2018年02月22日

照明

      改めて見直して

 SANY5721.JPG今まで全く気付く事のなかった蛍光灯、自然に其処にあり明るくて電気代が安い、そんな蛍光灯を無機質な明かりとは思ってもいなかったが、イギリスの友人に言われた言葉が、やけに気になり出した。
 「日本人は、何故無機質な蛍光灯を家庭の中まで持ち込むのか」と、そして「工場で使用しているものを何故家庭で使うのか」と、指摘された事。
 思いもよらない言葉、蚤の市でアンティクランプを探し求め、気に入った物を買い込んだときに、「このランプ何処で使うのか」と、この言葉もやけに気になった。
 云われて見れば、日本の家庭で蛍光灯が使われだしたのは、昭和30年代後半の事、そのときは工場で使っているものと同じ真っ直ぐな蛍光灯、彼らの言う工場で使われているのと同じ物であった。

 工場は当然作業をしなくては成らず、手元が暗くては仕事にならないので、当然明るい事を求められ、部屋全体を照らすように設計されている。
 それをなぜ日本は家庭に持ち込むのかとの疑問、家庭の中まで直接照明をする必要が有るのかと、彼等は間接照明こそが温かみのある照明ではないのかと言うのだ。SANY5728.JPG
 素朴な質問でもあるが、耳の痛い話でもあり、考えざるを得ない様になったが、それ以来自分の家の照明が気になり出し、必要以上に明るくないランプに切り替えだした。

 壁にランプを取り付けて、中央のランプの明るさを、今までよりも小さな物にし、間接照明を取り入れて、部分的に切り替えられるように改造したのである。
 以前の照明と比べれば部屋全体は明るくはないが、決して暗くもないのだ。
 人間の慣れとは恐ろしいもので、明るすぎに気が付かなく、それが当たり前のように思っていた生活、少しは暗いかも知れないが。
 もう1つは、LEDの白色の光を発する電球をやめ、温かみのある黄色のLEDに取り替え、今までより明るくないが暖かさのある光になって、昔のような雰囲気になったの良いと思う。
 省エネの現代、必要以上に余りにも明るいものは避けて、しかも実用的な照明に替える事が進んでいる事は喜ばしてのではないか。


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2018年02月20日

葉煙草

      昔は民間で

SANY5704.JPG 煙草、昔から人々に吸われていたもので、古くは紀元前から喫煙の記録はあり、色々な形で吸われていたと思われ、現在のような紙タバコに成るのは近代になってからである。
 そもそも煙草は、ニコチンのかたまりみたいなものであり、中毒症状を起こす刺激な存在、多くの人々に吸われていたが、もう1つは宗教的な儀式にも使われていた。
 神に伝える神聖なものとして煙草は吸われていた時もあり、現在のような嗜好的なものではなく、神聖な儀式用で使われた時代は、一般人は吸うことを禁じられていた時もあった。
 日本では古代には既に吸われていたらしく、これも儀式用であったと言われているが、どう言う形式で行われていたのか不明、庶民に盛に吸われるようになるのは、江戸時代に入ってからの様、それは葉巻たばこではなく、刻み煙草であった。

 芝居等で長い大きなキセルと言われる道具で、刻み煙草を丸めキセルの先にある受け口に入れ、口元から吸う仕組みに成っていた物、現在のパイプに近いものである。
 この煙草、明治に入ったからも盛に吸われていたが、明治9年1月(18SANY5709.JPG77年)に時の政府は葉煙草に税金をかせる法律を執行、この時から庶民は国に税金を払って煙草を吸わなければ成らなくなる。
 しかし、当時はまだ専売制ではなく、民間の企業が葉煙草の販売を盛んに行っており、色々な所からは煙草が市場に販売されていたし、海外にも盛に輸出されていたのである。
 そのあと日清戦争後、国は葉煙草の販売が盛んなのに目を付け、明治31年には専売制度が作られて、民間は自由に煙草の販売が出来なくなり、そして明治37年には専売局が発足する。
 写真のラベルは、明治初期まだ民間が葉煙草を販売していた当時のラベル、鮮やかなデザインと各社独自の製法で、葉煙草の販売をしていた当時の物である。
 明治の赤と言われる彩色を施されたデザイン、今見ても非常にインパクトのあるデザイン、この様な鮮やかなものが盛に海外に輸出されていたようである。
 縦23センチ、横17センチの大きなラベル、葉煙草の包装紙の上に張られていたラベルで、各社其々の趣向を凝らしていた。
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2018年02月18日

これは何なのか

      何の部品なのか

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 私の古い友人が実家の蔵にあった物だと言って小さな箱を差し出し、「これは何の部品なのか」と、仕方なく小さな箱を開けると紙に包まれたものが中に入っていた。
 彼の実家は甲府の古い民家、私も何度か訪ねたことがあるが、築200年以上は経っているもの、蔵も2つあり、その中の1つに時計があったので貰い受けた。
 この家、地元でも評判の名士、彼の親父は議員さんであったらしく、地元で有名人だそうたが、彼は一番下の末っ子、私とうまが合い、若い時から悪友達。
 昔は地元の大庄屋を勤めた家柄らしいが、そんな事はお構いなし、この男は悪がき、学生時代は遊びほうけて就職もしなくて自由業をやっていた男。

