2018年01月12日

お洒落

      鎖で分かる

SANY5548.JPG 男のお洒落とは何時の時代にも話題となるが、その時代時代によって当然流行があり、その流行るものによっても様々な物になる。
 何が流行るかはその時代の仕掛人に聞かなくては分からないが、其れを受け止める人もまた好みが色々あり、複雑に入り組んむものでもある。
 今の時代のように画一されたものが出回るのではなく、個人個人が流行りにあったものを独自に作り出す時代でもあったようで、出来上がったものも多種多用。
 そんな男のお洒落の1つに懐中時計があり、当時懐中時計は非常に高価なもの、一般人には高嶺の花であり、金持ち階級のステータスシンボルでもあった。
 懐中時計を持ち歩くにも当時は大変苦労をしたもの、当初の懐中時計は時計自体が大きくて重い、そんな時計を懐に入れても重くて堪らない。

 それでも男たちは懐中時計を持ち歩いたもの、お洒落も一苦労と言うよりも重労働でもあったようだが、その懐中時計も次第に小さくなり、ポケットにも納まるようになる。
 SANY3389.JPGSANY3390.JPGポケットに納まるようになると、時計は見えずその時計を吊るす鎖が出来ありが、ポケットからはみ出して見えるようなお洒落なものとなる。
 時計本体もさることながら、時計を吊るす鎖が今度は注目されるようになり、独自の発達を遂げる事に、其処に又男のプライドと好みが現れる。
 見た目には派手ではないが素材や鎖の細かな細工が発達、シンプルなものから派手で人目を引くものなど、時計よりも鎖に凝る者も現れてくる。
 写真の鎖もその1つ、普通よりも鎖状のものは太く、細工も派手で見るからに派手好み、ポケットからこのような鎖をチャラ付かせていた男は誰であろうか。
 この鎖のように一本づつ独自で職人に作られたもの、自分好みのデザインをして、男のお洒落を楽しんだであろう姿が見えるようである。
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2018年01月09日

志野と織部

    時代の流れ

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 志野焼と織部は焼き物の代名詞、桃山時代の焼き物として登場、人気を博した焼き物、特に志野焼は桃山茶陶の代表格。
 有名な卯の花垣にみる茶陶の代表、多くの茶人を虜にした茶陶の最高峰ともいえる焼き物、私も好きで何度となく見に行った。
 何度見ても惚れ惚れとする焼き物、形といい、色といい、どれをとっても申し分のない焼き物、そんな志野焼。

 実は短い間に出現し、瞬く間に姿を消してしまった焼き物で、今では桃山茶陶の数少ない焼き物として引っ張りだこである。
 真っ白な釉薬と透けて見える鉄釉の図柄、何とも言えない雰囲気を持った焼き物、多くの茶人を虜にしたのだ。
 あっという間に姿を消した志野焼、その焼き物に魅了され幾多の陶芸家が再現を試みるも、桃山陶器の再現は出来ず、断念をしている。

 有名な加藤唐九郎と荒川豊蔵、両者ともこの再現に挑んだが、結果は難しくて再現できず、如何に大変であったかを裏付けている。
 もう一つが織部焼、古田織部が考案した焼き物とされているが、このSANY0349.JPG織部焼の出現に志野焼は姿を消したと言われる。
 短い間に人の好みが変化して、志野焼は織部焼にその座を追われ、造られなくなってしまい、姿を消したともいわれる。
 一方織部焼は茶人の持て囃され、引っ張りだこの状態、その姿は独特であり、今までになかった自由なものだ。
 特に描かれた模様は千差万別ね自由な発想で描かれ、幾何学模様あり、抽象画あり、ゆがんだ形ありと、これまた自由な焼き物だ。
 志野と織部、時代の変化で人の好みが激変、これほどまでに対照的な焼き物もないほど、志野の落ち着いたものに対して、織部焼の自由奔放。
 両者の個性は対照的、何方が好きかはその人次第、何方とも言えない位に焼き物の代表格、しかし両者とも現代も人気を二分している焼き物作家。


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2017年12月29日

竹針

      エジソンも竹で成功。

あぽろ.jpg 発明王、エジソンは各種の発明をした人物であるが、科学者と言うよりも実業家と言った方がしっくりと来る。
 同時代の発明家グラハム、ベルと比べると其の差が歴然と分かると思うが、例えばエジソンより早く蓄音機を発明したベルであったが、世界中に特許を取らず発明はしたが、そのままにしていた。
 翌年にエジソンは同じ蓄音機を発明し、直ぐに特許を取得して世界的に蓄音機の発明者となってしまった。
 其ればかりか、エジソンより早く蓄音機を発明したにも拘らず、エジソンに特許を取られてしまい、折角発明したにも拘らず製造販売できず、ローヤリティーをエジソンに払って製造販売しなくては成らず、特許を取らなかったつけが降りかかってしまう。

 一方、エジソンはベルに蓄音機を発明されていたが、ベルより早く特許を取ったお陰で発明者になっていた。
 これは、ほんの一例であるがエジソンは、発明者、科学者と言うよりは、やっぱり実業家と言った方が良いと思う。
 兎に角、特許を取り他人に製造させない科学者とは別の能力も備えていたようである。
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 電球の発明に日本の京都の竹を使ったことは有名な話、金属でなく京都の竹で成功したエジソン、電球発明で更に実業家の本領を発揮。
 京都の竹を使ったことは、エジソンにとって莫大な利益をもたらすことになり、竹が幸運を呼んだ。
 
