時代が1番多く輸出され、又多く製造された事である。
 時代によって製造されたものは違いがあるが、大別すれば実用向きと装飾物に別れ、戦前に製造された物と戦後の物が違ってくるが、大別すれば前者は食器、後者は装飾物が中心のようである。
 当然の事であるが、高級品の輸出と一般物とは区別され、製造会社は其々の分野で、得意とするものが違っていたもの、この時代を象徴している。
 特に高級品を扱う企業は、秘密裏に磁器を製造して、部外者にはその製造方法を公開せず、独自の職人を雇い、自社製品の拡大を図っていた。
 職人は図柄や絵付け方法、燃焼技術など一切を部外に持ち出す事を厳しく監視、製造された商品の持ち出しにも、厳しい目が向けられて、企業秘密として管理されていた。
 当然の事であるが、製造途中で出来た不良品でも持ち出しは一切御法度、不良品は全て廃棄され、粉々に砕かれてその秘密が外部に漏れないように徹底管理されたと言う。

 この様な、徹底的に管理された中で製造された輸出物は、外貨獲得に大いに貢献した事は云うまでも無くSANY1173.JPG、愛知県の主要な輸出品であり、保護も当然なされていた。
 その中にはマイセン窯と競い合う商品も多く製造されていたが、門外不出であった為に、一般の人はその存在を知る人は、少なかったようである。
 当時の瀬戸の磁器は海外で、マイセンの商品と市場を競い合っていたので、「マイセンに追いつけ」、「追い越せ」の合言葉を掲げてマイセンの商品を超えるものを作り出そうとしていた。
 商品はすべてが一品ものであり、職人が分業で1番最高のものを生み出す努力を、惜しみなく発揮してマイセンを追い抜く技術の習得に励んでいた。
 写真、下はマイセンのカップ、上はマイセンに追い越す為に製造されたもの、当時の最高級のコーヒーカップ、すべてが手づくりで製造され、見事な出来栄えの物となっている。
 金も本金を採用、分厚く塗られており、花の図柄は一つ一つ細密に手で描かれており、現在之を再現するのには至難の業であると言われている。
 カップは足が三本付いており、ソーサーは縁をハートの形をくり貫いた、豪華なつくりになっていて、最高級品の香りを漂わせた一品である。










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2019年09月05日

招き猫のかお

    やはり顔が違う

DSCN1123.JPG 招き猫、江戸時代から製造されて来た招き猫、各産地で造られて来たが、其処には独特の顔をした招き猫が色々な産地で製造されて来た招き猫だが、同じ瀬戸で製造された招き猫でも、時代によって顔が違うもの。
 一見招き猫の顔は同じようなものと思っている人も多いが、一つ一つよく見ると全く違った顔をしているのだ、同じ時代でも、同じ産地でも、同じ製造所でも、やっぱり顔が違う、当たり前と言ってしまえば其れまでであるが、実に面白い顔をしていると思う。
 よく言われるのが古い招き猫は、動物的な顔をしており、時代が新しくなるにつれて、優しい顔になると言われる。
 色々な時代の招き猫を比較して見ると、事実古い物はきつい顔をしているものが多く、新しい招き猫は優しい顔をしている。

 もう一つが、古いほどキツネに良く似ているとも言うのだが、そSANY8891.JPGの根拠はお稲荷さんと言う、京都伏見のお稲荷さん、もともとお稲荷さんのお土産として造られていた猫、キツネに良く似た顔をしていたもおかしくはないのだ。
 むしろ似ている方がそれらしいのではと、そんな気がする事もあるのだと思うが、お稲荷さんが発祥であれば、何処が発祥かは定かではないが、それはそれとして招き猫の顔はどれくらい違うのか、並べて見たら一目瞭然。
 確かに違う顔をしている事に、改めて思うのだが、それにしても色々な顔をしているのだと思える。
 瀬戸で製造された磁器の招き猫を見るに、時代や大きさにもその違いがある事も、あらためて分かった事。