 その後、喫茶店を開き繁盛して、ソコソコの店となったが、そこで満足している男、そんな彼の店には私の時計を常時展示、店の宣伝に役立っている。
 彼が実家に帰ったとき蔵の中に置いてあった箱を見つけ、中を見たらこれが入っていたらしく、何の部品か分からないから見SANY9448.JPGて欲しいと持参した。
 箱を開けると紙に包まれた金属製のものがあり、触って直ぐに豆ランプの部品と分かり彼に伝えるが、まだピンとこない様子なので、私の家にある豆ランプを取り出す。
 そして彼が持って来たものを取り出して比べて見せ、同じものであることを確認させると、何でこんなに多くあったのか不思議だと言うのだ。

 確かに彼の言う通り、新品の金具が24個も入っているのだから、彼ならずとも不思議に思うのも無理はないが、逆に言えば彼の家は大きくて豆ランプも沢山あったのではないかと思う。
 普通の家では豆ランプは1つか2つくらいだと思うが、実際には風呂場とかトイレで使ったようで、常時置いてなくて移動して使った物だと言う。
 つまり大きなランプを持って歩くのは不便、持ち運びに便利な豆ランプが利用された、しかし一般家庭では多くの豆ランプはもてなかった。
 SANY9458.JPG多くのランプを持てた事は金持ちを意味していること、ましてや豆ランプを多く使用している事は金持ちの証し、彼の家は大金持ちであったのだ。
 本人はランプの生活等したこともないし、昔の話で知る由もないから、持って来た部品はランプのものだとも知らないのは当たり前のこと。

 豆ランプの部品は、この3本爪のものと2本爪のものとがあり、彼が持って来たものは未使用の3本爪の部品、何時壊れても良いようにストックしてあったものだと思う。
 このように大量の部品をストックできるとは、やっぱり金持ちの家であった事の証し、しかし彼はそれを知らないのだが、持っていたのも知らない。
 使った事の無いものは分からないし、ましてや古いものは分からないのが当然の事、それを知りたいと思うのはまだ良いが、捨ててしまう人も居るから残念なことだ。
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2018年02月14日

意外な図柄

    美人画の大家

 SANY3606.JPG伊東深水、日本画の大家、美人画を描かせたら右に出る者はないとまで言われた画家、特に和服姿の美人画は人気。
 戦後の日本画を代表する画家であり、昭和を彩った大家としても有名、しっとりとした美人を描いた。
 そんな深水が、堀田時計の依頼で版画を制作していて、その版画も古時計愛好家から絶大な支持を得ていることは事実。
 勿論古時計を題材に独特の美人を描いた作品、堀田版として愛好家に人気なものだが、数も多い。
 特に昭和30年代の堀田版ものは良い図柄の物があり、それを求めて古時計愛好家があちこちと探しているのだ。
 やっぱり和時計を題材とした美人画は特に人気で、市場に出れば引っ張りだこの争奪戦、値段も高くなってしまった。
 以前私もその和時計を題材とした堀田版ものを手に入れようと、探し回ったがそれでも高くて中々手が出せなかったものだ。

 この深水の堀田版は古時計愛好家なら一つや二つは持っていると思うが、中にはこのシリーズを全部集めている人も居る。
 熱狂的な深水ファン、本物の深水の絵は高くてとても手がSANY3537.JPG出せないが、この堀田版であれば手に入れられる。
 そんな堀田版の中でもなかなか手に入らないのが、フランス人形を描いたもの、深水がフランス人形を描くとは。
 日本美人が得意な深水、まさかフランス人形を描いているとは意外であったが見てみると、深水らしい描き方だと思う。
 確かにフランス人形に違いはないが、顔だちとか目に日本画の雰囲気が漂っているのだと思う。
 そして、もう一つが娘の朝丘雪路をモデルとしたと言われる現代的な美人、深水がこんな絵を描くのかと思う。
 確かに現代的な顔立ちと色使い、白と赤とのコントラス、確かに現代的であるが、ヤッパリ日本画の大家。
 現代的であっても、そこは日本画家であり、随所に日本画の色使いが出ているのだと思わざるを得ない作品。





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2018年01月28日

珍品陶製の梵鐘

      代用品の傑作
SANY1506.JPG
 愛知県瀬戸市と言えば千年の昔から陶器の生産地、日本六古窯の1つで、一番は古くから釉薬を掛けた陶器を製造していた土地、加藤藤四郎を陶祖として栄えてきた。
 瀬戸で作れない物は無いといわれた土地、昔から職人たちは陶器の製造には研究熱心で、色々な物に挑戦をしていることは、あちらこちらで発掘されたものから分かる。
 当時の職人魂を見る思い、発掘された物の中には現在何に使用したのか分からない物も多く、当時の職人が如何に色々な物に挑戦していた証である事が分かる。

 そんな瀬戸市内に、陶製の梵鐘があるが余り知られていないが、戦争の副産物として造らせたせいであろうか、世界広しと言えども陶製の梵鐘があるのは瀬戸しかSANY1507.JPG無い。
 この梵鐘、瀬戸市内中央部にある法雲寺、創建は明治と新しいお寺であり、其のお寺の境内に現在は鐘楼下に置いてあるが、見学は何時でも出来る。
 実際に見学すると大きな物で、鐘を吊り下げる金具の高さまで150センチ位の梵鐘、所々に欠けたところがあるから、之が銅製の金属で出来た物ではない事は、誰が見ても直ぐに察しはつく。

