2017年12月03日

試行錯誤

      イギリス向け
SANY6105.JPG
 オールドノリタケ、明治期日本で製造された輸出陶磁器、森村市左衛門が名古屋市則武で製造した陶磁器、当時製造されたものをオールドノリタケと言う。
 少し前までオールドノリタケはブームで異常なまでの人気、海外からの里帰りが多く需要に追いつかず、値段が跳ね上がってしまったが、今は下火となり少しは買い易くなった。
 また皆が思っていたよりも数はソコソコあり、希少価値と言われた時よりも多く、コレクターもこれを知ってから陰りが出て来たが、良いものは少ない。

 少し業者にあおられ過ぎて高く買いこんでしまった人も、今は冷静に物を見つめて、良いものだけを手に入れている人も、一時期の異常加熱はなくなった。
 逆な意味で言えば、今が自分にあったものをジックリと探し、安い値段で買えるから、買いやすいことは確か、又何時も出回っているから、ゆっくり見て探した方が良いと思う。
 勿論このオールドノリタケ、非常に良い品も多く、今では中々作れないものもあり、美術品としての価値も、しかし我々には楽しんで使える物の方が良いと思う。SANY6094.JPG

 現代のものを同じ値段で買い込むならば、やっぱりオールドノリタケにした方が良いと思うが、人其々だからなんとも言えないが。
 中には古いものは汚いから嫌と言う人も多く、何で古いものを買わなければイケないのかと、そんな人も多くいるとも、確かにその意見もある。
 ただ現在では製造出来ないくらいに手の込んだものも多く、其れを今買おうとすれば高額な値段でなければ買えないと思う、新しい物の方が良い人は、それで良いと思う。

 今回のオールドノリタケ、デミタス式のカップで少し小さいもの、当時の流行のカップでもあり、イギリス向けに製造されたもの、トレードマークは緑色の丸木のマーク。
 白地に鮮やかなコバルトブルー、その上に金盛りと言う仕上げがしてあり、豪華な雰囲気のするもの、鳥の図柄と花が描かれている。

 SANY6084.JPGSANY6129.JPG金は分厚く塗られており、輝きは今でも当時のまま、金色に輝く鳥たちは生き生きとして空を待っているかのような雰囲気が、当時の力の入れようが伝わった来る。
 この手のカップは市場でも良く見かけるから、数が多く製造されたものなのか、当時は人気な商品であったようだと思われる。
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2017年12月02日

蝋燭立て

      異国の香り一杯

SANY4127.JPG 蝋燭が日本に伝わってのは奈良時代とされているが、それ以前にも渡来しているとの説も、中国から仏教伝来と同時にもたらされたとする説もある。
 一般庶民が使うのではなく、宗教的なものに使われていたようで、其れに伴い蝋燭たてもまた発展するが、之もやはり庶民の間ではなく身分の高い人達の物であったようだ。
 安土桃山時代にキリスト教が広まりをみせ、外国から宣教師が多く日本に入ってくるが、彼らは西洋文化を持ち込むと同時に日本の文化も持ち帰っている。
 この様な文化交流から生まれてくるものが燭台、日本に来た宣教師たちは当時の茶の湯を取り込み、キリスト教の布教に利用、そこから生まれた来たとされるのが蝋燭立て。SANY4140.JPG

 彼らの本国に報告された文章の中に茶の湯の事が書かれていて、布教するに当たって「茶の湯は避けて通れないもの」と、記述していることが判明している。

 安土桃山期に古田織部によって造られた「織部焼きと証する焼き物」の出現、緑色の釉薬で彩色された焼き物が流行、その織部釉で燭台を造りあげる。
 それも南蛮人と称せられた異国の人をかたどった焼き物、これを教会で使用したのが始まりとされているが、その後一般にもひろがったようである。
 写真の燭台、現代ものとして再現されもの、南蛮人(神父の姿)を模った蝋燭立て、これは当時の形ではなく後になって造られた複製品、上部半分に織部釉がかけられ下部は白色の釉薬。
 如何にも南蛮渡来の蝋燭たてに見えるが、よく見SANY4132.JPGると日本の絵柄が描かれ独特の雰囲気を醸し出した蝋燭立てになっており、当時の流行の先端を行った焼き物であった。

 安土桃山時代に、こんな焼き物が造られていたとは非常に興味が湧く所、当時の人はどんな反応をしてのであろうか、この燭台のもとでキリスト教に改宗した人々が神に祈ったであろうかと思いをはせる。
 実際に流行であったよう、別に信仰心からつくられたものではないようだ。
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2017年11月30日

輸出向け用

      早くから
小.jpg
 西洋時計をモデルとした時計グッツは明治から色々な物に造られて、市場に出回っているが、明治末期には海外に向けて輸出をし始める事になる。
 最初は国内向けの限られた範囲の物が製造されていたが、次第に海外向けの商品を開発、そして国内向けよりは多くの製品が、海外に輸出されるまでに発展してゆく。
 初めに花生けなどのいたって種類の少ない物が輸出されていたが、市場の要求に答える形で、色々な製品が作られるようになり、そして独自な商品も多く造られるようになる。
 はじめは東南アジアが主体であったが、後にはヨーロッパ向けの商品が海外のバイヤーによって、工賃の安い日本での製造以来が殺到する事となる。