 しかしここまで個性的な顔をしているものなのか、感心してしまうが、製造者の意図とも言えるのだと思う。SANY2924.JPG
 招き猫の顔はこうあるべきと考えて、製造したものと思うが、果たして本当の目的とは何か、招き猫らしい顔である。
 江戸時代の猫の顔を見るに、動物的な顔をしており、当然だが猫であるから、その様な顔であると、しかし今の我々が見ると滑稽な顔をしていると思う。
 当時はそんな顔をしている猫ばかりであったのかと、浮世絵などに描かれている猫もキツネみたいだと思う。
 写真に挙げた瀬戸の招き猫、古い物であるが、ヤッパリキツネに近い顔をしているのだ。
 私にはその様に見えしてまうが、果たして他の人はどの様に受け取るものなのか。
 キツネに見えるのか、猫に見えるものなのか、招き猫だから猫である筈。
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2019年08月29日

招き猫の前垂れ

    時代が分かる

 SANY0320.JPG招き猫、全国で多く造られて来たが、産地によって色々な招き猫が造られたが、その形態は少しづつ違う、勿論全国的に統一された形式は無く、招き猫であっても産地によっては形も違い、当然だが装飾も違ったものになっている。
 招き猫の特徴として前垂れがあげられるが、この種類も時代時代によって変化をして来たもの、古い物と新しいものを少し上げて見た。
 招き猫は人気も高くて数も多く造られていたもの、勿論商売の縁起物としての置物、それが招き猫である。
 古い物から新しい物まで色々な招き猫が存在し、材質に関しても様々な物で作られているのだ。
 もともと招き猫は土産物として造られたものであり、素朴なものであったから、色にしても単純なものであった。
 つまり白色と黒色、そして赤色の三種類が基本の色、それが古い招き猫の姿、時代が下がるにつれて色が増える。SANY8376.JPG
 その内に黄色が入るようになり、三毛猫の招き猫の誕生、そもそも三毛猫は数が少ない事から珍しいとされていた。
 招き猫も珍しい猫であった方が良いと、自然に三毛猫になったとも言われるが、事実はどうであろうか。

 確かに三毛猫は猫の中でも数が少ない方だと言うが、今はそんなに珍しい猫とも思わないが、江戸時代には珍しかったのか。
 この三毛猫が確立したのが何時の頃かは不明だが、現在の招き猫は全部と言って良いほど三毛猫が主流。
 逆に白黒だけの招き猫を探そうとすると少ない事に気が付く、何時の時点で逆転したかはわからないが、現在はその様になっている。
 そして招き猫が首にかけているもの、初期の招き猫は赤色の首輪をしているが、時代が経つにつれて変わって来る。
 この形態は何処の産地でも同じような推移をしており、何SANY0197.JPG処が最初なのかは不明、しかし明治に入ればやはり同じようだ。
 首輪から前垂れと呼ばれる暖簾みたいなものに変わることに、この前垂れも産地によって少しづつ変わっている。
 写真はその前垂れ、古い物から新しい物まで色々な物があり、古い物は手の込んだものが、しかし時代が下がるにつれて簡単なものになる。
 初期の前垂れはイッチンと呼ばれる白いブツブツの模様が入っているものが付いており、時代が新しくなると筆で模様を描かれている。
 これも産地によってはちがいがあるが、瀬戸で製造された招き猫は、この形態をしている事が多く、前垂れを掛けていない産地もあり、所によって違いはあるが、大まかな時代測定はこれが基本のようだ。

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2019年08月01日

染付けの香炉

    香 り 高 く

 SANY1481.JPG瀬戸の染付けは色々な物に施されているが、皿や茶碗、テイブルや灯篭、タイルや瓦、電気器具まで染付けはなされ、色々な物に施す事によって、更に普及していった。
 一般に染付けと言っても、雑器から高級器まで様々な物につけられており、其の用途によっても図柄を変えて染め付けられてゆく、職人の感性ともいえるもの。
 雑器であれば、其れを使う人にあった模様を選択、更に物の大きさによっても図柄を変更、この様に臨機応変が染付け職人の腕の見せ所でもあったようである。
 時代時代によって、当然のこと流行も存在し、其の時々によって変更するのも職人の感性であり、敏感に世間の流れを読み取っていたのも、彼らが単に絵付けをするだけの職人で無かった証でもある。