 しかし、この梵鐘を目の当りにすると迫力があり、こんな大きな物を陶器で製造しようとした、当時の職人たちの心の動きが分かる気がして、何だか胸が詰まる思い。
 戦争中に金属を供出され、お寺の梵鐘まで無くなって、檀家たちだけでなく人々は鐘楼から消えた梵鐘に思いを馳せ、陶器で製造することを思い立ったのであろう。
 梵鐘の無い鐘楼は魂が無いとSANY1509.JPG同じもの、其の魂を陶器で造りだろうとした当時の職人たちの心意気と、戦争に対する抵抗感が受け取れるような気がしてならない。
 こんな物まで造り出した瀬戸の職人たちの底力を見た思い、伝統に培われた技術はどんな時にも、其の力を発揮するものでもあると、改めて思いを新たにすることが出来た。
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2018年01月24日

幻のオリンピック

      照らす灯り

SANY5177.JPG 東京オリンピック、2020年に東京で開催されることが決定しているが、昭和のはじめアジアで最初のオリンピックが東京で開催されることが決定。
 1936年、IOCの総会で次回のオリンピックをアジア初の東京で開催する事が決定、しかしこの時日本は中国との戦争に突入する前夜でもあった。
 軍部の中国進出の働きが強くなり、支那事変へと発展してゆく事になり、戦争に突入してしまい、国際的にも孤立を高めて行くことと、結果はオリンピック辞退へとなる。
 アジアではじめてオリンピックを開催するという事に全力を傾けてきた日本IOCも、結局は軍部の力の前には、なすすべもなく打ち砕けてしまった。

 当時、国民の間にも初SANY8721.JPGめて日本で開催されるオリンピックを歓迎し、その機運も上々であった事は確か、巷ではオリンピックムードが盛り上がろうとしていた。
 それを先取りして、国内ではお祝いムードが持ち上がって来たとき、軍部による圧力が国民を押さえつける事に、オリンピックを開く予算があるのならば、戦時下戦争の軍需品に回すのが当たり前と圧力をかけたのだ。
 日本は昭和15年、紀元2600年祭を控えており、これをも擁す事が最大の課題、その一環として東京でオリンピックを開催する事、しかし戦況は着実に悪化していた。
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 国際社会からも圧力が強くなり、軍部の責めつけも激しくなる事で、結局東京でのオリンピックは辞退せざろう得ない状況に陥る。

 しかし民間はオリンピック目当ての商材を数多く計画、オリンピック景気にあやかろうと、あれこれと商品開発を推し進めていた。
 今回紹介するランプもその1つ、オリンピック記念として売り出すために計画されたもので、聖火ランナーをモチィーフにした電気スタンドを製造する事になる。
 合金による鋳造だが、余り良い合金ではなく、物資が段々と厳しくなる予兆みたいな造り、全体に薄く仕上げられ、今一迫力に欠けるものである。
 やはり当時の世相をSANY8738.JPG現していることは間違いなく、オリンピックの記念商品として発売するつもりで製造しているが、日本のおかれている立場を表しているかのようだ。

 聖火ランナーの頭の上には日本の国旗とオリンピアの文字が見え、その下には1940年の年号が刻まれており、東京オリンピック記念だと分かるのだ。
 見た目には重量感がある様に思えるが、実際に手にとって持ち上げて見ると、その軽さに驚くのであり、戦時下であった事を改めて感じる。
 結果、この商品は販売されることはなく、お蔵入りとなったのであろうと思うが、どけだけ製造されたものなのか、そして損失は大きかったろうと想像が付く。
 幻のオリンピックとなった1940年(昭和15年)の東京大会、この外にも数々の商品が製造されたが、当時日の目を見ることはなく、今日その名残を伝える証しとして存在している。

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2018年01月13日

懐かしの玩具

    幾つになっても

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 幾つになっても昔遊んだ玩具は忘れがたいもの、そんな玩具を手に取ると、すぐに昔のあの時に帰る。
 誰しもそんな思い出の玩具があると思うが、それが何であれ楽しいもの、歳取るごとに懐かしく思う。
 私はソフトビニールの玩具には拘りがないが、見る事は好きであり、楽しくもあるのだ。
 特にペコちゃんの人形は想いれも、不二家の店先でちょこんと立っていたのを思い出すからだ。
 勿論ソフビニは後の事であるが、頭の中にはペコちゃんの姿が刻まれているのだと思う。

 もう一つはのらくろの玩具、これも私にはあまり思い出もなく、SANY0462.JPGそんなに拘りもないのだが。
 ただ人気である事には変わりなく、それを手に入れていたのだと思うが、何時、何処で手に入れたのかも記憶にない。
 関心がないと言う事はそんなもので、手に入れた経緯も覚えがないと言う事は、おまけで貰った物かも知れない。
 だから記憶に無いとも言えるが、のらくろ事態に思いもないから、やはり何処かで貰ったか。
 しかしブリキの玩具は少し違うもので、遊んだ記憶もあれば手に入れた経緯もハッキリとしている。

 ブリキの玩具は好きだから、新しくても、古くても手に取ってみてしまうもの、だから覚えてもいるのだ。
 特に飛行機ものは好きで、いくつか手に入れているが、大きなものは場所を取るから小さな物にしているSANY9486.JPG
 其れでも数が多くなると場所に困ることに、だから天井につすることになるが、やはり大きなものは出来ない。
 ソコソコのもので吊るすのだが、それを見た人は不思議そうに眺めているので、ツイツイ言い訳をしてしまうのだ。
 場所がないから天上から吊るす事にしたと、やはり言い訳が先に立ち、恥ずかしさもついでに出て来る。