 手先の器用な日本人の高い技術と製造の正確さが、海外のバイヤーの目に止まり、其れまでヨーロッパで製造されていたものが、日本に製造を依頼してくる。
 はじめは、ドールハウス用の細かな商品ばかりであり、ヨーロッパでも子供向けの安価な物が大半、高級品はマイセン等のヨーロッパの窯元に製造を依頼していた。

 日本での製造は、主に瀬戸地方で製造され、其の技術SANY3475.JPGの高さが認められると供に、マイセン等に発注していた高級品も次第に瀬戸に製造依頼が来る事になる。
  写真に上げた物は大正末期からに瀬戸で作られたドールハウス用の小物、大きい物で10センチ、小さいものは2センチ、子供用のものから、大人が楽しむドールハウス用の時計グッツである。
 左のグランドファーザーや置時計などは非常に精工で出来の良いもの、これらはやはり大人用であり、高価な時計グッツであったものと思われる。

 そして戦後、アメリカ向けに大量に製造されてものが、下の段右二つ、オキバイド、ジャパンと記されているものだ。
 この手のドールハウスは大量に造られてはいるが、手の込んだ作業がされており、大量生産とは一線をかくしたものである。
 マイセンに負けることなく、瀬戸製の出来の良さは定評があり、海外で高く評価されたもので、信頼感もあったようだ。
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2017年11月19日

エジソン

      発  明  王

 SANY4638.JPGエジソン、言わずと知れた発明王、「トーマス、エジソン」の事であるが、彼と「グラハム、ベル」との発明競争、この熾烈な戦いは余り知られていないようである。
 ベルとエジソンはライバル同士、共に発明を志、先に発明して世界に名を残す事に力を注いだ人物、彼らの発明競争は熾烈を極めたようで、その最初は蓄音機と言われている。

 蓄音機の発明はエジソンとなつているが、実際にはベルが先に発明をしていたが、彼は特許の申請を怠った為に、後から発明したエジソンに特許を取得され、彼の名は蓄音機発明者としての地位に無い、ベルが研究者であり、エジソンは実業家であった事が、ベルを蓄音機を先に発明しながら、エジソンに先を越されてしまった。
 歴史の裏側は実に面白いもの、我々が知っているような事でも、実は違っていたりしてミステリーぽい、だから歴史は面白いのであるが、当人達にとってはそれは死活問題だ。
 その実、ベルは蓄音機を先に発明したにも拘らず、エジソンのパテントを借りなければ、蓄音機の製造販売が出来なかったから、之は彼にとって屈辱的であったようだ。
 その後は、電話発明でエジソンより先に特許を取得して、電話発明者としてその名を刻む事になり、エジソンに一矢報いた形に、其れ以来彼らのライバル意識は死ぬまで続くことになる。SANY1620.JPGSANY1621.JPG

 そのエジソンが発明した蝋管の蓄音機(いやいや、実はべルが先に発明)、以前に買いこんだ物だが何時の時かクランクが無くなっており、ゼンマイを巻けない状態、クランクが如何しても見つからない。
 ゼンマイを巻くクランクが無ければ演奏は出来ないもの、探してもみつからないと弱っていた時、「そんなのクランクを造ればいいよ」と軽く言われた。
 軽く言われるので「何処で作ってくれるの」と問いかければ、「私が作る事にしますか」と、これまた簡単に言われるので此方が拍子抜け、やっぱり古時計保存協会の会員さんは凄い。
 このクランクを簡単に作ってしまう古時計保存協会の会員さん、私にとっては力強い技術者、頼りになる技術者を友達に持ったのが幸運、これからもどれだけお世話になる事やら。
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2017年11月13日

和製ステンドガラス 

      独特の色合い

SANY2997.JPG ステンドガラス、朝日や夕日が差し込むと、鮮やかな色の帯が長く床に落ち、幻想的な雰囲気をかもし出すが、この瞬間がステンドガラスの魅力である。
 建物を建てるときに、何処の窓が1番日の光を取り入れられるのか、そして部屋のどの位置に光の帯を落とすのか、設計者の腕の見せどころでもあるだろう。

 ステンドガラスいと言えば、殆どの人は教会のあのガラス戸を連想されるであろうし、事実教会が身近で1番多くのステンドガラスが存在している所でもある。
 ステンドガラスは、元々教会の窓ガラスを飾るために作られたと云われていて、キリストの誕生から復活までの、一生をガラスで現した物が起源であるらしい。
 その為に、いかにキリストらしい厳かな雰囲気を作り出すために、作者は苦心惨憺制作に没頭したらしく、その出来の良し悪しが教会の格にも影響したらしい。
 ステンドガラスの歴史も古く、昔から宮殿の装飾として多く用いられて、独特の発達をとげて、中世の教会を飾るまでに進化して、職人たちの腕の見せどころでもあっSANY2999.JPGた。

 複雑の色ガラスをふんだんに使い、教会の大きな窓一杯にガラスで彩ったステンドガラス、しかし、日本人にとっては少々色がきつくて、中々馴染み深くならなかったようである。
 しかし、明治の文明開化の頃より、日本建築にもステンドガラスが盛んに用いられ、特に西洋館には盛んにステンドガラスが嵌められ、異国情緒をかもし出したようである。