 高級器における彼らの腕の見せどころ、其の器にあった図柄を選択するのは常識であり、それよりも器が使われる用途を見極め、物語をも認識した上に絵付けをしたようだ。
 其れは、短歌であったり、芝居の一幕であったり、物語の一場面であったりと、その物を知らない職人には描けない図柄を、当時の絵付け職人は行っていた。
SANY1483.JPGSANY1485.JPG 写真の香炉はそんなに古くなく、実用的なものだが、細部的に見てゆくとそのものに対する職人が、知識を持った上での作業をされていることが分かる。
 獅子頭をつけた蓋、3本の長く伸ばした足、胴体部分の丸くなったところの図柄、一つ一つが用途を分かった上で、染め付けられていることが良く分かった物。
 床の間に於いて香を炊く為の物、洗練されたものでなければ雰囲気が台無し担ってしまうもの、格調高い染付けで無ければならない物だ。
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2019年07月30日

ロレックス

    何故か人気がない

 ロレックスの時計、今一番人気な時計、特に腕時計しかもブラックの時計、高価でありながら若者に絶大に支持を受けている時計だ。SANY6549.JPG
 私もロレックスは好きだが、人気のものではなく手巻きの時計が好きで、幾つか持ってはいるが使用はせず、お蔵入りの状況だ。 何故かと言えば、今までに良く壊して、修理代が高く付いてしまい、其れ以来使用せず保管状態、頑丈な自動巻きであればこんな事はない。
 私の持っているものは本体が薄くて、ブレス調の時計がおも、だから壊れやすくて使わないが、では何で持っているのかと言えば、機械が好きだから。
 ロレックスの機械は力強さが伝わってくる感じのもの、他の時計の機械と比べれば、それらしき感じるのは私だけかも知れない。
 しかし、あの機械を見ていると職人気質が表れているような、そんな気になってしまい、ツイツイ見とれてしまう事もあり、それが又良いのだと思う。
 
そんなロレックスの懐中時計、写真のものだが、あまり程度が良く無いもの、それでも見つけたのだからツイツイ買い込んでしまった。
 どう云う訳か、ロレックスの懐中時計、今一人気が無いもので、何で人気が無いのか分からないが、アンティークショップに出ていても売れていない。SANY6555.JPG
 私が良く通ったショップでも、何時行ってもガラスケースの中に納まっていて、売れていないのだが、ショップのオーナーに聞いても、「何でだろう、売れないね」と首をかしげる。

 腕時計は今や若者の人気は絶大、何処のショップでもひっぱり凧で、商品が追いつかないという、その一方懐中時計は何時までもカラスケースの中。
 中々売れないのだが、原因は分からないのだと言う事、実用的でない事が一番の原因なのかとも言うが、それだけではないと思う。
 このロレックスの懐中時計、1920年代のものと思うが程度は良くないので、売れ残っていたのを私が買い込んだよう、「残り物には福がある」の喩えが通用するのか。
 裏蓋を開ければロレックス特有の、あの頑丈の中にも繊細さがあり、やっぱりロレックスの機械だと思わせるが、何で売れないのかやっぱり不思議。

 
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2019年07月13日

アンティークとは

    種類は色々

SANY0335.JPG
 よく聞かれるのはアンティークとは何ですかと、難しい質問でもあり、全般的に言えば古い物と答えるしかないのだが。
 古い物なら何でもアンティークなのかと、それもまた困った質問で、和物は何ティークとは呼ばないのが普通、ではアンティークとは何。
 益々答えにくくなるが、西洋物を主体とした古い物と大きく答える事が出来るが、それとて正解ではないのだと思う。
 ヨーロッパでは百年以上経っていない代物はアンティークとは呼ばず、それ以上古い物をアンティークと呼ぶのだ。
 日本では骨董と呼ぶが、西洋物と区別しているので、百年以上と言う決まりはなく、古い物が骨董品である。
 範囲が広くて、その上種類も多いのが骨董品、勿論アンティーSANY0303.JPGクの同じ事で種類も同じように多いのだから難しい。