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2018年01月12日

お洒落

      鎖で分かる

SANY5548.JPG 男のお洒落とは何時の時代にも話題となるが、その時代時代によって当然流行があり、その流行るものによっても様々な物になる。
 何が流行るかはその時代の仕掛人に聞かなくては分からないが、其れを受け止める人もまた好みが色々あり、複雑に入り組んむものでもある。
 今の時代のように画一されたものが出回るのではなく、個人個人が流行りにあったものを独自に作り出す時代でもあったようで、出来上がったものも多種多用。
 そんな男のお洒落の1つに懐中時計があり、当時懐中時計は非常に高価なもの、一般人には高嶺の花であり、金持ち階級のステータスシンボルでもあった。
 懐中時計を持ち歩くにも当時は大変苦労をしたもの、当初の懐中時計は時計自体が大きくて重い、そんな時計を懐に入れても重くて堪らない。

 それでも男たちは懐中時計を持ち歩いたもの、お洒落も一苦労と言うよりも重労働でもあったようだが、その懐中時計も次第に小さくなり、ポケットにも納まるようになる。
 SANY3389.JPGSANY3390.JPGポケットに納まるようになると、時計は見えずその時計を吊るす鎖が出来ありが、ポケットからはみ出して見えるようなお洒落なものとなる。
 時計本体もさることながら、時計を吊るす鎖が今度は注目されるようになり、独自の発達を遂げる事に、其処に又男のプライドと好みが現れる。
 見た目には派手ではないが素材や鎖の細かな細工が発達、シンプルなものから派手で人目を引くものなど、時計よりも鎖に凝る者も現れてくる。
 写真の鎖もその1つ、普通よりも鎖状のものは太く、細工も派手で見るからに派手好み、ポケットからこのような鎖をチャラ付かせていた男は誰であろうか。
 この鎖のように一本づつ独自で職人に作られたもの、自分好みのデザインをして、男のお洒落を楽しんだであろう姿が見えるようである。
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2018年01月09日

志野と織部

    時代の流れ

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 志野焼と織部は焼き物の代名詞、桃山時代の焼き物として登場、人気を博した焼き物、特に志野焼は桃山茶陶の代表格。
 有名な卯の花垣にみる茶陶の代表、多くの茶人を虜にした茶陶の最高峰ともいえる焼き物、私も好きで何度となく見に行った。
 何度見ても惚れ惚れとする焼き物、形といい、色といい、どれをとっても申し分のない焼き物、そんな志野焼。

 実は短い間に出現し、瞬く間に姿を消してしまった焼き物で、今では桃山茶陶の数少ない焼き物として引っ張りだこである。
 真っ白な釉薬と透けて見える鉄釉の図柄、何とも言えない雰囲気を持った焼き物、多くの茶人を虜にしたのだ。
 あっという間に姿を消した志野焼、その焼き物に魅了され幾多の陶芸家が再現を試みるも、桃山陶器の再現は出来ず、断念をしている。

 有名な加藤唐九郎と荒川豊蔵、両者ともこの再現に挑んだが、結果は難しくて再現できず、如何に大変であったかを裏付けている。
 もう一つが織部焼、古田織部が考案した焼き物とされているが、このSANY0349.JPG織部焼の出現に志野焼は姿を消したと言われる。
 短い間に人の好みが変化して、志野焼は織部焼にその座を追われ、造られなくなってしまい、姿を消したともいわれる。
 一方織部焼は茶人の持て囃され、引っ張りだこの状態、その姿は独特であり、今までになかった自由なものだ。
 特に描かれた模様は千差万別ね自由な発想で描かれ、幾何学模様あり、抽象画あり、ゆがんだ形ありと、これまた自由な焼き物だ。
 志野と織部、時代の変化で人の好みが激変、これほどまでに対照的な焼き物もないほど、志野の落ち着いたものに対して、織部焼の自由奔放。
 両者の個性は対照的、何方が好きかはその人次第、何方とも言えない位に焼き物の代表格、しかし両者とも現代も人気を二分している焼き物作家。


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2017年12月29日

竹針

      エジソンも竹で成功。

あぽろ.jpg 発明王、エジソンは各種の発明をした人物であるが、科学者と言うよりも実業家と言った方がしっくりと来る。
 同時代の発明家グラハム、ベルと比べると其の差が歴然と分かると思うが、例えばエジソンより早く蓄音機を発明したベルであったが、世界中に特許を取らず発明はしたが、そのままにしていた。
 翌年にエジソンは同じ蓄音機を発明し、直ぐに特許を取得して世界的に蓄音機の発明者となってしまった。
 其ればかりか、エジソンより早く蓄音機を発明したにも拘らず、エジソンに特許を取られてしまい、折角発明したにも拘らず製造販売できず、ローヤリティーをエジソンに払って製造販売しなくては成らず、特許を取らなかったつけが降りかかってしまう。

 一方、エジソンはベルに蓄音機を発明されていたが、ベルより早く特許を取ったお陰で発明者になっていた。
 これは、ほんの一例であるがエジソンは、発明者、科学者と言うよりは、やっぱり実業家と言った方が良いと思う。
 兎に角、特許を取り他人に製造させない科学者とは別の能力も備えていたようである。
SANY2855.JPG
 電球の発明に日本の京都の竹を使ったことは有名な話、金属でなく京都の竹で成功したエジソン、電球発明で更に実業家の本領を発揮。
 京都の竹を使ったことは、エジソンにとって莫大な利益をもたらすことになり、竹が幸運を呼んだ。
 
 写真は、アポロン製の蓄音機の針を入れる缶と鋏であるが、少し変わっているのは金属の針ではなく、竹で出来た針で其れを切る鋏、普通の鋏ではうまく切れず、竹針専用の鋏。
 上部に丸く穴が空いているところに竹を入れ、専用の鋏で切断きれる角度が問題で、この鋏を使わないと蓄音機の針として使えないのである。 
 やっぱり竹の針は音がやさしく響き、鉄の針より音が良い、針も金属性の物より竹、竹製が1番良く、良い音を奏でるのである。
 竹針りはレコードにも優しく、鉄針と比べれば盤の痛みが少なく、又良い音色をはじき出すと特性があり、音に拘った人たちに愛されたようだ。
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2017年12月23日