 明治時代に日本で製作されたステンドガラス、西洋物とは少し違い色合いも淡いもの、日本人に合った色使いをされているものだ。
 当時の西洋風の建物に嵌めるために制作されたもので、雰囲気を損ねない工夫が色々と考えだされた傑作が多いと言われる。
 その後日本建築に合う様々な日本製のステンドガラスが造られたようだ。
 上のステンドガラスは私が気に入って買い求めた物、ハチドリが2匹木の蜜をとっているかわいらしい物で、大正時代の造りらしい色合いが落ち着いていて、日本の建築には合っている様だ。
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2017年11月12日

万年筆

      見かけなくなった

SANY4282.JPG 万年筆、明治時代には一世を風靡した書き物の道具、古来より筆に慣れていた日本人、文明開化の時代になり西洋から入ってくる物に飛び付く、その中の一つが万年筆である。
 墨の筆に慣れ親しんだ日本人が西洋の便利な書き物、万年筆と出会い一気に虜になったのは言うまでもなく、特に物書きを生業とする人々に受け入れられた。

 墨をすらなくても良く、持ち歩き似も便利、しかも小さくてインクが漏れないと来れば、物書きだけではなく一般の人達にも支持されるようになり、一気に広まる事となる。
 当時に舶来品は高くてとても手の出る代物でなかったが、其処は日本の職人達、この西洋から入った来た万年筆、直ぐに国産化にして市場に売り出すことに。
SANY4295.JPG
 日本の職人はやっぱり凄い、余り時間を掛けない内に国産化、しかも安価な万年筆を作り出し、学生が買えるような値段で販売をし、学生の間でも一気に広まる事となる。
 当時の素材はエボナイトと言われる素材が中心のようであり、その他にも色々な素材で万年筆が作られることになるが、高級品には金や銀の素材まで登場することになる。

 一般の人たちは高級品を買うこともなく、あの黒色のエボナイト製の万年筆が主流であり、その後セルロイドが主体となるが、エボナイトも根強い人気を保つ。
 写真の万年筆は、セルロイド製のマーブルと呼ばれる種類のもの、この柄も人気の1つで多くの万年筆愛好家から支持を受けていた物、図柄が面白くて楽しい万年筆に出来ている。SANY1300.JPG

 これを見つけたのは偶然の事、ある時計屋さんが閉店をするから古時計を譲ると連絡があり、古時計を求めて行った時、その店の引き出しから出て来たもの、未使用品の品であった。
 程度は良く綺麗な状態であったので貰ったものである。
 別に使おうと思っている訳ではないが、懐かしいのと状態が良いのでツイツイ手を出したまでの事。
 何だかんだで手を出してしまい、結果は何時も整理がつかない事になる。








 
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2017年11月09日

エンジェル

      可愛らしさ 


 SANY4207.JPG瀬戸のノベルティーは歴史が古く、江戸時代に遡るが、その時代、時代によって輸出されてきた物が違い、古い時代のものはヨーロッパの貴族向けであり、最近のものは子供向けと時代によって分かれる。
 又、明治初期から中期にかけては、磁器で製作された大きな物が中心であったようで、灯篭やテーブルの様な置物が中心、特にパリ万博が開催された折の出品物は大きな物であった。

 大正から昭和にかけては、食器物が中心で、特にコヒーカップやディナー皿などが中心、そして戦前戦後は子供向けの玩具類が多く輸出された。
 戦前はヨーロッパが主、そして戦後はアメリカが主な輸出国、そしてこの時代になると瀬戸のノベSANY4213.JPGルティーと呼ばれる置物が全盛期に入る事になる。

 ドイツのマイセンで作られていた装飾品を瀬戸地方が一手に製造する事になり、大量にアメリカに輸出され、好評を博する事になるが、その技術はマイセンをも凌ぐといわれ、日本の重要な外貨を稼いでいた。
 その時代に造られた人形や置物は、技術的にも最高の製品を作り出し、しかも値段的にはマイセンより安く製造されたため、アメリカではドイツの市場を駆逐したといわれている。

 写真の置物は、時代的には少し下がり昭和30年代、非常に可愛らしいエンゼルが横に付いた時計の置物、高さは5センチと小さいが、見た目では遥かに大きく見え、迫力のあるものに仕上がっている。
 その色使いもシンプルで、エンゼルの淡いピンクと、時計のブルーのコントラストが絶妙、可SANY4209.JPG愛らしさは又格別であるが、其れよりも瀬戸の技術の高さが光る置物でもある。
 この置物は、たぶんドールハウス用に製造されたものであるようで、置物としては少し小さいので、ドルーハウスの大きさに合わせて製造された物なのか。








 
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2017年11月07日

だるま

      手も足も

SANY4608.JPG 達磨は手も足も無いのが普通、ダルマとは馴染み深い真っ赤な着物に髭ずらの親父顔、選挙や入学祈願のとき等に買い込み、願いが叶ったら片目を入れる。
 これが普通のダルマであり、馴染み深いものでもあるが実際の達磨とは、その昔5世紀前半南インドの王国に第3子として誕生、釈迦から数えて28代となる人物。