 写真は、アポロン製の蓄音機の針を入れる缶と鋏であるが、少し変わっているのは金属の針ではなく、竹で出来た針で其れを切る鋏、普通の鋏ではうまく切れず、竹針専用の鋏。
 上部に丸く穴が空いているところに竹を入れ、専用の鋏で切断きれる角度が問題で、この鋏を使わないと蓄音機の針として使えないのである。 
 やっぱり竹の針は音がやさしく響き、鉄の針より音が良い、針も金属性の物より竹、竹製が1番良く、良い音を奏でるのである。
 竹針りはレコードにも優しく、鉄針と比べれば盤の痛みが少なく、又良い音色をはじき出すと特性があり、音に拘った人たちに愛されたようだ。
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2017年12月23日

モデル

      明治初期のモデル
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 日本の時計製造の創成期、西洋時計をモデルとして日本製の時計が製造されたことは、今までにも何回も話してきたが、ではどう言う所がコピーされたのかあげてみようと思う。
 時計には本体部分と、それに付随する部分とがあり、本体は殆どの時計は同じ様な構造、同じ作り方であり、そんなに大差のない物で出来上がっている。
 しかし付随する部分は、その時計により色々な物で装飾されており、一つ一つの時計で違った物、出来上がりは別物の時計として完成することになる。
 つまり装飾が違えば、その時計は別物に成り、様々な彫SANY0864.JPGり物がつくことより、雰囲気は全く違った物になったしまうもの、要するに衣装が違えば本体は一緒でも、完成した時計の出来が違うものになる。

 これらの装飾を日本の職人が真似る事になるが、モデルが一緒であっても出来上がった物は、其々の職人の違いにより、別物に成っている事も多く、それぞれの時計製造会社が制作、それが後の日本製スリゲル型時計とる。
 初期の西洋時計をモデルと手製造されたものは、職人の感性により造り出されてSANY4385.JPGものであり、全く違っても乗り出来上がる事も多い。
 日本人の感性がその中に注入され、西洋物とは一味違ったものに、またそれを目指したとも言えるのではないか。

 写真は上ドイツ製の時計の装飾、下は日本製のもの、ドイツ物は古いもので日本の幕末期の物、この様な西洋的な彫刻がモデルとなっているが、職人は見た事もない彫り物に戸惑ったであろう。
 そして、彼らが気付いたのは日本に古来より伝わる唐草の彫り物、この彫り物と良く似ている事に気が付く、それらの彫り物は仏壇に彫られている物と共通する。
 其れも当たり前の事、1400年も前にシルクロードを経て伝わった物とルーツは同じ、しかし日本に帰化した彫り物は既に日本的な物に成ってしまい、明治に見た物とはやはり違っていた。
 当時の職人の目にはどの様に映ったのか知らないが、彼らの感性は古来人と同じであった事は、後に製造させた時計を見れば納得がゆくもの。
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2017年12月19日

ノべルティーの種類

      アメリカが

SANY3740.JPG 尾張瀬戸から海外に輸出された陶器は、江戸から現在まで営々と続けられているが、製造するものが時代と共に変わってくるし、輸出国もまた変わって来ている。
 時代、時代に商品も変わり、当然流行があるから仕方がないが、其れを製造する窯元は大変な作業を要する事になり、時代に着いて行けない窯元は自滅するしかない。

 当然の事であるが、自由競争の社会であるからには、仕方が無い事ではあり窯元の職人は、其の時代、時代の流行を把握しておかねばならない。
 昔から、瀬戸の職人は流行に敏感に反応して来たと言われ、江戸時代から歌舞伎や俳諧、江戸庶民の動向等きめ細かく情報を入手していたようであり、それを直ぐに流行を商品化する技量を持っていた。

 人気の歌舞伎役者の似顔絵をSANY3744.JPG石皿に書き写し、俳諧の流行り歌は直ぐに取り入れたりと、その道にも精通していた事が、商品化にも役に立ったのは必然の摂理。
 時代は下がり、戦前戦後の製品は時代を反映して、出来も余りよく無く、特に戦後の動乱期は最低の出来、しかし、占領下の日本製品は安く、アメリカでもてはやされた。

 商品の印は「オキュバイド、ジァパン」と書かれているが、現在は其れが人気のようで、何が流行るか分からない時代、写真の鳩時計は、戦前の商品とオキュバイド、ジャパンの物、本来は前の商品のように、錘も付いていなければならないが、殆どが無くなってしまっている。


 この様な戦前のものもあるが、戦後つくられた同じものも多くつくられ、同じように見えるが明らかな違いも、SANY3749.JPG
 また戦前の物の方が出来が良く、絵付けも良い出来上がりになっているが、戦後の物は良く見ると仕事が雑で、動乱期を物語っているようである。
  いずれにせよアメリカ向けに大量に製造されたものが、現地に存在しており、今里帰りをして人気であるよう、時代の変遷が見えて興味深い。
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2017年12月16日