モデル

      明治初期のモデル
SANY0863.JPG
 日本の時計製造の創成期、西洋時計をモデルとして日本製の時計が製造されたことは、今までにも何回も話してきたが、ではどう言う所がコピーされたのかあげてみようと思う。
 時計には本体部分と、それに付随する部分とがあり、本体は殆どの時計は同じ様な構造、同じ作り方であり、そんなに大差のない物で出来上がっている。
 しかし付随する部分は、その時計により色々な物で装飾されており、一つ一つの時計で違った物、出来上がりは別物の時計として完成することになる。
 つまり装飾が違えば、その時計は別物に成り、様々な彫SANY0864.JPGり物がつくことより、雰囲気は全く違った物になったしまうもの、要するに衣装が違えば本体は一緒でも、完成した時計の出来が違うものになる。

 これらの装飾を日本の職人が真似る事になるが、モデルが一緒であっても出来上がった物は、其々の職人の違いにより、別物に成っている事も多く、それぞれの時計製造会社が制作、それが後の日本製スリゲル型時計とる。
 初期の西洋時計をモデルと手製造されたものは、職人の感性により造り出されてSANY4385.JPGものであり、全く違っても乗り出来上がる事も多い。
 日本人の感性がその中に注入され、西洋物とは一味違ったものに、またそれを目指したとも言えるのではないか。

 写真は上ドイツ製の時計の装飾、下は日本製のもの、ドイツ物は古いもので日本の幕末期の物、この様な西洋的な彫刻がモデルとなっているが、職人は見た事もない彫り物に戸惑ったであろう。
 そして、彼らが気付いたのは日本に古来より伝わる唐草の彫り物、この彫り物と良く似ている事に気が付く、それらの彫り物は仏壇に彫られている物と共通する。
 其れも当たり前の事、1400年も前にシルクロードを経て伝わった物とルーツは同じ、しかし日本に帰化した彫り物は既に日本的な物に成ってしまい、明治に見た物とはやはり違っていた。
 当時の職人の目にはどの様に映ったのか知らないが、彼らの感性は古来人と同じであった事は、後に製造させた時計を見れば納得がゆくもの。
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2017年12月19日

ノべルティーの種類

      アメリカが

SANY3740.JPG 尾張瀬戸から海外に輸出された陶器は、江戸から現在まで営々と続けられているが、製造するものが時代と共に変わってくるし、輸出国もまた変わって来ている。
 時代、時代に商品も変わり、当然流行があるから仕方がないが、其れを製造する窯元は大変な作業を要する事になり、時代に着いて行けない窯元は自滅するしかない。

 当然の事であるが、自由競争の社会であるからには、仕方が無い事ではあり窯元の職人は、其の時代、時代の流行を把握しておかねばならない。
 昔から、瀬戸の職人は流行に敏感に反応して来たと言われ、江戸時代から歌舞伎や俳諧、江戸庶民の動向等きめ細かく情報を入手していたようであり、それを直ぐに流行を商品化する技量を持っていた。

 人気の歌舞伎役者の似顔絵をSANY3744.JPG石皿に書き写し、俳諧の流行り歌は直ぐに取り入れたりと、その道にも精通していた事が、商品化にも役に立ったのは必然の摂理。
 時代は下がり、戦前戦後の製品は時代を反映して、出来も余りよく無く、特に戦後の動乱期は最低の出来、しかし、占領下の日本製品は安く、アメリカでもてはやされた。

 商品の印は「オキュバイド、ジァパン」と書かれているが、現在は其れが人気のようで、何が流行るか分からない時代、写真の鳩時計は、戦前の商品とオキュバイド、ジャパンの物、本来は前の商品のように、錘も付いていなければならないが、殆どが無くなってしまっている。


 この様な戦前のものもあるが、戦後つくられた同じものも多くつくられ、同じように見えるが明らかな違いも、SANY3749.JPG
 また戦前の物の方が出来が良く、絵付けも良い出来上がりになっているが、戦後の物は良く見ると仕事が雑で、動乱期を物語っているようである。
  いずれにせよアメリカ向けに大量に製造されたものが、現地に存在しており、今里帰りをして人気であるよう、時代の変遷が見えて興味深い。
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2017年12月16日

ランプ時計

      時計なのに電気がつく

 SANY0568.JPG時計は当然の事時間を計る為に発明されたもの、その時計が電気を灯すとは、意味が分からない方も居るのであろうが、時計がランプとドッキングしたものだ。
 明治時代から大正時代にかけて造られたランプ時計がそれ、ランプ時計は古くから造られており、1番分かり易いものは蝋燭に目盛りを刻んだ簡単な物。
 蝋燭が次第に解けて行き、蝋燭横の目盛りが消えてゆくから、その目盛りの位置を見れば時間が分かる仕組み、単に蝋燭の横に刻みをつけただけであるが、大体の時間は分かった。
 その次に発明されたものがランプ時計、蝋燭をホヤで囲い、その外側に刻みを付け少し豪華にした物、しかし当然の事、前のものとほとんど同じで蝋燭の火が消えにくいだけの事で時間はたいして正確でない。