 普通元年(520年)南インドより仏教の布教するため中国広州に上陸、時は南北朝時代であり、南朝の梁の国に入り、武帝と面会するが武帝より、「仏教とは何かと問われ」、達磨は「何も無であると答えた」と言う。
 武帝は達磨の答えに満足せず、尚も「我は仏教の為寺を幾つも建立したが徳はあるか」と問う、しかして達磨「何も御座らぬ」と答えたといわれ、達磨と武帝はお互いを理解することは無かった。

 その後達磨は嵩山少林寺に入り、岩に向って9年間座禅をしたと云われ、禅を極めて悟りを開き禅宗の開祖となるが、9年間の座禅により足が腐り無くなってしまったと言われる。SANY0182.JPG
 これはもちろん逸話であるが、9年間も岩の壁と向き合い悟りを開いたその姿を、後世の人が絵に描いた姿が達磨大師の図で、その姿を形にしたのがダルマさんである。
 日本には12世紀宋の時代に道元が禅の教えを持ち帰り、禅宗を民衆の間に深め、日本中に禅が流行するが、ダルマさんは江戸時代に成ってから、現在の高崎の少林寺で始めて造られたと言われているが定かでない。

 日本全国にもダルマさんの置物は存在しており、各地で其々の形が作られているが、生産量では高崎のダルマが1番多く製造されて、全国の選挙や入学祈願に使われているのが現実である。
 下の写真はそのダルマをブリキと陶器で造り、本来はダルマは不動とされているが、このダルマは貯金箱とゼンマイのもの、前にゆっくりとした動きで歩き出すのであり、常識をくつがえした動きをする。
 昭和30年代のブリキの玩具としては異例の物、達磨が歩くとは驚きであり、其れを逆手に取ったユーモラス一杯の楽しい玩具であり、中々手に入らない一品である。
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2017年11月01日

ブリキの笛

      私 の 宝 物  


 SANY4099.JPG誰でも子供の頃、何の変哲も無いガラクタを、自分の大事な宝物として、こっそりと引き出しの隅に隠して置いた事があるだろうと思う、今空けて見ればやっぱりガラクタだ。
 しかし、其のガラクタには子供の頃の楽しい思い出がギッシリと詰まり、其れを見るたびに、遠い子供の頃の記憶が蘇ってくるものであり、
懐かしく其の頃を思い出すのである。

 私も子供の頃はやたらと色々の物を集め、自分の引き出しの墨に入れていたが、母親がそれらを見つけ良く叱られたもので、「何で勉強に関係のないガラクタを引き出しに入れているのか」と。
 そして、「汚いものは廃るように」と怒られた事を記憶しているが、だからと言って其れを捨てたりはしなかったし、益々ガラクタの宝物は増えていった。

 私の子供の頃も、グリコのおまけは流行っていたし、私も大好きでおSANY4101.JPGまけ欲しさにキャラメルを幾つも買っては、母親に叱られていた。
 写真の右、小さい時計型の笛、之もグリコのおまけであり、自分で集めた記憶は無いが、しかし7、8年前に我が家を解体する際に自分の机を整理していて見つけたものである。

 左の大きなものはグリコのおまけではなく、輸出用に作られた(オキュバイド、ジャパン)の笛である。
 6時の位置に赤とブルーの色が見えるが、これは廃物を利用して作られた証で、物の無かった時代の証でもある。

 今気付いた事であるが、この時は別に時計の形をしていたから集めておいた物ではなく、単に笛として集めたはずであるが、時計を集める複線上に既にこの時から有ったのであろうか。
 この時から、古時計を集める縁があり、現在も其の縁にしたがって、行動をさせられているのではないのであろうかと思わざるを得ないのである。



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2017年10月29日

SPレコード

   不思議な音

SANY4352.JPG 最近SPレコードが見直されていると言うが、その魅力は何であろうと疑問視する人もいるようだ。
 いまSPレコードと言ってもピンと来ない人が多くて、レコードそのものも知らない人も多くなっている。
 今はCDになってしまい、もはや前世紀の遺物みたいになったSPレコード、しかし最近また人気とか。
 てっきり年配者の人が懐かしさでそれを求めていると思っている人、それが違う事であると分かるのだが。
 確かに年配者にとっては懐かしい音であり、郷愁に誘われるが、今求めているのは若い人たちであると言うのだ。
 IT全盛の時代にSPレコードとは、何故それも若者が求めるのか、そこには音に対する興味があるからだ。

 CDの音に慣れてしまっている人にすれば、SPレコSANY4360.JPGードの音は新鮮に聞こえると言い、新たな興味が湧くとも言うのだ。
 電子音に慣れている人にとって、SPレコードから聞こえる音は全く違ったものに聞こえ、その上雑音が一杯聞こえる。
 しかしその音が良いと彼らは言う、それは肉声に近い音だから、今のCDは電機で造られた音、しかしSPレコードは電機音でないもの、肉声に近い音だから。