ランプ時計

      時計なのに電気がつく

 SANY0568.JPG時計は当然の事時間を計る為に発明されたもの、その時計が電気を灯すとは、意味が分からない方も居るのであろうが、時計がランプとドッキングしたものだ。
 明治時代から大正時代にかけて造られたランプ時計がそれ、ランプ時計は古くから造られており、1番分かり易いものは蝋燭に目盛りを刻んだ簡単な物。
 蝋燭が次第に解けて行き、蝋燭横の目盛りが消えてゆくから、その目盛りの位置を見れば時間が分かる仕組み、単に蝋燭の横に刻みをつけただけであるが、大体の時間は分かった。
 その次に発明されたものがランプ時計、蝋燭をホヤで囲い、その外側に刻みを付け少し豪華にした物、しかし当然の事、前のものとほとんど同じで蝋燭の火が消えにくいだけの事で時間はたいして正確でない。

 その後、この形式の時計と称せられるものが、何百年に渡って使用されてきたが、機械時計が発明されSANY0567.JPGると今度は機械とランプがドッキングして、機械式のランプ時計が出現する。
 このランプ時計は時間はほぼ正確で、今までのものより遥かに正確であった物、この時計は夜に暗い所でも時間が分かり、その当時の人達にとっては便利な物であった。
 そして、電気の発明により今度は電気と時計がドッキング、電気時計が生まれ電気の付く時計が発明され、暗い家庭であった時代は過ぎ、明るい生活がやってきた。

 写真の時計は、その時代に造られたランプと電気のドッキング物、丸い球の部分に電球が入っており、点灯し前にある針で時間を表示する仕組み。
 時間は下の部分、分は上の数字と2段に別れ回転する仕組み、針は固定されたおり球体部分が回転するもの、機械式時計は一番下の土台部分に入っている。
 電機が発明された初期の物で、電気の明るさと時計の新しさが上手く融合した時計、時計の中でも傑作の1つと思われ、暗かった生活から明るい電気の生活に入った時の生き証人でもある。
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2017年12月10日

ニッパくん

      親しまれている
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 ニッパくん、西洋犬でよく見慣れた犬、レコード店の前でよく見かけた犬、世界的に有名な犬であり人気の高い犬、とまあ評判は良い。
 何処の犬かと思っていた人、そうですレコード店で見かけるあの犬、名前をニッパ君と言う犬、誰しも見慣れた犬です。
 何でレコード店にあったのか、その言われを知る人は少ないと思うが、そこには感動の物語があり、飼い主とニッパ君のつながりが見えてくる。
 その繋がりとは明治時代に遡り、処はイギリスでの話し、1884年ニッパ君が生まれ、画家であったマーク、ヘンリー、バロウドのもとに行く。

 飼い主のマーク、ヘンリー、バロウドは客の足を良く噛み付くこの犬をニッパと名付け可愛がったが、突如亡くなってしまう事になる。
 ニッパくんはマークの弟、フランシスのもとSANY4902.JPGにあづけられたが、ある日の事蓄音機がかけてある前でニッパが座っていたのをフランシスが発見する。
 その蓄音機にはマークの声が吹き込んであったらしく、ニッパ君は蓄音機から聴こえてくる、もと主人の声を不思議そうに聞いて座っていた。
 これを見たフランシスは蓄音機に聞き入るニッパ君を描く事に、蓄音機のラッパを前に首をかしげた姿を描き、「ヒス゜、マスターズ、ボイス」と題名をつけた、「彼の主人の声」と題した絵。
 その後、フランシスはこの絵を当時エジソン社に売り込みをかけたが成立せず、今度はベルリーナ、グラムホンに売込みを図った。

 当初の描いた蓄音機はエジソン社の物であったので、グラムホンの蓄音機に描きなおし商談は成立、此SANY4671.JPG処にあのニッパ君の姿が商標としてスタートした。
 あの可愛らしい姿のニッパ君、実は活発な犬であり、フォックステリア系の気が強い犬、おとなしそうに見えて実は暴れん坊でもあったらしい。
 この商標権、その後アメリカのビクター社が買い取り、ビクター犬として生まれ変わり、我々が現在見ている姿となったのだと言う。

 日本の忠犬ハチ公と共に世界的に有名となり、愛称は今でもニッパ君、マークが付けた名前の通り、噛み付き犬しとてその姿が親しみを持って愛されている。
 このニッパ君、世界的に色々な種類のものが製造され、勿論日本でも多くが製造されて市場に出ているが、姿が少しづつ違うので良く見ると違いも分かると思う。












 
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2017年12月03日

試行錯誤

      イギリス向け
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 オールドノリタケ、明治期日本で製造された輸出陶磁器、森村市左衛門が名古屋市則武で製造した陶磁器、当時製造されたものをオールドノリタケと言う。
 少し前までオールドノリタケはブームで異常なまでの人気、海外からの里帰りが多く需要に追いつかず、値段が跳ね上がってしまったが、今は下火となり少しは買い易くなった。
 また皆が思っていたよりも数はソコソコあり、希少価値と言われた時よりも多く、コレクターもこれを知ってから陰りが出て来たが、良いものは少ない。