 その後、この形式の時計と称せられるものが、何百年に渡って使用されてきたが、機械時計が発明されSANY0567.JPGると今度は機械とランプがドッキングして、機械式のランプ時計が出現する。
 このランプ時計は時間はほぼ正確で、今までのものより遥かに正確であった物、この時計は夜に暗い所でも時間が分かり、その当時の人達にとっては便利な物であった。
 そして、電気の発明により今度は電気と時計がドッキング、電気時計が生まれ電気の付く時計が発明され、暗い家庭であった時代は過ぎ、明るい生活がやってきた。

 写真の時計は、その時代に造られたランプと電気のドッキング物、丸い球の部分に電球が入っており、点灯し前にある針で時間を表示する仕組み。
 時間は下の部分、分は上の数字と2段に別れ回転する仕組み、針は固定されたおり球体部分が回転するもの、機械式時計は一番下の土台部分に入っている。
 電機が発明された初期の物で、電気の明るさと時計の新しさが上手く融合した時計、時計の中でも傑作の1つと思われ、暗かった生活から明るい電気の生活に入った時の生き証人でもある。
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2017年12月10日

ニッパくん

      親しまれている
SANY1115.JPG
 ニッパくん、西洋犬でよく見慣れた犬、レコード店の前でよく見かけた犬、世界的に有名な犬であり人気の高い犬、とまあ評判は良い。
 何処の犬かと思っていた人、そうですレコード店で見かけるあの犬、名前をニッパ君と言う犬、誰しも見慣れた犬です。
 何でレコード店にあったのか、その言われを知る人は少ないと思うが、そこには感動の物語があり、飼い主とニッパ君のつながりが見えてくる。
 その繋がりとは明治時代に遡り、処はイギリスでの話し、1884年ニッパ君が生まれ、画家であったマーク、ヘンリー、バロウドのもとに行く。

 飼い主のマーク、ヘンリー、バロウドは客の足を良く噛み付くこの犬をニッパと名付け可愛がったが、突如亡くなってしまう事になる。
 ニッパくんはマークの弟、フランシスのもとSANY4902.JPGにあづけられたが、ある日の事蓄音機がかけてある前でニッパが座っていたのをフランシスが発見する。
 その蓄音機にはマークの声が吹き込んであったらしく、ニッパ君は蓄音機から聴こえてくる、もと主人の声を不思議そうに聞いて座っていた。
 これを見たフランシスは蓄音機に聞き入るニッパ君を描く事に、蓄音機のラッパを前に首をかしげた姿を描き、「ヒス゜、マスターズ、ボイス」と題名をつけた、「彼の主人の声」と題した絵。
 その後、フランシスはこの絵を当時エジソン社に売り込みをかけたが成立せず、今度はベルリーナ、グラムホンに売込みを図った。

 当初の描いた蓄音機はエジソン社の物であったので、グラムホンの蓄音機に描きなおし商談は成立、此SANY4671.JPG処にあのニッパ君の姿が商標としてスタートした。
 あの可愛らしい姿のニッパ君、実は活発な犬であり、フォックステリア系の気が強い犬、おとなしそうに見えて実は暴れん坊でもあったらしい。
 この商標権、その後アメリカのビクター社が買い取り、ビクター犬として生まれ変わり、我々が現在見ている姿となったのだと言う。

 日本の忠犬ハチ公と共に世界的に有名となり、愛称は今でもニッパ君、マークが付けた名前の通り、噛み付き犬しとてその姿が親しみを持って愛されている。
 このニッパ君、世界的に色々な種類のものが製造され、勿論日本でも多くが製造されて市場に出ているが、姿が少しづつ違うので良く見ると違いも分かると思う。












 
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2017年12月03日

試行錯誤

      イギリス向け
SANY6105.JPG
 オールドノリタケ、明治期日本で製造された輸出陶磁器、森村市左衛門が名古屋市則武で製造した陶磁器、当時製造されたものをオールドノリタケと言う。
 少し前までオールドノリタケはブームで異常なまでの人気、海外からの里帰りが多く需要に追いつかず、値段が跳ね上がってしまったが、今は下火となり少しは買い易くなった。
 また皆が思っていたよりも数はソコソコあり、希少価値と言われた時よりも多く、コレクターもこれを知ってから陰りが出て来たが、良いものは少ない。

 少し業者にあおられ過ぎて高く買いこんでしまった人も、今は冷静に物を見つめて、良いものだけを手に入れている人も、一時期の異常加熱はなくなった。
 逆な意味で言えば、今が自分にあったものをジックリと探し、安い値段で買えるから、買いやすいことは確か、又何時も出回っているから、ゆっくり見て探した方が良いと思う。
 勿論このオールドノリタケ、非常に良い品も多く、今では中々作れないものもあり、美術品としての価値も、しかし我々には楽しんで使える物の方が良いと思う。SANY6094.JPG

 現代のものを同じ値段で買い込むならば、やっぱりオールドノリタケにした方が良いと思うが、人其々だからなんとも言えないが。
 中には古いものは汚いから嫌と言う人も多く、何で古いものを買わなければイケないのかと、そんな人も多くいるとも、確かにその意見もある。
 ただ現在では製造出来ないくらいに手の込んだものも多く、其れを今買おうとすれば高額な値段でなければ買えないと思う、新しい物の方が良い人は、それで良いと思う。

 今回のオールドノリタケ、デミタス式のカップで少し小さいもの、当時の流行のカップでもあり、イギリス向けに製造されたもの、トレードマークは緑色の丸木のマーク。
 白地に鮮やかなコバルトブルー、その上に金盛りと言う仕上げがしてあり、豪華な雰囲気のするもの、鳥の図柄と花が描かれている。