 現代人はいま電機音に慣れてしまい、自然界の音を聞くことが少なくなっている事は事実、何処へ行っても電機音だ。
 それが当たり前となった現代の生活、若者はSPレコードの音がより新鮮に聞こえてもおかくしないと思う。
 むしろ彼らはその音が新しいもののように聞こえていると言う、我々とは少し違った感覚であることは確か。
SANY4355.JPG
 私が時々行っているコンサート、勿論蓄音機での演奏、最近若い人がコンサートに来るようになり、半分は若い人だ。

 これには年配者もビックリしているようだが、毎回増えている事は確か、SPレコードから聞こえてくる音に感心する事。
 何故こんなに良い音が出るのか、それも原始的な機械からと言う、何だかんだと言いながら、レコードより最後は蓄音機の構造の話になる。
 蓄音機の説明して欲しいと、そして何故こんな音が出るのが不思議だと言う、よく説明を聞いても
やっぱり不思議だと言うのだ。

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2017年10月25日

瀬戸の染付け

      海外で好評 

 SANY3301.JPG幕末から瀬戸の磁器は盛んになり、海外に向け輸出をされたが、特にパリ万博で染付けの技術が高く評価され、それに伴い注文が多く入る事になる。
 瀬戸の染付けは江戸時代よりの技術は定評があり、その繊細な筆使いから生み出される、模様は緻密でありダミと呼ばれるぼかしの技術、細部的になされる業。

 これらが一体となり、1つの集約された器が完成されるが、特に瀬戸のゴスと呼ばれるコバルトのがんりょう、その美しい発色が海外で人気を博したようである。
 瀬戸独特の生地、白くて透明度の高い下地に、コバルトのブルーが鮮やかに発色し、当時の東洋趣味も合間って貴族階級に、特に人気があった。

 飾り壷や更なとの他、コヒーカップも生産され輸SANY3305.JPG出、当時のコヒーカップは見本を見て造られはしたが、やはり日本的な形が多く、始めは湯飲みに持ち手をつけた様な形が多かった。
 その内にしだいと技術も向上すると供に、形も西洋物に劣らない器が製造されるようになり、益々その量は多くなり外貨獲得に大いに貢献したようである。

 それらの製造元の多くは、やがて森村組(後のノリタケ陶器)の誕生に係わり、その技術を遺憾なく発揮して、瀬戸の染付け技術や粘土の増産に大いに役立った。
 写真の器は幕末から明治にかけて造らせたコヒーカップ、美しい白地に鮮やかなコバルトブルーの模様が際立って目立つ、当時の輸出磁器の傑作である。
 少し小振りであるが、洗練された鳳凰の図柄、器いっぱいに描かれた見事な染付け模様は、見る人を引き付けるに充分な豪華さ、これだけの器が短期間に造られるようになったのも、当時の職人の努力の賜物であると思われる。


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2017年10月22日

小さな玩具

      小 型 の お も ち ゃ

 SANY0554.JPGブリキの玩具、好きで次から次えと買い込むうちに、一杯となり何処に置いて良いやら置くところが無くなり、遂には山積みをして傷をつけて失敗したりと、数が多くなると弊害も現れてくる。
 安すくて程度の良い物を見つけると、買わずに入られないもので、こんなに安くて良い品を他の人に買われては勿体なく、折角見つけたのだから早く買わなければと、もう一人の私が囁きかける。

 この囁きにツイツイ負けて買い込んでしまうが、家に持ち帰って「さて何処に置くのやら」と、その時にやっと「又買い込んでしまった」ときずく始末、何時までたっても成長しない。
 こんな事が度重なって、終いには置く所よりも買うからいけないと自己批判の毎日、部屋を見渡せば自分の座る所さえない始末に、やっSANY4261.JPGと気が付き又反省。

 しかし、反省はすれど買うのを止めるわけではなく、今後は大きい物はダメだと気が付くだけ、之ではちっとも反省していないと同じなのであるが、其れは兎も角反省には違いない。
 その結論は大きい物はダメ、小さな物であれば場所は取らない筈と、マタマタ勝手に判断して買うことを止めようとしない人、他の人から見れば、「こりゃダメだ」と思われるかもしれない。

 懲りもせず、今度は小さな物を探し始める始末、そして既にどんな物であれば買い込んでも支障がないのではと勝手な理論、落ち着くところが写真のブリキの玩具。
 7センチにもならない小さな物、小さいものは4センチこれ位いの小さな物であれば、今までのもの1つで10台は入るはず、大きな物を少し少なくすれば2、30台は置けるはずと勝手な理屈。
 そんな事で、現在も懲りずにせっせと探しては、安い物を買い集め、少しでも空いてるスペースにこっそりと置いて、まだあの隙間に入るはず、どんなものが入るか想像する始末、やっぱりダメだ。
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2017年10月17日

ブリキと共同

           セルロイドとブリキ   


SANY3682.JPG ブリキの玩具は、全部がブリキだけで出来ている物もあればそうでない物もあり、其れは時代とも密接に関係していて、時代の変遷も分かる様でもある。

 ブリキの玩具の種類により、文体がブリキだけで製造されているものは、動くものは少ない様に思う、何故ならば動くものは車輪がついているため、自動車やオートバイなどはゴムの車輪が付くからである。