 少し業者にあおられ過ぎて高く買いこんでしまった人も、今は冷静に物を見つめて、良いものだけを手に入れている人も、一時期の異常加熱はなくなった。
 逆な意味で言えば、今が自分にあったものをジックリと探し、安い値段で買えるから、買いやすいことは確か、又何時も出回っているから、ゆっくり見て探した方が良いと思う。
 勿論このオールドノリタケ、非常に良い品も多く、今では中々作れないものもあり、美術品としての価値も、しかし我々には楽しんで使える物の方が良いと思う。SANY6094.JPG

 現代のものを同じ値段で買い込むならば、やっぱりオールドノリタケにした方が良いと思うが、人其々だからなんとも言えないが。
 中には古いものは汚いから嫌と言う人も多く、何で古いものを買わなければイケないのかと、そんな人も多くいるとも、確かにその意見もある。
 ただ現在では製造出来ないくらいに手の込んだものも多く、其れを今買おうとすれば高額な値段でなければ買えないと思う、新しい物の方が良い人は、それで良いと思う。

 今回のオールドノリタケ、デミタス式のカップで少し小さいもの、当時の流行のカップでもあり、イギリス向けに製造されたもの、トレードマークは緑色の丸木のマーク。
 白地に鮮やかなコバルトブルー、その上に金盛りと言う仕上げがしてあり、豪華な雰囲気のするもの、鳥の図柄と花が描かれている。

 SANY6084.JPGSANY6129.JPG金は分厚く塗られており、輝きは今でも当時のまま、金色に輝く鳥たちは生き生きとして空を待っているかのような雰囲気が、当時の力の入れようが伝わった来る。
 この手のカップは市場でも良く見かけるから、数が多く製造されたものなのか、当時は人気な商品であったようだと思われる。
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2017年12月02日

蝋燭立て

      異国の香り一杯

SANY4127.JPG 蝋燭が日本に伝わってのは奈良時代とされているが、それ以前にも渡来しているとの説も、中国から仏教伝来と同時にもたらされたとする説もある。
 一般庶民が使うのではなく、宗教的なものに使われていたようで、其れに伴い蝋燭たてもまた発展するが、之もやはり庶民の間ではなく身分の高い人達の物であったようだ。
 安土桃山時代にキリスト教が広まりをみせ、外国から宣教師が多く日本に入ってくるが、彼らは西洋文化を持ち込むと同時に日本の文化も持ち帰っている。
 この様な文化交流から生まれてくるものが燭台、日本に来た宣教師たちは当時の茶の湯を取り込み、キリスト教の布教に利用、そこから生まれた来たとされるのが蝋燭立て。SANY4140.JPG

 彼らの本国に報告された文章の中に茶の湯の事が書かれていて、布教するに当たって「茶の湯は避けて通れないもの」と、記述していることが判明している。

 安土桃山期に古田織部によって造られた「織部焼きと証する焼き物」の出現、緑色の釉薬で彩色された焼き物が流行、その織部釉で燭台を造りあげる。
 それも南蛮人と称せられた異国の人をかたどった焼き物、これを教会で使用したのが始まりとされているが、その後一般にもひろがったようである。
 写真の燭台、現代ものとして再現されもの、南蛮人(神父の姿)を模った蝋燭立て、これは当時の形ではなく後になって造られた複製品、上部半分に織部釉がかけられ下部は白色の釉薬。
 如何にも南蛮渡来の蝋燭たてに見えるが、よく見SANY4132.JPGると日本の絵柄が描かれ独特の雰囲気を醸し出した蝋燭立てになっており、当時の流行の先端を行った焼き物であった。

 安土桃山時代に、こんな焼き物が造られていたとは非常に興味が湧く所、当時の人はどんな反応をしてのであろうか、この燭台のもとでキリスト教に改宗した人々が神に祈ったであろうかと思いをはせる。
 実際に流行であったよう、別に信仰心からつくられたものではないようだ。
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2017年11月30日

輸出向け用

      早くから
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 西洋時計をモデルとした時計グッツは明治から色々な物に造られて、市場に出回っているが、明治末期には海外に向けて輸出をし始める事になる。
 最初は国内向けの限られた範囲の物が製造されていたが、次第に海外向けの商品を開発、そして国内向けよりは多くの製品が、海外に輸出されるまでに発展してゆく。
 初めに花生けなどのいたって種類の少ない物が輸出されていたが、市場の要求に答える形で、色々な製品が作られるようになり、そして独自な商品も多く造られるようになる。
 はじめは東南アジアが主体であったが、後にはヨーロッパ向けの商品が海外のバイヤーによって、工賃の安い日本での製造以来が殺到する事となる。

 手先の器用な日本人の高い技術と製造の正確さが、海外のバイヤーの目に止まり、其れまでヨーロッパで製造されていたものが、日本に製造を依頼してくる。
 はじめは、ドールハウス用の細かな商品ばかりであり、ヨーロッパでも子供向けの安価な物が大半、高級品はマイセン等のヨーロッパの窯元に製造を依頼していた。

 日本での製造は、主に瀬戸地方で製造され、其の技術SANY3475.JPGの高さが認められると供に、マイセン等に発注していた高級品も次第に瀬戸に製造依頼が来る事になる。
  写真に上げた物は大正末期からに瀬戸で作られたドールハウス用の小物、大きい物で10センチ、小さいものは2センチ、子供用のものから、大人が楽しむドールハウス用の時計グッツである。
 左のグランドファーザーや置時計などは非常に精工で出来の良いもの、これらはやはり大人用であり、高価な時計グッツであったものと思われる。