 SANY6084.JPGSANY6129.JPG金は分厚く塗られており、輝きは今でも当時のまま、金色に輝く鳥たちは生き生きとして空を待っているかのような雰囲気が、当時の力の入れようが伝わった来る。
 この手のカップは市場でも良く見かけるから、数が多く製造されたものなのか、当時は人気な商品であったようだと思われる。
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2017年12月02日

蝋燭立て

      異国の香り一杯

SANY4127.JPG 蝋燭が日本に伝わってのは奈良時代とされているが、それ以前にも渡来しているとの説も、中国から仏教伝来と同時にもたらされたとする説もある。
 一般庶民が使うのではなく、宗教的なものに使われていたようで、其れに伴い蝋燭たてもまた発展するが、之もやはり庶民の間ではなく身分の高い人達の物であったようだ。
 安土桃山時代にキリスト教が広まりをみせ、外国から宣教師が多く日本に入ってくるが、彼らは西洋文化を持ち込むと同時に日本の文化も持ち帰っている。
 この様な文化交流から生まれてくるものが燭台、日本に来た宣教師たちは当時の茶の湯を取り込み、キリスト教の布教に利用、そこから生まれた来たとされるのが蝋燭立て。SANY4140.JPG

 彼らの本国に報告された文章の中に茶の湯の事が書かれていて、布教するに当たって「茶の湯は避けて通れないもの」と、記述していることが判明している。

 安土桃山期に古田織部によって造られた「織部焼きと証する焼き物」の出現、緑色の釉薬で彩色された焼き物が流行、その織部釉で燭台を造りあげる。
 それも南蛮人と称せられた異国の人をかたどった焼き物、これを教会で使用したのが始まりとされているが、その後一般にもひろがったようである。
 写真の燭台、現代ものとして再現されもの、南蛮人(神父の姿)を模った蝋燭立て、これは当時の形ではなく後になって造られた複製品、上部半分に織部釉がかけられ下部は白色の釉薬。
 如何にも南蛮渡来の蝋燭たてに見えるが、よく見SANY4132.JPGると日本の絵柄が描かれ独特の雰囲気を醸し出した蝋燭立てになっており、当時の流行の先端を行った焼き物であった。

 安土桃山時代に、こんな焼き物が造られていたとは非常に興味が湧く所、当時の人はどんな反応をしてのであろうか、この燭台のもとでキリスト教に改宗した人々が神に祈ったであろうかと思いをはせる。
 実際に流行であったよう、別に信仰心からつくられたものではないようだ。
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2017年11月30日

輸出向け用

      早くから
小.jpg
 西洋時計をモデルとした時計グッツは明治から色々な物に造られて、市場に出回っているが、明治末期には海外に向けて輸出をし始める事になる。
 最初は国内向けの限られた範囲の物が製造されていたが、次第に海外向けの商品を開発、そして国内向けよりは多くの製品が、海外に輸出されるまでに発展してゆく。
 初めに花生けなどのいたって種類の少ない物が輸出されていたが、市場の要求に答える形で、色々な製品が作られるようになり、そして独自な商品も多く造られるようになる。
 はじめは東南アジアが主体であったが、後にはヨーロッパ向けの商品が海外のバイヤーによって、工賃の安い日本での製造以来が殺到する事となる。

 手先の器用な日本人の高い技術と製造の正確さが、海外のバイヤーの目に止まり、其れまでヨーロッパで製造されていたものが、日本に製造を依頼してくる。
 はじめは、ドールハウス用の細かな商品ばかりであり、ヨーロッパでも子供向けの安価な物が大半、高級品はマイセン等のヨーロッパの窯元に製造を依頼していた。

 日本での製造は、主に瀬戸地方で製造され、其の技術SANY3475.JPGの高さが認められると供に、マイセン等に発注していた高級品も次第に瀬戸に製造依頼が来る事になる。
  写真に上げた物は大正末期からに瀬戸で作られたドールハウス用の小物、大きい物で10センチ、小さいものは2センチ、子供用のものから、大人が楽しむドールハウス用の時計グッツである。
 左のグランドファーザーや置時計などは非常に精工で出来の良いもの、これらはやはり大人用であり、高価な時計グッツであったものと思われる。

 そして戦後、アメリカ向けに大量に製造されてものが、下の段右二つ、オキバイド、ジャパンと記されているものだ。
 この手のドールハウスは大量に造られてはいるが、手の込んだ作業がされており、大量生産とは一線をかくしたものである。
 マイセンに負けることなく、瀬戸製の出来の良さは定評があり、海外で高く評価されたもので、信頼感もあったようだ。
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2017年11月19日

エジソン

      発  明  王

 SANY4638.JPGエジソン、言わずと知れた発明王、「トーマス、エジソン」の事であるが、彼と「グラハム、ベル」との発明競争、この熾烈な戦いは余り知られていないようである。
 ベルとエジソンはライバル同士、共に発明を志、先に発明して世界に名を残す事に力を注いだ人物、彼らの発明競争は熾烈を極めたようで、その最初は蓄音機と言われている。

 蓄音機の発明はエジソンとなつているが、実際にはベルが先に発明をしていたが、彼は特許の申請を怠った為に、後から発明したエジソンに特許を取得され、彼の名は蓄音機発明者としての地位に無い、ベルが研究者であり、エジソンは実業家であった事が、ベルを蓄音機を先に発明しながら、エジソンに先を越されてしまった。
 歴史の裏側は実に面白いもの、我々が知っているような事でも、実は違っていたりしてミステリーぽい、だから歴史は面白いのであるが、当人達にとってはそれは死活問題だ。
 その実、ベルは蓄音機を先に発明したにも拘らず、エジソンのパテントを借りなければ、蓄音機の製造販売が出来なかったから、之は彼にとって屈辱的であったようだ。
 その後は、電話発明でエジソンより先に特許を取得して、電話発明者としてその名を刻む事になり、エジソンに一矢報いた形に、其れ以来彼らのライバル意識は死ぬまで続くことになる。SANY1620.JPGSANY1621.JPG