 古いものはブリキで出来た車輪もあるが、その後はゴムの車輪が主流になり、殆どの車はゴムでタイヤを製造され、ブリキの車輪は姿を消す事になる。  

 車輪だけでなく、付属する物にブリキ以外のものが使用され始め、例えば人物であるが顔や手足は、セルロイドで作られたものが付けられる様になり、急速に付属品のセルロイド化が進む。 
SANY0617.JPG
 特にセルロイドで出来た人形は、手足や顔などはゴムで連結して、自由に動かせるように工夫し、リアルな動きを出す事により、今まで動かなかった人物も、動くようにした。
 この動きによりブリキの玩具が飛躍的に売り上げを伸ばし、海外に輸出をされるようになり、益々セルロイドとの合体したブリキの玩具が発達してゆく。

 写真の玩具も、その様なセルロイドとの合体した商品、この玩具の特徴は人物の手や顔、そして足が車輪と共通の回転をするために、人気が爆発的になった代物。
 いかにも子供が三輪車を足で回しているかのような、そんな構造をしており、少しの工夫で最大限の動きを生み出すことに成功した例でもある。
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2017年10月13日

西洋ランプ

      灯りは明るければよい


SANY3670.JPG 我々の生活は、明治に入ってからガラリとその生活様式が変わったが、文明開化の恩恵を少なくとも受け、西洋に対する憧れは益々募っていった。
 江戸時代には、庶民は菜種油で火を灯しての生活をしてきたが、明治に入りランプが西洋より輸入され、その明るさに皆驚きと同時に憧れへと変わってゆく。

 それはより明るく自分の部屋を灯したいと言う欲求、蝋燭や灯明の明かりより遥かは明るいランプ、その明るさを求めて日本人は次第にエスカレートして行く事になる。
 明るさの追求は、しいては近代化の推進であり、近代国家への原動力となって行き、発電所の開発に邁進する事になり、電力の明かりへと移行をしてゆく。

 明治以来の流れの中、現在の日本の照明は必要SANY3681.JPG以上に明るく、商用施設などは、より明るくするために電灯を増やし、結果として必要以上の明かりを灯している。
 その灯りは蛍光灯による明かり、外国人が日本の家庭は、何故工場と一緒の明かりをつけるのか不思議であると、素朴な疑問を抱いている。

 しかし、我々は其れが当たり前であり、何の疑問も持たないで今まで来たが、この震災でやっと疑問に気が付いたようであるが、果たしてそうであろうか。
 以前に、イギリスの友人に同じ事を言われた事を思い出す、彼曰く「お前の家でも工場みたいな蛍光灯を使用しているのか」と云われ、「もちろん使用している」と答えたが、彼は「何故そんなに明るくするのか理解できない」と不思議がった。
SANY3676.JPG
 彼等は、「必要な場所に」、「必要な明かりを付ければよく」、部屋全体に明かりを灯さなくても良いと、何故日本人は無駄な事をしているのかと、やはり理解できないらしい。
 私がランプを求めるのも、逆に不思議に思えるらしく、何故ならば、こんなランプは明るくないから、明るいのを好む日本人が何故買うのかと、マタマタ質問。

 彼は痛烈に、我々日本人が無駄な電力を使っている事を、批判しての発言である事を知ったのは、それから後の事、イギリス人独特の言い回しだ。
 しかし、云われて見ればそのとうり、無駄に電力を使って必要以上の明るさにしている現代の生活、ここらで少し考えを買えないといけないのではないだろうか。





 
















 
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2017年10月08日

花生け

      ロマンがある

 SANY3490.JPG 明治初期から時計に関する色々な物が製造され、当時の流行を素早く取り入れて、庶民に販売を仕掛けるのは、何時の時代でも承認である。
 只、明治初期は従来の流行とは少し違っていたのは、西洋から入ってきた近代機械や乗り物、洋服等今までに無い物ばかりであり、直ぐに飛びつく訳には行かなかった。

 製造する方も、西洋物は始めて見る物であり、其の物自体を把握していたわけでなく、見よう見真似で製造しなくてはならず、悪戦苦闘を強いられた事は推測される。
 現在その当時に製造された物を見るに、現物とはかけ離れている物も多く存在し、当時の状況を知らないと、何故こんな物を製造したのかと理解に苦しむ。

 其の1つが時計でもあり、初期段階では製造者するSANY3500.JPG目で見る機会も少なかったようで、話を聞いて想像して製造したのではないのかと思われる製品もあり、現物との違いも大きな開きのある物も製造されたようだ。

 それにもう1つは、初期段階で製造されたものは、現物に忠実に再現された物と、想像で製造された物との比較において、大差が出来ている事も現実である。
 江戸時代からの流れの中で、適当に現物が創造されれば良いとの認識の甘さで、製造された商品はやはり庶民から敬遠されたのは云うまでも無く、忠実に再現された物ほど売れ行きが良かったようである。

 写真の花生けは、尾張瀬戸で明治初期に製造された磁器の花生け、陶器でなく磁器で製造したのも、最先端の時計を磁器で再現し、時代の新しい流を作る意欲が感じられる物になっている。SANY3496.JPG