 そして戦後、アメリカ向けに大量に製造されてものが、下の段右二つ、オキバイド、ジャパンと記されているものだ。
 この手のドールハウスは大量に造られてはいるが、手の込んだ作業がされており、大量生産とは一線をかくしたものである。
 マイセンに負けることなく、瀬戸製の出来の良さは定評があり、海外で高く評価されたもので、信頼感もあったようだ。
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2017年11月19日

エジソン

      発  明  王

 SANY4638.JPGエジソン、言わずと知れた発明王、「トーマス、エジソン」の事であるが、彼と「グラハム、ベル」との発明競争、この熾烈な戦いは余り知られていないようである。
 ベルとエジソンはライバル同士、共に発明を志、先に発明して世界に名を残す事に力を注いだ人物、彼らの発明競争は熾烈を極めたようで、その最初は蓄音機と言われている。

 蓄音機の発明はエジソンとなつているが、実際にはベルが先に発明をしていたが、彼は特許の申請を怠った為に、後から発明したエジソンに特許を取得され、彼の名は蓄音機発明者としての地位に無い、ベルが研究者であり、エジソンは実業家であった事が、ベルを蓄音機を先に発明しながら、エジソンに先を越されてしまった。
 歴史の裏側は実に面白いもの、我々が知っているような事でも、実は違っていたりしてミステリーぽい、だから歴史は面白いのであるが、当人達にとってはそれは死活問題だ。
 その実、ベルは蓄音機を先に発明したにも拘らず、エジソンのパテントを借りなければ、蓄音機の製造販売が出来なかったから、之は彼にとって屈辱的であったようだ。
 その後は、電話発明でエジソンより先に特許を取得して、電話発明者としてその名を刻む事になり、エジソンに一矢報いた形に、其れ以来彼らのライバル意識は死ぬまで続くことになる。SANY1620.JPGSANY1621.JPG

 そのエジソンが発明した蝋管の蓄音機(いやいや、実はべルが先に発明)、以前に買いこんだ物だが何時の時かクランクが無くなっており、ゼンマイを巻けない状態、クランクが如何しても見つからない。
 ゼンマイを巻くクランクが無ければ演奏は出来ないもの、探してもみつからないと弱っていた時、「そんなのクランクを造ればいいよ」と軽く言われた。
 軽く言われるので「何処で作ってくれるの」と問いかければ、「私が作る事にしますか」と、これまた簡単に言われるので此方が拍子抜け、やっぱり古時計保存協会の会員さんは凄い。
 このクランクを簡単に作ってしまう古時計保存協会の会員さん、私にとっては力強い技術者、頼りになる技術者を友達に持ったのが幸運、これからもどれだけお世話になる事やら。
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2017年11月13日

和製ステンドガラス 

      独特の色合い

SANY2997.JPG ステンドガラス、朝日や夕日が差し込むと、鮮やかな色の帯が長く床に落ち、幻想的な雰囲気をかもし出すが、この瞬間がステンドガラスの魅力である。
 建物を建てるときに、何処の窓が1番日の光を取り入れられるのか、そして部屋のどの位置に光の帯を落とすのか、設計者の腕の見せどころでもあるだろう。

 ステンドガラスいと言えば、殆どの人は教会のあのガラス戸を連想されるであろうし、事実教会が身近で1番多くのステンドガラスが存在している所でもある。
 ステンドガラスは、元々教会の窓ガラスを飾るために作られたと云われていて、キリストの誕生から復活までの、一生をガラスで現した物が起源であるらしい。
 その為に、いかにキリストらしい厳かな雰囲気を作り出すために、作者は苦心惨憺制作に没頭したらしく、その出来の良し悪しが教会の格にも影響したらしい。
 ステンドガラスの歴史も古く、昔から宮殿の装飾として多く用いられて、独特の発達をとげて、中世の教会を飾るまでに進化して、職人たちの腕の見せどころでもあっSANY2999.JPGた。

 複雑の色ガラスをふんだんに使い、教会の大きな窓一杯にガラスで彩ったステンドガラス、しかし、日本人にとっては少々色がきつくて、中々馴染み深くならなかったようである。
 しかし、明治の文明開化の頃より、日本建築にもステンドガラスが盛んに用いられ、特に西洋館には盛んにステンドガラスが嵌められ、異国情緒をかもし出したようである。

 明治時代に日本で製作されたステンドガラス、西洋物とは少し違い色合いも淡いもの、日本人に合った色使いをされているものだ。
 当時の西洋風の建物に嵌めるために制作されたもので、雰囲気を損ねない工夫が色々と考えだされた傑作が多いと言われる。
 その後日本建築に合う様々な日本製のステンドガラスが造られたようだ。
 上のステンドガラスは私が気に入って買い求めた物、ハチドリが2匹木の蜜をとっているかわいらしい物で、大正時代の造りらしい色合いが落ち着いていて、日本の建築には合っている様だ。
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2017年11月12日