 そのエジソンが発明した蝋管の蓄音機(いやいや、実はべルが先に発明)、以前に買いこんだ物だが何時の時かクランクが無くなっており、ゼンマイを巻けない状態、クランクが如何しても見つからない。
 ゼンマイを巻くクランクが無ければ演奏は出来ないもの、探してもみつからないと弱っていた時、「そんなのクランクを造ればいいよ」と軽く言われた。
 軽く言われるので「何処で作ってくれるの」と問いかければ、「私が作る事にしますか」と、これまた簡単に言われるので此方が拍子抜け、やっぱり古時計保存協会の会員さんは凄い。
 このクランクを簡単に作ってしまう古時計保存協会の会員さん、私にとっては力強い技術者、頼りになる技術者を友達に持ったのが幸運、これからもどれだけお世話になる事やら。
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2017年11月13日

和製ステンドガラス 

      独特の色合い

SANY2997.JPG ステンドガラス、朝日や夕日が差し込むと、鮮やかな色の帯が長く床に落ち、幻想的な雰囲気をかもし出すが、この瞬間がステンドガラスの魅力である。
 建物を建てるときに、何処の窓が1番日の光を取り入れられるのか、そして部屋のどの位置に光の帯を落とすのか、設計者の腕の見せどころでもあるだろう。

 ステンドガラスいと言えば、殆どの人は教会のあのガラス戸を連想されるであろうし、事実教会が身近で1番多くのステンドガラスが存在している所でもある。
 ステンドガラスは、元々教会の窓ガラスを飾るために作られたと云われていて、キリストの誕生から復活までの、一生をガラスで現した物が起源であるらしい。
 その為に、いかにキリストらしい厳かな雰囲気を作り出すために、作者は苦心惨憺制作に没頭したらしく、その出来の良し悪しが教会の格にも影響したらしい。
 ステンドガラスの歴史も古く、昔から宮殿の装飾として多く用いられて、独特の発達をとげて、中世の教会を飾るまでに進化して、職人たちの腕の見せどころでもあっSANY2999.JPGた。

 複雑の色ガラスをふんだんに使い、教会の大きな窓一杯にガラスで彩ったステンドガラス、しかし、日本人にとっては少々色がきつくて、中々馴染み深くならなかったようである。
 しかし、明治の文明開化の頃より、日本建築にもステンドガラスが盛んに用いられ、特に西洋館には盛んにステンドガラスが嵌められ、異国情緒をかもし出したようである。

 明治時代に日本で製作されたステンドガラス、西洋物とは少し違い色合いも淡いもの、日本人に合った色使いをされているものだ。
 当時の西洋風の建物に嵌めるために制作されたもので、雰囲気を損ねない工夫が色々と考えだされた傑作が多いと言われる。
 その後日本建築に合う様々な日本製のステンドガラスが造られたようだ。
 上のステンドガラスは私が気に入って買い求めた物、ハチドリが2匹木の蜜をとっているかわいらしい物で、大正時代の造りらしい色合いが落ち着いていて、日本の建築には合っている様だ。
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2017年11月12日

万年筆

      見かけなくなった

SANY4282.JPG 万年筆、明治時代には一世を風靡した書き物の道具、古来より筆に慣れていた日本人、文明開化の時代になり西洋から入ってくる物に飛び付く、その中の一つが万年筆である。
 墨の筆に慣れ親しんだ日本人が西洋の便利な書き物、万年筆と出会い一気に虜になったのは言うまでもなく、特に物書きを生業とする人々に受け入れられた。

 墨をすらなくても良く、持ち歩き似も便利、しかも小さくてインクが漏れないと来れば、物書きだけではなく一般の人達にも支持されるようになり、一気に広まる事となる。
 当時に舶来品は高くてとても手の出る代物でなかったが、其処は日本の職人達、この西洋から入った来た万年筆、直ぐに国産化にして市場に売り出すことに。
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 日本の職人はやっぱり凄い、余り時間を掛けない内に国産化、しかも安価な万年筆を作り出し、学生が買えるような値段で販売をし、学生の間でも一気に広まる事となる。
 当時の素材はエボナイトと言われる素材が中心のようであり、その他にも色々な素材で万年筆が作られることになるが、高級品には金や銀の素材まで登場することになる。

 一般の人たちは高級品を買うこともなく、あの黒色のエボナイト製の万年筆が主流であり、その後セルロイドが主体となるが、エボナイトも根強い人気を保つ。
 写真の万年筆は、セルロイド製のマーブルと呼ばれる種類のもの、この柄も人気の1つで多くの万年筆愛好家から支持を受けていた物、図柄が面白くて楽しい万年筆に出来ている。SANY1300.JPG

 これを見つけたのは偶然の事、ある時計屋さんが閉店をするから古時計を譲ると連絡があり、古時計を求めて行った時、その店の引き出しから出て来たもの、未使用品の品であった。
 程度は良く綺麗な状態であったので貰ったものである。
 別に使おうと思っている訳ではないが、懐かしいのと状態が良いのでツイツイ手を出したまでの事。
 何だかんだで手を出してしまい、結果は何時も整理がつかない事になる。








 
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