 この花生けは、実にシンプルであり、生地がよく白さが引き立つ出来、縁取りに鉄柚を使いアクセントを出した傑作の1つといっても良い代物である。
 初期の物は現物に忠実に作られている事が、この花池を見れば実感として伝わって来、当時の職人の心意気まで見えてくるような製品に仕上がっている。
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2017年10月07日

和製ステンドガラス 

    合うものは少ない

斜め.jpg ステンドガラスの西洋物は中々日本の家屋にあうものがなく、探すのに苦労する。
 西洋物のステンドガラス、最近は数も多くてサイズも多い、しかし日本の家屋に合う物は中々無く、その物単体を見ている分には、気に入っても自分の家に合うのかと思うと、考えさせられるものも多い。

 その物を気に入っても家との調和が取れなく、ステンドガラスとしては素晴らしく気に入っても、サイズもやはり関係して、何処に設置するのか考え込んでしまうものも多いのでは。

 西洋物のステンドガラスといっても、イギリス、フランス、イタリア、アメリカなど色々な国のものがあり、現在はイギリス物が多いのか、アメリカ製のステンドも最近は多いみたい。
 イギリス製のステンドは日本に入ってくる物は、ドアー付きの物やガラス戸的感じの物が多く、使い勝手はイギリス物の方が良いのか、フランス製のものは、絵画的なステンドガラスが多いのかも知れない。
鳥.jpg
 もちろん日本製のステンドガラスも存在しているが、西洋物に比べれば遥かに少なく、その反面最近では日本のステンドガラスに人気が集中し、値段も高くなっている様で手に入れるのが難しくなっている。
 日本製のステンドガラスの種類は二つに分かれ、絵画的に作られた物と、色ガラスの単純な組み合わせの物と二    種類が存在しているが、絵画的な物は少なく、値段もそれは非常に高い。
                                                                                             日本製のステンドガラスは欲しいが、気に入ったものとなると値段が、幾ら気に入っても値段が高くては二の足を踏む。
 サイズもぴったりと合うのに値段が、雰囲気も図柄も良い、我が家に是非とも欲しいと思うが、やっぱり値段が。

 有名なステンドガラス作家のものは、数が少なく値段も高いが、市場に出て来るのも少ないから、手に入れるのもかなり厳しく情報を早く手にすることである。
 色ガラスの組み合わせ物は、絵画物よりは数は多く有るから、ジックリと待てば、良いものも手に入れることが出来る可能性は高く、自分の好きな色柄を選べば良い。

 

 
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2017年09月29日

招き猫7

      瀬戸と常滑


 DSCN1699.JPG招き猫の歴史は古く、以前名も説明をしたが江戸時代に遡り、その起源は中国の故事に成るが、日本ではそんなに古くなく江戸に入ってからの事。
 各地で盛んに作られるようになり、発祥の元祖争いがあちらこちらであり、自分のところが発祥と譲らず、元祖争いをしているようで嘆かわしい限りだ。

 招き猫にされた猫の方が迷惑しているかも、それはさておき瀬戸と常滑は今でも招き猫の産地として競い合っているが、瀬戸と常滑とは材質も形も違っている。
 一般の人から見るとドチラがドチラか全く区別が付かないようであるが、1番分かりやすいのは叩いてみる事、瀬戸の招き猫は磁器で製造されているから、硬くて叩けば高い金属的な音がする。

 一方の常滑の招き猫は、陶器で出来ている為に叩けば鈍い低い音がするので、瀬戸との区別が簡単に分かるはず、しかし音だけでは区別が付かない人も居るであろう。
 瀬戸で製造されている招き猫は、磁器で製造されているから硬くて丈夫、何よSANY0188.JPGりも光沢があり豪華美しい出来である。

 一方の常滑の招き猫は燃焼温度が低く、強度の面で磁器には及ばず光沢も無いが、安価なのが受けて販売は好調、招き猫の顔を見ても、現代的な猫の顔をしているし、可愛らしく仕上がっている。

 瀬戸の招き猫は伝統的な仕上がり、顔はより現実の猫に近く厳しい顔をし、やはり縁起物らしくキリリとした姿をしている事と、シンプルな伝統を重んじた物。
 
 そしてもう1つの違いは、常滑の猫は小判を抱いているが、瀬戸の招き猫は何も持っていなく
て落ち着きのある猫。

 派手で「現代的な招き猫」か、シンプルな「伝統的な招き猫」かは其々の特徴であり、好みも問題であるに違いない。 
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2017年09月28日

瀬戸の磁器

      森村組への参画 


 SANY3421.JPG明治初期、瀬戸の磁器は高度の技術を誇っていたが、西洋の洋食器を作るのは大変な苦労を要してのである。
 日本食器と違い、西洋食器の図柄もまた未知数でも有ったようで、色々な図案が試みられたが、完成するまでに至っていなかった。

 当初の森村組の製品は、試行錯誤の段階で、形や形式図柄にしても日本的な感覚と違い、西洋の雰囲気に会うようなものを試作。
 初期の製品を見るに、コバルトの強い発色をした物であり、図柄も日本的な図柄をして、垢抜けた物ではなかったようである。

 例えば初期のものは、日本の食器に手をつけたようなコーヒーカップ、湯飲みを少し崩しただけのコーヒーカップ、SANY3415.JPG
 試行錯誤の様子が良く分かる製品が残されているが、日本人が懸命に西洋食器を作り出そうとする意気込みが感じられる。