万年筆

      見かけなくなった

SANY4282.JPG 万年筆、明治時代には一世を風靡した書き物の道具、古来より筆に慣れていた日本人、文明開化の時代になり西洋から入ってくる物に飛び付く、その中の一つが万年筆である。
 墨の筆に慣れ親しんだ日本人が西洋の便利な書き物、万年筆と出会い一気に虜になったのは言うまでもなく、特に物書きを生業とする人々に受け入れられた。

 墨をすらなくても良く、持ち歩き似も便利、しかも小さくてインクが漏れないと来れば、物書きだけではなく一般の人達にも支持されるようになり、一気に広まる事となる。
 当時に舶来品は高くてとても手の出る代物でなかったが、其処は日本の職人達、この西洋から入った来た万年筆、直ぐに国産化にして市場に売り出すことに。
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 日本の職人はやっぱり凄い、余り時間を掛けない内に国産化、しかも安価な万年筆を作り出し、学生が買えるような値段で販売をし、学生の間でも一気に広まる事となる。
 当時の素材はエボナイトと言われる素材が中心のようであり、その他にも色々な素材で万年筆が作られることになるが、高級品には金や銀の素材まで登場することになる。

 一般の人たちは高級品を買うこともなく、あの黒色のエボナイト製の万年筆が主流であり、その後セルロイドが主体となるが、エボナイトも根強い人気を保つ。
 写真の万年筆は、セルロイド製のマーブルと呼ばれる種類のもの、この柄も人気の1つで多くの万年筆愛好家から支持を受けていた物、図柄が面白くて楽しい万年筆に出来ている。SANY1300.JPG

 これを見つけたのは偶然の事、ある時計屋さんが閉店をするから古時計を譲ると連絡があり、古時計を求めて行った時、その店の引き出しから出て来たもの、未使用品の品であった。
 程度は良く綺麗な状態であったので貰ったものである。
 別に使おうと思っている訳ではないが、懐かしいのと状態が良いのでツイツイ手を出したまでの事。
 何だかんだで手を出してしまい、結果は何時も整理がつかない事になる。








 
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2017年11月09日

エンジェル

      可愛らしさ 


 SANY4207.JPG瀬戸のノベルティーは歴史が古く、江戸時代に遡るが、その時代、時代によって輸出されてきた物が違い、古い時代のものはヨーロッパの貴族向けであり、最近のものは子供向けと時代によって分かれる。
 又、明治初期から中期にかけては、磁器で製作された大きな物が中心であったようで、灯篭やテーブルの様な置物が中心、特にパリ万博が開催された折の出品物は大きな物であった。

 大正から昭和にかけては、食器物が中心で、特にコヒーカップやディナー皿などが中心、そして戦前戦後は子供向けの玩具類が多く輸出された。
 戦前はヨーロッパが主、そして戦後はアメリカが主な輸出国、そしてこの時代になると瀬戸のノベSANY4213.JPGルティーと呼ばれる置物が全盛期に入る事になる。

 ドイツのマイセンで作られていた装飾品を瀬戸地方が一手に製造する事になり、大量にアメリカに輸出され、好評を博する事になるが、その技術はマイセンをも凌ぐといわれ、日本の重要な外貨を稼いでいた。
 その時代に造られた人形や置物は、技術的にも最高の製品を作り出し、しかも値段的にはマイセンより安く製造されたため、アメリカではドイツの市場を駆逐したといわれている。

 写真の置物は、時代的には少し下がり昭和30年代、非常に可愛らしいエンゼルが横に付いた時計の置物、高さは5センチと小さいが、見た目では遥かに大きく見え、迫力のあるものに仕上がっている。
 その色使いもシンプルで、エンゼルの淡いピンクと、時計のブルーのコントラストが絶妙、可SANY4209.JPG愛らしさは又格別であるが、其れよりも瀬戸の技術の高さが光る置物でもある。
 この置物は、たぶんドールハウス用に製造されたものであるようで、置物としては少し小さいので、ドルーハウスの大きさに合わせて製造された物なのか。








 
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2017年11月07日

だるま

      手も足も

SANY4608.JPG 達磨は手も足も無いのが普通、ダルマとは馴染み深い真っ赤な着物に髭ずらの親父顔、選挙や入学祈願のとき等に買い込み、願いが叶ったら片目を入れる。
 これが普通のダルマであり、馴染み深いものでもあるが実際の達磨とは、その昔5世紀前半南インドの王国に第3子として誕生、釈迦から数えて28代となる人物。

 普通元年(520年)南インドより仏教の布教するため中国広州に上陸、時は南北朝時代であり、南朝の梁の国に入り、武帝と面会するが武帝より、「仏教とは何かと問われ」、達磨は「何も無であると答えた」と言う。
 武帝は達磨の答えに満足せず、尚も「我は仏教の為寺を幾つも建立したが徳はあるか」と問う、しかして達磨「何も御座らぬ」と答えたといわれ、達磨と武帝はお互いを理解することは無かった。

 その後達磨は嵩山少林寺に入り、岩に向って9年間座禅をしたと云われ、禅を極めて悟りを開き禅宗の開祖となるが、9年間の座禅により足が腐り無くなってしまったと言われる。SANY0182.JPG
 これはもちろん逸話であるが、9年間も岩の壁と向き合い悟りを開いたその姿を、後世の人が絵に描いた姿が達磨大師の図で、その姿を形にしたのがダルマさんである。
 日本には12世紀宋の時代に道元が禅の教えを持ち帰り、禅宗を民衆の間に深め、日本中に禅が流行するが、ダルマさんは江戸時代に成ってから、現在の高崎の少林寺で始めて造られたと言われているが定かでない。