 日本のものでも時計とか玩具などはアンティークと呼ぶ、西洋物でなくてもそのように呼ばれているから、やっかいな事になる。
 そんなアンティークもの、それも百年も経っていないもの、ツイ最近まであった物までアンティークと呼ぶのだから。
 全く範囲を広くしてしまったものだが、ソコソコ古い物でないとアンティークと呼ばなくて、ビンテージと呼ぶのだが。
 響きとしてはアンティークの方が聞こえが良い、人とは厄介なものでいったん覚えてしまうと、中々切り替えが難しい。SANY0301.JPG
 ではポスターや看板はどの様に呼べばよいのか、骨董品ではなくアンティークの部類に属する事になるだろうが。
 一つ一つ上げて行けばキリがなく、段々と広がってしまい、ビンテージと呼ぶのがふさわしいのでは、それにしても範囲が広い。
 それほど多くのものが存在している証拠、この世界広いと思うが、之からもモット種類が多くなることは必定。
 益々厄介な事になってしまい、何と呼べばよいのか、ルールつくりをしなければ混乱するばかり、統一が望ましいのだと思うが。
 写真のものは何処の範囲に入るものなのか、アンティークなのか、ビンテージなのか、厄介な事だと思う。
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2019年07月12日

磁器の金魚

      金    魚

SANY9506.JPG 夏の風物詩金魚、暑い毎日を過ごしていると、水の中で泳ぐ金魚がうらやましく思えてくるが、別に金魚は自分が涼しいところに居るとは思っていない。
 人間様が金魚を見て勝手に思い込んでいるだけの事、しかし昔から金魚は夏の物と決まっていて、暑くなると金魚がもてはやされ、ワザワザ金魚鉢を飼って買う始末。
 この金魚、愛知県が主要な産地、其の他大和郡山も盛であり、この2つが全国の市場を占めているようであるが、近年金魚も中々飼えない家庭環境でもある。
 当然金魚は生き物であるから、毎日の世話は当然の事、水槽の水替えから餌やりまで、毎日やらなければ成らないのは当たり前、其の当たり前の事が現在はウットウシイらしい。
 其れも、現代の忙しい世の中を象徴しているようでもあり、もう少しゆとりのある生活を望みたいもの、一時の精神的な安らぎを求めなければ疲れてしまう。

 何しろ現代人は忙しすぎ、余裕が持てないらしく気の毒なSANY9515.JPG事で、そんな生活をしなければ無いらなのも又、現実の社会でもあり、何とかならないものなのか。
 嘆いてばかりでは、何も解決はしないが、此処に餌をやらなくても死なない金魚が存在、我々の眼を楽しませてくれる物があり、其の歴史は100年を越す。
 とまあ、大げさな言い方は別にして、磁器で出来た金魚が其れ、明治時代から製造されていたらしく、其の製造方法は難しいようで、水に浮くように造るのは技術がいる。
 鮮やかな色をした可愛い金魚の形をして、水に浮くように製造してあり、餌をやらなくても死なず涼しげに泳ぐ、しかし磁器で出来ており水に何故浮くのか不思議である。
 其れも職人の技術、本来水の入らないように作ると、窯の中で焼く時に金魚の中の空気が膨張して、金魚は爆ぜてしまうのが当たり前、其れをしないように焼くのが技術。
 写真は、瀬戸で製造された大正期の磁器の金魚、鮮やかな光沢のある出来栄えとなっており、即今中国で製造されたものとは比較にならないほど、出来が良く可愛らしい物。
 中国製のものは安いが雑、しかも趣が無くやっぱり瀬戸の磁器物が1番出来が良く、人々の目を楽しませてくれる一級品、昔の技術は大したものだ。














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