 写真は初期のデミタスコーヒー用のカップであるが、何処と無く湯飲みに手を付けただけの様な物に成っている。
 ソーサーも、そりの角度がぎこちなく全体には硬い感覚の物に出来上がっている。

 只現地では異国情緒が出ていて、当時の人達からは好まれたようだ。
 勿論マイセンやフランス物には及ばず、後発の参入となるも珍しさが先行したようだ。
 その後、見違えるように技術が進み、輸出陶器の花形となってゆくことになる。
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2017年09月23日

招き猫の形

      手の形で変わる


SANY2283.JPG 招き猫は色々な形が製造されているが、一番の大きな違いは「右手を挙げている」か、「左手を挙げている」かであり、その上げ方でいわれが違っている事。
 古い招き猫は、右手か左手を挙げているが、新しい物になると両手を挙げている物や、バイバイをしている物、あぐらをかいている物、様々なポーズが製造されている。

 時代の変化による物であるが、やっぱり招き猫は縁起物、スタンダードな形のものが1番良いのでは、生産地の意向もあり様々な物があるが、目まぐるしく変わる現在の需要なのかも知れない。
 その需要、目まぐるしく変わり新たな商品が次々と作り出されているのが現状で、例えば昔は考えられなかった色も沢山製造されている。

 従来の招き猫は三毛猫が定番、もっと古いものは赤色と黒色、それが招き猫であったが、昭和に入り色々SANY2289.JPGと変化してきた。
 それと風水が流行り出して、招き猫もその流行に敏感に反応して、様々な色が出現する事に、昔は考えられなかった色が。

 赤、白、黄色、緑、青、金、銀、ピンク、そして極めつけは七色の招き猫まで出現、見た目にカラフルで現代的であるが、縁起物の招き猫とはやっぱり少し違うようである。
 新しいものが良いか悪いかは別の機会に論議するとして、招き猫の手は右を挙げていればお金を招き、左手を挙げていれば人を招くと古来から言われている。

 どちらにしても商売人は、人が店に来てくれなければ商売にならない事は当たり前、人が集まって来てくれれば、当然お金も集まるのは必定。
 人、金、どちらを優先するかは人其々、金の世の中だからやっぱり、右手を挙げている招き猫が持てはやされるのか、どちらがこれまた多いのか私は知らない。DSCN0136.JPG

 古い招き猫は右左関係なく耳よりしたの位置で手を招いているが、新しいものは耳より高く手を挙げている様で、遠くの人やお金を招く仕草であると言われる。
 人間はやっぱり欲張りな生き物、近くよりも遠くの人が沢山来てくれるようにと、願っているのも又人情かもしれないが、ソコソコの所で納めて欲しいもの。

 写真の招き猫は、瀬戸で製造された物、時代は少し新しいようで左手を耳より高く上げて、遠くの人を招いているようであり、どっしりとした風格は、いかにも縁起物の招き猫のようだ。
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2017年09月21日

七宝

      た か ら も の


 SANY1594.JPG七宝は古からあり、古代ペルシャの時代には既にあったようて゛、古墳からも出土したおり、その歴史は古いもの、日本にはシルクロードを経て中国から日本に伝わった。
 5、6世紀の古墳からも出土、奈良正倉院御物の中にも七宝焼きは存在しているが、その後途絶えてしまい幕末に、江戸幕府の命により、尾張潘、海東郡の尾張藩士、「梶常吉」に七宝焼きを再現するよう命が下る。

 江戸幕府はオランダよりもたらされた、美しい皿の再現を梶家の次男常吉に、七宝皿の再現を命じ、七宝を再現させ幕府に献上するよう、常吉は苦心惨憺の末見事に七宝焼きを完成させる。

 七宝とは、法華経に「金、銀、瑠璃、瑪瑙などの宝」をさす、之に値する美しさであるとの喩えから、SANY3362.JPG「七宝焼き」となずけられたといわれており、以来七宝村にて製造されてきた。

 七宝焼きには、有線、無線の技法があり七宝村で焼かれていた物は有線七宝、この焼き物は金属の壷などに、細い真鍮などで図柄をかたどり、それにガラスの釉薬を施して、窯に入れ燃焼させて作る物。
 細かい図柄の線を根気良くおいて行く作業は大変で、この作業を怠ると直ぐに作品にひびき、上質な物が出来ず職人の腕のみせどころでもある。

 写真の七宝の壷、時代的にはそんなに古くは無いが、有線七宝の細かい図柄、ちょうど今の季節にぴったりの物、梅に鶯の図柄で有線七宝、雲をかたどった細かい図柄と、咲き誇る梅が巧みに配置されている。
SANY1776.JPG
 写真下はフランス七宝、通称泥七宝と呼ばれる透明感の無い釉薬、1800年代の泥七宝、多く製造されたが、その後透明感のある釉薬が開発され、艶やかな模様と共に、七宝の持つ輝きのある物が製造される。
 現代においては、この輝きのある七宝が主体であり、泥七宝は景を潜める格好となり、現在は余り作られていない物となってしまったようである。
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