 日本全国にもダルマさんの置物は存在しており、各地で其々の形が作られているが、生産量では高崎のダルマが1番多く製造されて、全国の選挙や入学祈願に使われているのが現実である。
 下の写真はそのダルマをブリキと陶器で造り、本来はダルマは不動とされているが、このダルマは貯金箱とゼンマイのもの、前にゆっくりとした動きで歩き出すのであり、常識をくつがえした動きをする。
 昭和30年代のブリキの玩具としては異例の物、達磨が歩くとは驚きであり、其れを逆手に取ったユーモラス一杯の楽しい玩具であり、中々手に入らない一品である。
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2017年11月01日

ブリキの笛

      私 の 宝 物  


 SANY4099.JPG誰でも子供の頃、何の変哲も無いガラクタを、自分の大事な宝物として、こっそりと引き出しの隅に隠して置いた事があるだろうと思う、今空けて見ればやっぱりガラクタだ。
 しかし、其のガラクタには子供の頃の楽しい思い出がギッシリと詰まり、其れを見るたびに、遠い子供の頃の記憶が蘇ってくるものであり、
懐かしく其の頃を思い出すのである。

 私も子供の頃はやたらと色々の物を集め、自分の引き出しの墨に入れていたが、母親がそれらを見つけ良く叱られたもので、「何で勉強に関係のないガラクタを引き出しに入れているのか」と。
 そして、「汚いものは廃るように」と怒られた事を記憶しているが、だからと言って其れを捨てたりはしなかったし、益々ガラクタの宝物は増えていった。

 私の子供の頃も、グリコのおまけは流行っていたし、私も大好きでおSANY4101.JPGまけ欲しさにキャラメルを幾つも買っては、母親に叱られていた。
 写真の右、小さい時計型の笛、之もグリコのおまけであり、自分で集めた記憶は無いが、しかし7、8年前に我が家を解体する際に自分の机を整理していて見つけたものである。

 左の大きなものはグリコのおまけではなく、輸出用に作られた(オキュバイド、ジャパン)の笛である。
 6時の位置に赤とブルーの色が見えるが、これは廃物を利用して作られた証で、物の無かった時代の証でもある。

 今気付いた事であるが、この時は別に時計の形をしていたから集めておいた物ではなく、単に笛として集めたはずであるが、時計を集める複線上に既にこの時から有ったのであろうか。
 この時から、古時計を集める縁があり、現在も其の縁にしたがって、行動をさせられているのではないのであろうかと思わざるを得ないのである。



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2017年10月29日

SPレコード

   不思議な音

SANY4352.JPG 最近SPレコードが見直されていると言うが、その魅力は何であろうと疑問視する人もいるようだ。
 いまSPレコードと言ってもピンと来ない人が多くて、レコードそのものも知らない人も多くなっている。
 今はCDになってしまい、もはや前世紀の遺物みたいになったSPレコード、しかし最近また人気とか。
 てっきり年配者の人が懐かしさでそれを求めていると思っている人、それが違う事であると分かるのだが。
 確かに年配者にとっては懐かしい音であり、郷愁に誘われるが、今求めているのは若い人たちであると言うのだ。
 IT全盛の時代にSPレコードとは、何故それも若者が求めるのか、そこには音に対する興味があるからだ。

 CDの音に慣れてしまっている人にすれば、SPレコSANY4360.JPGードの音は新鮮に聞こえると言い、新たな興味が湧くとも言うのだ。
 電子音に慣れている人にとって、SPレコードから聞こえる音は全く違ったものに聞こえ、その上雑音が一杯聞こえる。
 しかしその音が良いと彼らは言う、それは肉声に近い音だから、今のCDは電機で造られた音、しかしSPレコードは電機音でないもの、肉声に近い音だから。

 現代人はいま電機音に慣れてしまい、自然界の音を聞くことが少なくなっている事は事実、何処へ行っても電機音だ。
 それが当たり前となった現代の生活、若者はSPレコードの音がより新鮮に聞こえてもおかくしないと思う。
 むしろ彼らはその音が新しいもののように聞こえていると言う、我々とは少し違った感覚であることは確か。
SANY4355.JPG
 私が時々行っているコンサート、勿論蓄音機での演奏、最近若い人がコンサートに来るようになり、半分は若い人だ。

 これには年配者もビックリしているようだが、毎回増えている事は確か、SPレコードから聞こえてくる音に感心する事。
 何故こんなに良い音が出るのか、それも原始的な機械からと言う、何だかんだと言いながら、レコードより最後は蓄音機の構造の話になる。
 蓄音機の説明して欲しいと、そして何故こんな音が出るのが不思議だと言う、よく説明を聞いても
やっぱり不思議だと言うのだ。

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2017年10月25日

瀬戸の染付け

      海外で好評 

 SANY3301.JPG幕末から瀬戸の磁器は盛んになり、海外に向け輸出をされたが、特にパリ万博で染付けの技術が高く評価され、それに伴い注文が多く入る事になる。
 瀬戸の染付けは江戸時代よりの技術は定評があり、その繊細な筆使いから生み出される、模様は緻密でありダミと呼ばれるぼかしの技術、細部的になされる業。

 これらが一体となり、1つの集約された器が完成されるが、特に瀬戸のゴスと呼ばれるコバルトのがんりょう、その美しい発色が海外で人気を博したようである。
 瀬戸独特の生地、白くて透明度の高い下地に、コバルトのブルーが鮮やかに発色し、当時の東洋趣味も合間って貴族階級に、特に人気があった。

 飾り壷や更なとの他、コヒーカップも生産され輸SANY3305.JPG出、当時のコヒーカップは見本を見て造られはしたが、やはり日本的な形が多く、始めは湯飲みに持ち手をつけた様な形が多かった。
 その内にしだいと技術も向上すると供に、形も西洋物に劣らない器が製造されるようになり、益々その量は多くなり外貨獲得に大いに貢献したようである。

 それらの製造元の多くは、やがて森村組(後のノリタケ陶器)の誕生に係わり、その技術を遺憾なく発揮して、瀬戸の染付け技術や粘土の増産に大いに役立った。
 写真の器は幕末から明治にかけて造らせたコヒーカップ、美しい白地に鮮やかなコバルトブルーの模様が際立って目立つ、当時の輸出磁器の傑作である。
 少し小振りであるが、洗練された鳳凰の図柄、器いっぱいに描かれた見事な染付け模様は、見る人を引き付けるに充分な豪華さ、これだけの器が短期間に造られるようになったのも、当時の職人の努力の賜物であると思われる。


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2017年10月22日

小さな玩具

      小 型 の お も ち ゃ

 SANY0554.JPGブリキの玩具、好きで次から次えと買い込むうちに、一杯となり何処に置いて良いやら置くところが無くなり、遂には山積みをして傷をつけて失敗したりと、数が多くなると弊害も現れてくる。
 安すくて程度の良い物を見つけると、買わずに入られないもので、こんなに安くて良い品を他の人に買われては勿体なく、折角見つけたのだから早く買わなければと、もう一人の私が囁きかける。

 この囁きにツイツイ負けて買い込んでしまうが、家に持ち帰って「さて何処に置くのやら」と、その時にやっと「又買い込んでしまった」ときずく始末、何時までたっても成長しない。
 こんな事が度重なって、終いには置く所よりも買うからいけないと自己批判の毎日、部屋を見渡せば自分の座る所さえない始末に、やっSANY4261.JPGと気が付き又反省。

 しかし、反省はすれど買うのを止めるわけではなく、今後は大きい物はダメだと気が付くだけ、之ではちっとも反省していないと同じなのであるが、其れは兎も角反省には違いない。
 その結論は大きい物はダメ、小さな物であれば場所は取らない筈と、マタマタ勝手に判断して買うことを止めようとしない人、他の人から見れば、「こりゃダメだ」と思われるかもしれない。

 懲りもせず、今度は小さな物を探し始める始末、そして既にどんな物であれば買い込んでも支障がないのではと勝手な理論、落ち着くところが写真のブリキの玩具。
 7センチにもならない小さな物、小さいものは4センチこれ位いの小さな物であれば、今までのもの1つで10台は入るはず、大きな物を少し少なくすれば2、30台は置けるはずと勝手な理屈。
 そんな事で、現在も懲りずにせっせと探しては、安い物を買い集め、少しでも空いてるスペースにこっそりと置いて、まだあの隙間に入るはず、どんなものが入るか想像する始末、やっぱりダメだ。
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2017年10月17日

ブリキと共同

           セルロイドとブリキ   


SANY3682.JPG ブリキの玩具は、全部がブリキだけで出来ている物もあればそうでない物もあり、其れは時代とも密接に関係していて、時代の変遷も分かる様でもある。

 ブリキの玩具の種類により、文体がブリキだけで製造されているものは、動くものは少ない様に思う、何故ならば動くものは車輪がついているため、自動車やオートバイなどはゴムの車輪が付くからである。

 古いものはブリキで出来た車輪もあるが、その後はゴムの車輪が主流になり、殆どの車はゴムでタイヤを製造され、ブリキの車輪は姿を消す事になる。  

 車輪だけでなく、付属する物にブリキ以外のものが使用され始め、例えば人物であるが顔や手足は、セルロイドで作られたものが付けられる様になり、急速に付属品のセルロイド化が進む。 
SANY0617.JPG
 特にセルロイドで出来た人形は、手足や顔などはゴムで連結して、自由に動かせるように工夫し、リアルな動きを出す事により、今まで動かなかった人物も、動くようにした。
 この動きによりブリキの玩具が飛躍的に売り上げを伸ばし、海外に輸出をされるようになり、益々セルロイドとの合体したブリキの玩具が発達してゆく。

 写真の玩具も、その様なセルロイドとの合体した商品、この玩具の特徴は人物の手や顔、そして足が車輪と共通の回転をするために、人気が爆発的になった代物。
 いかにも子供が三輪車を足で回しているかのような、そんな構造をしており、少しの工夫で最大限の動きを生み出すことに成功した例でもある。
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